はてなキーワード: プラットフォームとは
ついに巷で言われていたオープン予定の6月がやってまいりましたが、
自分の周囲のアンポンタン共は月末凄い事になると息巻いています。
どうやら、6月末にプレメンのみでクローズドβとなるようです。
このあたりの内容は月末まで保留しとくしか無いです。
しかしまあ、今まで言われている内容が全て盛り込まれたサービスだと考えると、
クローズドβから3ヶ月でリリースされるというのは凄い。驚異的。(これは皮肉ですよwww)
個人的な予測では、何らかのモノはリリースするだろうと思ってはいます。
それが今まで言われているような物なのかどうかは別として。
こういった奴を利用するんじゃないかと邪推しています。
まあ、こういうのだと楽ですわ、構築も。これにユーザー周りのシステム入れるだけだし。
サービスパッケージのType-aW、Type-fW、Type-iW、この辺りはアバター可能だし。
ただ、今までプレメンから聞いたものとはちょっと違っているので、
全然別なものが公開される可能性もありますね。産業スパイも狙ってるしwww
まあ、知人数名がズッポリ逝ってしまっているので、成功する方が良いのは良いんでしょうけど、
この手のマルチでサービス自体が大成功(≠儲かった)で皆がニコニコって話を聞いた記憶はないので、
本当に投資ではなく投機、もっと言えば投棄に近いお金の使い方ではあります。
しかしながら、今まで平々凡々と生きていた人間が豹変する訳です。
"俺は新しいビジネスをやっているのだ"
"誰も理解してくれない物を最初にやるから儲かる"
"みんな一丸となって成長している"
"一生サラリーマンなんて"
ここまでヤラれちゃうのは何故なのか。
それは恐らく、セミナーに自己啓発的な要素が多分に含まれている事が原因なんでしょう。
自己啓発セミナーに引っ掛かる人は純粋なんですよね、ある意味。
自分は前に興味本位で自己啓発セミナーに参加した事がありますが、アレは物凄い熱狂的な空気になります。
最後の方なんか「今までの自分は忘れました。新しい自分になりました」とか言って号泣する人も出てきます。
そこで「バッカじゃねえの」とか呟くと、すぐに追い出されます。自分ですが。
その名前は変われどトップ集団が同じだったりします。
まあ、癖になってるかそれでしか生きていけないんでしょう。
ってかね、どうして引っ掛かるのかってのが自分の中で全く理解不能です。
んで、此方側は調べた事実を提示して説得するので、引っ掛かる人の思考を完全理解出来ていない。
だから、知人を説得する事が出来ないのかも、とか最近気が付きました。
また、ぼちぼち調査なんかしてみます。
発言者 | 内容 | パーマリンク |
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@tsuda | 「iPhone、Androidの登場が世界の携帯電話を変え始めた」という研究会に来ました。nobiさんに中継いいよとOKもらったので今日は力を抜きつつやります。 | 2009/05/29 18:09:12 |
nobi | 「iPhoneは今日の時点で世界81カ国で発売されている」 | 2009/05/29 18:10:32 |
nobi | 「今一番注目されているのは中国。来月には発売されるんじゃないかと言われている。まだ正式発売前だが、海外からの持ち込みだけで100万台以上中国にはあると言われている」 | 2009/05/29 18:11:19 |
nobi | 「今注目のアプリはocarina。楽器系のアプリだが、画面の地球儀をタップすると世界中で今ocarinaをプレー(起動)していることを世界地図でリアルタイムに確認できる」 | 2009/05/29 18:12:32 |
nobi | 「iPhone、世界で今2100万台出ている。touchは1600万台。世界で約3700万台のプラットフォーム。これまで携帯電話に興味がなかった人たちがiPhoneアプリの開発に乗り出している」 | 2009/05/29 18:13:47 |
nobi | 「USのapp storeで一番人気のゲームの売上は1カ月5000万円」 | 2009/05/29 18:14:24 |
nobi | 「アプリの全体の数は約30000。そのうち無料のappsが24%。有料appsが76%(3月時点)」 | 2009/05/29 18:14:59 |
nobi | 「内訳はゲームが22%、セガのスーパーモンキーボール。DS版は20ドルで売られている。iPhone版はその半額で売られている。中身的にはほとんど遜色ない。価格が安いの物理カートリッジと在庫リスクがないため安くできる」 | 2009/05/29 18:16:55 |
nobi | 「来月にiPhone 3.0が出る。売りはIn-App purchaseという追加コンテンツのシステムが導入される」 | 2009/05/29 18:17:31 |
nobi | 「IT業界の主戦場はパソコンからケータイへ移動しつつある。Googleもパソコンの時代ではなくケータイの時代と認識しているんじゃないだろうか」 | 2009/05/29 18:18:21 |
nobi | 「孫正義さんがそもそもボーダフォン買った理由は、パソコンは一日1~2時間しか使わないもの。しかしケータイは一日中使う。だからボーダフォン買ったと言っている」 | 2009/05/29 18:19:18 |
nobi | 「Google、MySpace、Facebook、Twitter、digg、USA Todayといった大手サービスからメディアまでiPhoneにデフォルト対応している」 | 2009/05/29 18:20:04 |
nobi | 「日本にいると実感できないが、世界ではiPhoneの存在感がすごい。TIME誌でも初心者向けiPhoneアプリの記事を掲載した」 | 2009/05/29 18:20:56 |
nobi | 「何でこんな会を主催したか。理由は日本のIT業界にはイチローや松井のような凄い技術者がたくさんいる。そういう人を欧米の人に紹介する仕事を最近している」 | 2009/05/29 18:21:45 |
nobi | 「よく、日本の携帯電話はガラパゴスと言われるが、ガラパゴス化しているのは携帯端末ではなく「人」である」 | 2009/05/29 18:22:14 |
nobi | 「今年末に世界で一番英語人口が多い国は中国になる。インドのIQトップ25%の数は米国を上回っている。世界は急速に変わりつつある」 | 2009/05/29 18:23:01 |
nobi | 「iPhoneが発売されたあと、テレビでは248の番組が特集をした。しかし、どこも行列と絵文字ないとかおサイフケータイ機能はないとかそういうネガティブなものばかりだった」 | 2009/05/29 18:23:58 |
nobi | 「日本のiPhone。昨年末で40万台。現在の数字はわからないがSBケータイのかなりの割合が今はiPhoneになっているのではないか」 | 2009/05/29 18:24:48 |
nobi | 「iPhone出てきてから人々の暮らしにも変化が起きている。GoogleのアクセスはiPhone発売されてからデータ使用料が30倍になったそうだ」 | 2009/05/29 18:26:18 |
@tsuda | (補足)携帯電話経由のGoogleへのトラフィックが増えたってっぽい | 2009/05/29 18:27:14 |
nobi | 「iPhoneを社員全員に配った会社、社員は出社時の移動時間にメールチェックをすることで一日の時間を効率的に使えるようになる、という効果が出たという」 | 2009/05/29 18:28:17 |
nobi | 「ブラウザシェアの話。NOKIAとサムソンとLGがSafariのウェブキットベースのブラウザ。約3分の2くらいのケータイブラウザのシェアはSafari」 | 2009/05/29 18:29:27 |
nobi | 「日本の端末はなぜダメなのか。iPhoneは売った後もお金が落ち続けるしぶといビジネスモデルになっている。iPhoneの似たパクリ後発モデルがなぜ弱いか。iPhoneは発売に際して200の特許を押さえている。そのコントロールをAppleがうまくやっているので後発は難しい」 | 2009/05/29 18:31:48 |
@tsuda | 続いて日本発で全米ナンバー1アプリを出した株式会社パンカクの柳澤さん | 2009/05/29 18:32:31 |
柳澤 | 「LightBikeというゲームを出している。一人用だが、1台で2人対戦したり、2台で2人、4人対戦することもできる」 | 2009/05/29 18:33:34 |
柳澤 | 「最初は無料版を出して人気が出てランキングが出た時点で有料版をリリース。現在は150万人以上にダウンロードされている。全世界の4~5%のiPhone / touchにインストールされているということ」 | 2009/05/29 18:34:29 |
柳澤 | 「レビューの評価も高く、50%くらいは5つ星が付けられてる」 | 2009/05/29 18:34:51 |
柳澤 | 「新OSで何が変わるか。それはi-modeが決済機能をCPにもたらしてケータイコンテンツ市場やビジネスモデルが生まれたような革命がiPhoneにも起きる」 | 2009/05/29 18:36:31 |
柳澤 | 「最近のiPhoneアプリの傾向。全体的には単価が安くなってきている。Appストアではランキングに入ることが重要。そのために1ドルで販売しているアプリが多くなってる。LightBikeも今は2.99ドルだが、最初はセール価格として1ドルで販売した」 | 2009/05/29 18:37:58 |
柳澤 | 「アプリ単体で継続的に収益をあげるのは難しくなりつつあるというのが現状。ただし、違った傾向として広告ネットワークが充実しつつある。無料のiPhoneアプリに広告を入れることで大金を手に入れているベンダーも出ている」 | 2009/05/29 18:38:52 |
柳澤 | 「今後は無料+広告、またはコンテンツ課金といった方向にどんどん移っていくのではないだろうか。Facebook上のソーシャルゲームを出しているベンダーも今後はiPhone市場に参入してくるだろう」 | 2009/05/29 18:39:45 |
柳澤 | 「今後は弊社も売り切りよりもコンテンツ課金を考えていく。ネットワーク対戦ゲームを無料で配布し、アバターやアイテム課金、プレミア課金などの特典を用意することで安定的に収益を上げていこうと考えている。あとはiPhone以外のプラットフォームにも対応していく予定」 | 2009/05/29 18:40:44 |
@tsuda | 続いてCRIミドルウェアの幅さん | 2009/05/29 18:41:28 |
幅 | 「花形の会社ではなく、黒子的な存在の会社。今日のテーマは「ゲーム開発者はiPhoneが好き?嫌い? ゲームクリエイターのiPhone参入意欲」です」 | 2009/05/29 18:42:35 |
幅 | 「うちの会社のゲーム用ミドルウェアは全世界1900作品、約2億枚に使われている」 | 2009/05/29 18:44:14 |
幅 | 「うちが得意としているのは音声映像圧縮。FM-TOWNSからそのあとのゲーム機の設計を手伝ったりしている」 | 2009/05/29 18:45:22 |
幅 | 「iPhoneに興味があるか、調査を行った。iPhoneに興味があるか。97%が興味を示した。会社としての取り組みは開発している、開発予定を合わせて7割程度は開発に関わっている」 | 2009/05/29 18:46:25 |
幅 | 「もっとも魅力的なポイントは何か? マルチタッチの部分。あとは市場規模の大きさ、アプリ購入の手軽さ、価格の自由度など」 | 2009/05/29 18:47:07 |
幅 | 「開発しているアプリの価格帯は700~1200円というプレミアムアプリの価格で販売するベンダーが24 | 2009/05/29 18:47:40 |
幅 | 「開発しているアプリの価格帯は700~1200円というプレミアムアプリの価格で販売するベンダーが24%いた」 | 2009/05/29 18:48:02 |
幅 | 「一番面白い結果は、iPhoneアプリの開発部門のトップが家庭用ゲーム部隊が32%、ケータイゲーム部隊が24%だった。ゲームメーカーも主力を投入してiPhoneゲームを作ろうとしている」 | 2009/05/29 18:49:13 |
幅 | 「ミドルウェア作りたいかという質問はほとんどが欲しいと答えた。ミドルウェアに求めるものはオーディオがトップ。その次に3D再生」 | 2009/05/29 18:50:06 |
幅 | 「結論としては、ゲームクリエイターはiPhoneに興味津々で、使いやすい開発環境を求めている」 | 2009/05/29 18:50:34 |
幅 | 「新しいミドルウェアを開発中。CLOUDIAというクラウド対応型マーケティング支援ツールです。詳細は後日発表しますが、基本的にはメーカーがソフトをAPPストアでうまく売るための支援という位置づけ」「 | 2009/05/29 18:52:49 |
@tsuda | 続いてアプリ開発、この研究会主催のAPPLIYA株式会社社長の椎谷(しいや)さん | 2009/05/29 18:53:46 |
椎谷 | 「iPhoneアプリ市場の分析及び今後の展開について話します。我々はTOP100に入るアプリの動向を毎日調べている」 | 2009/05/29 18:54:45 |
椎谷 | 「日本の場合、出ては消え、出ては消えという出入りが激しかったが、4月以降は人気アプリが定番化して消えなくなっている。この傾向は米国では1月くらいから起きている」 | 2009/05/29 18:55:20 |
椎谷 | 「インフルエンサー的アーリーアダプターなiPhoneユーザーがいろいろ試しながらやっていた時代から、もうちょっと普通のユーザーが入ってきた結果じゃないか。ランキング1位が滞在する日数は日本は最大15日、米国は最大25日。日本の方が回転が速い」 | 2009/05/29 18:56:32 |
椎谷 | 「日本のランキング100位に入っているアプリの割合、38%がゲーム。エンタメが9%、写真が11%」 | 2009/05/29 18:57:36 |
椎谷 | 「米国の場合、ゲームが52%、エンタメが11%。圧倒的に娯楽中心。日本の方がiPhoneの多様な機能を使いこなすユーザー性向があるんじゃないか」 | 2009/05/29 18:58:25 |
椎谷 | 「TOP100の平均価格。日本の方が全体的に高かったが、日本が下がってきて近づきつつある。価格帯はほとんど日米の差はない」 | 2009/05/29 18:58:59 |
椎谷 | 「上位TOP10に価格帯を限定すると、米国は8割が安いもの。日本はそこが分散化していて、日本のユーザーは比較的高くても買っている」 | 2009/05/29 18:59:45 |
@tsuda | 続いてパネルディスカッション。ここから孫正義さんの弟で、APPLIYA取締役の孫泰蔵さんが加わる | 2009/05/29 19:00:30 |
孫 | 「iPhoneが何台売れてるのかは言えないのだけど、iPhoneはずっと売れ続けている。これは従来の携帯電話とは違う。その意味で累積の出荷台数は増えている。可能性に気づいてチャレンジしてる人がたくさんいて世界的に起こっているというところに新しいパラダイムが来ていることを感じた」 | 2009/05/29 19:01:57 |
@tsuda | 質疑応答 | 2009/05/29 19:02:34 |
ナターシャ立薗 | 「海外だと台数がわりかし出てるけど、なんで日本では出さないの? 開発者にとっては重要なデータでしょ」 | 2009/05/29 19:03:12 |
nobi | 「SBとアップルの関係で表に出せないだろう。ただ、周辺のデータから類推はできる。英国は100万台いった、フランスも100万台いった | 2009/05/29 19:04:28 |
nobi | 「これらは公表されている。恐らく日本も100万台いったら公表されるだろうし、それに近い数字になっているんじゃないか」 | 2009/05/29 19:05:13 |
小学館山本さん | 「米国の方が圧倒的に安い。低価格なものばかりだと消耗戦になるんじゃないか。プレミアム層で勝負したいが、それでうまくいってるアプリの傾向を教えてほしい」 | 2009/05/29 19:07:32 |
椎谷 | 「売れるものはソフトの作りがしっかりしている。アプリはメディアで取り上げられるということも重要。パンカクさんとうちは日本ではあまりランキングでは差がなかったけど、米国では差が付いた。米国では向かい合って二人でスタイルとして向こうで受けた。そう予測している」 | 2009/05/29 19:09:20 |
椎谷 | 「日本で高いアプリが売れるのは、日本はまず携帯リテラシーの高さがあるんじゃないか。高いものでも価値があればそれを評価する土壌がある。米国のように低価格競争に乗らなくても大丈夫だし、日本発でプレミアムなものを輸出することもできるんじゃないか」 | 2009/05/29 19:10:31 |
@tsuda | 質問「iPhoneマーケットで一番可能性として感じているところは」 | 2009/05/29 19:11:07 |
nobi | 「昨年のクリスマス商戦、iPhoneはAndroidの6倍売れました。Androidはこれからおもしろくなっていく。ユーザビリティーでまだAndroidに追いついてない。iPhoneはアプリのアフェリエイトなんかも含めてうまくエコシステムができている。周辺環境もこれから」 | 2009/05/29 19:12:51 |
nobi | 「企業で使うスマートフォンだと、iPhoneとブラックベリーがまだまだ強いんじゃないか。企業向けの機能がしっかりしている | 2009/05/29 19:13:34 |
柳澤 | 「Androidも面白いプラットフォームだが、ゲームを作ろうと思うと、CPUクロックやグラフィック性能がDS並にiPhoneはあるがAndroidはそこまでパワーがない」 | 2009/05/29 19:14:42 |
幅 | 「iPhoneはOSと端末両方を指し示すが、AndroidはOSだけ。開発者がxbox向けのゲームを試しにiPhoneで動かしてみたら、動いた。iPhoneはカタログスペック以上のパワーがある」 | 2009/05/29 19:16:16 |
孫 | 「iPhoneとAndroidを単純に比較するのは間違い。iPhone以上のスペック持ったAndroid端末もこれから続々出てくる。AndroidはiPhoneやDSやPSPのようなfixedなプラットフォームじゃなくてもっと機能や性能もバラバラ。違った進化をするんじゃないか」 | 2009/05/29 19:19:05 |
@tsuda | 以上で終了。 | 2009/05/29 19:19:31 |
@tsuda | さっきの質問の>質問「iPhoneマーケットで一番可能性として感じているところは」←これ、「iPhoneとAndroidを比較するとどうですか」くらいの質問の方がいいな。 | 2009/05/29 19:21:41 |
最近の任天堂って何もしてないね。これまでずっと、「調子こいてんのかな」と思っていたけど、これは戦略なんじゃないかって思えてきた。
あれだ。任天堂の出番をワザと減らして、他社のソフトが目立つようにしてるんじゃないかしら。DSはそうでもないけど、Wiiなんか、なぜか任天堂のソフトしか売れてないってのは周知の事実となりつつあるからなあ。そのことも踏まえてか。真剣な次期プラットフォームとして、Wiiが検討されていない現状がある。
そういうこともあって、開発を手控えているんだろうか。やっぱり、DSやWii初期の攻めの姿勢と比べると、現状は余りに不自然。そうとでも考えないと、理解できないんだが。
39:名無しさん@九周年:2008-08-30 00:52:39
15m:着水時に骨を折ることがある。地面に身体の側面を打つ
場合、生存率50%
75m:着水の場合の致命的落差。130km/h以上での衝突に
相当。
76m:ゴールデンゲートブリッジの水面からの高さ。落水972名
生存者19名 生存率1.95%
低空飛行したとしても、かなり水平に着水出来なければ、機首
ここ最近の流れ
2月
3月
それ以降
バンダイナムコのPS3回帰傾向を考えると、「エースコンバット6」も移植の可能性が出てきた。
ついでに「アイドルマスター」もなんだかんだで移植されそうな予感がしているのは俺だけだろうか。
既に様式美と化しつつある「まいにちいっしょ」のクロのアイマスに対する異常な執心っぷりやPSP版発売、「PS home」での専用ブース開設などを考えると、いつ発表されてもおかしくない状態のような気がする。50GBまで使えるBDなら音声も入れ放題だろうし。
あと、XBLAで配信が決定している「電脳戦記バーチャロン オラトリオタングラム」も、やっぱりPS3でも出そうな予感。海外ではレーティング機関に「マルチプラットフォーム」で申請しているらしいし。
「プラットフォーム側に回る」ではなく、「Toolmakerになる」ほうが儲かるのではないか?
「プラットフォームメーカー」ではなく「ツールメーカー」が儲かるのではないか。
ニコ動やYoutube、Windowsは巨大なプラットフォームだが、単体で儲かってはいない。
「遊び場を提供する」ではなく「遊びに必要な道具を売る」ということだろうか。
ゴールドラッシュの頃、金を掘っていた連中よりも、連中にズボンを売っていた組織が大儲けした。
バイオテクノロジーが花形だった時、バイオそのものではなく、彼らにヌードマウスを売っていた会社が大儲けした。
>新さんが挙げるのは、「イノベーションを敏感にかぎわけ、プラットフォーム側に回る」
なるほど、すると自由度の高いMMORPGって、ゲーム自体がゲームのプラットフォームみたいなものなのかな。
その場で遊びを考えつくのがうまい人や、そういうのに乗っかって遊ぶことに抵抗がない人には楽しそう。
ただ、ゲームで示される目標を達成する遊び方に慣れている人には、なじむのが確かに難しそうだ。
「どうぶつの森」ではスタート時点からたぬきちのバイトとかあって、手厚くケアされるんだよね。それが終わっちゃえばほったらかしにされちゃうけど、最低限の遊び方はもうわかっているように作られてる。
MMORPGも、ああいう丁寧で短いチュートリアルを最初だけ持ってくればいいかも。これがどんなゲームなのかわかりやすくなって、自分に合わないゲームをえんえんさまようこともなくなりそうだ。
→これは無理だろ。むしろ、既にほぼ実現している量子暗号が実用化されて、国家機密とかは暗号化が完璧になりそう。
→日本でやっていないだけで、韓国では既に社会保険番号というIDで国民総背番号制やっている。韓国のサイトでユーザ登録しようとすると、社会保険番号入力欄があって何書けばいいのかわからずあせる。
生涯IDは不変。
あらゆるものがタグ化。
→バーコードで十分じゃね?RFIDが今より普及するかもしれんが。
全員が自宅勤務。
→それはないだろう。むしろ、情報セキュリティが厳しくなって、仕事を家に持ち帰れず、会社でしか仕事が出来ない方が普通になると思う。
テレビ電話の機能が大幅に上昇。
→機能の上昇より、テレビ電話と普通の電話で通話料が代わらなくなる方が可能性が高いのでは。
→音声から文字列への変換は、既に実用レベルで出来ている。パソコンでも普通に動く。キーボード入力は、数十年後でも、二つ理由で残ると思う。一つは、喫茶店とか公の場では、みんなが喋って音声入力したら、うるさくてたまらないから、キーボード入力の方が向いている。もう一つは、音声入力が完璧でも、人間が言いよどんだときに、「~まで戻って」とか口で説明するより、Backspace押した方が早い。
→身振り入力より、マウス入力の方が多くの人にとって楽だと思う。手話入力がOSに標準装備されるようにはなるかもね。
すべての乗り物は共有財産となり、最小のコスト、かつ最速で目的地に着けるようになる。
→共産主義ですか(笑)まぁ、無料自転車があるぐらいだから、無料車ぐらいは町を走っていて欲しいが。それより、高齢化社会だけど地方では車がないと生きていけない、というニーズから、自動車の自動操縦が一般化すると思う。
→これは、普通にありそうだ。
あらゆる言語がお互いにリアルタイムで翻訳できるため、言語の違いに意味がなくなる。外国語の授業がなくなり、英会話教室は軒並み廃業
→まさしく俺の専門なんだけど、うーん、どうかなぁ。数十年後なら、「外国人に道を聞かれて答える」みたいな英会話なら、携帯端末でリアルタイム翻訳できていてもおかしくない。ただ、巷の英会話教室は、英会話がやりたいというよりもビジネスで英語を使いたい人のためにあるわけだ。ビジネスで英語を使う場合、結局、「訳し間違い」や「発言し間違い」の責任を誰かに取ってもらわないといけないから、やっぱり、英語力は必要になるだろうね。ただ、必要とされる英語力のレベルや種類は変わってくるかもしれない。
遺伝子の解析によって将来罹患する疾病の内容や時期がわかるため、予防医療が急速に発達。
→まぁ、そうなると思うけど・・・むしろ、遺伝子の解析によって、個人で医療負担額が変わる、とかいう方が先になると思う。
→一人でやるゲームは残ると思う。テトリスとかソリティアとか、別に、オンラインになってもらっても困るし。
オンラインゲームのインターフェースがすべてのアプリケーションのインターフェースを侵食する。
→何がいいたいのかわからん。
→「すべて」っていう言葉を気軽に使いすぎ。まぁ、ネットでの出会いが今より普通になるとは思うけど。
CPUの演算があまりにも早いため、プログラムの効率性がどうでもよくなる。
→「僕も若い頃、計算機の進化が早いから将来アルゴリズムの高速化の研究は廃れるかなぁ、と思いつつ、アルゴリズムの高速化の研究を30年やったけど、どうやら、世の中そうはならないみたいです。」離散アルゴリズムの第一人者の教授の言葉。結構感動した。
それに対して通信速度はそれほど上がらないため、ローカルでできることはローカルでやろうとすることが増える。
ユーザの挙動が常にモニタリングできるので、インターフェースの問題点の解決が異様にはやい
→これも、何がいいたいのかよくわからない。
→それはありえると思う。
画像解析技術と検索によって、誰がどこにいるかがすぐにわかる。
→画像解析技術が進歩しても、肝心の画像データがないとどうにもならないぞ。監視カメラが増えるかどうかは、技術じゃなくて社会の問題だろう。衛星写真から個人を特定するのは、物理的に限界があるだろう。ただ、「この点の人物を追跡しろ」みたいなことは出来る(あるいは、既に出来ている)と思うけどね。
社会のシミュレータが発達するので、政府が施策を打つまえに何が起こるのかがわかるようになる。
→経済分野に関しては、既に色々なシミュレーションを官僚(と日本銀行)がやって(政治家はバカだから)、対策を練っているのだろう。ただ、「地球シミュレータ」みたいに、政府が出資して「日本社会シミュレータ」とかいうプラットフォームを作り大学や研究所に研究を公募して、その上で色々な政策を実施してみる・・・ということはありえると思う。もっとも、そういうシミュレーションは、大抵の場合、為政者に「専門家チームの意見です」って報告がわたるだけで、専門家やシミュレーションを信頼しない為政者を選んでしまえば、シミュレーション技術がいくら進歩しても無駄。終わり。
天気予報が100%当たる。
→精度はあがるだろうが、原理的に100%あたるのはありえない。
検索エンジンがより進化し、あらゆる疑問に対して答えることができるようになる。
→自然文検索は、既に大御所がGoogleに対抗してやろうとして、Microsoftに買収された。Googleは、内部ではもちろん自然文検索の研究もやっていると思うが、外面的には自然文検索よりもキーワード検索の向上の方に注力する、と表明していて、それはたぶん正しい判断。
状況を判断して、自分が知りたいと思う前に必要な情報を教えてくれる。
→これは、ありえる。
JASRACが憎いのは分かるけど、今回の公取委の排除命令に関しては、冷静な議論を見かけない。ネットの上では。
テレビなら効果音だとかBGMで分単位だか秒単位だかで著作権の絡む楽曲を使ってるのだから、全曲管理するコストというのは相当なものだと思うけど。そして包括契約自体でもって独占禁止法違反、というか反競争的行為とみなすと言うのは訴訟まで持っていった場合勝てないんじゃないかなあ。まず「包括契約」=使い放題が実質的に値段を下げていると言う面で見ても、それが原価割れでもなければ「不当廉売」として反競争的とは認められないのは公取委自体がわかってるはず。(「不当廉売」は告発はたくさん出るけど排除命令の数がそこまで出てないのは、原価割れ基準を達成してない、単なるイチャモンだと公取委自体が判断してるからだろう。)あと、競合他社を締め出すと言う面からは、市場の囲い込みとして攻めるつもりかもしれないけど、これも直接に(つまり金銭的利益を経ずに)競合他社との契約を禁止するものでない限りは「参入排除」とは言えない。(「実質的」ていうのは危うい。競争ってもの自体が、「実質的には」ライバルを締め出して客を取るものなわけだから。)で、そしてこの件に関しては、そもそもの全曲管理のコストを考えると、それなりに包括契約はコストを節約するものだし、むしろ経済厚生を高めるものとして(あとはせいぜい分配上の問題があるけど)余裕で勝てそうだと思う。(まあ審判はともかく、日本の裁判官は競争法も経済自体も知らないからわかんないけど。公取委が排除命令で他の例としてあげているNTTとの訴訟がどうなるかによるのか知らん。音楽関連として挙げているものは、むしろ遠い例。これらは明け透けな参入排除っぽいじゃないか。というかこの補足がJASRACのお馬鹿さんにはヒントを与えないようによく出来ている。)
言ってみればJASRACの役割は(公取委の排除命令の補足の図で意識されているように)、権利者と利用者を仲介するプラットフォームなわけで、それ自体が音楽利用の「市場」になってるわけだ。で、コスト面だけで考えるなら「市場」は大きいほど効率的(楽曲管理や支払いの手間が減る)なので、単純に小さく分割すればいいとは限らない。もちろんシェアが拡大するほど価格を吊り上げようとするので、それが結果的に音楽利用を減らすことにもなりうる。ここらへんの綱引きは難しくて、じゃあどういう手立てがありうるのかってのは単純に解答が出るものじゃないけど、いずれにせよJASRAC自身も確かにバカでそこらへんをきちんと理論立てて言えてない(所詮は文化庁の役人が、競争法に弱い、たぶん知財専門の弁護士を頼っただけの理屈。というか日本の独禁法だけ見てもあまり経済的合理性でどう守れるかは分からないだろうけど。)
ましてブロガーwは感情論ばかりで経済的な理屈も独禁法自体もわかってない(というか同じ文章でJASRAC以外のものを当てはめてみれば、どれだけ独禁法を無闇に振りかざすことがあぶないかわかりそうなのに。)まあ公取委のほうは、どうせ裁判所も法律バカだと思ってるんだろうし、イケイケドンドンなんだろうけど。(どうもセブンイレブンのやつにしても、ビミョウなラインなのに社会的注目浴びそうなやつを攻めてる感じがする。景表法違反とか談合とかそういうので飽き足らず。)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090227_jasrac/
「また、以下のような主張も展開しています。しかし、どれもこれも的はずれでおかしいものばかりです。ド素人ならだませるのかもしれませんが、インターネット上では通じないでしょう。よほどJASRAC寄りの解釈をしない限り、擁護することすらできません。」
この次に続くGIGAZINEの議論が、独禁法の条文さえもなしってのはド素人が単に大声でわめていているだけにしか見えない。(まあ所詮GIGAZINE...だからこそ、「お前が言うな」と思ったんだけど。)そもそもなんでインターネット上には、競争法に関することでド素人が少ないのかが意味不明だし。(まあ実際、あれを読んでもわからなくて、ゴニョゴニョゴニョってのを読まないと何が具体的に反競争的行為として定められてるかわかんないんだけど。それくらいはわかるよなあ。ド素人でなければ。)
まあJASRAC憎し痒しで目がかすむんではなくて、これを気に少しでも法律(ってかお役人)に規律されなければならないような競争とは何かとか、公正な競争というのは具体的には何を指すのか、どうやって実現するのか、(あるいは実現する上でどんな限界があるのか)とか、もうちっと関心が高まればいいんだけど。単に公取委good jobというだけでなくて。(かくいう自分もそういう関心高まっても良さそうなところを攻めてること自体はgood jobだと思う。残念なのはアメリカでのマイクロソフトvsDOJの訴訟みたいに本格的な議論がなさそうなことで。)
せっかくなんで軽くまとめてみる。
始まりは夢がいっぱい。
今思えばこのころが一番楽しかった。
このころがピーク。
今後のことを考えて今までの5倍の広さにしました。
現状脱出を目指していろいろ試行錯誤。
この辺りからいろいろ壊れはじめる。
このころmixiが人気絶頂。
開発陣からはOpenPNE使えば?とか声があったが社長が一蹴。
独自なものにこだわる。
とはいえSNS=mixiなんで、結局mixiのサイトみて同じような機能をプログラミングする日々。むなしい。
この辺りからバカバカしくなる。
はてなのようなブックマークサービス→ソーシャルブックマーク追加
とりあえずいろんなサービス追加しまくってサイトはカオス状態。
私もここで退職。あとは聞いた話。
しかし効果がなかった!
しかしPGがたりない!
しかしPGがたりない!
倒産した。
いまここ
これなんて俺の会社?って思った人は注意です。
これでだいたい3年ぐらいの話です。
そのくせ「成功しないのは制作陣が悪い!」とか言っちゃう人でした。
でも、ダメになっていったのは5~6辺りでそれまでは立派な人でした。
これからのWebサービスとかデスクトップアプリケーション市場はActionScriptとC#の対立になると思っているんだけれども、
その2つを対比している事をあまり見たことがない。
それはたぶんプラットフォームの軸でまとめられているから黒子になっているんだと思う。
ActionScriptはFlashやAIRの開発言語で、それに対してC#はWPFやSilverlight。
Flash VS Silverlightは最近ちょくちょく目にするから対比構造はあるんだろうけれども
それがActionScript VS C#とはならないのはなんでかなぁ
/*
VSと書いたのは煽っているからだけど、もっとC#とJavaのようなイデオロギー紛争になっていも面白いのになぁ。
(ASがJava系譜の流れなんだから、AS vs C#の言語コンセプト論争もあってもいい気がするんだけれども)
畑が違うっていうけれどもAdobeもMSも向かっている所は似たり寄ったりで、
事実、技術採用の時にFlashか?Silverlightか?みないな話は水面下でちょいちょいあるはずだと思う。
(それで「やっぱりFlashかな」とかなるんだろうけど)
*/
仮にRIAっぽいことを目指すならFlashかSilverlightかを選択肢にあがるけれども、
そこにはプラグインの機能有無や普及の優劣の話しか持ち上がらない。
ビジネス的にはもっともな論点だけれども、
デベロッパから見た選択理由としてプログラミング言語のあれこれを考えないはずがない。
それなのにその考えが全然見かけないよ。
電波を受信したため、以下の妄想を書きなぐる。この文章に特定の意図など欠片も無いと言っておく
新作の度に増える東方界隈人口!そしてより一層進む「お客様化」によるトラブルの増加!界隈はこのやっかいな「お客様」の受け皿としての商業化を熱望した!そしてついに神主も本格商業化に踏み切ることにした。神主にしても自由気ままに作品を作るにはあまりに界隈が巨大になりすぎたという事情もあった。彼の同人活動は「のんべえ会」の非東方作品で続ける事となった。
プラットフォームがXBOX360と決まったあたりのゲハ板はいつものハード信者たちの罵り合いにくわえ、東方厨とアンチ東方厨が加わりいつも以上にカオスというかいつも通りであった。しかし「紅魔郷」からの本家が移植され、神主の気まぐれで長年放置されてきたレザマリバグだの文花帖号外だのといった懸案事項も開発チームが組まれることにより次々と解消され、界隈は商業化を快く受け入れることになる。まあソフトの値段が当然高くなったり、追加ステージの有料配信とかで金が吸い取られるようになったが、金を払うことによるファンの意識向上によりトラブルが以前よりも減少した事は特筆すべきことである。
コンシューマ化による他の変更点としては
第2章:アニメ化第1期第2期
ゲームのコンシューマ化と平行してアニメ化の話も進んでいた。制作スタッフはそこそこの面子である。第1期(全12話)は紅~妖の幻想郷パートと外の世界の秘封倶楽部パートが平行するという構成になっており。第1話が秘封パートから始まった事での困惑も大きかった。作画的にはいい時と悪い時の差が激しく、咲夜さんの登場回がちょうど作画の「谷」にぶつかり実況板が祭になった。一部ファンが作画のよかった美鈴のファンに八つ当たりする事も。ちなみにフランはDVD特典の特別編にのみ登場する。紅以降殆どストーリーに絡まなかった為である。そして第1期は八雲紫との弾幕戦と、秘封倶楽部のメリーとを重ね合わせるような構成で幕を閉じる事となる。
第3章:アニメ化第2期
DVDセールスも好調だったのか、1年後に「永夜」を扱う第2期(全26話)が放映された。何せ4チームそれぞれがバラバラの思惑で動き、時に敵対するという原作であるためか、アニメの時系列を殆どバラバラにして巧みに組み合わせるような感じで作られ非常に難解な構成となっていた。どれくらい複雑かといえば「第1話の冒頭が「永夜返し」から始まる」と言えばわかってくれるだろうか。あまりに内容が入り乱れるため脱落するファンも多かったが、作画は1期よりも格段によくなっており、とくに妹紅との弾幕戦の回は神回と評判が高かった。この放映後はソフトセルのみの「花」とか第3期と続いていくが省略する
第4章:同人界の流れ
アニメを見たりプレイしたり楽しむのみのライト層と、同人に漬かるディープ層の住み分けが進み、規模は漸増を続けていたが混乱は他作品の同人界隈と殆ど区別がつかない程度まで落ち着く。アレンジCDを出したりするときに多少の制約は増えた(例えばZUN以外の作曲家による東方曲の扱いについて)がそれ以外は特に変化は無かった。まあ「締め出しを食らった!俺たちは切り捨てられた」と騒ぐ大手アレンジャーの主語の大きいファンとかは少しばかりいましたが。
第5章:斜陽、冬の時代へ
隆盛を誇った界隈も、リリースされるゲームに決算期対策とおぼしいミニゲーム集が目立ってきたり、アニメが一通り原作を消化した事でなんとなく下り坂の黄昏に入っていく。神主はマイペースにコミケで作品を頒布し続けている。ファンもじょじょに脱落していき、残ったファンは細々と活動していく。まあ最初期に戻ったようなものである。
言い訳もあそこまでいくと見苦しいことこの上ない。
多分あの人のいいたかったことは
「時間が経つにつれて徐々に慣れていくことで常にグラフィックが進化し、ユーザーに驚きを与え続けられる」
って事だと思うんだけど、それってサードとユーザーを馬鹿にしすぎてるよな。
要はグラフィックがきれいにならないとユーザーは食いつかないってことだろ?
多分それは根本から間違ってる。少し前までは確かにそういう傾向にあったけど、
それはプラットフォームを提供している企業がそういう方針を採ってたからだよ。
サードがハードウェアを使いこなすのに時間がかかるせいで見た目ばっかりにこだわって中身が過去作の使いまわしになる。
作品の中身が進化しないまま見た目だけが向上していくんじゃ、見た目を判断の材料にするしかなくなるじゃないか。
そういう状況を作った張本人の発言としてはまぁ、しょうがないんだろうね。
考え方がちっとも改まってない、進化のない経営者だってのはよくわかった。
ずっとそのままでいればいいよ。結果はいずれ出るわけだし。
もうちょっと小規模で作って商売が回るようなカタチが出来上がればいいとは思うんですがね。
一人のユーザーとしてはもっと目新しい要素を盛り込んだゲームがしたい。
そういうのっていきなり金をかけては作れないから、小規模でビジネスできる場って絶対必要だと思うんですが
ネットワーク配信は結局大規模宣伝を打たないとパッケージより人の目に触れる機会が少ないので
ビジネスになりにくいって話もあるし。素人からすると小規模で商売になりそうって思っちゃいますけど。
市場を広げるって方向は、日本国内だと少子化傾向はわかりきっていることなので最初から無理、
海外はユーザーの嗜好の違い(そもそも嗜好を育てる文化そのものが違いすぎる)からして
両方で受け入れられるゲームなんてそうそう出来ないし、そもそも国内海外の両方で通用するブランドって
PS2時代までのように圧倒的に強力なプラットフォームの元でしか生まれないような気がする。
とするとWiiなのかなーとか思うけど、そもそもゲーム作りの根本から変わっているWii向けに
発想を転換できてる(もしくは出来る)ところがどんだけあるかというと、ファーストですら苦心してる感じだし。
どうするんでしょうねぇ。
本当は近藤さんに直接言いたいけど、どうせ言う機会なんかないので、ここに。
近藤さんは最近よく「任天堂のように」というけど、任天堂がWiiやDSを作った際に何をやったかといえば、「ファミコンを捨てた」ということです。パソコンや車をみればわかるように、基本的に製品というものは、より速く、より大きく、より格好良く、と直線的にしか進化しません。任天堂も過去に、ファミコンのヒットを受けて、その後、スーパーファミコン、Nintendo64、Gamecubeとファミコンの続編みたいなものばかり作って来ました。多少の違いはあっても、基本的なことは変わりませんでした。
ところが、それをしていたら、ソニーに奇襲をかけられてあっという間に市場をとられて、二世代連続で敗北しました。まだ歴史の浅いゲーム業界で、仮にも三世代失敗しようなら、市場から退場しなければなりません。そこで、任天堂がとった作戦は、それまでの基本を全部捨てることでした。これは言うまでもなくリスクが高く、インターフェイス命のゲームハードでコントローラーを変更するというのは、自殺行為と言ってもいいです。これは、それまでの開発ノウハウを、自社だけでなく、他社にも捨てさせることになるし、ユーザーがついてくるかどうかも未知数だからです。本来ならば、絶対にやってはいけないことを任天堂はしたのです。倒産だって可能性はあった。
じゃあ、そのリスクを少しでも埋めるために任天堂が何をやったかといえば、自社で大量にゲームを作り、ハードのよさをアピールし、市場を新しく作り直すことでした。そして、市場をできるだけ広げて、他社に参入する魅力を与えようと必死になりました(この辺は、任天堂の岩田さんの株主向け講演を読むとわかります)。この努力のおかげで、任天堂は息を吹き返すことに成功したのです(ドラクエがDSやwiiに戻ってきたようにね)。リスクをとりにいく、というのはまさにこのことで。単に冒険をするだけじゃなくて、その冒険を成功させるのに最大限の努力を行ったのが任天堂なのです。
もし、はてながこれにならうなら、はてな(近藤さん)は、はてなを捨てるべきです。本来ならメインになるはずのブログは行き詰まっているし、その他のサービスもブックマーク以外は不調、そのブックマークも結局ニッチな市場しかとれてない。このまま直線進化を続けたって、他社との距離は縮まらないでしょう。だったら、もう全部捨てて、はてなとはまったく違う事業を始めるしか手はないはずです。はてなのユーザーベースも捨てて、まったくはてなに接触したことのない人にアピールするよう市場を変えましょう。今のはてなじゃ、新しい人が来ても雰囲気や利用方法に戸惑うだけです。ugomemoみたいに、他社に依存しているうちは、ほとんどはてなの進展にはならないでしょう。任天堂の子会社になるんでもない限り。
現実的な路線としては、はてなのインフラや広告営業だけを残して、新会社を設立、開発関係者は全部新しい会社に移すべきでしょう。その上で、必要な部分は(旧)はてなに委託して、まったく別ドメインで開発をするという感じでしょうか。
あと、もうひとつ言っておきますが、WiiやDSは、結果として市場を無視した製品になったけど、それは市場を知らなかったわけではなくて、市場を見切った上で出来た行為です。時々製品の市場調査を怠る人がいて、丸で自分が宮本茂になった気になるひとがいるけど、それは誤解です。市場を無視するなら、それに見合っただけの埋め合わせが必要なのです。マーケティングはどのような場合でも必ず必要です。
さらにもうひとつ。以前は「Googleのように」と言っていたけど、それだったら、経営者を外から呼ぶべきでしたね。そのタイミングは完全に逃しましたが。
追記
なんか、SBMのコメントが、「そんなの知っていて、別に書かなかっただけなんだけど」と言うのばかりなんだけどな。
wiiやDSは任天堂の活動の延長線上にあるんだよ。
実は任天堂は今までぜんぜん軸はブレてないのだけど。
同上。
(64・GC時代はGBAで補填)
知ってます。はてなブックマークはまさにGB、GBA状態でしょう。本来メインでない市場で成功を得ていたわけだから。
提案通りに実行したら文句を言いそうな増田。
はてなは未だに1つもヒット作が無い
はてなダイアリーは一時期ブログサービスとしては相当上位だったんじゃないかな。順位はみたことあったぞ。あと、はてブは、他社の追随の出来てない、一応のヒット作。
自分でやれよ
その通りだな。俺もはてなとは違うが、一応日本に影響を及ぼすサービスに関与しているよ。
64の時点でファミコンの名を継承せず、コントローラの形、ボタン配置を今までと大幅に変えてしまうなどの変化を行っているような気がするのですが・・・
結局手持ちコントローラは捨てなかったと思うんだけど。名前の継承なんて誰も言ってない。
何年も連続で増収増益してるのにこんなに構ってもらえること自体、はてなのマーケティングは結果的に成功してるよね。
それこそ、過去の任天堂状態だよね。収益はある、けど今までとは違う市場を目指した。もし、あのまま任天堂が携帯機で収益を得ているのに満足していたら、失敗した据え置き機なんてさっさと撤退して、携帯機だけで食っていればよかったんですよ。だけどそれをヨシとしなかった。岩田任天堂は日本のお茶の間を変えることにチャレンジした。もしはてなが任天堂を意識するなら、それをこそ考えるべきテーマなんだよ。
なんかな、誰も岩田の講演を読んでないのかな。GBの成功があったから任天堂は収益的には安泰だった、なんていうけど、それに対して岩田はGamecubeの失敗をかなり意識しているのだけど。
ひとつ、決算説明会の質疑応答から面白い発言をコピペしよう。長いけど。
岩田:
まず私は娯楽製品が必需品になるとは、あまり考えておりません。また必需品にする仕組みをつくったら、未来が安泰だともまったく思っていません。
というのはどんなものも、一見ある時期には必需品のようになったものも、何らかの破壊的なテクノロジーが現れて、イノベーションがバーンと起こると、そんなビジネスはあっという間に壊れるわけです。だから会社の寿命は何年だといわれたり、かつてエクセレントカンパニーだ、ビジョナリーカンパニーだと褒め称えられた会社が、5年後、10年後におかしくなることが多いわけです。ですから必需品になるために頑張って、必需品になったら、その構造でずっと安定して儲かるという発想でいると、たぶん任天堂は長期的には栄えないと私は思っています。
ですから、むしろそうではなくて、娯楽企業の本質に立ち返って、われわれは究極には、なくても生きていけるものをつくっているんだけれども、なくても生きていけるものなのに、優先して買っていただけるものというのは何だろうということを意識して、つくり続けないといけないと思っています。それができなくなったら、任天堂がいまどんなによい状況だと言っていただけても、たちどころにおかしくなるわけです。
外から、「打ち出の小槌を持っている」とまで言っていただけることは大変光栄なことなんですが、私にはそういう自覚はありませんし、毎年必死にやりながら、いまの状況があります。確かにこのスケールのビジネスが、年商5000億から九千何百億になって、1兆6000億円になって、2兆円になるというようなペースで拡大するということは、歴史にあまり例がないとは思いますが、打ち出の小槌を持っているという自覚もございません。
当然いつか次のラウンドというのがやってくるわけです。私は単純にこれまでと同じプラットフォームサイクルにはならないはずだと申しあげてきましたが、一方でDSやWiiは永遠にプラットフォームとして栄え続けるとも思っていません。いつかは何かが必要でしょう。そのときに何をするかですが、それをどうやって勝つのということで、仮に私がいまアイデアを持っていたとしても、公の場では絶対にしゃべれません。なぜならば、それをいまからしゃべれば、当然、皆さんが対抗される準備をするからです。
予想もしないものが出てくるから驚いていただけるわけで、2画面で携帯ゲーム機をつくるなんて、夢にも思わなかった。棒状のリモコンを振り回して遊ぶゲーム機をつくるなんて、だれも思わなかった。体重計を1年で1000万台も売ってしまうような会社が、突然ゲーム屋さんの中に現れるとはだれも思っていなかった。だからわれわれの作戦が効いたわけですね。
岩田:
私は自社が磐石だと考えたことは一度もございませんし、また磐石という考えを万が一持ってしまったとすれば、それこそが非常に危険なことではないかと思います。これから任天堂では、ゲームキューブやNINTENDO64のときに、結果的にマーケットでメインストリームになれずに苦しんだ経験をした人は会社の中で減っていきます。逆に言うと、その苦しみを知らない人の割合が会社の中で高まっていくわけです。そうなったとき、すなわち、われわれが前回のラウンドと今回のラウンドで何が違って、どんな些細な、小さなことがその命運を分けるのかということがまったく自覚できない人の割合が高まってしまったときに、どうやって組織全体が緊張感を持って運営ができて、どうやって大事なことを忘れずに、どうやって企業が自滅的な行動を取らないようにあれるのかが問題です。これはよい状況が続けば続くほど、チャレンジのハードルは上がっていくと思います。
まあ、産業、ビジネスの歴史の中で永遠に好調が続いた会社は見たことがないので、そのチャレンジが来たときに、なるべく辛い時期をうまく乗り切れるようでありたいと思います。
→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/
1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。
2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述がもおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。
4.哲学・倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。
5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報で総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。
6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。
7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。
8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏のブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者のポジションをまったく評価しない、というのはありえない。
上記「8」は次のように言い換えることも可能である。
上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。
間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。
ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。
両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。
池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。
*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値をアジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。
fromはてぶ
「なんで支持者も不支持者も、人格や人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」
もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある。
たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。
しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学の教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。
我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限な時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分の経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。
理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。
http://anond.hatelabo.jp/20081223163942
クルーグマンの経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学系blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。
だそうです。
まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。
池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。
わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。
実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。
上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224
そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。
自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。
主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。
議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。
で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)
そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。
ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。
*
それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。
議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、
たとえば、
1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、
2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった
3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)
というようなことがあったとする。
このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。
もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。
しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。
わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。
データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレスに不毛な会話がなされる場合がけっこうある。
というわけで、結局何が言いたいのか、というと、
・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。
・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?
まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。
***
しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田の記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。
それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント
「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」
もまた、的を得た指摘だと思われる。
結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプのインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブのコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。
もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。
ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブや2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズドな空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場のシステムが、市場に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルール・システム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNS)システムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。
諸君 私はサイエンスが 好きだ
諸君 私はサイエンスが 大好きだ
帰納法が好きだ 演繹法が好きだ 思考実験が好きだ 実証実験が好きだ
代数学が好きだ 関数解析学が好きだ 集合論が好きだ 統計学が好きだ 情報理論が好きだ
Unixで Linuxで MatLabで Mathematicaで C++で Javaで 紙と鉛筆で 口頭で
全てのプラットフォームで行われる ありとあらゆる論証行為が 大好きだ
数列をならべた 並行スレッドの一斉実行が ファン音と共に他のプロセスを reniceるのが好きだ
ふと思いついて計算してみたモデルが 想定していた通りの結果をはじき出した時など 心がおどる
Athlonの64bit(フィア・ウンド・ゼヒツィヒ)でフェドラ7を使うのが好きだ
某M木先生さー、何でもかんでも「脳科学で説明出来ます」って擬似科学入ってるよねー、と言われた時は 我が意を得た様な気持ちだった
ラグランジュの未定乗数で ハミルトンの原理の拘束が表現されるのを知るのは 楽しい
リゾラッティの ミラーニューロンに関する基調講演を聞いた時など 感動すら覚えた
還元主義のfMRI万能論者達の発表が 質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない
居並ぶフックス型微分方程式が 私の押したEnterキーとともに
金切り声を上げるCPUに あっという間に計算されるのも最高だ
哀れなM$オフィスユーザー達が 雑な数式エディタで 健気にもフィッツヒュー・南雲モデルの方程式を書こうとしている時に
PCがフリーズして ドキュメントが過去5時間分のテキストごと木端微塵にされるのを見ると TeX使いは ちょっと優越感を覚える
露助の教授に「あなたの理論は間違ってる事が(ロシアで)20年以上前に証明されていてねぇ」と指摘されるのが好きだ(ラボ内だったからな)
必死に守るはずだった仮説が反証され 実験の不備が指摘され 論文がリジェクトされるのは とてもとても 悲しいものだ
米国の物量(研究資金的な意味で)にものを言わせた研究所に 自分と同じ研究内容を先にPLoSに発表されるのだけは 勘弁だ
締切り(近々だと1月に1こ)に追いかけられ 太平洋標準時だからこっちの朝4時まで大丈夫!と徹夜するのは 体力的にそろそろ無理だ
君達は 一体 何を 望んでいる?
情け容赦のない 鬼の様なピアレビューを 望むか?
並列処理の限りを尽くし 三千世界のCPUを焼き尽くす 嵐の様なシミュレーションを 望むか?
「D論(クリーク)!! D論(カフェイン)!! D論(メンタルヘルス)!!」
よろしい
我々は満身の 力をこめて 今まさに スライドを指し示さんとする レーザーポインタだ
だが この暗い研究室の中で 3年もの間 堪え続けて来た 我々に
大論争を!!
一心不乱の大論争を!!
。。。。えー、
「男が出来る気がしない」と、 http://anond.hatelabo.jp/20081127063438 を書いた増田ですが、
どーせ釣りだろと言われた/予想以上にHELLSINGに反応してくれた人がいた/NIPSに持ってかなきゃ行けないスライドがいつまでたっても終わんない/ので、ついカッとなってやった。反省はしている。
当初は上から目線で自分の頭で考えないぶくマの衆を笑いものにしていた元増田が、なぜあたふたしているんだろう。、自分こそが自分の頭で考えられない衆だったのだね。そうでないなら、学歴が主題でないことはわかるのに、もうそこしか目に入らなくなっており、いかに見下ろすポジションから滑り落ちないように必死になっている。元増田がやりたかったことは、他人を見下ろすことであり、それ以外は何もないんだよ。知識の確からしさも何も関係ない。
話を戻しておくと、議論の形式だけを聞いているのだから、その運用が厳格であることは当然であり、これは高等な誉め言葉だと受け取っておこう。僕はローマ人かもねという個人的な感想以外は、ほとんど形式についてしか聞いていない。つまり形式以外の部分、「知識」の正誤はいうまでもなく、「知識」の応用部分などからアカデミックな人としての資質を推測すること自体、形式的に、はねられるわけだ。推測と妄想は異なるのだから。元増田が注意している「君が勝手に自分の興味で関心を持っただけのことと、そこが重要な問題であるということをごっちゃにしてはいかん。」を自分がやってきたのだよ。
僕ではない別の増田が指摘しているけど、
http://anond.hatelabo.jp/20081111075146
が全てだと思う。確かに大学生に面と向って言うレベルのことではないだろうけど。
その前後のやり取りには関わっていないけど、ここが形式的なことが満たされているか聞かれているのに、元増田の発言は論理的に破綻しているので、その時点でたぶん別の増田は見切ったんだろう。「自分の興味関心を持ったところだけが重要な問題ではない」ということだろう。
元増田のやっていることは、自らの矮小な知識プラットフォーム(新書レベル)に、専門家から僅かに沁みでてくる断片的な知識とその権威をまぶすことで、自己を仮想的に膨張させているに近い。最近どこかで見たのだが「ネットを見ていると偉くなった気分になる」というやつそのものだ。
そして、日和見ほど天気には敏感でないので、別の増田が指摘していたように「情報通」に近いように見えるが、一般的に「情報通」と呼ばれる人は、それほど「自分の頭では考えていない」と見なされていると推測される。これを新たな「知識」として身に付けておくといいんではないだろうか。
Desperado あれ、まだ1ブクマしてもらえるとうれしい。
とうとう、福岡伸一の新書『できそこないの男たち』が本になった。
この本は今、すべての男性が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、生殖活動を志す人、あるいは性的に発展段階にある中学生、高校生、大学生、大学院生(つまり性交渉の経験を問う)、これから先、女性と交わりたいと考えている人、何にせよ生殖に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこの本がベストセラーになって、男性にとっての女性について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、福岡の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。
福岡伸一という人はトンデモ学者なので(つまり言語学における水村美苗のようなものである)、僕のブログの読者では知らない人(もしくは黙殺している人)もいるかもしれないが、ここ数年、とんでもなく素晴らしい作品を書く人だ。本書は『生物と無生物のあいだ』以来の、福岡作品を愛好する者たちにとっては待望の書き下ろし作品であるが、その期待を遥かに大きく超えた達成となっている。
内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。
一言だけいえば、これから私たちは「女性の世紀」を生きる。女性の社会進出が進んだからとかそういうレベルの話ではない。女性がかつての男性のように、「人類の中心」として人類の繁栄を主導していく「基本性」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と福岡は喝破する。そして、そういう時代の女性以外の性の未来(すなわち男性の未来)、男性の繁栄という観点からの性の意味、性教育の在り方について、本書で思考を続けていく。とにかく思考が明晰だ。しかも小説のように面白い。明晰な文章を読むと、その内容が厳しいものであっても快感が得られるものなのだ、と改めて思った。
少年時代から昆虫に熱中し『生物と無生物のあいだ』でメジャーになった福岡の問題提起は、「たとえば今日、2008年11月7日、男性と同じくらいの能力を持った女性が生を受けたとして、その子が肉体的に成長した将来、果たして男性と交わるでしょうか。自然に女性一人で生きていくのではないですか」ということである。放っておけば男性は、「女性の使い走り」としては生存しても、人類の繁栄を担う「性」としてはその役割を失っていくのではないか。「女性の世紀」とはそういう暴力的な時代なのだと皆が認識し、いま私たちが何をすべきか考えなければならない。
最後に本書の一節を引用しよう。
私が知りたいのは、生殖行為が、なぜあの快感と結びついているのか、ということだ。あの快感は、人間が経験できる他のいかなる快感とも異なる。
(中略)
人はなぜジェットコースターに熱狂するのだろう。それは似ているからだ、と私は思う。ジェットコースターが落下するとき、人間の身体が受け取る感覚。蟻の門渡りあたりから始まり、そのまま尿道と輪精管を突き抜け、身体の中心部に沿ってまっすぐに急上昇してくる感覚。
このとき人間は何を感じているのだろうか。加速度である。重力がぐんぐん私たちを引きずり込む加速度。それを私たちは私たちの身体の深部で受け止める。
(中略)
自然は、加速を感じる知覚、加速度を生物に与えた。進化とは、言葉のほんとうの意味において、生存の連鎖ということである。生殖行為と快感が結びついたのは進化の必然である。そして、きわめてありていにいえば、できそこないの生き物である男たちの唯一の性の報償として、射精感が加速度と結合することが選ばれたのである。
もちろん、今、日本で広く売れているライト系知育系ゲーム、あるいはポケモン等を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるでしょう。
私が、日本のゲームの現状に、幼稚な風景を見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。
実際、そういう人のほうが多いかもしれない。
だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。
ゲームも芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。
この本は、この先の日本のゲーム開発者・ゲーマーそしてビデオゲームの運命を、孤独の中でひっそりと憂える人に向けて書かれている。
そして、究極的には、今、どんなゲームソフトが売れているかなどはどうでもよい、少なくとも「縦画面のブラウン管に遅延も残像もなく映像が出力され、良質なマイクロスイッチが使われたコントローラを備えたもの」が「ゲームの王道」という名に値したころのゲームさえもっと遊ばれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。
ゲームでもnifty-serveでも国産ケータイでも親指シフトとかメカニカルスイッチのキーボードでもなんでもあてはまりそう。
ようするに。
こういった引用された部分だけ読んでる分には、
日本語が亡びるから悲しいみたいな話は正直同感なんだけど
それをとりたてて騒ぐなんてのは水村氏がこれまで好きだったものが、たまたま
これまでずっと亡びずにやってこれた日本文学だったというだけのことなんじゃないのかと思うのだ。
俺なんかが好きになったものはそれを作り上げるプラットフォームごとどんどん亡びていったものばかりなので、
いま
「もうすぐ日本語が亡びちゃいますよ。それをベースに作られていた文学なんかもなくなっちゃう」
と言われても、
「あーまたですか次は日本語ですかしょうがないよねこれまでいっぱい亡くなってきたからね」
と思っちゃたりするわけです。
人身事故などにより鉄道が止まったとき、鉄道会社からそこから先のルートの提示がされることがある。
例えば、ある駅からAとBのルートがあり、Aのルートで事故が発生すれば、Bのルートを勧めることはもっともである。事故発生直後ではだ。
しかし、事故の状況次第では、Aのルートでも比較的早く回復する、させることが可能な時もある。さらにその駅より前において、Bルートの電車にAルートの電車が先行していれば、鉄道会社が勧めるBルートは適切でない場合も出てくる。先着するのはAルートなのだから。
まあそういった事情を駅員が即座に把握出来るわけでもないのだが(客の対応に忙殺されていたり、色々あるだろう)、アホの一つ覚えのようにBルートをご利用くださいとアナウンスしても、客はいらいらするだけだ。Bルート行きはさっぱりこず、Aルート行きが別のプラットフォームにきたりするのだから。そもそもBルートが当面こないことは、駅員に聞くまでわからなかったりする。
こういった非常時には、運行状況をさくっと公開したほうが、駅員の手間も省けるだろうにとは思う。それを元に鉄オタに指示を仰げばいいのだからな。簡単なことだ。
募集要項
仕事内容 携帯電話向け開発エンジニア
※国内のキャリア向け標準ソフト開発、個別メーカー向けカスタマイズなどを実施。必要スキル ・C言語必須 求める経験 ・3年以上の開発経験者(基本設計から試験までの経験を3年以上お持ちの方)
<あれば尚可>
・携帯電話向けソフトウェアの経験求める人物像 ・開発品のゴールを正しく認識し、そのゴールに向かって開発メンバとして他メンバと協調しながら開発できる人
・品質基準、顧客要件を正しく把握し、基本設計、詳細設計、プログラム開発、試験設計、試験のできる人
・アーキテクチャについて語れ、開発メンバーをリードできる方であれば尚可
・顧客、開発メンバーとコミュニケーションできる方
ああ、俺ってこれにぴったりかもしれない。でもキツいよなー。多分毎日8時出社終電帰りとかになるんだろうな。
で、読み進めた。
年収・給与 400万円から600万円まで
アホか。
冗談にも程がある。
上の条件が本当に満たせる人間なら年収1500万くらい出さないと割に合わん。
例えば「品質基準、顧客要件を正しく把握し」が本当に出来る人間だったらそれだけで600万の価値がある。それに加えて開発メンバーをリードできたりすることも望んでるし、コミュニケーション力も必須要件。
そもそも標準ソフトってそのキャリアの殆どの端末に搭載されるソフトなんだろ? アーキテクトだったら相当すごいやつじゃないと勤まらないはずだろ。なのに年収600万が上限て。
「いくらがんばって働いても年収600万」のやつに端末のプラットフォームを作らせておいて、それで海外進出なんてできるわけない。
こんなふざけた求人を出すところにまともな人が行くわけがない。今すぐその求人票の600万の前に1を足せ。そうしないと失敗する。でもそんな勇気はないんだろ。そしてダメな奴を雇ってすぐ辞められてを繰り返してるんだろ。
「オンラインで流せるテープ」 を提供していた muxtape が閉鎖して一月。昨日出た、運営者からのメッセージを勢いで翻訳する。
http://muxtape.tumblr.com/post/51762430 ←反応
僕は音楽を愛している。
音楽を愛している人にとって、そして音楽そのものにとって、音楽を共有するという欲望は、本質的でかかせないものだと信じている。
愛すべき音楽に出会ったとき、僕たちは友達をターンテーブルの前に集め、CDを貸し、カーステレオで鳴らし、ミックステープを作る。
僕たちは、音楽から感じるものを知っているから。他の誰かにも、それを感じてほしいから。
Muxtapeの物語が始まったのは、僕がオレゴンでやっていた、週一の大学ラジオ番組だ。
その番組で流した曲の記録のかたわら、そのプレイリストをウェブに上げていた。ひとつのブロックが、その週の番組を記録したカセットに対応するというものだ。
当時、ミックステープは斜陽の時代に入っていた。でも、あのプレイリストのページは、ミックステープと同じ役割を、そして多くの点でよりよい役割を果たすはずだ。僕は番組を終えてからも、そのことをずっと考え続けた。
ミックステープのように、プレイリストはある意図を持って集められたものであって、その価値は単なる足し算にとどまらない。
ミックステープとは違って、プレイリストには物理的に届けるための制約がない。でも同時に、そこには実際の楽曲がない。
誰かがそのページを見にきてくれても、知っている曲があれば共感してくれるだろうが、 本来リスナーである人たちにミックスを実際に編集する手間を押し付けるのは、もともとの目的をダメにしてしまう。
プレイリストのことをまた考えはじめ、ついにそれに命を吹き込んだのは、その頃のことだ。
僕の音楽を(ミックステープ的な意味で)共有するという欲望はなくなってはいなかった。
だけど、その行き場はなくなりつつあった。
大手のブログサービスは音楽ファイルを短期的に置けるようにしていたけれど、
そういう場は僕が求めていたものではない。
カセットテープを手に握ったときにうまれる、突き動かされるような感覚。
それを手にしただけで、プレイヤーを探してそいつの使命を遂げさせたくなる。
Muxtapeの設計の目標は、そういう実感ををデジタル世界に翻訳してやり、音楽が生命の火花を散らして、持つ人を聞かずにはいられなくするということだった。
最初のバージョンは僕のtumblrに載せた一枚のガジェットだったけれど、後の姿と本質的に変わりはない。
フィードバックはすごいものだった。
「俺の分も作ってくれないか」という質問が次々と来た。
でも考えが進むにつれ、それはひどくもったいないことだと気づいた。
ソースで配布すると、到達できる範囲はせいぜい自前のサーバーを持ったニッチなクラスタだけになってしまう。
音楽を発見するための、もっと大きな機会をすべて閉じてしまう。
ミックステープの抜け殻に見えていたそれは、すぐにミックステープの進化形に見えだしてきた。
作ってやらなければならない。
三週間の夜をけずった結果、僕はMuxtapeを公開した。
成功はすぐに目に見えて現れた。
24時間で8685人の登録があり、
1ヶ月で97748人の登録と1200万ユニークアクセスがあり、
さらに順調に伸びつづけた。
行き過ぎた予想。技術オタクは賛美するか、すぐに失敗すると断じるかに分かれた。
誰もがどきどきしていた。
僕はぞくぞくしていた。
Muxtapeは「レーダーの視界の下を飛んでいる」からなんとか生き残っているだけだ、という誤解は多かった。
いわく、メジャーレーベルに見つかれば、閉鎖させられるだろう、と。
実際には、レーベルとRIAAは普通の人と同じようにウェブを見ている。
僕も一週間かそこらで、連絡を受けた。
RIAAからの通告が、メールと書留郵便とFedEx夜間便(紙とCD)の三点セットで届いた。
彼らは、権利侵害に当たるらしい6つのmuxtapeを止めるように求めてきたから、僕はそうした。
同じ頃、あるメジャーの著作権問題(anti-piracy)担当者からの連絡を受けた。
電話をとって最初に聞いた一言は、「教えていただきたいんですが、召喚状と訴状は、どこに送ればいいんですかね?」
対話はそこから始まった。
召喚状は送られてこなくて、それは雰囲気を新規ビジネス立ち上げの会議にふさわしいものにしようとする彼の脅し戦術だった。
本当の狙いはビジネスだった。
同じ頃、別のビッグフォーの企画担当者からもコンタクトを受けた。
次の一月、僕は聴き続けた。
頭のいい法律家、この手の問題について傾聴すべき意見を持つ人々と話し、
Muxtapeの合法性について合意を得ようとした。
得られそうな合意は、合意がないということだけだった。
「Muxtapeは100%合法で何の心配もない」から「Muxtapeは違法コピーの宝庫。十億ドルの訴訟とライカー島(Riker's Island)での服役の覚悟はあるのか?」までのあいだで、二十以上のすこしずつ違う意見をもらった。
結局Muxtapeの合法性は法律的に曖昧(moot)だった。
正当性があろうとなかろうと、訴訟で戦う費用はない僕の上に、メジャーレーベルは斧を振りかざしていた。
僕はいつも、アーティストかレーベルが連絡してきて問題を訴えたなら、削除をすると、自分の中で決めていた。
でも、誰からもそういう疑義はなかった。
ひとつも、なかった。
逆に、僕が聞いた範囲では、どのアーティストもこのサイトのファンで、その可能性にわくわくすると言っていた。
そこの親会社は怒っているに違いない大きなレーベルのマーケティング担当から電話を貰い、最新の情報をホームページに反映させるにはどうすればいいかと訊かれたことも何度かあった。
小さめのレーベルからは、彼らのコンテンツを別のクリエイティブな仕方でアピールできないかと言われた。
明らかに、Muxtapeはリスナーにもアーティストにも、同じように価値あるものだった。
五月、メジャーレーベルのひとつ、ユニバーサル・ミュージックとの最初の会議をした。
僕は、最悪の扱いを覚悟して、一人でそこに行った。
この十年、インディーの界隈に片足を突っ込み、そこで大きなレーベルが彼らの利益になるものも知らず、頑固にラッダイトしているのをみたからだ。
ここで言っておきたいのだけど、レーベルは自分自身のビジネスを、ふつうの人が疑っているレベルよりはずっとよく知っている。
ただし、未来へのアプローチに関しては、個々のレーベルによって驚くべき違いがある。
ユニバーサルで僕が会った紳士たちはすごく柔軟で機転が効いていた。
僕は、彼らにMuxtapeが与える利点を売り込む必要はなかった。
彼らはMuxtapeの素晴らしさを知っていて、ただ、支払いを欲しがっているだけだった。
その点については同情する。
僕は、共同で提案を行うにはまだいくらか時間が必要だと伝え、決定を先延ばしした。
彼らは大きく違ったタイプだった。
僕は会議室に入り、8、9人と握手をしてテーブルの前に着くと、目の前に "Muxtape" と題された電話帳並のファイルがあった。
彼らは半円状になって左右の脳のように僕の回りに陣取った。片方は法律、もう片方はビジネス企画。
会議の相手は交互に切り替わった。
「貴方は意図的に権利侵害をしている、サービスを止めるまでに数時間の猶予は与える」という法律サイドのハードな尋問と
「仮にサービスを止めさせられなかったら、どのような協力がありえると思うか?」というおずおずとしたビジネスサイドとの議論。
僕は提案を作るのに二週間を求めたが、二日と告げられた。
決断をしなければならなかった。
僕がみるに、選択肢は三つ。
第一は、全てをやめること。これはずっと考えていなかったことだ。
第二は、メジャーレーベルのコンテンツを全て禁止すること。これなら、直近の危機を回避することができそうだが、二つ大きな問題があった。
ひとつは明らかなことだけど、ユーザーがミックスに使いたいと思う大半の音楽を禁止することになってしまう、ということ。
もうひとつはメジャーレーベル以外に関して、楽曲の所有権と利用をどう扱うべきかという重い問題についてなにもやらないに等しい、ということ。
中規模のレーベルと独立アーティストにも、彼らのコンテンツがどのように使われているかについて、それほど圧力は使えないにしろ、大企業と同様の基本的な権利がある。
これは、ユニバーサルの人に会ってからずっと挑戦していたことだ。
他のサービスでライセンスを受けているものは、いろいろな理由でうまくいっていることを知っていた。
同時に、Muxtapeの場合は違うということ、少なくとも模索する価値はあることを知っていた。
レーベルがそこに価値を見出しているかどうかという疑問の答えは得られていなかったが、次の疑問は、それにどれだけの費用がかかるか、だった。
六月。
僕は五番街の法律事務所に、メジャーレーベルとのライセンス交渉の代理人をつとめることを求めて、彼らは承諾した。
そして、取引をするための遅々としたプロセスが始まった。
第一回は、堅苦しく複雑だった。だけど、思ったほど悪くはない。
僕は彼らを説得し、Muxtapeがこのままサービスを続けることが皆にとっての最良の利益になる、と納得させた。
これでうまく行きそうだった。
さらに二ヶ月、投資家と会合を持ち、サイトの次のフェイズを設計し、交渉を監督した。
困難が予想されたのは、Muxtapeが単純なオンデマンドサービスではない、という点で、オンデマンドよりは支払いが低くて済むはず、という点を考慮に入れてもらえるかどうかだった。
ライセンスの条件からはじめたかったのは、めずらしいwin-winになると思ったからでもある。
僕は、どんな通達があっても(at any given notice)、楽曲を検索して再生する機能を持たせたくはなかった。
一方、彼らもそういう昨日にあまりいい顔はしない(少なくとも、今の価格では)。
それまでは、すべての議論は数字に関するものだったが、
合意に近づくにつれて、掲載位置の販売とかマーケティングの方向性に話が移ってきた。
Muxtapeのモバイルバージョンを提案したが、否定された。
僕の柔軟性は身動きできなくなっていた。
Muxtapeに対して公正な取引をすることに心を割いてはいたけど、僕がずっと持ちつづけていた最大の関心は、サイトの統一性と使用感を保つことだった。
(それはライセンスを求めはじめた元々の理由のひとつでもある)
Muxtapeの経済面での各種の侵略に合意したのも、動かしたい(play ball)からだった。
だけど、編集と創作についてコントロールを手放すのはものすごくつらいことだった。
これと格闘している最中、Muxtape のサービスをホストしているAmazon Web Servicesから通告を受けたのが、8月15日。
Amazonの規約によれば、とんでもなく長い一覧に挙げられた楽曲を一営業日以内にすべて除去しなければ、
これはかなりの驚きだった。
RIAAからの連絡はずっと途絶えていたのだけれど、僕はこれをレーベルの理解が得られたためだと思っていた。
僕はライセンス交渉の最中にあること、これは事務的な間違いじゃないか、夏の金曜日の午後をとりもどせるようにするためにはなんでもしよう、ということを説明しようとした。
一営業日どころか、週末を越えて月曜日までやり続けても、結局、Amazonが要求する文書を作ることはできなかった。RIAAに電話で連絡したけれど、受けてもらうことさえできなかった。
これを解決できるはずだという、ほんとうに感じていたままの期待をそこにメッセージとして残した。
僕はまだ、これがなにかのひどいミスだと思っていた。
でもそれは間違いだった。
事態がすこし把握できてきた次の週。
RIAAの動きは、レーベルの親会社とは別の、自律したものだということ。
レーベルとの間で得た理解は、RIAAには継承されないということ。
どのレーベルも、僕を助けることに特に興味を持っていないということ。
彼らの見かたでは、交渉には影響しない、という。
僕は納得しなかった。
取引にはまだ数週間か数ヶ月(インターネット上では永遠に等しい)はかかる。
つまり、Muxtapeはすくなくとも年末までは止まったままということだ。
また、どうやって支払うかという問題も残っていた。
この変わりやすい世界では、急成長するウェブサイトがある場合でさえ、投資を受けるのは難しい。
ライセンスの取引すべてからの撤退。
どの取引も、単純さを信条とするこのサイトに対しては複雑過ぎるものになりつつあり、
僕がやりたい方向のイノベーションにとって、制約が強すぎ敵対的すぎるものになりつつあった。
開発にほとんど注意を向けられなくなってしまった結果、僕は自分のモチベーションに疑問を感じはじめていた。
僕は、すべてを犠牲にして急スピードで大会社を建てるために、これをはじめたんじゃない。
僕がこれをはじめたのは、音楽を愛する人たちのために単純で美しいなにかを作りたかったからだ。
だから、またそこからはじめたいと思う。
でも、いままでどおりのものではない。
ある、開発初期段階にある機能を取り入れるからだ。これからはその機能に中心的な役割を持たせたい。
Muxtapeは、バンドだけのためのサービスとして再出発する。
インターネットで活動するための、これまでにないシンプルで強力なプラットフォームとしての機能を提供する。
2008年のミュージシャンは、ウェブ開発者と手を組まない限り、オンラインで地位を確保する手段はほとんどない。
しかし、彼らのニーズは、実は共通の問題の中にあることが多い。
あたらしいMuxtapeは、バンドが自分の楽曲をアップロードして、それを埋め込みプレイヤーとして提供し、
もともとのMuxtapeの形式に加えてウェブのどこででも動かすことができるようになる。
魅力あるプロフィールを取り付ける機能、さらに、カレンダーや写真、コメント、ダウンロード、販売、あるいはニーズのある他の全ての追加機能のモジュールを提供する。
システムは0の段階から無限に拡張することができ、CSSデザイナーが使えるようなテンプレートシステムの層を設ける。
詳細は追って公開する。
ベータ版はいまところ非公開だけど、数週間以内に変更する予定。
これは機能の点でかなりの大きな転換だということは、意識している。
僕はいまも、音楽をオンラインで経験する方法を変革したいと思っている。
僕はいまも、相互接続された音楽のもっとも興味深い側面、新しいものをみつける、という側面を実現したいと思っている。
第一フェイズのMuxtapeをこれだけすごい場所にしてくれた皆さんに感謝します。
皆さんのミックスがなければ、ありえなかったことです。
音楽業界はいつかついてくるでしょう。ぜったいに、そうすることになるはずです。
Justin