営業:コンペで仕事を取ってきました。見積もり上はすべて黒です。これ以上仕事は入りません。
企画制作:毎日夜遅くまでかけてこだわりのいいもの作っています。これ以上仕事は入りません。
けもフレ旋風。
私もそれに飛びついたクチの人間で、見え隠れする背景世界と安心して見ていられるフレンズたちのコミュニケーションのギャップを楽しんでいる。
そもそもアニメ自体見るのが限界で、友人に勧められやっとこさ見てハマったくらいのものなのだが、
一話の最後で「新世界より」かよ!と度肝を抜かれてそれ以来の虜だ。
私はヨコハマ買い出し紀行も好きだし、人類は衰退しました。も好きだし、BLAME!も好きだし、少女終末旅行も好きで、
でも周囲を見回してみると楽しみ方がちょっぴり違う気がしてならなくて今回こんな日記を書くに至ったわけだが。
このブームはキャラクターよりも世界観よりも見ている人たちによって支えられているような気がしている。
「当然だろ」と思っただろうが、言いたいのはブームの牽引が「けもフレ構文」なりのミームによるもので、
キャラクター人気なりまどマギみたいな展開ありきで進んでいるわけでもない。(もちろんフレンズがかわいくないとは言っていない)
そういう中にいると、私みたいなのは勝手に(自意識過剰なのは重々承知だけど)孤独感に襲われてしまって、
どうにも作品に近寄りがたくなってしまう。まぁツイッターやるなよって話なんだけど。
けもフレ構文は「あなたは〇〇するのが得意なフレンズなんだね!」と個人を承認してくれはするけど、
結局それが一過性のブームでしかないなら、その意味なんて視聴者にとっては二の次でしかないような印象を覚えてしまう。
こんなにわかりやすく、互いを認め合おう、って言ってくれている作品でようやく
大仰に言えば隣人愛に気づけたひともいるのだろうけど、実際そんな視聴者は少ないし、
ブームに乗っかっているだけのフレンズはこのクールが終われば何もかも忘れるようになるんだろうなぁと思う。
なにも隣人愛をみんな理解しろ、と言っているわけではない。自分だってそれは全然できていない。
ただ「あなたは〇〇するのが得意なフレンズなんだね!」とか言いながら平然と他人を傷つけることをする人が
誰かを認めよう、なんてずっと昔からどんな媒体でも語られてきたことなのに、
こんな時だけ平然とわかったふりをしている人たちの嘘くささがあんまりにも気持ち悪い。
そんなことは私たちはずっとずっと考えて悩んできたのに、虫が良すぎる。
アニメにムキになるなよと思われても仕方ないのだろうが、少なくとも私はどんな作品にも意味を見出したいと思っている。
製作にかかわったひとたちの熱意が垣間見える瞬間には心が燃え上がる。
だからこそもうアニメを見るのに疲れてしまった部分もないとは言えないのだけど。
誰かからみたら私が臭いオタクなのもわかっているが、周囲のひとにはもうすこし真面目に作品をとらえてほしいとつい思ってしまう。
選択を強いられる時は、突然やってくる。
本当は幼稚園や保育園等の幼いころから「将来何になりたいの?」という問いはずっと続けられてきていて
年齢が上がるにつれてその問いも志望校選びだとか、そういう話題を重ねて選択の練習をしていく。
今、私は人生の節目に立たされていている。
裕福ではない為、その進路の選択は将来の事も考えるとすごく狭まっていて
例えば夢を追うにしてもデッサン教室に通って美大を目指すなんてとんでもない。
かといって働きながら夢を追うことや、学び直す為に働いた後に学校に通うということは現代ではそれほど現実的ではないのだろう、と思う。
短大や専門学校に入るのですら年に約100万円~の金額が必要になって、それを奨学金で賄おうとすれば将来何百万かの借金を働き始めるスタートラインから持ち続けることになる。
その学歴は今の学歴と比較してそんなに収入差が出るのだろうか。その学校で学びたい事は何ひとつないのに通い続けることができるのだろうか。
学歴、多少の勉強、社会人までの時間を数百万の借金をして本当に買いたいのだろうか。
たった十数年生きてきた身に、この疑問は荷が重すぎる。
「汚ない」の一言で雑工と分別作業員と廃プラスチック輸入国を苦しめんじゃねーぞ!おいそこの現場監督!てめーもだ!飲みかけの缶だのペットボトルだの毎日置き忘れてんだろ!見たからな!
http://news.yahoo.co.jp/feature/517
で、いともアッサリと詐欺的なセミナーに引っ掛かっている事例がいくつも出ていたので、そういう人が読むかどうか激しく怪しいが、予防法を書いておきたい。
身も蓋もないが、これが一番確実ではある。
第三者の目を通している分、セミナー主催者とセミナー講師が同一である場合より安全度が高いです。
本を出しているなら買うか借りるか立ち読みかで読んでみる。
引き寄せの法則、じゃないけど、自分がしたことはそのまま返ってくるって信じてる
ので褒められたければ自分から褒めるし、労られたければまず自分が労わる。人から優しくされたければまずは自分から優しくするよ。
男女関係においてもそれは変わらない。
「30代はババアww」とか言ってる人は自分が40代50代になったときに若い子からそのまま返ってくるよ
「なんだあのジジイ」って言われるよりは「素敵なおじさま」って言われたくない?
2017年、今年の大河ドラマは「おんな城主直虎」。毎週楽しく見ています。
6年くらい前からTwitterを利用し始めて、作品名のタグで色んな人たちの感想・実況ツイートを見ながら視聴するようになりました。
そこで最近、というより今年になって感じるようになったことがあります。
それは「前作を引きずっている人の多さ」です。
直虎の前作は真田丸でした。キャストも脚本も豪華、有名な武将・真田幸村が主人公なだけあって盛り上がるシーンが多かったように思います。また見ているこっちが大笑いしちゃうようなシーンもたくさん盛り込まれていて、Twitterの真田丸タグは毎週大盛り上がりでした。
年が明けておんな城主直虎が始まって、またTwitterで実況ツイートを見ながら楽しんでいるんですが、そこで頻繁に見かけるのが
「直虎では〇〇はこんな事してるけど、真田丸だったら父上が△△して解決しちゃうよね」
…といった真田丸との比較ツイート。しかも、直虎に対してあまりいい感想じゃないんです。
もちろん、作品というのが全ての人から良い評価を得る訳ではありません。大河ドラマも、毎年ここが良くなかった、という感想は沢山あります。
さらに直虎の生きる時代は真田丸の頃より少し前で、同作に登場した人物も出てきます。そんな二作品が連続して放送されれば、視聴者の記憶も新しく当然比較されます。
だからこそ、直虎に比べて真田丸は良かったなあという意見が目立つのです。
真田丸は本当に沢山の人が視聴し、中にはこれが初めての大河ドラマだったという人も多かったんじゃないでしょうか。
実際、私の友人やTwitterのフォロワーにも、大河には興味がないが真田丸は見た、という人が本当に多かったです。
前述したようなキャストの豪華さや盛り上がる場面の多さ、そして展開の移り変わりのテンポの良さは、確かに見やすかったように感じます。
世間一般で大河ドラマについている、歴史に基づいた渋くお堅いイメージ(あくまでも私の意見です)を覆すような作品だったと思います。
その分、真田丸が最終回を迎え、ロスになったという声も多く見ました。私も、毎週楽しみにしていたものが終わってしまって寂しくなりました。が、それは毎年の大河で感じています。
真田幸村は有名な武将ですし、井伊直虎はそれに比べると知名度も低く、苗字なら聞いたことがあるなあ、くらいの人が多いんじゃないでしょうか(恥ずかしながら私もそうでした)。
ましてや女性で、若くから戦や政治などの最前線にいるわけでもなく、かといって華やかな世界にいる姫というわけでもなく、物語序盤で出家しています。戦国武将の生涯を描く真田丸に比べれば地味です。
でも、大河ドラマって元々地味なものなんじゃないか?と思うのです。
歴代の大河ドラマを遡ってみると、主人公になった人物はそれこそ歴史の教科書に絶対載っている人や武将を思い浮かべたら必ず名前が上がる人など、とにかく有名な人が沢山います。
でも、その中に時々ぽつんぽつんと、歴史の専門家でもない限りこのドラマがなければ名前も知らないままだったような所謂マイナーな人物が主役の作品があります。
もちろんドラマである以上創作要素もありますが、その人がどんな役割をして、どんな生涯を送ったのか、初めて知る人物だからこその楽しさがあるんじゃないかと思うのです。
大きく分けてしまえば、直虎も含めそういった作品はマイナー枠、真田丸のような作品はメジャー枠という感じで、描写する時代が近くても、いわば全く土俵が違うのです。もちろん、同じマイナー枠なら比べても良いのかと言えばそうは思いません。
毎年見ている側の意見としては真田丸はここ最近の大河作品では珍しいくらい展開が常にはっきりしていて、直虎がむしろスタンダードに大河ドラマ!なんです。
悪い意味でなくゆっくり進むのが普段の大河なんじゃないかなあと。もちろん今までの作品全部がそういうわけではないです。
だから、真田丸が面白かったのは重々承知の上で、そろそろ気持ちを切り替えて新しい作品として直虎を楽しみませんか、と言いたいのです。
私が大河ドラマを見たのは小学3年生の時、「北条時宗」が最初です。それからは毎年欠かさず見たり、過去の作品もDVDを借りて見たりしていますが、歴史の長い大河ドラマのファンとしてはまだまだです。ましてやTwitterを使い始めたのはそれよりも短く、過去の大河作品も今年の様に比較する声が多かったのかもわかりません。
なので、ちょっと毎年見てるからって意見するなという方もいらっしゃるかもしれませんし、もっと昔からのファンの方が不愉快に思われるかもしれません。
「毎週毎週直虎楽しんで見てるのにいつまでも真田丸と比較して下げるなよ!(怒)」
の気持ちが募ってしまった結果なので、つまるところただの愚痴で、吐き出しです。
もう1月も終わったのに、いつまでも比較して文句を言うなら見るのをやめたらいいのに…と少々過激に思ったこともあります。
ですが、それ以上に直虎をとても楽しく視聴しているので比較して下げられ続けるのは悲しいんです。
真田丸のことを一旦置いて直虎は直虎!と意識を変えてみたら、違った感じで見えたりするかもしれません。
長々と読みにくい文章失礼致しました。ここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。
最後にこれだけ。
ここ数ヶ月で発売された桜玉吉の新刊「日々我人間」、「伊豆漫玉日記」がどちらも面白くて嬉しい。漫喫で生活、執筆しているという状況から一体どうなることかと思ったけど(本人としては現在住んでいる伊豆よりも漫喫での生活のほうが楽らしい)。
前者はファミ通で連載されていた「しあわせのかたち」の単行本を読むときのような読み応えがあり、後者はタイトル通りこれまでの漫玉日記に近い。
僕の一つの形でのヒーローである桜玉吉が昨年来最も注目を集めている週刊誌で連載を継続中であるというのもまた嬉しいことだ。ありがとう文春!
言わんとしてる事は間違って無さそうだけど言い方が余りにも粗雑かつ辛辣で草生えた
どんどんと作られてゆく。
ああ、僕の作ってるものもああやって進められればなあと思えて仕方がなかった。
でも実際は不具合にもがき、納期に苦しみ、客はやる気を出さないという三重苦で仕事をしている。
そもそも彼らがやってるのは仕事じゃない。
そこがもう異次元だ。
おれもあの次元に到達したい。
簡単に言うとですね。ブルーアイズアルティメットドラゴンの10倍強力なモンスターが、手札数枚で5体簡単に量産できちゃうんです。