ざっとコメント欄を見ていると、日本人でまっとうに英語で議論できている人が少ない気がしたなぁ。
そもそも差別的発言の嵐で、まっとうな議論につながるようなコメントが少なすぎるがそれは除外してね。
なおコメント欄には日本語、ハングル、英語が入り乱れるが私はハングルは理解できない。
よく目についた日本人の英語コメントは「なんで韓国の旗が掲げられてないのか」「排他的経済数水域でなぜ韓国籍船がいるのか」
という質問を投げて、「旗は映っている」「EEZも知らんのか」という打ち返しを受けており、あれまーという印象。
あと日本人からは天気の話も質問が多かったが、これはそもそも天候不順のニュアンスが微妙なので、コミュニケーション齟齬で議論にならず。
一方韓国の人のコメントの多くは、150メートルの高さで軍用機が飛んでいることが問題(民間機であれば問題ないが軍用機がその距離で飛んでることが問題)だと。
軍用機との間隔に何か一定のルールがあるのかは知らないのでそれはなんともいえないし、そもそも150メートルが本当なのかも知らないが、
それであっても仮にも友軍機に対してロックオンすんなよ、って返しを日本援護派はするべきとこな気がする。
あとひとつ上の段落で書いたような点も本質ではないと思うし、特に英語でなんか見ていて有効打が出てねーなーという感想になりました。
この記事を書き始めた時は「グローバル化が進む中で、日本人が議論でプレゼンスを発揮できない実例」みたいな話につなげることを頭で想定していたが
そもそも日本語の議論でも「議論する気がない」(=相手の主張を論理的に理解しようとする気がない)人が大多数なので言語関係ねーな・・。
まあコメント欄でも日本人が何人か「おめーの英語なに言ってんのかわかんねーよ」と煽られてたし、英語での議論経験不足は否めないけど。
個人的にはこの件に関しては今のところ双方の言い分どちらも決め手に欠けるので追加情報がないとこのまま膠着だろう、という印象。
そして双方の国民感情を悪化させるだけというまあなんとも旨味のない結果になってしまうのだろうか、と思うと日韓ともに得しない気がする。
ひとつ気づきがあったのは、自分が確度も不確かなネット上の記事の内容で、知らぬ間に印象を植え付けられていたこと。
韓国防衛省のこれまでの発表をどこかネット上のニュースで読んで主張がコロコロ変わる様は記憶していたのだけれど、
これを書くにあたりたとえば「悪天候なので全レーダを利用した」という内容を再度確かめたくてgoogleでnhk.co.jpサイト内で検索しても見当たらなかった気がする。見落とし?
いずれにせよ、一次情報にあたること。そして国際問題においては情報がある限り英語の情報も目に入れること。
どんなニュースでも記事でもブログでも、いつも気がついたら右上に赤い数字があって、ポチッと押したらいろんな考えを持ったひとたちがあらゆる角度から考察や自分の知らない知識を披露してくれた。あるときは、自分の考えを是正してくれた。またあるときは、自分の考えの背中をそっと押してくれた。
はてブはいつも自分の隣にいるお兄さんのような先生のような、憧れの存在だった。いつのまにかこれ無しではネットサーフィンができないくらい依存しきっていた。
ところが、いまのはてブにいる人たちはそうではない。知識も思想も偏っているし、なによりも、他者を妬み、足を引っ張るような言動ばかり。日本の老害の縮図が、完全にここに表現されている気がする。
昔からそうだったのかもしれない。自分も歳を取ったのかもしれない。そろそろ卒業の時かもしれない。
はてブ大好きだった。
スマホやタブレットでいつでも友達とつながったり連絡をとったりSNSで暇つぶしが出来るようになったことで、子どもも大人も集中力が落ちたんじゃないかという気がする。昔は家にいるとテレビやら雑誌やらその時読まなくても良い本やらの誘惑があるから、外で勉強するのが正解だったけど、今は結局やる気が出ないとスマホやらタブレットをいじってムダに時間を使ってしまう。たぶんこの現象はスタバに限らず、どこのコーヒーショップでもファミレスでも起こっていると思う。自分はものすごく読書量が減ったと思うけど、だからといってスマホやタブレットを持たずに外出する勇気がない。
多くは言えないけど、吃音持ちとしては障害者手帳通ったのは運がいいなと思う。
ワイは問題あると思うけどな
本当に諦めたのか
未だにわからない
誰かの話を聞けば、心がざわつく
本当にこれで良かったのか
でも自分には無理だろう
だからやめた方がいい
これで良かったと、はっきり言える日はいつになったら訪れるのか
ワイは生存できないことに悩んでるけどな
ワイは恋愛できないことに悩んでるけどな
吃音症持ちだが、個人的な経験で言うと自分でもスラスラ喋る事が出来る時と、どもりまくる時あるから、この差は自分自身でも不思議に思っている。
ただ、ある程度精神的な影響も大きいから、アレコレ気にしないで喋る事が出来るという意味では「怒り」というのは、どもらないパワーになるかもしれないね。
デザイン思考に関する本とか記事とかたくさんあるけど、ちゃんと定義しているものってあまりない気がする。
中には「デザイナーの思考法を真似て経営やマーケティングに取り入れる」みたいな形ばかりの定義はしてあることもあるけど、じゃあその思考法って具体的にどういうのかってのは定義しない。
結果、「デザイン思考とはなにか」というタイトルで始まってるくせに、本文には内容の説明が一切なく、なぜ必要かとかの周辺情報(それもコピペ)に終始しているだけのクソみたいな記事で溢れかえっている。
思考法もいろいろあって定義しづらいってのはわかるけど、例えば「日本の風習はすばらしい」と思っている人と「日本の風習はひどい」と思っている人が、具体的にどの風習を指しているかをすり合わせないまま議論しているのと同じような感じがして、とても気持ち悪い。
どっちも秋元康なのになぜこうも違うのか。
ふと今日気が付いてしまったのだけど、AKBは売れなかった子の寄せ集めが商法によって爆発的にヒットした棚ボタ的なところがあり、陰キャが調子に乗っているような鼻につくところがあったのだけど、乃木坂のメンバーは容姿端麗でちやほやされて育ち性格がよく、陽キャが陽キャらしく振る舞っているだけなのでまったく嫌味がないのだ。
AKBのメンツは総選挙でランクつけされることだけを自分の拠り所にしている感が強く、紅白ハックして卒業発表とかイライラの境地だったが乃木坂からはそのような必死感が伝わってこない。