2023-11-22

羽生結弦離婚報道についての違和感

まず前提として、私は有名人私事に全く関心がないし、有名人であっても私事は秘匿されるべきだと考えている。

この有名人芸能人アスリートだけでなく政治家などの公人も含めて、である

結婚しようが離婚しようが子どもを手放そうが、全く無関心で、それにニュースバリューがある意味が分からない。

さらに言えばそれにニュースバリューのない社会の方がどちらかというと理想的だと考えている。

その上で、今回の羽生結弦離婚報道で、彼が一方的に同情されるのはおかしいと思う。

まず、アスリートであるのにアイドルのような売り方をして熱狂的なファンを作ってマネタイズしたのは羽生結弦自身である

結婚を発表したのも羽生自身である

その上で、一方的声明離婚を発表した途端、「報道したマスコミが悪い」という同情的な世論が巻き起こることが怖い。

まず「マスコミと追っかけで夫妻が疲弊したこと離婚理由である」という客観的検証が全くないのに、

羽生結弦の言い分が概ねそのまま社会に受け入れられている。

価値観の不一致や金銭問題などによる離婚マスコミのせいということにした可能性が全く触れられない。

そんなことを検証する必要はないし、検証すべきではないが、その可能性を排除して一方的に信じて同情する意味が分からない。

普通なら「そのように言っています」で終わりである

繰り返すが「悪いマスコミのせいで羽生結弦さんが可哀想」という一方的世論形成されたのが怖くてしかたがない。

満員電車痴漢なら後者が悪いという人が多いのに、マスコミキ○ガイ追っかけだと前者が悪い、というのもよく判らない。

社会心理学では同じようにどちらも悪いはずだ。

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