すれ違いですね。
こいつ真性のバカだな。時期の差も考えられないのか
結婚するくらい好きだったのにレスになるってどうすればいいの?外注とか風俗とか嫌なんだよ。俺はあなたとしたいだけなのに。雰囲気ガー、ワンパターンガーとか聞き飽きたんだよ。せめて断ったら次いつできるか位は教えて欲しいと思うのは高望みなの?
これが誰かも本当の話かもわからないけど、この条件に当てはまる人は結構思い浮かぶし、読む側としてもつらいものがある。
オリジナルでやってた人なら本人の毒をセーブしすぎていまいちな話になった場合とか、元々同人でやってた人ならキャラを動かすことはできるけどオリジナルの世界に全く魅力がないとか。
あとは連載してる雑誌がマイナーで、単純に読む機会が減っちゃうとか。その点『姉なるもの』のTwitter連載とかは強いなあ。
ネット発の作家ってどういう場合だと成功してるんだろうか。一部の成功パターンと他全部死んでるみたいな印象がある。何もわかんないけどがんばってください。
正直言って、オタク差別がたいしたことないとか言い出す連中が増えまくってて腹立たしい。
在日差別はさすがに表立って堂々とやらかす人間はめったにいないし、やらかすやつも白い目で見られるし、たしなめられやすい。不動産は持ち家だったので困らなかったからちょっとわからないところはある。
一方でオタク差別はどいつもこいつも堂々と笑いものにするし殺人鬼やレイプ魔扱いを平気でするし、とてもカミングアウトできる雰囲気じゃなかった。
まじか三田会最低だな
社長が、マネージャ達に下がり続ける売り上げをなんとかしろと激を飛ばすレターを出した。
しかし、我々統括者チームが首になったときには、過去最高売り上げと利益を出し
つまり、因果応報、自分に跳ね返ってきてるだけだから、それに気がつかないと何も変わらないだろう。
施策を考えたり、調整能力が高かったりの仕事の結果は評価されない。
上司に気に入られるように、立ち回る人が出世する傾向が強くなり、多様性がなくなっている。
結果として、組織の力が落ちている。
なんといっても、今は、個人の実績や能力は評価せず、その人の腰掛けているソファを評価する制度になっている。
ようするに、大昔に流行った、学歴主義(その人を評価しないでその人の着ている服を評価)に原点回帰している。
座らせているソファなので、退化しているが。
もともとは、ベテランの年収を減らして、目立たないようにリストラ、または、固定費削減を進めるための制度だが、やりすぎてしまった。
急激な入れ替えのために、組織による教育ができなくなり組織力が落ち込んでしまった。
バレー部にたとえれば、2年生、3年生が全員いなくなり突然1年生だけになってしまったようなものだ。
どこかのWebの記事に
「50歳過ぎた社員は新しい価値を生まない」空前の人手不足でも進むバブル世代のリストラ」
という記事があった。
50代以上は、お荷物という傲慢な態度にはびっくりするが、安定した権力の座に長くいると魂が落ちぶれていくのは、やむを得ないのだろうか。
昔のリーダーのほうが気骨があったような気がする。
Web上で、いかにも経営改革進めていますよという、投資家向けのアピール記事でしかなく
会社を追い出される、ひとりひとりの心の声は聞こえず、また、一人の退職は、悲しむべきできごとだが数百人のリストラは、統計上の数字でしかない。
少なくとも私は、この記事読んで、今後、一生、絶対に、○勢丹と○越では買い物しないと神に誓った。
経営の失敗の恥ずかしい話を、投資家向けのアピールの為に記事にする経営者の素養を疑う。
私の父親が、この人じゃなくて、本当に良かったと思った。
別に懺悔したいとかじゃなくて、当時自分が思っていたことを聞いて欲しかった。確か、中学1年の頃から約1年の間のことと記憶する。
自分の家庭は、俗にいう機能不全家族だった。母は情緒が不安定、父は別居、2人の兄のうち長男は鬱かなんかで寝込んでいたんだと思う(あまり関わりが無くてわからない)、次男は傍若無人
でよく自分に暴力を振るっていた。次男が不当な理由でいくら暴力を振るおうとも、母はそれを見て次男を罰することなく、自分と次男の両方を叱りつけてその場をなあなあで収めていた。そん
な風だったからか次男の暴力癖は治らずますます増長し、俺はますます委縮した。そのころから親に頼るのは馬鹿らしいと感じてしまっていた。性暴力も受けていた。汚い一物をしゃぶらされ、
更に汚い欲望を飲み下させれた。誰も頼れなかったし、そのうち頼ろうともしなくなった。期待しないこと・泣かないことが苦しまないコツだとも気づいてしまった。長い目で見ると、それが
後々人生に響くことに気づかず。
当時自分は中学生だったので、必要があれば申告してその分の小遣いを貰うというシステムの下、生活をしていた。当然欲しいときに欲しいものは買えなかった。「お菓子が欲しい」なんて理
由で小遣いは貰えなかった。次男は高校生だったので月々の小遣いだった。そして自分の欲しいものは手に入らなかったし、次男も、自分の欲しがっているものに対して(どんな種類のものでも)
「つまらないものを欲しがるな」と自分を殴りつけた。あの子の家にはお菓子がある、ジュースがある、自分の家にもお菓子は少しあった、でも自分はそれを食べられなかった、あの子は欲しい
ものを買ってもらえた、自分が横にいても親に対してちょっとのわがままを言うことが許されていた、自分には欲しいものがあったはずなのに欲しがることも馬鹿馬鹿しいと感じてしまった。
ある日、コンビニに立ち寄った、どうしてかは忘れた。そこの棚に並んでいるチョコレートを欲しいと思った、当時の俺にとって、チョコレートはとても魅力的に見えた、あまくておいしくて
食べるときっと頬がほころぶ。いいんじゃないかな、と思った。いつも家で辛い目にあっている。殴られて辱めを受けて、親にも承認もされず枯れたように眠るそんな自分にも、ほんのちょっと
くらいの『取り分』があってもいいんじゃないかな? と感じた。そうだ、みんな俺にひどいことをする。俺だっていい目を見たい、欲しいものが欲しい。
後はもう、何も感じることがなかった。そうやって食べたチョコレートは罪の意識があれど、やっぱりあまくておいしかった。気持ちは確かに安らいでいた。以降、そうやってはせこい万引き
を繰り返した。そして最後に店の人にばれて控室に連れていかれた時は、やぱりチョコレートがコーティングされた、105円の菓子パンだった。
その時の母は、自分に対して「どうしてこんなことをしたの?」と言った。自分は「別に」と答えた。母はそれ以上何も詮索しなかった。どうして叱らないんだろう、どうして何も深く聞いて
こなかったんだろう、どうして自分の答えに対してすぐに背を向けたんだろう、どうしてこっちを向いてくれないんだろう、どうしてあいつを罰さないんだろう。この件の内容は、兄には全部伝
わってはいなかったが、「自分が何か悪いことをした」というのは知ったらしく、「本当にお前はクズだな」とまた自分を殴りつけた。
悪いことは悪い、当然だ。でも好きで悪いことをしていたかと言うと、そうだというわけじゃない。自分だって、自分のしたことが悪いことぐらいわかっていた。でも、自分の辛い人生に対し
て「見返り」を求めることは、幼い子供ならはどうしてもしてしまうんじゃないか。報われたかった、耐えていたことを誰かに褒めてもらいたかった、頑張っていたんだ、限界だったんだ。今
は自分で自分のために金を稼いで、自分の欲しいものを買っている。でも、俺は買ってもらいたかった。ちょっとしたものを「仕方ないな」と買ってもらいたかった。その喜びが欲しかった。今