たまに担降りブログがツイッターのタイムラインに流れて来る。他の人がどんな風に思って担降りするのか気になるから流れてくる度に、お気に入りしては読むことにしている。
1つ目は元担に対するプラス的な面を伝えて、でも今の担当が好きって展開をするもの。
2つ目は元担を降りるきっかけとなった部分(主にマイナス)を伝えるパートが主なもの。
ちょっと前に後者のブログを読んだ。単刀直入に言って腹が立った。自分自身の行動(担降り)なのに、相手(元担)に原因を求めすぎではないだろうか?
何で「○○くんの××をわたしは良く思えないからついていけない」ってあたかもその人が悪いみたいに書くのだろうか?
普通に「他に応援したい人がいる」「興味がなくなってしまった」ってだけではダメなのか?その原因は相手に本当にあるのだろうか?元担に対する文句まで書かないと気が済まないのか?
コンサート行って、テレビ見て、雑誌買って…何もかも全ての行動には自分に原因がある。だからわたしは無理だと思ったものは即辞める。
これが恋人や友人から違うかもしれないけど、相手はアイドルだ。自分が与えるインパクトなんてほぼない。
なのに無理してついていった結果気に入らないとか、それはやらないでほしいとか文句を言うのはエゴではないだろうか。
何を書いてもいいけれど、それを読んだ人がどう思うかを考えてほしい。問題点を指摘して、わたしは無理でした!で終わるブログを読んで元担であるアイドルに対して、すごくいい印象を持つことはない。自分が応援してなければ、相手が何を思われてもいいのだろうか?
私も元担にも今の担当に対して文句はある。けどそれを見える形で言ったりはしない。例え気になるところがあっても、好きだから応援してたし、今もしてる。
過去にそれが出来なくなった。だからといって相手に原因を求めたりはしなかった。
出来なくなった原因だった、時間やお金や気持ちは自分にしかどうにも出来ないからだ。
昔読んだ本に別れた恋人の悪口を言うのは、自分に見る目がないことを認めることになる書いてあった。
その通りだと思う。
先に結論言っちゃうけど、製造業のなかで生産技術とか品質保証とかの部署は、力仕事ほとんどない割に求めてくるスキル大したことないし、紹介予定派遣とかの門戸も広くてオススメだよ。カイゼンとかクレーム対応とか、超楽しいよ!(血涙
薬さえ飲めば大丈夫なら、「健康そのものっス!」と嘘を付けば済む話なんじゃないかな。私は自立支援医療受給者証ってのを持ってるんだけど、会社に提出する必要ないから露呈しないし、保険証も会社のをそのまま使えるから楽チンだよ。
物理的な管が身体の見えるとこに通ってるとか、日光がダメでいつも帽子被ってなきゃいけないとか、会社にいる時間にどうしても薬を飲まなきゃいけないとか、そんな感じ?
詳しく言わないってことは、それだけで個人を特定されるくらい稀な病気なのかもしれないね。だとしたらゴメンね。
ともあれ、病気のこととか、どんな努力をしているのかをも少し具体的に書くと、アドバイス出来る人も増えてくるんじゃないかなぁ。
(1)甲の起こしたある事象Aに対し、それを批判してA'にすべきではないかと論じる乙(A→A')がいたとき、
(2)乙の立場に一定の理解を示しながらも、行き過ぎた部分があるとして甲を擁護する丙があらわれるのだが、
(3)丙が指摘する「行き過ぎた部分」は乙の議論(A→A')を宣言なく無視して丙の設定したもの(A→B)を前提としていて、
(4)丙による議論のすり替え(A'→B)によって乙に対する不当な印象操作が行われている
表面上は乙に理解を示しつつ、議論の前提をすり替えてしまうことで、
(A→B)という過大な要求を突きつけた、という濡衣を着せる論法である。
丙にとっては、悪意なく陥ってしまいがちな思考のワナという場合もあるが、
乙にとっては、感情のレベルでは肯定されつつも議論としては前提すら認められない、という
過酷なダブルバインドの状態に陥れられる、極めて破壊的な人格攻撃にもなりうる。
「隠し藁人形論法」とでも呼ぶべきか。