はてなキーワード: 世田谷とは
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
実家のスナックの仕事を手伝わされてる美人ヤンキーが顔面にあざを作って登校してきた日に
父子家庭の誰某は中学卒業後は建設現場で働くらしいって話を聞いて
意味不明な臭いの酷い駅前の商店街をワンカップ大関片手に屯するおっさん達の脇を足早に通り過ぎた
みたいな青春ではないんだ
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。
情報を半端につまみ食いした結果脳内に以下のストーリーが展開されてしまい、事実となんにも関係ないのに勝手につらくなっている。
将来はお菓子屋さんになる!って希望に満ち溢れた女児がまずいるわけよ。
実家がまあまあ裕福だったもんで対して勉強もせず大人になって、いつのまにか小さなお店まで開けちゃった。可愛い息子に時々お手伝いしてもらったりしてさ。やったねハッピーエンドだ。
ただ東京でやってるし、裕福な親の人脈つながりで世田谷自然派左翼みたいな知り合いもできる。でもお菓子っておいしいと嬉しいが不可分なもんで、そうそう話聞いて影響を受けるわけにもいかないよね。適当にあしらっとこ。
防疫に慎重な人がみんな出歩かなくなって、自然派ばかり会うようになってどんどん影響を受けていく。ヘルシーにするには甘さ控えめじゃなくちゃ。糖質制限とかしなくちゃ。白砂糖とか不健康とか言ってる。食品添加物とかダメだよね!
自分もコロナにかかって、治ったはずなのに頭がぼんやりして考えがまとまらない。でも世間がコロナ開けたとか言ってるから元気出さなくちゃね。ヘルシーレシピのマフィンできた!
自然派の友達がイベント出展の話持ってきた。出てみたらすごい勢いで売れた。品切れっていうとすごい悲しい顔をされちゃった。
次のイベントなんか出展料高いなあ。品切れもダメだし、たくさん持ち込まないと。
3千個持ち込もう!と思ったけど、とても1日じゃ焼ききれないよ。オーブンにたくさん詰めて、焼き上がったら冷凍庫に、ああいっぱいだ、冷蔵庫に、ああいっぱいだ、エアコンでよく冷やした部屋に置いとくしかないか。おおいな、大変だな、手が痛くなってきたよ。
イベント大変だったな、でもいっぱい売れたよ。
どうしてなの
なんでかわかんないけどみんなおこってるの
ずっとずっとおこってるの
なにいってるかわかんない
あああああああ
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
良い月? そんなものこの世にはない
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る