そこも含めてTinTinよ
梅シロップてきなやつ?
これは単に応募フォームの設計者が考慮漏れしているんじゃまいか。
あるいは頭に浮かんだけど、面倒くさかったから端折ったとか。
普通に「職業:フリーランス」「勤務先:自宅住所」ぐらいにしておけばいいんじゃない。
ものは言い様、気の持ちようだよ。
幸せそうなとこか
自分は香薫派。630g袋を650円(税入れると700円ちょい)で買えた。
冷蔵庫から出して1本15秒を厳密に守ってチンして粒マスタード。
冷凍庫だともうすこし様子みるけど。
シャウエッセンは135g×2で400円くらいするんじゃないの。高いし皮のわりに中身の味が薄い。
取らせる・・・・・・!取らせるが・・・・・・今回まだその時期と復職後の指定まではしていない
つまり・・・・カネカがその気になれば復職後の職場は関西や閑職ということも可能だろう・・・・・・・・・・ということ・・・・!
夜の新幹線が好きだ。
これから旅が始まるという高揚感を、一瞬で過ぎ去る車窓の闇が落ち着かせてくれる。
冬は雪が降り、夏は緑が生い茂る東北の山々も、闇の中ではほとんど判別がつかない。
夜の新幹線は、光と闇だ。
明かりが増えてくると列車は減速を始める。
それは私に、私が確実に移動していることを教えてくれる。
日常的に過ごしているごく狭い生活範囲の外へ運んでくれていることを教えてくれる。
改札を抜けると、見ず知らずの他人が幾人も行き交い、そこでの生活圏が形成されている。
少しの間、私もそこにお邪魔をさせていただく。
この感覚が心底心地良い。
へえ、気になる人もいるんだな
骨が気にならないよう鱧の骨切り状態にしてもらったり
圧力鍋で梅干しと蒸すとたいていの魚は背骨でも食べられるようになるぞ
一応食い合わせが悪いとされているが本当かわからん
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13109075058
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14202910934
焼いて塩コショウだけで本格的にうまい。料理にかかるコストと値段のコストを考えるとこれほど「うまい」食い物ないな。肉はやっすいの買うとした処理めんどくさいし魚もけっこう手間かかるしな。
カネカの件だって、結婚して子どもをつくった勝ち組をさらに肥え太らせろだって。
亡国だね。
こんなんで子ども増えるわけないよ。
【追記】
子どもを持つメリットだけ貰いたいなんてムシが良すぎるわけや。
抜本的におかしいご家庭
実家の近所には有名な老舗のうなぎ屋があり、子供の頃は、たまにではあるが、何か祝い事があるとそこのうな重を食べたものだった。
家族が滅多に食べられない御馳走だと舌鼓を打つ一方で、子供の私は小骨の多さに辟易した。鰻というのは食べるとのどに骨が刺さる不快な食べ物だ―そういう印象しか持てなかった。
そこのうなぎ屋は今でも繁盛しており、昼頃にはいつも行列ができる人気店だ。また、うなぎ好きの同僚がいるのだが、彼は他県の人なのにその店のことを知っていて、行きたい行きたいとよく言っている。一度土産に買って行ったのだが、恩人か何かのように感謝され、美味い美味い、身がふっくらしてるし皮が最高だなどと言いながら箸を進めていた。
私が美味いと思えなかったうなぎだが、うなぎ好きには納得の一品であるらしい。彼に限らず世間的にうなぎは御馳走なわけで、けして安いものではないのに、日本人は種を喰い尽くす勢いで食べようとしている。うなぎを美味いと思えないのはどうやら普通ではないらしい。
別に他者と足並み揃えたいわけではないのだが、美味いものを美味いと思えないのは舌が貧しいようで癪だ。もう大人になったわけだし味覚も変わってうなぎを美味いと思えるかもしれない。
そんなわけで凡そ20年ぶりにうなぎを食べてみた。感想としては、うーん
不味くはない。ただやはり小骨が気になる。ふっくらした身が売りなのだろうが、小骨のせいで食感が台無しだ。そしてタレと備え付けの山椒、こいつらがダメ。舌を麻痺させ、うなぎそのものの味を分からなくさせている。
昼食に2000円以上払ったのだから美味いと感じなければ損なのだが、そのスパイスあってしても2000円の価値を感じない。500円なら食べても良い。
なぜ日本人はうなぎに惹きつけられるのか、山岡士郎や中松警部がうなぎを評価する理由は何か、うなぎの分からぬ私には分からない。絶滅危惧種だし無理して食べる必要もない、それどころか食べない方が良いのだが、やはりどこか癪に思う。
失恋して辛いのでここで吐き出させてほしい。
今日恋人に振られた。「好きなのかわからない。今の状態では申し訳ないから友達の関係に戻りたい。」と言われた。色々言っているけど要は私のことが好きではないのだ。
半年間付き合って楽しい思い出はたくさんある。一生懸命考えてくれたデートプランは嬉しかったし、貰ったプレゼントは宝物だった。だから今とても辛くて泣いている。
けど別れ話を切り出された時やっぱりか…と納得もした。彼が私のことを好きなのか確信が持てなかった。というか好きではないのだろうと薄々気づいていた。
しょうがない。御社に対してさえ自信を持って自己PRできない自己肯定感皆無の人間を好きになることなんてないだろう。誰かに好きになってもらえるような部分が自分にあるなんて思えない。生まれてから人間関係を避けて自己中に生きてきた人間と友達にはなれてもずっと一緒にいたい存在と思ってもらうのは到底無理だ。
巷では別れても復縁する確率は高いという言説があるけれどこの恋にはきっと当てはまらない。そういうのはお互い好きだった男女の話だ。
何から始めよう?
まず髪を切ってお洒落を追求するのもいい。
気になってた本を読むのもいい。
人付き合いを学ぶために新たなコミュニティに入るのもアリだ。
自分に至らない点が多いのが再確認できたから、少しずつでも補っていきたい。そうやってる内に打ち込めるものが見つかるかもしれない。そうやって忘れていくんだ。
こう書いてるとすごく前向きに見える。いや本当は未練たらたらですよ。彼は素敵な人だったし、「別れないで」って縋りたかった。でも気持ちの通じ合ってない関係なんて辛いだけだ。
本当は別れて少しホッとすらしている。だって「この人は私のこと好きじゃない」と思いつつLINEを待ったりデートの約束をするのは悲しかった。
だからせめて、友達でいたいと思われたい。「これからも友達でいよう」なんて気を遣われただけの言葉だとわかっている。けれどそれだけでも実現したい。そう思われるような人間になりたい。
いわゆる自分磨きというやつなのだろう。今までサボっていたけれど今日から頑張っていこう。
たくさんのことを経験して、色んな人に出会って成長していきたい。人を頼るだけじゃなくて、頼られる人になりたい。
欲を言うならば、次に誰かに恋をするなら相手にも好きになってもらいたい。
そこまで何年かかるかわからないけど頑張ろう。
秒針という名のカミソリを喉に当て横に引く...