はてなキーワード: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破とは
1980年生まれで、ナディアはすごくファンだったし、庵野秀明のインタビューとか読んで好感も持っていて、友人から噂を聞いて、見たいと思い続けてきたけど、タイミングがなくて見たことなかった。で、友人にプッシュされて序を借りて見て、破を映画館で見てきた。二つのエバを見た感想。ややネタバレあり。
感想
職業柄、中高生と話す機会が多いのですが、みんなけっこう『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見に行ってるんですよ。
女子なんかでも、ふつうに「アスカが好き!」とか言うわけですよ。
ガンダムに関しては男子が中心でややヲタっぽくもなりますが、いまだに「あえて言おう、カスである」とか「そうそう当たるものではない」とか言う生徒がいるわけです。どこで覚えてきたのかはよく知らないけど。
でも、オリジナルアニメでふつうの生徒の話題になるのってガンダムとエヴァと、あとジブリだけなんですよね。
例えば、福嶋亮大が
少なくとも、生産=消費のモードの変化という意味に限れば、『破』よりも「エンドレスエイト」のほうが遥かに重要だとここで断言しておきます(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/e/4f8ac0e16510d7dfb7d15b17166ad768
って言ってて、ひょっとしたらそれはその通りかもしれないけど、「ハルヒ」を見ている一般人ってほとんどいないですよね。(これは言いすぎかもしれないけど、エヴァは知ってるのが普通だけど、ハルヒは知らないのが普通だと思う。もちろん、生徒の中には「けいおん」の話をしていたのもいるので、見ているのもいるんだろうけど、基本的にそういう生徒はもともとアニメ好きの生徒)
まあ、知名度の話は置いておくにしても、知られているオリジナルアニメはいまだにガンダムとエヴァ。
音楽なんかでもいまだにブルーハーツを聴いている生徒がいたりするので、よいものが残るというのは確かなんですが、バンドだったらブルーハーツ以降にも誰もが知ってるバンドがいくつもあるのに対して、アニメだとこの2つだけ。
これってなんでだろう?って思って。
個人的に思うのがキャラの作画。
例えば、「コードギアス」はけっこう話題になって、実際に面白かったアニメだとも思いますが、キャラに関してはいわゆるアニメ絵っぽすぎて、あるいは目が大きすぎてちょっと苦手でした。
一方、エヴァのキャラはぜんぜん抵抗なく見れます。同じ貞本義行の『時をかける少女』も抵抗なかったですし、この映画も普通の女の子でけっこう好きな人が多かったです。
まあ、自分はたいしてアニメを見てこなかったですし思いつきのレベルにしかすぎないですけど、誰かタイトルの疑問に答えてくれる人がいるとうれしいです。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20090715233354
の言っていることは一部の人にとってはそうなんだと思う。
アニメの話がなされている空間において、コミュニケーションにおける「安牌」としてエヴァやガンダムの話をするというのはあるでしょう。
ただ、中高生が普通の場でわざわざアニメの話を持ち出す理由というのはほとんどないと思う。
ドラマでもお笑い芸人でももっと無難なネタはいくらでもあるわけでして。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観てきた。
前半はただただ映像に圧倒されていた。
途中から段々と胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「バカにされている」と思った。
はっきりとした理由は説明できない。
なんだかよく分からない敗北感を感じた。
観てしまったことを後悔した。
好きか嫌いかで言えば嫌いだと言える。
けど、もう一度観たいかどうかで言えばもう一度観たいと思う。
なんでだろうなぁ。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』みてきました。すごく面白かったです。
現時点で2回みてます。たぶんもう1回ぐらいみにいくはず。
感想残したいけど、ブログとか持ってないので、増田に書きます。
とりあえず、結論は2つ。
・劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)
・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA
・劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)
ラスト付近「私が死んでも代わりにはいるもの」→「そんなことないよ!ばか!の」くだりについて。僕は人生の多感な時期の多くを2000年代に過ごしているので、(id:y_arimさんやid:maremlinが絶望したのもすごくわかるのですが)この旧劇場版とは正反対の結論に、とても感動しました。
多くの方がすでに指摘されていますが、2000年代の作品に「現実が厳しいかったりトラウマがあったりするのは、もう、しょーがない。そこでどう生きていくかが大事」みたいなテーマが多いのは、少なからず、1990年代のエヴァンゲリオンの影響があると思います。そして、エヴァンゲリオンが、その作中、執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』と問題を提示し、それを乗り越えようと懸命に努力しながらも、土壇場の25話と26話で「やっぱむりっすわー、きびしすぎ」と全部放り投げてしまったことに対して、多くの人が共感しつつも、「それはないんじゃないか」「もっとほかにやりようがあるんじゃないか」と、新しい25話と26話をつくりだしていった。それが多分、僕が人生の多感な時期に夢中になった『ぼくらの』であり『ダービージョッキー』であり『フラワーオブライフ』であり『木更津キャッツアイ 』であり『EDEN』であり『ソラニン』であり、その他多くの、僕の知らない作品だと思うのです。
破の作中、シンジの聴いていたウォークマンは、いつもトラック25と26をいったりきたりしていました。
シンジによって救い上げられたレイの手には、トラック25と26の入ったウォークマンが握り締められていました。
『るろうに剣心』の単行本のおまけページで和月伸宏さんはエヴァについて、「途中までは面白かったけど、ラストはあんまり好きじゃない」とコメントしていました。
『るろうに剣心』のラストエピソード、自分自身の過去と向き合う人誅編は結局、不恰好ではありましたが、ハッピーエンドで終わりました。
2003年、大槻ケンヂが「グミチョコレートパイン」パイン編を出しました。不恰好なハッピーエンドでした。
『「グミチョコレートパイン」パイン編を読んで号泣。8年間待ちつづけて本当に良かった』
僕も今回の破をみたとき、同じようなことを思いました。
・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA
新劇場版第3部のタイトルが急からQへと変更になった時点のを次回予告をしったときに、「じゃあ第4部は多分Aだなゲラゲラ」とか言って笑ってたんですが、
今回の新劇場版のテーマとかをゆっくり整理した今「もしかすると本当にAかも知れない」「むしろAであってほしい」と思いはじめています。
結論に至った背景は以下。
ウルトラシリーズとの類似点の多さと、「QときたらAだろ」という安直な連想の元、仮に第4部が『A』だとして。そこから当然に連想されるのはウルトラマンA(エース)です。
ウルトラマンAは、歴代ウルトラマンシリーズの中でもっとも多く敵に倒されました。それでも何度も復活しました。
ウルトラマンAは、シリーズ中唯一男女2人が力をあわせることで変身します。1人では何もできません。(途中からできるけど)
『瞬間、心、重ねて』のエピソードは破において、まるまるカットされました。(ちなみに個人的にTV版のベストエピソードだったので、すごく悲しかった)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版は、再び執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』という問題に対して、それに対して立ち向かっていく姿勢が強く示されました。しかし具体的な方法までは、まだ示されていません。僕は、その『Q』に対する『A』が、ウルトラマンAの出した答えと同じであってほしいと願っています。
「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、それが何百回裏切られようと……それが、私の最後の願いだ」