はてなキーワード: 字体とは
寝ていたのに無性に風呂に入りたくなって、朝6時にシャワー浴びた後、全裸でうろついて、パンツを探している時に気付いた。
というか、そういえば、下着を干している光景を見たことがない!
そういう気遣いに気付いて、いま毛布にくるまって寝ている妻が愛おしすぎて書き始めた。
もう結婚して11年。お互いオジさんとオバさんなので、気持ち悪いと思われるかもしれないが関係ない、オレは妻が大好きだ。
嫁のすきなとこ
・何かとヤキモチを焼いてくれる
たまに面倒なんだけど、好きだという気持ちがあるという事が分かるし、自分がまだモテる存在なのかなという自信(錯覚)をくれる。
・整理整頓が素晴らしい
どこに引っ越しても、事前に間取りや収納の大きさなどを測って自分なりの設計図を書いて収納するから、バッチリ整理整頓され気持ち良い。それにその設計図のイラストがかわいい。
でも、俺が散らかしても怒るほど几帳面すぎるほどではないので気が楽。
「あの紙どこやったっけ?」とつぶやいただけで、サッと出てくる。
素晴らしい才能だと思う。
・自信をくれる
パワハラスーパーブラックな会社を辞める事に、すぐに賛成してくれたし、無職期間も職が見つかるか不安だと話しても「何とかなるよー、あなたは凄いんだから大丈夫、大丈夫」と言って自信をくれる。
・常に可愛くいようと努力している
清潔な身だしなみ、髪型、洋服選びなどなど、常に俺から可愛いと言われるための努力を惜しまない。
が、、ブランドものや、高い化粧品を買おうとはしない。男性から見て無駄なんじゃないかと思われる買い物を一切しない(ここ大事!)
むしろ、少し高い商品を買うのをためらっている時は、俺が背中を押してあげてる。
・俺の好きな事に興味を持ってくれる
俺がはじめた趣味、例えば楽器、釣り、フットサル、コーヒー、ゲーム、筋トレなどなど
そのすべてに妻も理解と関心を持って参加してくれる。
無理に合わせるんじゃなく、一回チャレンジして、続くものは続けるから、楽しさが倍になる。
・優しい言い回し
俺が寝すぎで起こしてくれるとき、何かをやりっ放しにした時に、キツイ言い方を絶対にしない。
もう、俺は、手のひらで転がされてんでしょうね。
外出や就寝前に戸締りや電源が切れているかの指差し確認を毎回する。
その数えている姿が可愛く、抱きしめたくなる。
・字がきれい
ちょっとしたメモも丁寧に書くし、字がうまい。でも、先生みたいな字ではなく、字体から優しさが溢れている。
他人に自慢したくなる字。
西野カナみたい??
追記します
妻が実在しないんじゃないかってコメント、めっちゃ笑いました。いない前提で読み返すと笑えますね!
とにかくあかるい安村バリに安心していただきたいです。あ、風呂上がりにパンツ履いてませんでしたけどね!
「完璧な奥さん」なんていうコメントありましたけど、そんなことないです。
緩急がうまいというか、さぼるとこは上手にさぼるみたいな。
でも「え!そこに拘るの!」っていうところもありますが、微笑ましいです。
仕事でポスターとか美術館の入場チケットとかお祭りのチラシなどなどを扱う。
だから色々なフォントについて会議したり扱ったりするのだが、ネットで見る、たいした字体に詳しくないにもかかわらず、さらにそれを専門的にやっているわけでないにもかかわらず、大手を振って字体について語るやつが、うざい。うざい。うざい。
色々詳しいことそれ自体はいいし、別に本職でなくたって字体について語るのはもちろんよろしいのだけれど、何かフォント厨は独特のうざさがある。
「私は知的な趣味・興味関心があるのですよ!」というような、悪性の矜持が垣間見える。垣間見えるどころか臆面もない。知や文化といったものにに中てられた、酔ったような人々。
俺らもどんどん斎藤にすり変わっていって
「日本しね!斎藤しね!」のコールアンドレスポンスしながら
「保育園落ちたの斎藤だ」デモとかがニュースで取り上げられたり
週間文春に「ゲス斎藤の経歴詐称疑惑」という見出しがおどったり
そのうち「『安心してください!斎藤さんだぞ』とかいう芸人いたよね?」とか
女子高生の格好した斎藤子Aが友達の斎藤B作にくっちゃべってたりするような世の中になったりして
斉藤斎藤齋藤齊藤斉藤斎藤齋藤齊藤西東・・・(変換しても出ない異字体多し)どこ見ても斎藤の世界で
斎藤が斎藤から聞いた話としてこっそり斎藤に「斎藤のくせに、同じ斎藤のくせに俺よりいい暮らしして、
そのくせ『自分も斎藤なんだ。斎藤であるお前と同じように辛いんだ。』って顔しやがって・・・」と愚痴をこぼし
斎藤はそれぞれ斎藤なりにフラストレーションをどんどん溜めていって「もう斎藤なら誰でもいいから死んでしまえ」と
リアル鬼ごっこともバトルロワイアルともつかない斎藤の斎藤による斎藤をターゲットにした「斎藤さん狩り」に発展して
もうオリンピックどころではないというか、斎藤パンデミックというか、種目を「斎藤さん狩り」一つに絞った斎藤五輪が開催されて、
TOKYOのTをロゴにするっていう発想自体は別に、悪くは無いと思うんですよ。
扇子や桜はわかりやすいモチーフだけど、それって凄く古典的で。
大正時代だったら良かったのかもしれないけど、今の日本人は洋服を着るし、東京はビルばっかだし。
かと言ってニューヨークのような、ザ・都会じゃないし、パリみたいに整ってるわけでもない。
「1964」から進化した「今の東京」を具体的なモチーフで表すのって至難の技。
海外から見た具体的でナウい日本文化といえば、アニメ、漫画、ファッション?
さすがにそれをモチーフにしちゃったらそれこそ国民に怒られる。
個人的には「円」って今も昔も日本っぽいよね、と思ってるけどそのへんはおいておいて、
で、東京。東京ってなんか、すっごい独特な場所だと思うんです。
海外の人たちの反応を聞く限りでは、他の国にはないような何とも言えない変な場所。
高層ビル群があるかと思えば、路地裏には小汚い定食屋が並んでて、
大きなデパートが並んでるのに、突然神社やお寺が現れて。場所によっては屋上に鳥居があったりして。
スクランブル交差点があって、うるさいモニターの下で演奏してる人達がいて、ちょっと歩けば広い公園があって。
日本人からしてみれば何てことはない日常の景色を外国人が珍しそうに写真撮ってて。
なんかそういう今っぽいカオス感が「TOKYO」ってものの中に内包されてる気がしてて
東京でもとうきょうでもトーキョーでもなくTOKYOだよなあ、みたいな。
だからまあ「TOKYOのTをモチーフにロゴを制作する」っていうのはアリだと私は思います。
欧文書体って一杯あるけど、その歴史みたいなのはすんごく奥深くてですね。
日本語と違ってとても幾何学的な字体なので、読みやすさ・美しさ・強さ、あらゆる観点で計算されつくしていて。
今から新しいフォントを作ったところで、昔からある伝統的な書体には何をどうしたって敵わない。
で、選ばれたのがDidotとBodoni。というか、「モダン・ローマン体」と呼ばれる種類の書体。
佐野氏が「これを元にしました」とか言っちゃうから話がややこしくなるんだろうけども、
DidotやBodoniを元にした書体なんかそりゃもう大量にあるし、
世の中の活字は手書きのものを除いてしまえば漏れなく「元ネタ」がある。
(遡りまくった先にあるのが2000年前にローマに建てられた「トラヤヌス帝の碑文」と呼ばれる石碑に書かれたTrajan)
美術というよりは数学みたいなもので、美しく伝統的な書体を元にしつつ、
その時代や使用目的に最適化された書体を「新たに作り上げている」のですね。
で、今回はそれがオリンピックのロゴであったと。言うことですね。
蛇足なんだろうけど、好みだけで言えばあのエンブレムは別に好きでもなんでもないです。
円を意識して右下に下げたセリフの片割れ、あってもなくても私には円には見えないし。
黒のインパクト強すぎだし。9分割が逆に気持ち悪いような気もするし。
パラリンピックと並べれば、まあアリかなあ、ぐらいの。これから先の展開に期待というかんじです。
私も招致の時の桜のマークは好きでした。あれを使えばいいとは言わないけど。
長々と失礼致しました。
辞書編集者の飯間氏が指摘したのは「PCで使用されるようなフォント丸出しの字体を大河ドラマで使うのはどうなの?」ということなのだが、その反応を見るといくつか誤解しているコメントが見られる。
1.「幕末に明朝体って……」→明朝体は当時にもあった。指摘されているのは当時なかった字体(花燃ゆで使用されたのは小塚明朝と言われている)が使われていたということ。
2.「小道具の古書の題字がフォントを打ち出して印刷しただけって…」→そうではない。ドラマのキャプチャー画像と小塚明朝で打ち出した「海防臆測」を見比べれば分かるが、ところどころ異なっている。ハッキリ分かるのは「防」の4画目。小塚明朝を参考にして綻びを入れながら美術が書いたと思われる。ハム速のコメント欄には字体の違いからハッキリ「小塚明朝ではない」という意見もあるが。
どんな字体なら文句でなかった?
PCで使用できるフォントでも当時使用されていたような楷書体だったり康煕字典体があったりするので、それを元に小道具の書物を作れば良かった。
夜からのそれはひとまえに出るしごとなので、たとえ数時間ていどの遠出でも周囲はわりといやがったけれど、きこえないふりをして電車にのった。駅のホームで特急をまちながら、そういえばこのまえは真冬にいったのだとすこし思いだす。はく息が白かった。手桶と柄杓をもつかの女のゆびもまっかになっていた。
とちゅうの駅で特急をおり、私鉄のうらぶれた車窓をぼんやりとながめる。
どんよりと、いまにもなにか降りだしそうに紫暮れている。
このまえはあんなにはれていたのに。真冬の夕ぐれのすこしまえ、いまよりさらにうっそうと垂れこめた雲や梢のすき間から、ちりちり差しこむひかりが目にしみるほどだった。
あのときは人をつれていた。死んだ人もずっとかの女にあいたくて、あいにきてくれるのをよろこんでいたのかもしれない。
なるほどきょうはひとりだ。歓迎はされていない。
故人とは、とりたててなかがよかったというわけでもない。こちらが一方的にその才にあこがれていた。ほとんど異能といってもいいほどの才だった。
生きているうちにかわすことのできたことばは片手のゆびで足るほどのものだった。それからなん年かたちいろいろと世のなかもかわったけれど、かれが生前なにかにとり憑かれたように愛したものを、深夜思いつめた声色の電話ひとつで――なさけ深いため息とともに――呼びだすことのできる位置におさまったことを、うしろめたく思っていないといえばうそになる。
おそらくはだから、歓迎はされていない。
がたんと音がして当世風の愛らしいデザインの車体がゆれた。あわてて標識をみるとおりるべき駅だったので席をたつ。小さなかばんに持ってきた花をわすれないように。改札にそなえつけれた小箱にきっぷをおとすと、なんとも古式ゆかしい字体の看板が目についた。
つくのえでら、と、うたうようにかの女はいった。じっさいには、その駅はもっと無骨でものものしいよみ方をするものだったけれど、かの女ははじめてこの駅におりたったとき、なき恋びとにいったのだそうだ。つきのえでら、つくのえでらか。うちとこのお寺さんやったらきっとそうよむわ。
さめたエメラルドグリーンの文字を背にしてぽつぽつと歩きだす。世界遺産になったばかりの霊峰が厭でも視界のなん割かを占める、すさまじい景観のひどくさびれたまちだ。〝かんたんには理解できないほどの大きさ〟と、これもかのオデットの言によるものである。死んだ男はそうやってものごとをやすやすとのみこんだ気にならないかの女の気性をばかばかしいほど愛したものだった。
ばかばかしい。本当にばかばかしい。男の気持ちは痛いほど理解できる。
人けのないみちをぼそぼそと歩きつづける。あのときはところどころ凍ってすべりやすくなっていた鋪道を、くつの底をひきずるようにして歩いていく。
菩提寺は坂のとちゅうにはりついた苔のようにしてあり、すり硝子の戸板をたたいてみるものの返事がない。あの日、たまたまはめていた手袋をいいわけに、ひいていた手をまち針にして、かの女がたちどまった石段の中ほどにひとりたちどまってみる。
もういちど声をかける。あさ起きてからいちども声らしい声を発していなかったから、ろくに音にならなかった。
このまえはどうしたのだったか。やはり応えはなかったのか、さっぱり思いだせない。ただ手をひいていた人の――めずらしく――頑是ないような声色だけをおぼえている。お住さんにご挨拶せなね。ご住職の意味だと、あとで人にきいた。
あきらめて手水のわきにたてかけた手桶を柄杓を手にとる。墓地はとし老いた高架のすぐそばにある。高架にのろわれたような人生だったのだなと今さらのように思う。
とてつもなく足が重い。こんなところまできて嘔きそうなほど後悔している。
ちゃんとあの人がしたように、新宿駅の小さな花屋で花も買ってきた。墓前にふさわしいとも思えない黄色いばらだ。
友情、愛の告白、嫉妬を意味するとかの女は笑った。わたしはあの人のともだちだった。いろんな関係であったけれどもさいしょはほんとうに気のいいともだちだった。それだけでよかったという思いばかりいまもあるけれど、あの人はそうじゃないのだろう。だからこの花がふさわしい。そんなようなことを、かの女のくにのきれいなことばでしとしとと話した。一字一句おぼえていたいのに、その文法はもちぬしに似てあまりに浮世ばなれして、一度きいただけでは言いまわしまで頭蓋のなかにとどめておけないのが、ひどく悲しい。
墓参にきたのだか人を恋いにきたのだか、わからぬままずるずると坂をのぼっている。