はてなキーワード: 導関数とは
(2,0)共形場理論(CFT)とM理論のホログラフィック対応を活用し、M理論の量子補正を再構築する。
具体的には、大N展開に基づき、6次元CFTのOPEデータを用いて、11次元超重力の4点関数のR⁴やD⁶R⁴の項を導出することにある。
WNカイラル代数と(2,0) CFTの関連性を通じて、M理論の高次導関数(特にD⁸R⁴)の振る舞いを予測する。
A₁₁(pᵢ; ζᵢ) = f(s, t) A₁₁ᵗʳᵉᵉ(pᵢ; ζᵢ)
ここで、A₁₁ᵗʳᵉᵉ(pᵢ; ζᵢ)はツリー振幅で、次のように表される:
A₁₁ᵗʳᵉᵉ(pᵢ; ζᵢ) = ℓ₁₁⁹ K/(stu)
Kは運動学的因子、s, t, uは11次元のMandelstam変数である。また、モーメンタム展開は次のようになる:
f(s, t) = 1 + ℓ₁₁⁶ f_R⁴(s, t) + ℓ₁₁⁹ f_₁₋ₗₒₒₚ(s, t) + ℓ₁₁¹² f_D⁶R⁴(s, t) + ⋯
(2,0) CFTにおけるOPE係数は、次の形でWNカイラル代数の構造定数と関連づけられる:
λ²_k₁k₂k₃ = c⁻¹ F_R(c) + c⁻⁵ᐟ³ F_R⁴(c) + c⁻⁷ᐟ³ F_D⁶R⁴(c)
ここで、c = 4N³ - 3N - 1は中心電荷を表し、この式はM理論における保護された頂点(R⁴, D⁶R⁴項など)の構造を反映している。
G_k(U, V; σ, τ) = ∫₋ᵢ∞ⁱ∞ ds dt/(4πi)² U^(s/2) V^(t/2 - 2k) 𝓜_k(s, t; σ, τ) Γ²(2k - s/2) Γ²(2k - t/2) Γ²(2k - u/2)
ここで、s + t + u = 8kを満たす必要がある。このMellin変換によって、平坦空間におけるM理論の4点振幅を得ることが可能である。
AdS₇×S⁴のコンパクト化によって、平坦空間におけるM理論振幅を次の形で再構築する:
lim_(L→∞) L³ (L/2)⁴ V₄ 𝓜_k(L²s, L²t; σ, τ) = 1/Γ(4k - 3) ∫₀∞ dβ β⁴ᵏ⁻⁴ e⁻ᵝ A₁₁ᵏ(2βs, 2βt; σ, τ)
f_D²ᵐR⁴(s, t) = 1/(2ᵐ⁺³(4k - 2)ᵐ⁺³) lim_(s,t→∞) [Σᵢ B_k^(⁴⁺ᵐ,ⁱ) 𝓜_k^(⁴⁺ᵐ,ⁱ)(s, t; σ, τ)]
例えば、すぐ部屋の物が増えすぎて散らかる人は、部屋の中の物の出入りを考えて、導関数(微分値)が常にマイナスになるように心がければ、個別の物の出入りに関してはよくわかってなくても、総体として物は増えない筈だ、とか。
技術計算とかは置くとして、「あー、今ここは導関数(微分値)がマイナスになっとるなぁ。こらいかんわ。導関数は最低でもプラスに保っとかなジリ貧やわ」とか。もちろん計算なんかしてないし、数式も使わん。
技術系とかでなければ具体的な公式や計算方法は覚えておく必要はないだろうけど、微分・微分値・導関数というものがあって、どういう考え方だったかというコンセプトは度々役に立つ。(他にも確率的なものの考え方とか、必要条件十分条件とか...)
https://togetter.com/li/1801421
物理学をやれば計算が出てくるが、あれを算数の延長と考える人は居ない
四則演算したとしても、それは物理学をやるためのツールと認識されるだけだ
これを学ぶときに、算数の延長から離れられる生徒は、どの程度の割合なのだろう?
高校でこれらを教えるときに、「数学とは」を語る教師はどの程度いるんだろう?
私の時は「大学受験へのHowTo」として授業が為された
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E5%88%86
初めに最も簡単な場合を扱う。すなわち、実数値の変数を1個もち、値も1個の実数であるような関数 f(x)(または単に f とも書く)を微分することを考える。
「微分する」というのは、より正確には、微分係数(英語版)または導関数のいずれかを求めることを意味している。
説明を単純にするため、f(x) はすべての実数 x に対して定義されているとしよう。
すると各々の実数 a に対して、f の a における微分係数と呼ばれる数がある(定義されない場合もあるが、ここでは理想的な状況のみを想定して説明する)。
これを f′(a) で表す。また、実数 a に対して微分係数 f′(a) を対応させる関数 f′ のことを f の導関数という。
直感的だろうか?
躓く人は、「1+1=2」の時は出来ていたマッピングが出来ないだけではなかろか
(高校時に)文系選択の子で数学が苦手な子は、考えすぎてるんだよね、解釈とか世界観とか、形式的操作と意味を分離できない。対して理系選択の子で数学が苦手な子は、手の動かし方しか知らない。
これ凄い事かいてるんだぜ
教える側が「とにかくツールの使い方を覚えろ」と、「手を動かすだけじゃダメ」を併記して、だからダメなんだろうと言ってる
バッシングの嵐ではなかろか
knoa氏が奇妙なことをやっているという意見には同意するが、自分はそもそも予測を立てること自体に疑問がある。
感染者数の増減が人間の判断と、それに基づく行動によって左右されているのは自明だが、これは時間的に非連続だし、そうじゃないとしてもパラメータの導関数が非連続なので、未来予測は基本的に不可能なはずだ。
直近の予測(短くとも発症間隔の5日間)は逆算して得られる再生産数から比較的正確な予測が得られるはずだが、これもあくまで現状維持した場合の結果を示すだけで、長期的には非連続なパラメータの影響が大きくなって無意味化する。
数理モデルに基づこうが基づくまいが、予測は「占い」に過ぎない。せいぜい「現状維持だとt日後には感染者数がx人に達する」という警告程度にしか意味がない。機械的に出せる予測は専門家筋から提出されているし、その都度報告されているのだろうと考えられるが、「減少傾向を維持し、完全に収束させなければならない」という根本的な指針を政府が理解していない、あるいは実行する気がない以上、短期的な予測すら無意味化している。
他の教科だとなかなかこうはならない。
小学校1年生の漢字を覚えていなければ小学校2年生の漢字を覚えられないということにはならない。
奈良時代の学習を完璧に理解していないと平安時代の学習がうまくいかないということもない。
同じ理系科目である理科(物理化学生物地学)も、たとえば小学校の学習ができなくても中学校で、中学校の学習ができなくても高校で、得意になれるくらいには、カリキュラムは独立している。
小学校1年生の学習を理解しないまま、小学校2年生の学習に進むことはできない。
学習したつもりでも、実は理解しきれていない箇所があれば、必ず後に響く。
もちろん他の教科も初めから順番に学んだ方が当然わかりやすいし、それに越したことはない。
ただ数学のそれとは取り返しのつかなさが違う。
一方、他の教科は、推奨レベルやお勧め解放順、必要ポイントの差はあるけれども、基本的にはどこからでも取っていけるスキル表だ。
この数学の積み重ね性を表す顕著な例として、たとえば、高校3年(2年かも?)で習う微分(導関数)の定義を考えてみる。
f'という記号が導入されて、limなんちゃらかんちゃらで、f'(x)は定義される。
そうしたら教師が、例えばf(x)に具体的な関数x^3を当てはめると、ここがこうなって、3x^2になるんですと。
この「具体的な関数」って言葉、面白いよなあとつくづく思ってしまう。
中学の頃には、関数を理解するため、xに「具体的な数」たとえば10を入れて考えてみましょうとか言っていたはずなのに。
具体的ってなんだ?
コトバンクで調べると、「はっきりとした実体を備えているさま。個々の事物に即しているさま。」だという。
小学校で初めに数を習う時、我々は指を折ったり、タイルを数えたり、林檎を想像したりした。
そうだ、それこそが真に具体物だ。
したがって我々は、導関数の定義を「具体的に」理解しようとする際、まずf(x)に具体的な関数x^3を当てはめ、そのx^3を理解するためにxに具体的な数10を当てはめ、さらにその10を理解するために林檎10個を思い浮かべ……
とはならない。
関数のことを理解する時、我々は数のことはもう既に具体的だと思って接している。
同じように、導関数の理解に臨もうという段階では、個々の関数のことはもう具体的だと思えるようになっている。
そう思えるようになるほど、個々の数や関数に対する様々な操作を、手癖レベルで熟達し、理解している。
そうして、その新たに手に入れた具体物を土台にして次の抽象が受け入れられるようになる。
正規の教育を受けていない中卒で、この内容はトンデモっぽいから詳しい人突っ込みよろしく。
区間 [0, 2PI] において、任意の a を x の係数とした sin ax は+1と-1の間の値をとる周期 a の正弦波の関数である事は周知の通りだが、例えば a を無限大にまで極限させてみるとどうなるだろうか。
具体的には、上述の例に於いて lim_[a → #N] の極限の条件を付け加えるのである。
ただし N は自然数全体の集合で、 #S は集合 S の濃度を示すとする。
適当な b (0 ≦ b ≦ 2PI) を選び、 sin b と同じ値が sin ax 中にいくつ現れるかを数えてみる。
[0, 2PI] sin ax (a in N) で sin b と一致する値をとる場所はsinの導関数が極大あるいは極小になる PI/4 と 3PI/4 であれば a 個、そうでない場合は 2a 個である。
lim_[a → #N] では区間 [0, 2PI] 内でその個数は #N と同じ値になる。
周期関数が有界な区間の中に可算無限回敷き詰められているのだから、これを面だと主張しても良さそうに思える。
実際、 lim_[a → #N] sin ax で x を適当な実数とすると、関数の値は [+1, -1] の範囲で特定不可ではあるが、任意に選んだ c (-1 ≦ c ≦ +1) というのは確かに存在する。
今日は体調が優れずこれ以上考えが及ばなかったのでここまでにしておくが、
など、考える余地はまだありそうだ。
また、この記事自体既存の考えに重複するものかもしれない。その場合は、無学な私にどの分野と被るかを具体的に教えてくれるとありがたい。
円の中心Cとし、円の外にある任意の点Aを考える。Aにもっとも近い円周上の点をBとする。このとき、線分ABはBに於ける円周の接線と直交する(仮に直交しない場合、Aを中心とし半径ABであるような円と元の円Cは、2点で交わる。これは「Aにもっとも近い円周上の点」という条件を満たさない)。したがって、A,B,Cは一直線上に並ぶ。
このことから、出題されている放物線上の任意の点Pと、それにもっとも近い円周上の点Q、および円の中心Cは一直線上にならぶ。CQの長さは一定であることから、PQを最短にするQは、PCをも最短にする。よって、この問題は「放物線上の点Pと点Cの最短距離」を求める問題に還元できる。
この線分の長さは円の中心座標と放物線の式が与えられることから、簡単に求められる。その長さの計算には平方根の計算が含まれるが、我々が必要とする長さは、求める点で最小かつ常に正であることから平方根の計算は省略していい。平方根の中の式を展開するとxに関する4次の多項式となる。
求める点Pでこの多項式の値が最小になることを思い出せば、多項式の導関数が0になる点を求めることによってPの座標を計算できる。
一般教養でマクロ経済の講義を受けただけのぼくが、一昨年買ったけど全く読んでなかったミクロ経済の教科書片手に、論争の経済学的な面を経済学的に完全(誇張)に解説し、論争そのものがなんだったのかまとめてみせよう。(数式は基本的に使わず、微分じゃなくて差分で説明してます。)
まず経済学の一番の基本である需要と供給(wikipedia)は押さえておこう。需要、供給、均衡のとこと図に目を通せばいい。価格ごとに需要量や供給量が決まる。そしてそれぞれの曲線の交点が実現される量と価格になる、ってのを押さえればおk。あとわざわざ書いてないけど、これが労働市場にもあてはまって、その場合は価格が賃金で量が労働者の数となる、ってのも一応。
1. 雇う労働者の数が決まれば生産物の量が決まる(生産関数)
ほんとうはもっと一般的に労働者以外の生産に必要なもの(生産要素)の数量にも生産量は影響されるんだけど、以下ではその辺は一定として考えるので気にしない。生産物というのは、例えば喫茶店だと客へのサービス全てのこと。
2. 1の関数から、雇っている労働者数ごとに、そこから1人雇う人を増やしたとき生産量がいくら増えるか決まる(限界生産性)
限界生産性というのはすでに雇ってる人数で変わってくるってのがポイント。(導関数なんだから当たり前だけど。)
ただ、今回の論争では限界生産性と言った時点で、すでに生産物の価格も入ってるようなので、売り上げ = 生産物の価格 * 生産量 ということにして
(※労働者以外の生産要素は一定として考えて、労働者だけ1人増やした場合と比べるのだけど、レストランなんかだといくら人数が増えても食材が一定じゃ生産物は増えようがないじゃない! とお思いの方は「生産物の価格」のとこを「生産物の価格 - 原材料の価格」としてくだされば以下の議論に支障はございません(売り上げと呼ぶのがちょっとアレになるけど)。)
2'. 1の関数から雇っている労働者数ごとに、そこから1人雇う人を増やしたとき売り上げがいくら増えるか決まる(限界生産性)
こっちを使う。生産したものは売れるということで、売れ残りとかは考えない。「限界生産性でなにかが決まる」といっても生産物の価格が入ってるので、価格に影響をあたえるものは、そのなにかが決まるにあたって影響することに注意。山形が循環論法とか言ってた半分はそのこと。
そして賃金が限界生産性に等しくなるということを言うのにあと2つ必要:
3. 限界生産性は(労働者以外の要素が一定で)労働者が十分に多いとき、労働者がさらに増えるにしたがって下がっていく(限界生産性逓減の法則)
限界生産性ってのは従業員が増えたときの売り上げの増え方なわけだが、その増え方は徐々に減ってくということ。
これが重要。この仮定のもとで、労働者の価格(賃金)が与えられたとすると、もしも限界生産性がその労働者の価格よりも高いとすると、限界生産性ってのは労働者以外を一定にして労働者を1人増やしたときの売り上げの増加なわけだから(上の※も参照)、
売り上げの増加 = 限界生産性 > 労働者の価格 = コストの増加
となり、つまり1人増やしたほうが利益は増える。そうして 限界生産性 > 労働者の価格 である間は労働者の数を増やしていくわけだが、3 により次第に限界生産性は下がってくるので、最終的に 限界生産性 = 労働者の価格 となるところまで増える。(論理的にはイコールでなく≦となるんだけど、これは労働力を連続的な量じゃなくて離散的な量にして、微分じゃなくて差分で限界生産性を定義したからで、あんまり本質的でもないし、大雑把に見ればイコールになるんだということで気にしないでくれ。) 限界生産性がその労働者の価格よりも低いときは、従業員を減らすとコスト減が売り上げ減より大きく、利益が増えることになるので、減らしていって結局イコールらへんで落ち着く。
というわけで、限界生産性原理が出てくるわけだがこれってどういうことだろう? 限界生産性で賃金が決まったんだろうか? 賃金は最初に与えられたとしたのに? 普通に考えて、決まったのは、ある賃金のもとで雇おうとする労働者の数だ。つまり決まったのはこの生産者の企業の労働需要(曲線)なのだ。wikipediaの労働経済学のとこにも
労働の需要主体は企業である。ミクロ経済学によれば、企業の労働需要(雇用量)は実質賃金と限界生産力が一致するように決定される。
と書いてある。(その下に賃金決定の理論というのも書いてあるがとりあえずそれはスルー。) もちろん教科書にも普通に同じ意味のことが書いてある。
ここまでくれば賃金の決まり方はわかったようなもんだ。需要と供給で決まる、ってそれは最初からわかってるか。わかったのは、限界生産性が賃金と等しくなるということと、賃金は需要と供給で決まるということの関係だ。
限界生産性は各企業の労働需要曲線を決める。そしてこれを足し合わせればマクロな需要曲線がでてくる。足すってのは価格ごとの需要量を足す。でも、なんでも足し合わせればいいんじゃなくて、同じような労働力の需要について足す。プログラマーだとか、経理がわかる人だとか、コンビニ店員ができる人(ほとんど誰でもいい)とか。あと地域もある程度限定して足すもんだろう。そんな風にすれば首都圏で働けるプログラマーのマクロな需要曲線なんかがでてくる。そしてそれと供給曲線の交点によって賃金が決まるってなわけだ。
ここで供給曲線というものにも注意。さっき、限界生産性でなにか(ってのは賃金じゃなくて労働需要曲線)が決まるとしても、生産物の価格が影響すると書いたが、賃金が決まるにはさらに供給曲線の影響もある。半分って書いたのはそういうこと。
というわけでそろそろ論争のまとめ。上に見てきたように、賃金は限界生産性に関することと供給曲線と生産物の価格(これは2'の定義だと限界生産性のとこに含まれ、2だと含まれない。けどどっちにせよ影響はする)によって決まる。山形の最初の議論は、供給曲線と生産物の価格(これらには関係がある)に関することで、それが賃金に効いてくるということだった。それに対し池田は賃金は限界生産性で決まるんだ、とイチャモンをつけた。つまり山形のそれに対する反論のとおりで批判になってない、ってことだろう。あとはなんかごちゃごちゃ言い合ってただけ。
…。まとめとかいってもすでにありふれた見解で全然面白くねーよって? そうですね。そうでした。ついでに池田の間違ってるっぽい発言を(山形はあやしいのは多いのだけど、間違ってるってほどでもない)挙げて、どう間違ってるか書こうかと思ってたんですが、もうかなり疲れてぐったりしてるので、探して挙げるのはやめます。
1つの企業だけ見れば、賃金は限界生産性によって決まるんじゃなく、世間の水準としてすでに決まってて(1つの企業の需要を足したところで影響は無いし)、限界生産性が等しくなるのは、雇う人数を調整するから。
というのが正しいのだけど、これと矛盾してるあたりです。各自で読んでください。ぼくが思うには池田は限界生産性原理のなんたるかがわかってません。山形は限界生産性自体がなんかあやしい(「各人の限界生産性を足しあわせて平均することになりますな」とか。意味が通るように「各人の限界生産性」ってのを好意的に解釈することもできるけど…)。