単に自分は恋愛脳で恋愛したくてしたくて仕方がないけどするだけの頭も顔も資本も工夫も度胸もないからネットの肯定的な意見だけでエコーチャンバーみたいになって過激化してるだけだよな
冷静に考えたら現代日本でありえないしありもしなかった状況を求めて、いもしない女性を恋焦がれてるだけ、そんな状況に持っていくことも探す努力もしない
自宅で筋トレ頑張ってるけど、虚弱体質が改善されてくるのが一番の幸せ
とにかく体が楽になった
筋トレで疲れるのは虚弱のときの疲れとは違って寝れば回復するってわかってるから気持ちが楽
やりすぎたりすると2、3日は痛みが引かないこともあるけど、それも回復できるっていう確信があるから楽
ひとり飯でメチャクチャ美味しいものを食ったときの幸せな感じに似てる
自分の中で完結している
除脂肪は全くやっていない
とにかく筋肉をつけることだけを頑張ってる
ボディメイクを目的にしてないからシルエットが良くなるわけではない
虚弱体質から開放されることがこんなに幸福感を生み出すとは思わなかった
この自己満足感は素晴らしい
俺なりの持論は「追う立場から、追われる立場になるから不安になって、周囲が全部敵に見えてくるから」
ごく少数の取り巻き以外は、自分を信用していない敵に見えてくるんじゃないだろうか。
仏と呼ばれた上司が、偉くなって別人のように…そう無惨さまのようなパワハラクソ野郎に変貌したのを目の当たりにして、何がこうも人を変貌させてしまうのか -しかも短期間で- と不思議に思う。
最上流近辺まで昇進すると途端に老害化・パワハラ化してしまうくそムーブ仕草は、日本では割と普遍的なものだと感じるがそういった社会学的研究…そうだな…いうならば【ダーク組織学】のような先行研究は無いものだろうか。
ミーハーというか、俗な欲だとはわかってんだけど、俺は七里ヶ浜高校に通いたかったんだ
校舎から海が見えるようなところに通って、でもその景色の美しさをちゃんとアプリシエイトすることはせず、「こんな景色のどこがいいんだか!」みたいなナメた口をききながら灰色の青春を送ってさ
でもその後の人生で高校時代を思い出すとき、そこには必ず青い海があるんですよ 懐かしいものとして、海と青春が結びついている
実際に俺の行ってた高校のヘボさといったらないですよ
ビジュアル的な思い出、マジでなんもねー 台風の日に、教室から見えるところに植えられたヤシの木がすっげえしなってて、アレ折れるんじゃねえか?と思って注視していた その程度の思い出しか出てこないんだ
海からは遠く離れていたが、かといって山奥にあったわけでもなく、じゃあ都市部で便利かというとそんなことは全然ない 地方都市とすら呼べない規模の、「街」と「町」の間みたいな、なんとも言えない、イメージカラーとしては灰色みたいな、地味〜なところにあったんだ 俺の高校
灰色の場所で灰色の高校生活、ということになってくると、本当に全部灰色で、ダメなんすよ
そんなにいい色じゃないんだ本当は 茶色 厚揚げみたいな茶色ですよ
厚揚げみたいな色なんだ 俺の青春はよ 目に楽しい要素が一切ねえの だから、具体的に思い出すことが何もねえ
ネットでちょいちょい盛り上がってる、いわゆる「感傷マゾ」 あんなのも全然響かねー
足掛かりになるものが何もなく、ほんの少しの共感すらできないってワケです 入道雲すらパッとしない、本当につまらない街だった 町というべきか?
そういえば、くるりの『街』って歌を高校生のとき初めて聴いて、"この街は僕のもの"っていう感情入りまくった歌い出しに感銘を受けたことがあったな
その次の日の朝、登校するときに、駅の歩道橋から"街"を見渡してみたんだけど、見えたものはといえば、どこからどこが街なのかわかんねえ感じの、ただ道路沿いに民家がへばりついてるだけで、まとまりもなにもない、惨めな場所だけだった
街、ないやんけ〜ッ!と思いながら歩道橋を降りた思い出がありますね これはもしかすると比較的思い出らしい思い出かもしれない
七里ヶ浜高校の存在を知ったのが遅かったし、そもそも神奈川とは死ぬほど離れてて、どう考えても下宿なんかをしてまで七里ヶ浜まで行く理由はなかった
でも悔しい!悔しくないですか?
なぜ俺は、高校時代の思い出の景色として「踏切の向こうの海」とか「窓から見える水平線」、あるいは「冬のしけた海」みたいなのを持ってられないんだ
思い出の持ち駒がマジでなにもない 帰り道、通学路にあったGEOに入っては、「○○さん(好きだった人)が入ってきて、一緒にCD選ぶみたいな展開にならねえかな!」と思ってた というような、カスの思い出はある でも違うんだ
もうちょっとこう、ローカルで、固有な感じのある、原風景的なものが欲しいんだよなあ
何もねえ 何もねえよ
まあいいのかそれで いいのかもしれないが
Vivyとか内容よくわからんまま見てるしな。
まあ、子どもがほしいの・ほしくないの? なぜその選択をしたの
くらいの質問は、いいんじゃない? それさえダメというのは別におこがましいとは思わないけど、
センシティブ扱いをする理由が必要だと思う。個人的には「なんで太ってるの」「彼女は作らないの」レベルの繊細さ。友人同士ならアリだとは思う。多様な価値観を学ぶチャンスになる。