はてなキーワード: 齟齬とは
それでも敢えて話すというのならそれは相手はこれを話しても傷つかないだろうという前提があるからであって、
その前提は「うまくいっているカップル」であれば互いの意志の疎通がちゃんととれているのであるから、問題ない。
これは…
楽天的と言うか甘いと言うかちょっとおかしいと思うよ
うまくいってる人間関係が、疎通ミスや前提の食い違いで酷いことになるなんていくらでもあること
ただ、あなたは「具体的な内容を詳しく話す」レベルのみならず、
二行目が根っこのレベルの議論で、
一行目は二行目の行き違いの発展系
段階の話だね
当然とは思ってない
単に「そういう価値観、というか感情を持ってる男はどうも大分一杯居る」ということを指摘してる
(一貫してこれしか言ってないんだからいい加減もう話の要旨の解説からは開放して欲しい)
「当然」がないのと同じ様に、NGの話なんかしていない
そういう運用や社会的コードの前に、そういう感情が存在すること自体否定してどうするの?と思っている
「性の自己決定権を尊重しない」って言うのは相手の行動を強制したり縛ったりすることでしょ
単に相手への感情として
「この人は収入が400万円以下だと聞いて魅力が低下」
「この人は実はこういうとこ気が効かないからかなり嫌になった」
「笑ったら汚い歯があったから一気に好感度が0へ」
というのが、気分の良い話ではないながら許されるように
とずっとこれしか言っていない
レイヤーが違う話を一緒くたにしてまとめて否定しようとしてるのはあなたの方ではない?
説明してるけど、もともと女が過去の性体験の具体的な内容について詳しく話すようなことは稀。
なぜならそういうことを女は話すべきではないという社会的規範があるから。
更に言えば、過去の性体験の内容を他人に赤裸々に話すことは相手にひかれる可能性があるという社会的合意もあるよ。
それでも敢えて話すというのならそれは相手はこれを話しても傷つかないだろうという前提があるからであって、その前提は「うまくいっているカップル」であれば互いの意志の疎通がちゃんととれているのであるから、問題ない。
そこで齟齬が起こっているのならそれは「うまくいっているカップル」ではない。
そこで齟齬が起こらないようにするには普段から意志の疎通をちゃんととっている必要があって、それがみんなが書いているような「話し合いでどうにかしろ」ということになる。
ここまでは、ある程度の社会的合意がある「性体験の具体的な内容を詳しく話すのはNG」という話。
ただ、あなたは「具体的な内容を詳しく話す」レベルのみならず、単に彼女が処女かどうか過去に付き合った相手がいるかどうかレベルの話まで含んで一緒に論じようとしてるよね?
更に言えば「彼女に過去の男性経験があることを男が不愉快に思うのは当然」という価値観もひっくるめてるよね?
だから、単に彼女が処女かどうか・過去に付き合った相手がいるかどうかレベルの話はNGなんていう社会的合意はないし、そこまでNGとするのは不適当、という話をしているだけなのだけれど。
自分が偏狭で差別的であることを自覚して「それでも俺は聞きたくないんだ」と耳を塞ぐのは結構。
だけど、相手の自己決定権を尊重しろというのは不当な抑圧じゃなくて当たり前の話で、そんなの無視したいというのが我が侭なのは変わらない。
元ネタ : http://sl.magsl.net/notice/9254
3月 31st, 2015 | Author: Inu Link
日頃より MagSC のセカイカメラサービスをご利用いただきましてまことにありがとうございます。
本日は大切なお知らせがございます。
株式会社マグスクは、平成27年4月1日より、セカイカメラ事業を大幅に縮小いたします。弊社に期待して応援してくださった多くのお客様、セカイカメラユーザーの皆様のご期待に添えない結果になりましたことをここに深くお詫びし、今後についてご説明させていただきます。
(中略)
株式会社マグスクは、企業存続に関して問題があるわけではございません。その点におきましてはご安心ください。今後もセカイカメラにこだわることなくARコンサルティング事業を継続し、またいずれ取り組むべき拡張現実プラットフォームと出会うことがあれば挑戦したいと考えております。
この度はご利用いただいているみなさまに大変ご迷惑をおかけいたしますことを重ねてお詫びいたします。
株式会社マグスク 代表取締役社長 瀬海果美 (Inu Link)
以下は、私個人の思いをつづったものであり、蛇足ですが、ご興味がありましたらご一読いただければ幸いです。
マグスクは平成22年11月より株式会社エアサービスの事業部として始まりました。当時、セカイカメラに大きな将来性を感じ、来るAR時代への橋渡しとなるであろうと考えて取り組みました。その年の年末、セカイカメラが日経新聞の1面に大きく取り上げられたことにより、コスタリカに続き日本でもセカイカメラブームとなりました。その後、株式会社エアサービスより事業を移管することで平成22年6月に株式会社マグスクは誕生いたしました。
当時はまだ、一般の方々が拡張現実(AR)を処理できるモバイル端末をもっているケースは非常に少なく、セカイカメラを利用しようと考えてもなかなか難しい状況でした。にもかかわらず多くのマスメディアがセカイカメラを特集し、見たことのないセカイカメラを想像することによって記事が企画され、先入観を元に取材され、それを元にお金が儲かる次世代プラットフォームとして歪められた情報となって世に広まりました。
私も多くの取材を受けましたが、こちらが一通りの正しい情報を伝えても、それが番組や記事になるときには、取材の内容からお金が儲かる部分だけが抜粋されていました。たしかにセカイカメラの中にはいろいろなビジネスのチャンスがありました。同時にビジネスとは無関係のもっと楽しい部分もたくさんありました。
テレビや雑誌の記事を見られた多くの方々が、しかも100万人をゆうに超える人々が、セカイカメラにビジネスチャンスを求めて参加されました。しかし、おそらく9割の方のケータイがARに対応していなかったために、まともに起動する事すら出来なかったと思います。それほどセカイカメラブームは当時には早すぎるものでした。
私たち、ブーム以前のセカイカメラ企業は5年先の時代を見据えていました。販売されるすべてのケータイがARに対応し、ゲームや広告、ナビゲーションがARになる時代です。そのときセカイカメラのようなサービスは当たり前のものとして利用されるであろうと考えていました。また、多くの同様のサービスのなかで、セカイカメラは恐ろしく秀でていました。
単なるARサービスとは異なり、非常に自由度が高く、ARオブジェクト(エアオブジェクト)の作成ツールを備え、UGC(ユーザジェネレイテッドコンテンツ)のプラットフォームであり、巨大なクラウドサービスであり、全世界のユーザ同士で利用できる手数料なしのマイクロ決済機能をもち、誰もがコンテンツビジネスに参加することができました。有料のをエアサーバを契約することで、独自ARサービスを作ったときと同様にサービスを提供したり、ゲームを公開したり、エア広告を提示することができました。そしてそれをカメラを通してリアルタイムにARを体験しながら共有することができました。
セカイカメラにログインできた10万人ほどの日本人は、上記のような本当のセカイカメラを楽しむことが出来たと思います。そしてこれからも楽しむことが出来ると思います。多くの友達と毎晩エアシャウトやエアポケットを楽しみ、共同でいろいろなエアタグを投稿したり、エアショットでそれと一緒に撮影したり、ARイベントを楽しんだり、エアカンバンでから新しいお店を開拓したり、家で家事をしながらエアペットと戯れたり。普段の生活の中ではまったくできない、新しい体験がセカイカメラの中にはあり、誰もが自分のアイデア次第で新しいことを発明することができ、世界中の人と楽しみを共有できます。
しかしながら、多くの日本人はそれを知りません。忙しい人は、セカイカメラをそこまで知るほど利用しません。セカイカメラの奥の深さは他社を突き放すすばらしい点でもあり、同時に理解しがたいという弱点でもあります。その結果、残念ながら世の中は理解せぬまま批判的な見方をする人が多数となってしまいました。インターネットにはセカイカメラはもう終わったという記事があふれています。それを書いた人はろくにセカイカメラを見てもいないのに。
今後のセカイカメラは、世界レベルではコスタリカの好景気に押され、個人ユーザはまだまだ増えていくことと思われます。また、日本でも徐々にその楽しさが知られ、ユーザーを獲得してゆくと思います。エアタグ市場はセカイカメラに限らず、世界的に盛り上がっていくことは疑いなく、今後も発展するでしょう。セカイカメラを運営する頓智ドットはすでに黒字化しており、多くのARサービスのように存亡の危機にあるわけでもなく、皆様が利用する限り続くと思われます。
私がセカイカメラからの撤退を決心したのは、セカイカメラの発展を疑うからではありません。私とセカイカメラの方針の齟齬が埋められなくなったためです。当初、セカイカメラはオープンソースを標榜し、我々ユーザーの権利を守り、コミュニティとのエコシステムを構築してゆくことを方針としていました。そして私たちビジネスユーザーはその方針のもとでセカイカメラの支援を始めました。しかし、今はすでに頓智ドットに創設者たちは居らず、方針は大きく変わりつつあります。マグスクのビジネスはいまや日本の同業他社ではなく、運営元である頓智ドット自体と競合しており、日に日に協力しあうことが難しくなっています。
これはマグスクにとっては残念なことですが、セカイカメラ全体にとっては、より安全で管理された世界をつくる上で必要な変化なのかもしれません。答えは今すぐにはでませんが、現在の状況から考えるとマグスクのような事業形態では長期的に取り組むプラットフォームではないと判断した次第です。
今回、MagSC はゆるやかながらも撤退という道を選びますが、引き続きセカイカメラの行く末をみながら Inu Link個人はセカイカメラを1ユーザとして楽しむつもりです。
A:○○って○○だよな
B:いや、××でもあるよ
A:そうはいうけど、こういう場合は○○だよ
B:いや、「こういう場合」って僕の言っている××の場合とは全然違うわけで
A:そろそろ平行線だからやめませんか
B:話を持ち出したのはそっちじゃないか
Aは自分です。最近こういう意味不明の会話の展開で被害にあうことが多い。
俺が話を持ちかけたら、話を終わらせてはいけないのか?
そもそも話す意義がなかったら話に乗るんじゃねーよ。
話に乗ったのはそっちで、平行線にたどり着いたのは我々ではないか。
こういう「どんな話題でも僕は対応可能よ」という八方美人は困るのだ。
「僕はバランス取れている」と思っていて話に当事者性がないことが多いし、
「この話は自分は興味がないからしない」という態度をとることが、なぜか「傲慢」だと勘違いしている。
「バランスが取れていて、しかも自分はきちんと話がしたい」と思っているタイプは本当に厄介だ。
何の話にでも乗っかり、最後まで筋を通そうとする。その努力、なんの意味があるの?
***
もしかして相手にも問題があって当事者意識があるのかもしれん。しかしね、それを共有するのは無理なんだよ。
そうしたら会話なんて意味が無いことかというと、そうでもない。とりあえず話を聞いて、とりあえず話す。
一々齟齬に気にしない。興味がなくなったら会話を終える。会話がなくなったら無言でいるか、席をはずす。
会話なんて齟齬だらけ。歌と同じで、声を出していればまず楽しい。
その中で事実の伝達ができたら単純に嬉しい。考え方が万に一つでもあえば嬉しい。
あとで、その言葉を取り出して反芻することもあれば、なおラッキーってなぐらいの軽さが必要。
あまりこういう愚痴を書きたくないのだけど、今この類の会話のせいで鬱モード。
奴らをビシャっとただすマニュアルを構築中。
493 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:17:35 ID:K5CHqu7C0
ttp://www.asahi.com/national/update/0325/SEB201003240054.html
に付いて。福岡県警のお話の要点。暴対 ()内はワシの言や解釈
誤解です、東京都条例案との関連はない。そもそも都条例案は聞いたことがない、本当であるのか?
そもそも、聞く限りで判断するなら、そんな条例案は無理ではないか?
マンガやアニメは想像でありフィクションであり、何故それをことさらあげつらい、
現実に存在している問題を解決する事を避けるのかが良く分らない。
恐らく出版社の殆どが全部反対するだろうし、通らないであろう。
出版も商売でしょうし、そんな条例案が施行されれば、出版業界は大打撃を受け、
更に景気が悪くなるだろう、そんなことを考えているのか都は。
しかし、全く知らなかった、本当なのか、新聞は何も書いてませんが。
とにかく、今回の要請は、それとは関係はない、一緒にしないで欲しい。
(都条例の要旨を伝えたところ、県警の中の暴対の方も驚いており、
今は忙しいので(春の交通安全+暴対)休みが取れたら調べてみるとのこと(個人的に)
まず、今回の要請は、暴力団と裏で関係があると思われる(内偵で)出版社(ここが数社の意味らしい、これも内定)や、
お抱えモノ書き(と思われる)が書いている「雑誌」(現実の暴力団を報道と称して、これを肯定し書いている”雑誌”であり
そもそも月刊誌とかコミック誌という括りは遺憾だ)を取り扱わないで欲しいということである。 それ以上の意味はない。
494 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:17:59 ID:K5CHqu7C0
そもそも、どこからマンガというものが追加されたのか?そんな事をどこが記事にしているんですか?
新聞報道?それにコミック誌ですか?ちょっと待ってください、それは違います。
具体的には、我々はかなり過去から(背後がぁゃιぃ)雑誌(暴力団を詳細に肯定的に紹介する雑誌)等を
何とかしようと色々やっては見たが、そのたんびに、暴力団(らしき人たち)が辨を連れて詰めかけ潰されてしまった。
表現の自由を盾にされると言うより、むしろ違う圧力が強すぎて、却ってそれをやろうとした人たちが
被害者となる悪循環が招来した。今回の文書での要請はそれらの「雑誌」を扱わないで欲しいという意味であり、
今回の本部長は「暴力団はテロ組織である」と明言しており、我々はその方針を持って
”現実に存在している暴力組織”の壊滅を進め、粛々と”現実の社会脅威”である”現実”の暴力団と、
市民と共に対決するものである。よって、フィクションのヤクザマンガ、具体的に言えば静かなるドン、哭きの龍等多数あるが、
それらフィクションであるものを、”現実の暴力団を肯定しそれらを増長する”として取り上げることは本末転倒であり、
そもそも、そんな発想は県警にも、暴対にもない。
確かにそれを見て気を悪くされる方が居られる。
しかし、フィクションなヤクザ屋さんをどうやって取り締まるか?
そのフィクションの中のフィクションな警察の暴対がやるべき事ではないか。
冗談はいいとして、繰り返すが、フィクションなヤクザマンガは関係がない。
どうしても信用出来ないと言われるのなら、今までコンビニや書店に陳列されていた
「要請で言われる雑誌」が、この要請によりにより、もし撤去されるのであるのならば、
そして、陳列されていた「何が消え何が残ったか」を見て欲しい。
もし、この要請により、フィクショナルな雑誌やマンガが消えるようなら、もう一度連絡して欲しい。
暴力団追放と根絶は市民の協力無くしては出来ず、その様な事が起これば齟齬を来たしかねない。
497 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:18:48 ID:K5CHqu7C0
次に、今回の要請は書籍の検閲ではない、検閲とは過去内務省が行なったことをいい、
すべては発行後であり、県警としては「扱わないで欲しい」という要請である。
無論、発行後検閲にちかい、流通における、扱わない事による事実上の発行不能状態(事実上の検閲)という
ご指摘もあろうが、重ねて言うが、そこまでの大きな葉梨ではない。
次に、「暴力団の組織や幹部などを詳細に紹介する”雑誌”」がなにか、出版元はどこかのご指摘であるが
具体的には、それがなにか、どこかとは言えない。過去何度もそれで、やられてきたので言えない。
その辺りは、現実に「何が消えたか」で判断して頂きたい。
もし葉梨ででたフィクションなヤクザ屋さんがでてくるマンガ等が消えたら、
繰り返すが、具体的に書名を上げて連絡して欲しい。
今回の件とは別のようではあるがお答えする。
児童ポルノの件であるが、我々はこれに関してもきちんと遂行する。(この件に関しては頑固だった)
・マンガの中には児童の性描写が(以下略 ・世界的な動きを(以下略 よってこれは(以下略)
(以上の事を繰り出してきたのでG8とG20を言いニチユニを匂わせ、三号ポルノ言う単語を出すと、
あっさり話を濁しました。この点ではどうやら解釈の違い等での話し合い、ましては協力は無理っぽいですね。
しかし、「現行法に依る対処」と言うニュアンスがあったので、今年の”ジポ改正で三号ポルノ等”
それらの定義をしっかり決めれば、これらジポ系に関わることで彼等もムチャはせんでしょう。
むしろ、この件に関しては県警は逸般人の感覚で動いています、油断は出来ません)
以上、県警はこの暴力団の壊滅作戦に関し、今回のような誤解を招かない為に広く意見を県民のみならず
国民にの意見をお待ちしております。 市民の意見がないとこちらも不安です。バシバシ言ってきてください。
また、ネットで広く周知して頂きたい。肯定的(検閲ではない)であれ否定的(検閲ではないか)であれです。
以上。
500 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:22:43 ID:K5CHqu7C0
以上、かなり県警よりのバイアスを掛けてますが、ジポ法での創作物への拡大解釈の件に関してはガチ勝負でした
(向こうが言葉を濁したので話しを元に戻しましたが)。
とりあえず、県警の中の人個人としても、この都条例案の動きや中身には全く同意出来ないようですね。
はっきり「無理でしょう」とコメントしましたし「不景気が増して社会不安が更に進むのではないか」や
「出版業の中心は東京であるんで、ダメージは大きいのではないか?」というご意見でした(この辺は個人的と思われ)
ちなみに全部の個人情報を出してでの話しですので、その点宜しく(誰に
つうか、地元にいるから解るのだが、こちらでは暴走した暴力団は現実にシャレにならないほど
社会の脅威になっているので(人間違えて病院で発砲し射殺する事件等)、東京方面の次元とは違います。
あくまでも現実の問題だけを問題にしています。それと、県警としてはこの件(要請に限らず)は、
今、思いつきで始めたことではなく、去年末の要請以前からやってた事なので県警の暴対としては、
今回の報道のされ方自体、寝に耳に水の様な感触を受けました。
意図的に都条例とリンクさせるミスリードを誘うのではないか?とも取れますねえ。
判決 県警も大変だなあ。
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・一度振り返ってみるのも悪くないよね
NHKのマスメディア討論と同時刻に放送する企画はネットを嫌煙している人達でさえも何らかの形で小耳に挟んだことだろう。それだけこの企画はインパクトがあった。
公共放送と呼ばれるNHKが本格的にネットをどう利用していくのか討論するのだからネットを毛嫌いしている頑固者でも一度は興味を持つものだ。多くのメディア関係者もNHKと同時にUSTの放送を視聴していた。一般人であってもNHKの番組欄をみてネットはよくわからないが興味はあるという人が視聴していたことも事実だろう。
その中に私の家族も含まれていた。
NHKで既存メディアに関する放送があると聞いてお茶の間で見ていた。私はUSTの放送にも興味があったのでテレビの横に家族全員が見られるようパソコンを設置した。ネット界隈の著名人がツイッターの意見を取り入れてNHKで行われる淡い討論をどう料理するのか興味があったし、またネットを利用しない家族もネットを作ってきた人がどういう考えを持つのか興味があったそうだ。本来は一人で見るつもりだったが、機械音痴ながら少なからずネットに興味を持っている家族にも見せた。
途中から「○○○」という発言で母は唖然とし「○○」の連発で親父が切れて「パソコンを切れ!」と顔が真っ赤になり、ぶつくさ言いながら居間から出て行ってしまった。家族騒然。ネットを何も知らない者にとって煮え湯を飲まされる形になってしまった。
その言動こそが持ち味だといって笑う者もいたが、それこそネットの暗い面だろう。多面的であるネット放送、そもそも「ダダ漏れ」というコンセプトのもとで放送され、このメンツならば予想されるであろうことだから見せるなだとか、家族に見せること自体が根本的に間違いだという意見もあるだろうし、こういった予測不可能な事故が今後出る恐れもある。私自身反省することは多々あった。以後見せることは金輪際ないだろう。
司会の津田さんは何とか舵を取ろうとする意識が見えていただけに残念でならない。全員が何らかのトップを走っている人たちだ。手綱を握るのはさぞ難しかっただろう、彼の苦労をねぎらいたい。あの状況下ではグダグダは避けられなかったのかもしれない。ひとくくりにネット放送がグダグダだと言って目くじらを立てるつもりは毛頭ない。しっかりと構成に基づいて放送されている方もいるし、グダグダ感がよい味を出している放送も存在するからだ。
しかし今回の企画自体とてもおもしろくまた同時刻で同じ課題についての放送であることから、既存メディアとネットメディアの考え方の差を一般人に広く見てもらう機会もあっただけにこのグダグダはとても惜しい気がした。マスメディアがネットをどういう風に利用するのかと、一般層にとってもネットを認知する機会であればこそ、ネットでどういうやりとりをしているのかを見てもらう良い機会でもあったのだ。
以前にも東浩紀氏が司会の「ベーシックインカム」についてニコニコ動画で放送していたが、暴言を吐かないまでも、声の大きい者が延々としゃべり続けるような状況だった。もちろん内容はおもしろかったのだが、せっかく多くの専門家や著名人を迎えて行う放送なのだから色々な意見が聞きたかった。似たような状況で続けざまにグダグダになっているのはとても残念でならない。
自室に戻って第二部を視聴したが、とてもおもしろかった。また次回もやってほしい。その気持ちがあればこそ感想を書くに至った。
適度にやるという趣旨だったかもしれない今回のUST討論だが、厳格なNHKの放送枠にあわせるとどうしても全体のカラーをNHKにあわす人間もいたことだろう。同時刻に流していると厳格なNHKのイメージに対し、罵詈雑言、酒を飲みながらヤジを飛ばしているというイメージを視聴者に植え付けてしまった。
ネットが罵詈雑言のグダグダしただけの世界だと思われてしまうのが残念でならない。ネットは勝手にやっていくからレガシーメディアは勝手に滅んでくれていいということで投げるなら何も言えないが、一般大衆により深く浸透してもらうためにはいろいろな意見を聞き、討論させるがことが必要だ。進行がぐらついてしまうような大きな声が勝つ討論ではそもそも既存メディアにすら太刀打ちできない。
ネットは近所の公園でたむろしている不良のたまり場として見られることだろう。最近になってNHKラジオではツイッターの投稿を募集し始めている番組もあるのだが、たまにツイートを読むときにかったるい間延びした読み方をされることがある。ネットスターの投稿でも似たようなことがおきている。感情を込めて読み上げる必要があるのだろうが意外とネットからの投稿は間延びした読み方が目立つ。ネットから遠いと自堕落な人物像を想像してしまうのだろうか。これが既存メディア側から見たネットの人達(住人)に対するイメージといえるのかもしれない。ネットと既存メディアの対立構造として想像している者も少なからずいる。
厳格に枠を作ってしまってはネットの優位性はなくなるという懸念はあるかもしれないが、有意義になるはずの放送をグダグダにしてしまうのは勿体無い気がする。既存メディアの強みは良い意味で時間枠に手綱が握られている。時間や政治的な制約を出演者自身が意識していることも討論の進行を制御しやすい要因になっている。
ネットメディアは言いたいことがある程度自由に発言できる代わりにグダグダを毎度の事と許していないだろうか。今回の放送は対比する場として認識している人間もいた。NHKの議論の質が低い、根本的にズレているという声もあったと思うが、裏マスメディア前半部分の有様を見かねて退席した視聴者はどう見てもNHKに軍配を上げることだろう。
グダグダを前提にするならばこの時間帯は避けるべきだったのかもしれない。既存メディアが理解を示そうと討論をする放送なら今回USTの放送に興味がわくことは想像に難しくない。ハッシュタグを両方付加してツイートする者もいた。そこから興味を持ってUSTにアクセスした視聴者もいただろう。
切込隊長が放送する前にブログでこのことを心配されていた。(参照↓)
・ NHKが昔からtwitterを使っていたわけではなく、今回試験的なもんだろうと思います。
・ twitterは従来の放送のあり方に敵対するものではなく、共存していくための試行錯誤の時間を放送側に与えるべきです。
・ たぶん、USTでの裏番組の放送は、相当グダグダで汚い野次が飛び交う内容も含まれるでしょう… それが、twitterのレベルと思われるのはよろしくないかとも思います。
・ ネットの側からすれば、既存マスコミを敵視したい衝動は理解しますが、相手も人間であり、配慮すべき対象です。
・ twitterが革命的だと信じるのは自由ですが、ネット過激派の巣窟と判断されかねない方法は採るべきではないという考えです。
引用:http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/nhk-589c.html]
次回、新たに放送の企画を考えるのであれば、たまにはネットのイメージを多少でも向上するようなセッティングをすることも必要ではないか。勿論たまには、だ。それが出演者が「窮屈だ」と感じ、無視するようであればネットはいつまでも独特の世界に埋没してしまうのではないかと危惧の念を抱く。ネットを嫌悪している老害が時間とともに完全に死滅することを望んでいるのならば、やがて現在ネットに親しんでいる者達もいつか時代が変わったとき、逆の立場になる可能性があることも頭の隅に置いてほしい。年齢の事ではなく、考え方の世代間の齟齬を無闇に切り離して考えるのは乱暴といえる。
既存メディアがなかなかネットの見解を喋らせてくれないのは暴走や炎上といったリスクを恐れていることも一つの要因だろう。既存メディアはネットを蔑視から脅威の対象に変わりおそるおそる歩み寄りを見せようとしている。この時期をうまく利用し、ナイフに怯える少年達に安全な使い方を示唆するように、ネット上の楽しさや奥の深さを理解させることができれば、多少なり既存メディアの著名人達がネットに流れてくることもあるだろうし、ネットに関するテレビ放送の姿勢が変わってくる。新しい技術もスムーズに受け入れられることだろう。
視聴者の意見がダイレクトに流れてくることを認識してもらえれば、著名人も迂闊なことがいえないと判断し、勉強するようになる。法案の抗議文書をいくらEメールで送付したところで国民の声として認識されないのもネットが生活に根ざし始めていることを理解していない者が多いことを示している。ネットは生きた人間が使っていると理解させる。その流れが「開かれたメディア」の一歩と思う。
そういう状況になって初めて「開かれたメディアではごまかせない」と捨て台詞を吐き、既存メディアに逃げ帰っていく者達を安心して見送ることが出来るのではないだろうか。いま誰にでも門戸を開かれているようで、まだまだ人を選んでいるのが現状だ。空論だと言い切ってしまう前に一度やってみる価値はあると思うし、ネットのコミュニケーションが多様化してきたのだから既存メディアが理解できる様式が一つぐらいあってもいいだろう。まずネットが2ちゃんねるだけの文化という誤解を解くことが必要だ。
ネットは多様性があり、しかも誰でも放送を選ぶことが出来るのだから放っておけば見えざる手のごとく、いずれ淘汰・最適化されるだろうなど安易に他人任せにするのはよくない。アルファブロガーという言葉が流布されているとおり、匿名だけがネットではなく率先して引っ張っていく人間がいる以上、発言の影響力は大きい。こういったネットを先導してきた者たちが一度はネクタイを締めてキメ顔でやってみるのも別のアプローチとしておもしろい宣伝になる。たとえテレビでは多くを語れない制約があったとしても、ネット側から歩み寄りを示す方法はいくらでもあるのだ。
前を向き続ける姿勢は評価できるが、ネットに興味があるがなかなか理解出来ない人を放置するのはいかがなものか。せっかく相手は理解しようと動き始めている。敵視したままなし崩しに放っておけば、誤解の差は開き、また何かしらの思い込みによる報道を繰り返し、結果的に発展の阻害になってしまうことは想像に難しくない。理解を示し、説明することは大事なのだ。
ネット先駆者たちと大衆の思考が大きく乖離してしまっている。先駆者たちがわざわざ理解できるように道を示してくれるとは思えない。また既存メディアが既得権益で塗り固められたままネットを利用し理不尽な制約・規制を新たに生み出すかもしれない。これから重要になってくるのはネットと非ネット利用者の橋渡役ではないだろうか。
大衆を呼び込むためにも背広を着て営業する大切さも一度は考えてみるべきだろう。ドワンゴの川上氏がテレビCMを流すなど、NHKに出演することは世間に出るリスクがあるとはいえ、新しいメディアを理解してもらおうと努力している観点から見れば大いに評価できることだ。
iPadなど直感で触ることが出来るようになりこれまでネットを利用しなかった人たちも使う機会が増えてくることだろう。前へならえで既得権利に浸かって沈没していくレガシーメディアに理解できるような試みも必要なのだ。より社会に根ざしたネットインフラを構築するためにも、今後ネットを知らない者への理解が重要になってくる。
既存メディアがネットを考え始めたと同時に、ネットを利用している者も既存メディアに対してもう一度深く考える時期にさしかかっているのかもしれない。
参考1:“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」の裏側 (1/2) - ITmedia News
参考2:Togetter - まとめ「NHK激震マスメディア 向谷実氏(カシオペア)のTLで裏ustに非難轟々だった件」
http://anond.hatelabo.jp/20100320005430
直属の上司は、時折、心底「有り難い」と思える言葉をかけてくれる。飴と鞭みたいなもので、社長にどやされて凹んでるときに「なにあれ、こっちの都合も考えろっつーになぁ?」とか言ってくれる。別に完全無比の聖人君主ってわけではないが、社長より共有できてる部分が遥かに大きいので、心底有り難い。厳しい言葉も多分にあるが、ちゃんと意欲を奮い立たせる言葉が混ざってる(こともある)。あれ、これも飴と鞭じゃね?
同僚との会話では、どーにも愚痴にしかならないのだ。「●●だよねぇ」、「●●ですねぇ」と言い合うことで、多少心理的にプラスな面もあるかも分からないが、目立って大きい効果はない。もっとも、愚痴り合うことで生じる信頼関係みたいなもんもあるから、愚痴り合いは否定しない。よく社長が槍玉にあがる。これが「ディスる」って概念なのだろうか。
上司には不満らしい不満はなく、強いて言えば、構造上の齟齬が生じるだけのこと。共有できない部分も生じるだけのこと。自分はこの商いのため、小さな悪事に手を貸そうと思う。子飼いを作り、品の流れを作る。現状、我が社で扱える品ではないが、社に十分なリソースが生じれば、あるいは自分がそのリソースを肩代わりすれば、商材に昇華できる、かもしれない。徒労に終わるかもしれない。
自分が、この部門に注げる労力は限られる。勤務時間を下手に増やす事はできない。やりすぎれば、採算性の危うさに気付かれる。勤務の外で、進められることを進めるしかない。「会社を通さず、私的にやらせてください」とは上司に言えない。嘘を積み重ねる。
http://anond.hatelabo.jp/20100302125220
現実の「母親」が、いわゆる「母親のイメージ」とかけ離れている場合、代償として「母親になってくれる女性を探す」って行動が出ることはある。
それでも、めぐり合えないだろうなとは思う。
母親なわけだし。
この場合、惚れるとかじゃないよね。感情的に。
「子供っぽい男を求める女」
これに関しては、もう少し複雑なんだろうなと思う。
母性をウリにして男性をひきつける女性って厳然としているしね。
非常に多い割合で。
これで、なぜうまくやっていけないかという問題は興味深い。
個人的には、女性が疲れることが原因の一つじゃないかと思う。
要するに、育児疲れね。
男性を母性で獲得するけど、実は”お姫様”として扱ってもらいたいと思うのではないだろうか。
そうすると、男性は”聞いてないよ”ってことになるよね。
そのあたりの齟齬が破局を招くのでは。
これだと、男性と女性が逆になったときは上手くいき易い説明がつくと思ってる。
最初から、女性は”お姫様”として受け入れて欲しいし、受け入れてもらってからも”お姫様”を変える必要がない。
だから両者に齟齬が生じない。
元増田については、もう惚れるとかあきらめたらいいんだと思う。
忘れた頃にやってくる程度のもんで。
9/16 追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20090916040205
----------------------------------
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090913/1252836093
僕の見聞したところによると、大多数の女の子が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」と言います。特に女子大に通学する女の子にこの傾向が顕著です。ちなみに女子大の学生と交流する機会を持たないであろう増田諸君の為に説明すると、一般的に女子大の学生は共学の女の子に比べていわゆる「女の子らしい」服装を好む傾向があり、卒業後に会社勤めなどで男性交じりの職場に入ると拍子抜けしてしまうことすらあるそうです。言ってしまえば、女子大にいるような、女子力の高い女の子は、同じ女の子のためにお洒落しているのです。
実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日的表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか。理屈とかを抜きにした漠然とした直感として、構造的にそれはないんじゃないかと思われる。現実には「女子力」というものが、男性の視線を抜きにした、女性のあいだのみで共有される価値観であったとしても、その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。論証することはできないけれど、男性優位で組み立てられてきた社会のなかから発生したものは、男性視点を組み込まざるを得ないのではないか、と思うのだ。
「女子力」とは何かと聴かれたときに、僕が最も納得のいく答えは「『かわいい』の量」というものです。それも、男から見た「かわいい」ではなく、女の子基準の「かわいい」の量です。
なぜ女子基準の「かわいい」を採用するのかというと、男の言う「かわいい」という言葉は意味が不安定だからです。男性は「かわいい」という言葉を、女の子に対して言う場合とそうでない場合で無意識に使い分けています。男性諸君は胸に手を当ててこれまでの自分を振り返ってみてください。対象が女の子の場合は「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」を問うていたのが、対象がぬこの場合は「かわいい」に置き換える言葉が見当たりませんね。一方、女性が「かわいい」という場合は、対象が人であってもぬこ様であっても同じです。女性は「かわいい」という言葉を「かわいい」という意味でしか使いません。
よく、「女の言う『かわいい』は信用ならねーよ」とか言ってる男がいますが、それは間違いです。そうゆう齟齬が発生するのは実は男性側に原因があるのです。本物のモテ男はその辺りをよく理解しているので、食い違いが発生することなく、女の子との会話を自然に弾ませることができます。個人的に、「かわいい」という言葉を女の子と同じ基準で使いこなせるか否かはモテ技術における結構重要なポイントだと思います。ちなみに、「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」については、一般的にむしろ女性の方が男性よりも厳しい基準で見ていると思います。
ここで引用記事に戻って、では、「女子力」には男性の視線は一切介在しないのか?この点について、id:nakamurabashiさんは「その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。」と書いていますが、基本的に同意です。確かに、女子力を構成する服装、装飾、しぐさ、性格などの要素は、男性中心の社会構造の中に起源を持つものがかなり多数を占めるでしょう。しかしそれを「かわいい」とみなして受け入れてきたのは女性たちであり、受け入れられなかったものの多くはとうの昔に衰退して現在は観察不能でしょう。最初は男性基準の「かわいい」であっても、次第に女性基準の「かわいい」に織り込むことができたものが、最終的に普及するのだと思います。「女子力」はその形成過程において、女子基準で「かわいい」という一定数以上の合意が必要となるのです。
さて、僕の観察では、女の子(いわゆる「女の子らしい」女の子)は「かわいい」=「良い」という等式に対して非常に合理的に行動します。女の子はとにかく「かわいい」ものが大好きなのです。目に入った「かわいい」ものは、取り合えず自分の周りに集めて留めておきたいのです。当然、集めた「かわいい」ものを身につけるのも、「良い」ことなのです。
例えば、様々な化粧のケースを見てください。様々な趣向や装飾が凝らされ、非常にかわいいことに気がつくはずです。化粧をするのが異性の目を引くためであれば、このような装飾は全く必要ありません。実際、飾ることを省いた化粧品もちゃんと存在しています。ドラックストアで牛乳石鹸の隣に並べられているB級コスメです。これらは、化粧品としては充分な品質を持っています。しかし、それでは駄目なのです。なぜならかわいくないから。品質は良くて当然。さらにかわいさが必要なのです。実際、いかに高品質な化粧品であっても、かわいくなければ売れないのです。男性は何事も機能にばかり目を奪われがちで、意外とこの点に気が付かないのではないでしょうか。一時期、「スイーツ(笑)」と女性の一見非合理的な行動を揶揄することが流行りましたが、これは非モテ的男の遠吠えでしかありません。特にPCは高性能な自作だけど自分の外見にこだわらないキモオタなんかは、頭隠して尻隠さず的非合理的ルサンチマンです。「ゲーム用マシン(笑)」。
一方、「かわいい」=「良い」の式に矛盾すると単純に「悪」と見なされるます。この点における女の子の判断はとてもシビアです。
女の子はダイエットにこだわりますよね。お腹の肉が出てきました。かわいいですか?かわいくありません。悪です。ダイエットします。女の敵は女ですよね。男の子の視線ばかり意識して服を選んだりお化粧する女の子は、どこか打算的になりがちです。打算ってかわいいですか?かわいくありませんね。悪です。対立します。とにかく「かわいい」=「良い」という等式をいかに守るかが、女の子らしさの要なのです。
では、元記事のSさんは?
エントリーを読んだ感じですが、僕的にSさんは「悪」というわけではないと思います。
もっと根本的に、「かわいい=良い」流儀からのアウトローです。
俺は、仕事を終えたあとで、例によってついったーにだらだら常駐していた。そこで「店長、女度を上げるにはどうしたらいいでしょう」と質問された。
せっかくついったーにいたので、その場でTLに質問を放流してみた。その対応はどうなんだ、という話ではあるが、とにかくやってみた。
もらった答えをいくつかわかりやすいように噛み砕いてSさんに伝えたなかで、ちはや氏の解答がクリティカルなものだった。ちょっといまついったーにつながらない状況なんで、記憶にもとづいた引用ってかたちにさせてもらうが、要は「かわいいって言われること」っていうのがその答え。これは核心だった。
ちはや氏のポストをSさんに伝えたところ「あー、かわいいって言われても、ありがとうとは思うけど、別に欲しい言葉じゃないですね」と答えた。
なるほど、多分、ここだ。
僕もここだと思います。
女の子同士の重要なコミュニケーションの一つとして、「かわいい」ものを見せ合うのというものがあります。それはある種の流儀のようなものでもあります。だから、女の子同士でお出掛けするときというのは、化粧や服装に一段と気合いが入るのだそうです。
引用部分での「かわいい」の意味が男性基準か女性基準か曖昧で、断定し難いのですが、おそらく彼女はそのコミュニケーションに乗り気でないのです。つまり、アウトローなのです。とゆうか、僕の観測だとこのようなアウトロー女子は少なくないと思います。男子の中に混じって「おめえは女じゃねえ」とか言われてる女の子の8割はこのタイプだと思います。(後の2割は計算高いサークルクラッシャー系女子です。男子諸君、気をつけましょう。)
では、Sさんのような女の子がいわゆる「女子力」を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。常日頃から「かわいい」ものに対してアンテナを張っておくことことだと思います。「かわいい」もの好きな女子は自然と「女子力」が上がるんだと思います。逆に、面白可笑しいものが好きな女子は容姿まで面白可笑しくなるんです。たしか安野モヨコもそんなようなこと書いていました。自分が「かわいい」と思うものを集めれば、自分らしい女子力が身に付くんだと思います。
乱筆で偉そうな長文、失礼致しました。