はてなキーワード: モンティホールとは
「
小問1 ドア3つに対して当たりが1つのとき取りうる組み合わせは何パターンか→3
小問2 ドア3つに対してプレーヤーが一つを選べるとき選択肢は何パターンか→3
小問3 ドアの当たりとプレーヤーの選択の組み合わせは何パターンか→9
小問4 プレーヤーが当たりを選んでいるときの組み合わせは何パターンか→3
小問5 プレーヤーがハズレを選んでいるときの組み合わせは何パターンか→6
小問6 プレーヤーが選んでないドアのうちからハズレを一つ教わるとき、プレーヤーがハズレを選んでいた場合、ナレーターのドアの選択肢はいくつか → 1
小問7 プレーヤーが選んでないドアのうちからハズレを一つ教わるとき、プレーヤーが当たりを選んでいた場合、ナレーターのドアの選択肢はいくつか → 2
小問8 プレーヤーがハズレを選んでいたとき、ドアの中身とナレーターの選択の組み合わせの総数はいくつか → 6(6*1)
小問9 プレーヤーが当たりを選んでいたとき、ドアの中身とナレーターの選択の組み合わせの総数はいくつか → 6(3×2)
小問10プレーヤーがハズレを選んでいたとき、プレーヤーが選択を変えずに当たりを引くパターンせはいくつか → 0
小問11プレーヤーがハズレを選んでいたとき、残り一つのドアにプレーヤーが選択を変えた結果当たりを引くパターンせはいくつか → 6
小問12プレーヤーが当たりを選んでいたとき、プレーヤーが選択を変えずに当たりを引くパターンせはいくつか → 6
小問13プレーヤーが当たりを選んでいたとき、プレーヤーが選択を変えた結果当たりを引くパターンせはいくつか → 0
小問14最初ハズレを選んでいたプレーヤーが、ドアを変えたとき当たりを引く確率は → 6/6
小問15最初ハズレを選んでいたプレーヤーが、ドアを変えないとき当たりを引く確率は → 0/6
小問16最初当たりを選んでいたプレーヤーが、ドアを変えたとき当たりを引く確率は → 0/6
小問17最初当たりを選んでいたプレーヤーが、ドアを変えないとき当たりを引く確率は → 6/6
小問16プレーヤーが最初当たりを選んでいた確率は → 3/9
小問17プレーヤーが最初ハズレを選んでいた確率は → 6/9
小問18ドアを変更しするプレイヤーが当たりを引く確率は → 3/9×0/6+6/9×6/6 = 6/9
小問19ドアを変更しないプレイヤーが当たりを引く確率は → 3/9×6/6+6/9×0/6 = 3/9
」
これなら誰でも絶対わかるだろ!
出題者がコミュ障!
コミュニケーションの問題を数学の問題だと勘違いするコミュ障の問題!
*ただし、20行の文章を読めないもの、場合の数・分数・確率の計算が出来ないものや単純な計算問題ができないものは存在しないものとする。いねえよなぁ!
確率というのものは、数学的構造としては面積とほとんど全く同じなんですよね。
つまり、重なっていない土地の面積は足すことができるとか、重なっている土地を合わせるときは重複を差し引かないと合計面積にならないとか、そういうことです。
普通の意味での面積との違いは「全体の面積は1」ということだけです。
(これを測度論的確率論と言います。より詳しく言うと物理的な面積にとって意味のある測度はルベーグ測度ですが確率空間の場合はそれに限らないため、無限要素数や連続体濃度が関わってくるときに違いが出てくるわけですがまあそれは普通は考えなくていいことです。)
面積とほとんど同じ意味しか持たない確率という構造それ自体に「ある特定の家族の子供が女である確率」とか「家族を100組集めてきたときの頻度として子供が女である確率」とかいう意味を自然に持たせることは不可能です。
そこはユーザーが別途やるしかないわけです。具体的には、面積の切り方のパターンを全列挙してこの面積はこういう意味(ある特定の家族の子供が男であるという意味、など)、この面積はああいう意味、という感じで、面積の切れ端と表現したい意味の対応づけを逐一定義する必要があります。これをやって初めて意味を踏まえた確率の議論ができるようになるわけです。
(これがσ加法族および確率変数の定義ということになります。)
モンティホールや元増田の設定などで毎回毎回議論が紛糾するのは、議論している人それぞれが頭の中に浮かべている面積の切り方のパターンと意味づけが異なっているからです。違うσ加法族、違う確率変数についてあーでもないこーでもないと言っているわけです。違うものを議論しているので意見が一致することはありません。
確率という構造およびそれと現実との対応について、何を明記すれば同じものを考えていると思ってよいかを整理したのがコルモゴロフの測度論的確率論の偉大な成果です。これは現実における確率の議論において避けることが絶対にできないものですが、中学高校の教育課程ではこのことを巧妙に避けて教えようとしているのが問題ですね。結局失敗して確率を国民に理解させられないままになっているから毎度紛糾するわけです。
まともに議論をしたければ、自分が想定しているσ加法族(面積の切り方のパターン)と確率変数(標本空間から実数値への、想定したσ加法族に対して可測な写像)を明示しましょう。それ以外に解決法はありません。
その「等価な2つから選んでいる」感覚が直感が起こす錯覚だ、というのがモンティホール問題の肝なんだろ・・・
9999のドアの話で言えば、再選択の時のディーラーからの問いは「Aひとつか、A以外の9998か、正解が入っているのはどーっちだ?」という事なんだよ。
それが「外れドア9997個を取り除く」工程を挟む事で分かりにくくなっている、という話。
まず第2の参加者ハギーがいたら、という話。
ディーラーが山形とハギーの両方に「選択を変える?」と聞けるのは「山形かハギーのどちらかが初手で正解を選んでいる」ケースに限る。
言い換えると「山形もハギーも初手不正解」ケースを除外している。
起こりうる全ケースから恣意的にいくつかのケースを除外しているんだから、そりゃ確率も変わる。
山形から見てもハギーから見ても選択を変えて正解になる確率は50%だ。矛盾はない。
それから、どうして外れの扉を選択肢から除外する事が「最初に選ばなかった側」にだけ有利に働いて、「最初に選んだ側」には影響しないのか。
これも簡単な話で、モンティホール問題というのはそもそも「選ばれた1つ」と「選ばれなかった集団」の比較の話だからだ。
ABCという3つの扉に対して「選ばれたA」が正解である確率は 33.3%、「選ばれなかった集団BC」に正解が含まれる確率は 66.6% だ。
当然単独の A と集団の BC では BC の方が正解を含む確率は高いが、
BCを選んだ場合正解にたどり着く前にもう一回2択を引き当てなくてはいけないというデメリットがある。
ディーラーがBCから外れドアを除外してくれるのは、この「BC集団を選んだ場合のデメリット」を取り除いてくれる行為なのだから、「初手でAを選んだ事」を有利にする効果などあろうはずもない。
いざ人に聞かれた時に説明できないものが多くて悔しい。分野偏っちゃったけど、適当に補完してほしい。
イメージとしては、原理自体はそう難しいものではないけど理解に時間かかるものを想像してほしい。
学びたてのときは理解している。今だと解説記事や解説記事を更にわかりやすくした記事等があるから理解には困らない。
人に解説することだって容易い。準備期間あったらちょっとした講演くらいできるとさえ思う。
だからしばらくして人に聞かれた時、自信満々に答える。
君も過去の私と同じ疑問を持ったのか、よし教えてあげよう。「まずこれはこうでしょ、そして…」
あれ?自分は今何を言おうとしていたんだ。頭が真っ白になる。
まず、の後が続かない。どうして。
忘れていることを忘れる、というか。すごく恥ずかしい。