2011-10-05

出生届と死亡届を一緒に書くということ。

兄(の嫁)が子供を生んだのはちょうど3年前。

うちの家族初孫でみんなものすごく喜んだ。

同時期に兄の一歳下の姉も妊娠しており、その3ヶ月後に出産をひかえていた。

同級生になるね、なんて話していたのはそれくらいの時期までだ。

姉のお腹は異常に大きくなってきて、痩せていた姉の浮き出る肋骨とは対象的に、なんか怖い感じになっていた。

「なんか怖い感じ」は病院検査した結果「羊水過多」と診断された。

お腹赤ちゃんの肺がうまく発達しておらず、栄養である羊水を吸収できていないらしい。

からお腹はどんどん大きくなっていた。

大きな病院入院した姉は、羊水を抜いたりしながら出産に向けて慎重に過ごしていた。

ほぼ確実に障害を持って生まれてくるだろう、と言われていた。

12月のすごく寒い時に、姉はなんとか出産した。

赤ちゃんは見ていないけど、姉から見せてもらった写真では髪の毛もしっかり生えていたし、

体重も2000グラムくらいあったそうで、少し小さい赤ちゃんって感じだった。

でも少し小さい赤ちゃんは鼻に大きな管が通っていて、それを固定するためにほっぺにはぞうさんのイラストシール

貼られていた。生まれた赤ちゃんは様態がよくなく、姉はうちから時間半の病院毎日赤ちゃんの面会に行っていた。

限られた時間しか会うことができず、さらに抱っこすらできない。

管まみれで寝ている赤ちゃんに触るだけだ。

姉は、完全にやつれていて、でも今日は動いた、とか、今日は笑った気がする、とかそういうことを話していたと思う。

よその赤ちゃんはなんで普通に生まれてくるのだろう、と誰にも言わないが家族みんなひたすら思っていたと思う。

12月30日にもうだめかもしれない、とお母さんから聞いた。

12月31日、赤ちゃんは危篤状態だった。

1月1日。世の中は新しい年が来たことを喜び、騒ぐ中で、赤ちゃんは息を引き取った。

の子が生きたのは20日間。

480時間だけ。

あんなに悲しい元日は二度とないだろう。

亡くなる直前に、姉は初めてわが子を抱いたらしい。もう死んでしまうとわかってからはじめて子供を抱く心境というのは

正直想像できない。

かわいい姪っ子に私が初めてあったのは、元旦の夜。

遺体が悪くならないように家で暖房をつけず、寒かったことは覚えている。

赤ちゃんは、私がプレゼントしたピンク帽子手袋をしていた。小さいうさぎプリントの。

はじめての外は寒かったかな。

姉が赤ちゃんを抱き、母が「○○ちゃん、おうちだよ」と言いながら入ってきた。

用意していた新品の布団に、冷たい赤ちゃんを寝かせた。姉が写真を撮って欲しい、と言った。

初めての親子の写真最後の親子の写真

友人や知人、ドラマ映画漫画小説、あらゆるとこでみる「出産」に、こんなのはなかった。

一年半後、姉はまた妊娠した。

多分、赤ちゃんしか悲しみが埋められなかったんだと思う。

みんなが祝福したし、みんなが緊張していた。

万全の体制で、とにかく健康に生まれてきて欲しいと思っていた。

生まれてきた男の子赤ちゃんに会いにいった。

赤ちゃんはまた、見たこともないくらいの数の管を小さい体にたくさんとおして、そのせいか、顔がうっ血してすごく茶色かった。

仰向けに寝かされていて、足も、うでも、顔も、お腹も、管がついていた。

おむつがぶかぶかだった。

なんで私が会えたかというと、もうすぐ、亡くなるから、だそうだ。

管さえ外せば亡くなる様な状態だった。

でも確実に生きていた。名前を呼びかけると、苦しそうな茶色い顔して、管のついた足を上げたりした。

の子はどれくらいの苦しみとか痛みの中で私たちに答えてくれたんだろうか。

あいときの個室は、もう異様なくらいにみんな穏やかで、

「○○くん、すごいねえ〜〜」なんて話しかけるしかできない。そういう優しい話し方でしか空間を保てない。

一人目の赤ちゃん写真をもっと撮ればよかった、と姉が言っていたので

私は看護師さんに許可をとり、たまたまもっていたコンデジ写真を撮りまくった。

ムービーを撮りまくった。そこには動いている赤ちゃんが写っている。

みんなが呼びかける声が残っている。一人目の子の時には残せなかった、生きていた証。

翌日その子も生きを引きとった。2日しか生きてない。

48時間しか生きていない。

赤ちゃんが亡くなったあと、姉夫婦が初めて赤ちゃん沐浴をしている写真がある。

やつれきった二人に、茶色赤ちゃん。顔がむくんでいて、痛々しい。

天国お姉ちゃんがまっているから、仲良くできるね」なんて奇妙なセリフにみんな同調していた。

見たこともないくらいの、小さな棺に、赤ちゃんは入れられた。

管をつけていたせいで顔にはあざがたくさんあった。

健康赤ちゃんが生まれてくることが、なんでこんなにも難しいことなのか、

こんな悲しみがなぜ姉に2度も訪れるのか。

どこにもぶつけられない感情家族を覆った。

出生届と死亡届を一緒に書いている姿は、何にも例えられない光景だった。

2人の赤ちゃんが生まれてすぐ亡くなった原因は未だにわかっていない。

このことを思い出しては、本当に姉が不憫になるし、今も働きながら、本当は苦しみながら、前向きに生活している様子に心底尊敬する。

  • 2011年にこの増田を書いた。姉が出産したが、娘は生後1ヶ月で亡くなり、翌年生まれた長男も生まれて一週間で亡くなったって話。 http://anond.hatelabo.jp/20111005234524 この話はいまも続きがあ...

    • 50%の結果がどうであれ、増田もお姉さんも幸せになれる。子供だって、きっと持てる。でも、もし持てなくても幸せにはなれる。50%「も」大丈夫な確率があるからきっと大丈夫だけど...

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