はてなキーワード: エンディングノートとは
夫のことは大事だし大好きだけどこれからのことを考えると介護が必要になってくる前あたりで死ねたらいいなって思う。こんなこと書いてるうちは死ねないんだろうなーとか思いながら。
そのままでいいと言ってくれてるし、仕事するなら医師と相談して絶対無理しないでねって言ってくれてる得難い人格者なんだ。だから私が家事すらできなくなって重荷になった時最後まで面倒見ちゃうと思うんだよね。こちらが面倒見る側になるのは完全にばっちこいで行政とか外のサービスとかもろもろ借りてやってく気満々なんだけど、無産の人間がさらに無産になるなら保険金差し上げて死んだ方がいいんじゃないかな。
「もともと精神を病んでてその末に死んでしまった奥さん」なら死別でも外から見て夫に同情的になってくれるだろうし、なんなら夫はいい男だから周りの女性の巡り合わせでいい人が見つかるかもしれない。生きてる時にされたら辛すぎるけど死んだ後なら我関せずできる。子供もいないからお金他にかからないしね。
今でも具合悪くて寝てたり夜不眠で昼寝とかしてるし、それでも何も言わないでくれてる。夫は家の中でずっと仕事してるのに。もちろんその間に洗濯とかしてるけど、時間にしたら夫の方がずっとずっと仕事時間長いし大変そう。丸一日いろんなオンラインミーティングで埋まってる事もあるみたい。家が狭いからそれを私はずっと見てるんだけど。
夫婦片方死んだらもう片方ひとりぼっちになるとか言うけど夫はいろんな趣味で人と繋がってるし夫の実家はすごい人が集う家らしくてたぶんそういう繋がりも絶えないと思う。周りの人に恵まれてるからそう遠くないうちに乗り越えられるはず。私が死んだ悲しみはしばらく残るだろうけどエンディングノートにいろいろ書き留めたから始末で困らせないようにしてる。労力は最低限にしてもらえたらいい。
私の実家は私が精神障害持ってることも理解してるし一回自殺未遂してるから夫のことを責めないはず。あいつとうとうやったかみたいな分かりかたするんじゃないかな。
まあこれは私の都合の良い想像だしそもそも死にぞこなって一生介護かつこちらから意思表示できなくて無理矢理生かされるとかあるから確実性と他人に迷惑を極力かけない手法を探さなきゃいけないから難しいんだけどね。時々調べてるけどなかなかない。
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地方都市の大学をまあまあの成績で卒業した自分は、「顧客から『先生』と呼ばれる職業」に就いた。ちなみに、学校教員ではない。
学生時代はそれなりに注目された人間で、というのも、自分には生まれつき特異な能力がひとつだけあった。それを以て、良くも悪くもほんの少しだけ特別扱いを受けて生きてきて、仕事もその能力に関わるものを選んだ。
ところがその特異な能力とやらは発達障害によってもたらされた偶然の産物であり、社会に出た瞬間に自分は無能と化した。特有の段取りの悪さ、睡眠障害、虚弱体質、感覚過敏、これら要因により溜まったストレスを引き金とした定期的なパニック発作。それまで「生きづらさ」に自力で折り合いを付けてきた自分が精神科のお世話になるまで、一年と経たなかった。
明らかに仕事の能率が落ちて、上長と相談して少しずつ雇用条件を緩くしていったが、気がついたら精神障害者保健福祉手帳が交付され、今では正社員を諦めて週4日の勤務。ボーナスも手当も全て消え、手取り月収は半減した。これを機に障害者雇用枠に収まって合理的配慮を受けようかと思っていた矢先に、どこぞのお偉いさんから、発達障害を悪く言うメールが回ってきた。そういう訳で同僚にカミングアウトする機会を完全に失い、現在の自分は「よく分からないが体調の悪い人」という扱いになっている。
それでも自分は今の仕事をやめられない。この能力を活かせる瞬間に、自己肯定感を完全に依存しているからだ。ハローワークで求職者登録をして、色々な求人を見ても、顧客の顔が頭をよぎる。転職したら自己肯定感を保証してくれるものが無くなってしまう、という恐怖に、今も苛まれている。
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仕事に自己肯定感を依存しているということは、私生活は思い切り虚無だ。
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自分も趣味と呼べるものを持っているのだが、最近はそれに興じるのが怖くなってしまった。表現に関わる趣味だったが、時が経つにつれてSNSのタイムラインは、より潤沢な資金と時間と能力、そして社会性を持つ人ばかりの世界となり、筆と心が折れてしまった。孤独に生きている横で、仲間達は別のことで盛り上がっている。それに興味を持てるような精神力は、最早残されていない。
自分にしかできない表現、なんてものも無い。これでも当初は自らの表現するものに需要があると思っていたのだが、明確にそれを覆す出来事が、つい最近あった。いや実際の所は分からない。「嫌いなのは作品ではなく、社会性に欠けたお前自身」という可能性もある。どちらにせよ活力が削がれることに変わりはないのだが。
そして、こうしたことに気付く頃には、他の趣味に没頭する気力が無くなっていた。今の自分は、余暇に何をするにも義務感を伴う。
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こんなとき、病んだ人間を救うのは家族や恋人の愛というのがテンプレートだ。一応、自分には家族も恋人もいる。
家族は、私が手帳持ちで正社員を辞めたことを知らない。彼らがイメージする自分は、いつだって明朗快活、何事も気合で乗り越えられる精神力を兼ね備えている優等生だ。それは一体、誰のことだろうか。
そして家族は、自分に何も喋ってくれない。気付いたら父母は事実上の離婚状態だったし、気付いたら自分の教育費は両親ではなく親戚が支払っていた。私の知っている一般的な家族とは何か違う、謎の共同体だ。
恋人のことは心から愛しているが、その人は自分と一緒にいるときよりも、友人と語りあっているときや、趣味に入れ込んでいるときの方が余程幸せそうに見える。と言うと、「人の感情や好みを他人が勝手に判断しないで」「好きだと何回言ったら信じてもらえるのか」といつも怒られるのだが、それほど好きならばもっと向き合ってほしかったことが色々あった。
しかしながら今思えば、お互い身内でも何でもないのだから、これで良かったのかもしれない。これ以上他人に負担をかけて生きたところで、何も楽しくないのだ。
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20代半ばにしてこんなにも空っぽなのだから、限りなく婉曲的に表現すると〝損切り〟をした方が良いと思った。
転職をして自己肯定感を得られなくなる前に。働き続けて家計が壊れる前に。恋人から「そろそろ結婚を」と言われる前に。趣味仲間が大成する前に。心がすれ違った家族の最期に向き合わされる前に。
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こうして自分は今日、書店でエンディングノートを買った。とても残念なことに、おそらくここ一ヶ月で、最も行動力に満ちあふれた瞬間だったと思う。
これ程までに精神を病んでも、まだ「立つ鳥跡を濁さず」の精神は一丁前に残されていて、使っていない銀行口座や家族が見てもどうしたらいいか分からない物品がそれなりにあることに負い目を感じた。なまじ責任感が強いと困るばかりである。かといって責任感が強いところで、その責任を果たすことはしないのだ。本当に社会の穀潰しである。
人に自慢できるような金額ではないが、私も人並みにオンラインバンキングとかネット投資とかをやっている。しかし、私が当然死んだ時、残された人はこのお金を引き出せるだろうか。ログインネームやパスワードだけでなく、どこの口座に開設しているかもわからないこのお金を。
死んだ後に、ハードディスクの見られたくないファイルを消してくれるサービスが度々話題に上るが、私はそのオンラインバンキング版が欲しい。
サイトにログインして規定の起爆コードを入れると、証券会社や銀行にアクセスして、全ての株、投信、外貨預金等を換金し、ひとつの口座に送金してくれる。という。
私のアカウント情報を全て収集している家計簿アプリさんとかいかがだろうか。でもあれは取引パスワードは集めていないんだったか。
エンディングノートを書いている。
数ヶ月前から。
焦って躍起になっていた三ヵ月前に、遺書書いて死んでしまおうかと思った。
若い時分はそれなりにモテた。周りは美人だの何だの褒めてくれたしスタイルも良かった。
二十歳からずっと結婚願望はあったし、お付き合いした人とは全員結婚したいと思っていた。
でも付き合っていた男のお眼鏡にはかなわなかった。
昔から自分に自信が持てなくて、嫌われないように必死になってばかりで自分の主張なんてしたこと無かった。
そんなこと繰り返しながらあっという間に29歳。
半端なプライドも捨てられず、日々劣化していく全身と、周りの評価が怖かった。
死のうと思ってエンディングノート書いた時、いつでも死ねることに気づいて憑き物が落ちた。
いつでも死ねる。好きなタイミングで好きな方法で死ねる。いつでも終わらせられる。
だからどんなに嫌なことがあっても、いつでも死んで逃げられることに気づいてから、生きるのが楽になった。
遠く離れて暮らしており、交流は子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。
世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて
私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。
関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。
私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。
お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。
泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。
祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。
ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。
内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的な映画だ。
娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。
「孫の存在そのものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。
祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。
あんな風とは違うにしても、私が生まれたとき、祖父母は子供に大事な存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。
祖父のお葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。
母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。
上記の祖父と映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。
お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。
でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき。
──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。
ヤンチャな悪戯っ子のような物言いの祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。
そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。
「人は死んだ後からでもその人のことを知ることはできる」
その台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。
82年〜83年 アメリカ・ペンシルバニア州クエーカー タウンフリープレス紙に職場留学
89年8月 毎日新聞社退社
2002年10月〜テレビ朝日系列「ザ・スクープスペシャル」キャスター
2002年10月〜2011年3月 「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)月~木曜日コメンテーター
2003年4月〜2005年3月 関西大学社会学部教授(マスコミ専攻)
2004年4月〜2005年3月 「僕らの音楽」(フジテレビ系列)
2005年4月〜 TBS ラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」(月曜日スーパートーク)
【賞罰】
2001年4月 「日本記者クラブ賞」(桶川女子大生ストーカー殺人事件報道に対し)
(ザ・スクープスペシャル『警察の裏金追及第一弾、第二弾』に対して。
『うちのお父さんは優しい 検証・金属バット殺人事件』(共著明窓出版)
『ニュースの職人 「真実」をどう伝えるか』 (PHP研究所)
『歳には勝てる』(マガジンハウス)