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2014-05-19

技術進歩残酷ですか

技術進歩して新しい便利なものが生まれてくるけど

そこからさら進歩させようとすると、さらに上の技術必要

あとになればなるほど、今の技術に追いつくまでの勉強が大変で

そのうち天才しか新しい技術を生み出すことができなくなって

凡才技術者は何の役にも立たなくなっちゃうのかな

2013-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20130513143445

天才秀才の違いは理解の速さとかじゃなくて、新しいものを考えられるかってところが一番の違いだと思う。

私の考えでは定理をたくさん知ってるのが秀才で、定理を作るのが天才

自分に最適な練習方法」でたくさん練習していろんなことができるようになるのは秀才で、

自分の今までの経験・知識の中から「こうすりゃこうなるんじゃね?」とほとんど練習もせずやってのけるのが天才

ビルで例えれば、階段を登って途中の階で挫折するのが凡才階段エスカレーターを駆使して登るのが秀才

天才はヘリから降りてきたり、はしご車使ったり「フツーそんな昇り方しないだろ」で結果を出す。

天才のような馬鹿トランポリンではねて登ろうとする

http://anond.hatelabo.jp/20130512184416

天才性と秀才性の真ん中くらいに「エスカレータ」に位置付けられるモノがあると思う。

エレベーターをまずまずの高さで降りた人」ってのは正確にはエスカレータを駆けのぼってエレベーターに追いつき続けた人で、途中からエスカレータが途切れて階段になったときに「自分天才でなく凡才しかし高さは稼げてる」=「ここまでこれてない奴なんなの」になるんだと思う。

エスカレータを駆けのぼると高揚する。疲れもするけど階段よりはどんどん上がれていくので楽しい。疲労と引き換えに高さという報酬が得られるという経験リアルに体得される。

エレベーターは違う。疲れたりしない。一瞬で何の障害も無くその「高さ」に到達でき、しかもそれが出来て当たり前に体感される。高さは報酬でなくただ単に「高さ」だ。但し高い方がいいといえばいい。見えるモノのレベルが違ってくるから。高所到達には高揚はあるけれども、それは決して「報われた感」の類ではない。

階段ぶっちゃけ圧倒的に疲労感の方が大きい。こんなに頑張ってるのに報われないっていうか報いが少なすぎて効率が悪いのでのぼっていてイライラしてくる。周りにエスカレータ野郎がいて楽しそうに駆け抜けていくのを見送ってたりすると苛立ちに拍車がかかる。もう階段しんどいし得るものないしのぼるのイヤだ、どっか別のエスカレータ接続してる分岐は無いかな、と目があちこち向くようになる。

2013-05-12

天才性と秀才

天才性はある事柄を学んだ時に感覚的に理解することができる能力で、

秀才性はある事柄を学んだ時に直感的な理解は得られないが、

一つ一つ段階を踏むことで理解することができる能力だ。

と仮定すると、天才性と秀才性にはある種の連続性が存在する。

天才性をエレベーターに例えるなら、秀才性は階段である

この意味では誰もが天才性と秀才性を有する。

多くの人が1+1=2という決まりごとは直感的に受け入れることができるし、

ある程度の段階まではエレベーターに乗って進むことができる。

しかし多くの人が小学校中学校と進学するに連れて徐々にエレベーターを降りて階段を進まなければいけなくなるだろう。

だが階段を進むだけでもかなりの高さに到達することはできる。

高校大学あるいはそれ以上の段階までエレベーターで登っていけたとしても、

どこかの段階で誰しもエレベーターを降りて階段を歩むことになる。人間は全知全能でないから。

ただし階段を登りはじめたあとでも、人によっては辛抱強く階段を登っている途中で再びエレベーターが現れることもあるし、

稀にはじめから高いステージにいるがゆえに乗るべきエレベーターがわからず発揮されない天才性もあるだろうけれど。

で、

エレベーターをまずまずの高さで降りた人ってのは、エリート意識が高いってのはまあいいんだけど、

そのくせ自分天才じゃない=自分凡才って思ってる人が多くて、扱いづらい面がある。

凡才自分でもこれくらいはできるのに、それすらできない奴らは何なの?ゴミなの?

っていう態度が透けて見えるから

勉強できた子あるあるってのをはてブで読んだんだけど、

学生とき周囲より少し高いところまでエレベーターで行けたってのが未だに心の拠り所になってる人ってのは、

エレベーター中途半端な高さで降りちゃったけど、その後階段を登る気力がなかった人たちに多いのかなあと思った次第。

2012-12-07

高みを目指した秀才天才に打ち砕かれてるのね

良かった最初から凡才だと自覚していて

2012-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20121205130653

しろ旧帝入って回りが馬鹿ばっかりで落胆しなかったか

高校時代はこいつらには到底敵わないと思えるナチュラルボーン天才がいっぱいいたのに

大学行ったら必死努力した凡才の群れで失望したわ

2012-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20120216212015

「例えが全然違う」って言いかけたけど、よく考えたら似てる。


恋愛放棄気味の人間に執念を持って食って掛かるのは

天才でもなんでもないしただの凡才が泥くせえ努力で100点取ってるだけだよ。

おまえらとたいして違わない脳みそだけど、ガリ勉してるからいい点とれてんの。

おまえらは自分必死こいて勉強したくない言い訳のために

みたいな

必死努力をしてようやく恋愛市場に参戦してる層の人達

土台から美男美女みたいな層の人達は食って掛かったりしない。


違う点も挙げると

・小中学校テスト(いや大学入試ぐらいまでのテストも…)は

 あなたのように頭よくない人のガリ勉で100点を取ることが可能だけど

 恋愛とかだとそれはちょっと無理。

 恋愛スポーツにたとえた方がまだ近い。

・「ただイケ」みたいな言葉が発せられるのは

 彼ら彼女らに対して余計なおせっかい説教がされた場合

 あなたガリ勉の成果に対して嫌なこと言われたと言うエピソードとは攻守が逆。

 

2012-02-16

ただしイケメンに限る」とか※とかで表現されるアレって、

目にするたびにむしょうにイライラしてたんだけどなんでかわかんなくってモヤモヤしてた。

さっき思いついた。

あれって、小中学校のころガリ勉秀才だった私のテスト答案をテスト返却のたびにわざわざ見に来て

「わーーさすがだねー増田ちゃんマジ天才^^やっぱ天才脳みそ違うわ~^^」

とか意味もなく茶化してきてたあほみたいなクラスメイトたちの反応に似てる。

天才でもなんでもないしただの凡才が泥くせえ努力で100点取ってるだけだよ。

おまえらとたいして違わない脳みそだけど、ガリ勉してるからいい点とれてんの。

おまえらは自分必死こいて勉強したくない言い訳のために

あたしは凡人だから勉強してもイイ点取れない、だから勉強しな~い

増田ちゃんが100点とれてんのはもともと天才から

って思いたかっただけだろ?

人の勤勉を自分怠惰のダシに使うなよ

って言ってやってもよかったな。

謙遜すんのも説教すんのも馬鹿らしいから毎回ありがとーー^^また頑張っちゃったぁ^^って言ってたけど。

2011-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20111012101244

凡才の身としては、身につまされる。

たぶん、今まで上司の言う事にはすべて従ってきたんだろうね。

規律大好きで。

上司がどのようにして従わせてきたかを考えようとはしないんだろうね。

部下も嫌な上司を持って不幸せだし、上司も嫌な部下を持って不幸せ

お互いに不幸だ。

わざと嫌われるリーダー(反発を招いて結束させる)もいるけど、そうじゃないみたいだし。

2011-09-09

世界子どもで運営されているのかも

子供の頃は大人は正しくて基本的に間違わないものだと思っていた。

世界は大人が運営する、とてもきちんとしたものに見えた。

でも自分が大人になるにつれ、自分やまわりの大人が子供の頃のイメージとはかけ離れた欠点だらけの存在であることが見えるようになってくる。

世界もいろいろな部分でほころびがあるように見える。

なぜか? 自分たちの世代が特に未熟なのか?

そうではない。

学校を見ても優秀な生徒はごく一部にすぎなかった。大多数は欠点を多く抱えた人間だ。

世界的に見てもそうかわらないだろう。ごく一部が優秀で、大部分は凡才

子どもの頃に感じていた完璧な大人は存在しなかった。

大人と言っても子どもが少し成長しただけにすぎない。

ならば世界のあちこちがほころんでいるのはあたりまえだ。

大部分をしめる人間がほころばないように運営する能力がないからだ。

それでもそれぞれ自分の出来る範囲でうまくやろうとしている。

歴史的にみても奴隷制は廃止されたし、食べ物で困る地域も減ったし、職場環境も良くなってきている。

世界完璧ではないが少しずつ進歩していこうとしている。

完璧であることを前提に考えるととてもダメ世界だが、進歩過程と考えれば良い面も見えてくる。

子どもの頃は完璧世界を与えられることを望んでいたが

そろそろ自分完璧をめざす行動をしていく頃かもしれない

問題はいくらでもある。 どれかひとつを解決するだけでも世界を一歩すすめることができるかもしれない。

2011-07-27

今こそゆとり以下の世代に浜田雅功凄さを語ろう

ダウンタウンというコンビについて、「天才松本を補佐する凡才浜田」という間違った認識人間がとても多い。ゆとり以下のガキどもに至っては、浜田に対して、クソつまら芸人だという認識しか持っていないと思われる。

しかに近年、クソ番組MCをただこなしているとき浜田は、いくつか落とすパターンこそ持ってはいるが、さんまや、中堅のくりぃむ上田等に比べると、明らかにパターンの数が少ない上に、相手の話を膨らませる能力にも乏しくはっきりいって面白くない。

浜田がその実力を遺憾なく発揮し芸人として、テレビタレントとして革命的な存在だったのは、売れ始めてから成り上がるまでの時期だ。

テレビ画面に現れた、まだ若さの残る浜田は、競演した大御所や先輩タレントに対して、問答無用でツッコんでは、時にどついてみせた。

たったこれだけである

だが、これがとんでもなく衝撃的だったのだ。

それに先んじて、とんねるずが お笑いアイドルミュージシャンとの関係性を変化させていた。当時、芸人歌手より地位の低い物と見なされており、「公の場」でアイドルをバカにしたり、ミュージシャン無礼な振る舞いをする芸人は、ほぼ存在しなかった。たけし(軍団)ですら、公の場ではその関係性を守っていたのだ。

だが、とんねるず体育会系ルールそのままに、年上に対してはそれなりの礼節を持って振る舞ったが、年下のアイドルミュージシャンに対して、平気でタメ口をきいたり、時にバカにしたりして笑いに変えた。そうして芸能界の暗黙の掟を一変させたのである

浜田革新性は、こういった土台があったからこそという側面はある。それでも、芸能界において先輩後輩の序列は絶対であり、そこを侵す者は現れなかったのだ。浜田を除いて。

そのことに気づいてから、俺はテレビ浜田を追いかけるようになった。相手が誰であろうとも、己の信念と姿勢を曲げることなく容赦のないツッコミを浴びせる浜田は間違いなく『パンク』な存在であった。そして、上下関係抜きの辛辣ツッコミを浴びせても、浜田は決して場の空気を乱すことがなかった。それ故に、つっこまれた人間は、浜田に怒りの感情を示すことがなかった。松本天才性の陰に隠れてはいたが、この事実は、浜田もまた紛れもなく天才であったと言うことの証左である

だが、いつのからだろうか。おそらく、ダウンタウンが多くの冠番組を持ち始めてからのことだが、主に若い世代から浜田に叩かれることを喜ぶような連中が現れた。こうなると、もはや猪木のビンタと変わらない。ツッコミの鋭さそのものは変わらずとも、その意味合いは、全く別のものになっていった。

ダウンタウンが売れたのは、松本の力であろうか?

わたしはそれを否定する。松本天才であったのは間違いないが、浜田という斬り込み隊長存在がなければ、もっとマニアック存在としてしか、世に出ることはなかったと思われる。若かりし頃の浜田には、とんねるずと同じように、予定調和をぶち壊し、新しい地平を切り開く革命家としてのパワーが宿っていたのだ。それは、ともすれば狂気的とも言えるものであった。

浜田が切り開いた新しい地平の上で、松本がその才能を遺憾なく発揮した結果として、日本テレビお笑い史上最高のコンビになった、というのが俺のダウンタウンに対する短評である

今のテレビお笑い界、特に若い世代に、登場するたび「今日は何をやらかすんだろう?」と、わくわくさせてくれる存在がいるだろうか? 浜田とんねるずも年をとった。丸くなってしまった。たとえ懐古厨と言われようとも、俺をテレビに夢中にさせた、かつてのダウンタウンとんねるずほどの存在は、テレビに誰一人見あたらない。強いて言うなら大泉洋であったり、ブラックマヨネーズであったりといったところだが、大泉は役者であるし、ブラマヨは真の実力(フリートークスキル)を発揮できる場を与えられないまま年を重ねている。

寂しいことだ。

2011-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20110629144332

ありのまま自分を受け入れて欲しい!」

なんて言う演技のできない凡才よりは、演技ができるだけマシ。

2011-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20110304172911

だが

おれはSE文系の方がいいと思うぞ。

理系からガチガチ技術屋になるなら解るが、SE方面に進むと大概死んだ魚の目になる。

何で文系がいいかといえば、システム上のクリティカルな事象は、専門家に任せればいいからだよ。

客先との打ち合わせや、チームの管理やらのスキルはどっちかといえば文系向けだ。

実際、言葉の通じない理系の天才よりも、きちんとした日本語を話す文系凡才の方が打ち合わせに狩り出される。


一般的な事象から外れたものを認識できる程度の知識があれば、既存ノウハウの蓄積でSEなんてやっていける。

ネットワークでも、データベースでも、一般的でない事象を解決できる専門家が社内にいればいいし、そういう実験的なポジこそ理系に向く。

2010-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20101123002445

つーか、「運や才能が左右する世界無駄努力をしている」人って、スポーツ選手に憧れる小学生か、ごく一部のミュージシャン志望とか作家志望くらいじゃねーの。

大部分の人間にとって、努力っていうのは、

資格をとると基本給が5000円上がる」

とか、

料理の腕を上げて家族を喜ばせたい

たいな、実現可能で確実にリターンの期待できる努力だと思うけどどうよ。

世の中、劇的な変化なんて望めないけど、ちょっとの努力今日よりちょっとばかりマシな明日が確実に来るんだったら、その程度のリスク取らないほうがおかしいと思うけどな。

凡才でもローリスクで成し遂げられることって、意外とたくさんあるんだぜ。

2010-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20100829063936

ククク、凡才どもから疎んじまれ、孤独になるのも、また、

ノブレスブリュージュ、高貴なるものの義務というものだろう

それに、お前が真に才あるものならば、愚民どもの期待、羨望、嫉妬程度が背負えなくて、

世界を相手に覇を唱えることができようか

他者に気取られず、自分自身の心に忠実にありさえすればよいのではないか

と、中二病患者たわごとをあなたに

まっ、今は宇宙人でも、さらに突き抜けてしまえば、

世界には60億人もいるのだから、宇宙人なんてゴロゴロいるんじゃねーの

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