はてなキーワード: バリュとは
まず前提として、私は有名人の私事に全く関心がないし、有名人であっても私事は秘匿されるべきだと考えている。
この有名人は芸能人やアスリートだけでなく政治家などの公人も含めて、である。
結婚しようが離婚しようが子どもを手放そうが、全く無関心で、それにニュースバリューがある意味が分からない。
さらに言えばそれにニュースバリューのない社会の方がどちらかというと理想的だと考えている。
その上で、今回の羽生結弦の離婚報道で、彼が一方的に同情されるのはおかしいと思う。
まず、アスリートであるのにアイドルのような売り方をして熱狂的なファンを作ってマネタイズしたのは羽生結弦自身である。
それなのに、一方的な声明で離婚を発表した途端、「報道したマスコミが悪い」という同情的な世論が巻き起こることが怖い。
まず「マスコミと追っかけで夫妻が疲弊したことが離婚の理由である」という客観的な検証が全くないのに、
価値観の不一致や金銭問題などによる離婚をマスコミのせいということにした可能性もあるのに、全く触れられない。
もちろんそんなことを検証する必要はないし、検証すべきではないが、その可能性を排除して一方的に信じて同情する意味もまた分からない。
普通なら「本人 (ら)はそのように言っています」で終わりである。
繰り返すが「悪いマスコミのせいで離婚せざるを得なかった羽生結弦さんが可哀想」という一方的な世論が形成されたのが怖くてしかたがないのだ。
満員電車と痴漢なら後者が悪いという人が多いのに、マスコミとキ○ガイ追っかけだと前者が悪い、というのもよく判らない。
社会心理学では同じようにどちらも悪いはずだ。
仮に、他の有名人が同じような状況になったら、羽生結弦と同じようにみんなが一斉に言い分を信用して、同情して、マスコミを叩くのだろうか。
私はそうは思わない。
まず前提として、私は有名人の私事に全く関心がないし、有名人であっても私事は秘匿されるべきだと考えている。
この有名人は芸能人やアスリートだけでなく政治家などの公人も含めて、である。
結婚しようが離婚しようが子どもを手放そうが、全く無関心で、それにニュースバリューがある意味が分からない。
さらに言えばそれにニュースバリューのない社会の方がどちらかというと理想的だと考えている。
その上で、今回の羽生結弦の離婚報道で、彼が一方的に同情されるのはおかしいと思う。
まず、アスリートであるのにアイドルのような売り方をして熱狂的なファンを作ってマネタイズしたのは羽生結弦自身である。
その上で、一方的な声明で離婚を発表した途端、「報道したマスコミが悪い」という同情的な世論が巻き起こることが怖い。
まず「マスコミと追っかけで夫妻が疲弊したことが離婚の理由である」という客観的な検証が全くないのに、
価値観の不一致や金銭問題などによる離婚をマスコミのせいということにした可能性が全く触れられない。
そんなことを検証する必要はないし、検証すべきではないが、その可能性を排除して一方的に信じて同情する意味が分からない。
繰り返すが「悪いマスコミのせいで羽生結弦さんが可哀想」という一方的な世論が形成されたのが怖くてしかたがない。
満員電車と痴漢なら後者が悪いという人が多いのに、マスコミとキ○ガイ追っかけだと前者が悪い、というのもよく判らない。
社会心理学では同じようにどちらも悪いはずだ。
ジャニーズとか宝塚とかをきっかけに「推し活」そのものにも批判的な目が向けられてる現状にちょっと言いたくて書く。
性犯罪とかパワハラとかが違法行為であって糾弾されるべきなのはそう。そこに異論はない。
ただ、歴戦のオタクとして、「推し活」そのもののあるべき姿みたいなのにはちょっと思うところがある。
具体的な年代は避けるけど、かつてオタクやってたときはまだ「推し」なんて言葉はなかったし、今よりずっと「オタク」もネガティブなイメージの言葉だった。
当時は某グループのオタク。バーチャル系ではなく実在のグループで、まあCD出したりグッズ売ったり、ライブやったりしてる感じ。まだ配信文化もなかった。
ツアーの全通(非オタク向け補足:ライブツアーなどに全公演参加すること)経験もある。チケ代交通費宿泊費グッズその他で数十万かかったけど、まあ楽しかった。
その後、主要メンバーの引退やら卒業やらで少しずつ離れていき、数年間の非オタク期間を経て、1年ほど前からまた別ジャンルのオタクをやってる。
年齢も人生経験もちょっとは積み重ねて、推し活に対するスタンスも固まってきた。別に正解があるわけじゃないが、推し活やるならこうしたらいいぞ、っていうオススメを書いておきたい。
一言でまとめると、「推しの人生は推し本人のもの、お前の人生はお前のもの」だ。
どうかなあと思うのは、自分の人生を推し活に注ぎ込みすぎてるパターン。それで結局推しの引退やらなんやらで、気がついたら年齢を重ねた自分と虚無感だけが残った、みたいなやつだ。
昔からそういうオタクを周囲でたくさん見てきた。それでもある期間は楽しかったんだからいいのだ、と割り切れるならまだいいが、そうでない人も多い。
ファンと結婚する芸能人、みたいなのに憧れがあるのもわかる。でもあれは、「もともと出会えるぐらいの距離感の関係性」だった対象が、たまたまファンだったというだけに過ぎない。もしくは、ちょっと知ってた、くらいの話を「昔からずっとファンでした」に脚色したほうがニュースバリューがあると判断した結果の演出だ。残念なことだが、この世界はそういうふうにできている。
ライブでファンサもらえたとしても、ラジオや配信でメールが読まれたとしても、それはお前の人生が推しの人生と重なったことにはならない。
推しは推しの人生という列車に乗っていて、お前の乗ってる列車の線路とは交わってないのだ。ライブやメールっていう接点は、あくまで車窓から見えた、程度のこと。
その景色が見えようと見えまいと、推しは推しの線路を進んでゆく。それはお前もそうなんだ。お互いが交わったと思いたい気持ちはわかる。でもそうではないということをまずは理解しよう。
じゃあどうしたらいいか。
お前は推し活をしている以上、推しから何らかの影響を受けているだろう。推しも、個別に一人ひとりを認識してはいないにしろ、ファンの反応には影響を受けているはず。そういう意味では、
お互いに影響しあっている。推しはファンのリアクションを受けて、活動を続けている。お前も、推しから受けた影響を「お前の人生」に活かせ。
お前が推しの人生を変えようとしても難しい。推しの人生は推し自身が自分で決めて進んでいくのだ。同様に、お前の人生を決められるのはお前だけなんだ。
ちょっと話は逸れるが、オタク歴が長くなって気づいた、ラジオなどでメールが読まれるコツみたいなものを伝えておく。
可愛い、かっこいい、歌やダンスが上手い、など推しに対してストレートに感情を伝えるメッセージは、それだけでは弱い。なぜなら、ある程度の活動をしている人はそういう言葉を浴びせられることに慣れているからだ。
「あなたの歌(orダンス、演技、etc...)からこんなことを感じて、自分も◯◯してみました、◯◯にチャレンジしています」などというように、
「推しの活動から影響を受けた自分がどのように変わったか」を書くんだ。
推し対象が何らかの芸能活動をしているのであれば、自分の生み出したコンテンツが誰かにプラスの影響を与えた、誰かの人生に作用したと思えることが嬉しくないはずはない。
どんな仕事でも、自分の仕事が世の中の役に立っている実感が得られるかどうかは、やりがいに直結するだろう。それと同じことだ。
自分は、いまの推し対象が音楽をいろいろ突き詰めているのをみて、楽器を始めた。もともと音楽は好きで楽器が演奏できることへのあこがれはあったが、推し活がきっかけになった形だ。
練習しているのはもちろん推しの楽曲だ。なんとか1曲弾けるようになって、推しの記念日に某所に演奏動画を上げたら、同ジャンルのオタクたちがリアクションくれてちょっと承認欲求が満たされた。推し本人が見てくれていたらいいなあと思う。
初級レベルを出るくらいまではきた自覚があるので、おそらく今の推しが引退とか活動休止したとしても、楽器は続けていくと思う。これは推しに出会わなかったらきっかけがなかった自分の人生の変化だ。
言い換えただけだが、自分の考える推し活のあるべき姿は「推しを力に変えてお前の人生を生きろ」だ。
お前がお前の人生を生きている限りは、グッズを山ほど買おうが、ツアー全通しようが、批判されるべきことではない。それを力に、お前の人生をより良い方向へ変えるには、と考えて進もうや。
蛇足だが、推し活のための借金はおすすめしない。それはお前の人生が担える範囲を超えているからだ。
推し活などに全く頼らなくても生きていける人も大勢いる。だが、我々のような人種は基本的に弱いんだと思う。だからその弱さを推しに補ってもらって、自分の人生を歩もう。そうやって良い方向へ自分のファンが変わっていくことは、推し本人にとっても喜ばしいことのはずだ。