はてなキーワード: コンピューターゲームとは
いやアラフォーであることは本質的には無関係だとは思うんだけど。
ゲーム、というかコンピューターゲームをほぼ全くやらない生活をしている。
別に「あんなものは子供のやるものだ」とか「大人がやるようなもんじゃない」とか思っているわけじゃない。
ただ、どうもやる気がしないだけだ。
でも、リアルの自分の周りやネット見てると、なんか自分の知人友人を含めて同年代の人間はゲームにハマってる人が多い、と感じる。少なくとも自分の主観ではそう感じる。
みんな毎日のようにTwitterでゲームの話をしているし、リアルで会っても話題に必ず出る。
そのレベルまで行ってるのは一人だけだけど、ネット対戦にハマって仕事を辞めた挙句引きこもりになった奴もいた。
(今どうしてるんだろう?)
自分は明らかにヲタクで、ヲタク度数だけなら自分の見渡した範囲で自分よりヲタクな人はまずいない、と思える(実際には自分の趣味にしていることについて自分よりも詳しい人はいくらでもいるだろうが)けど、コンピューターゲームにハマってないのは自分だけだ。
「なんで**さんは「艦これ」をやらないの?」って言われてもなぁ。
みんな なんであんなにゲームが好きなのかな?
アプリのドラクエ。ダウンロードしました。そして激しく後悔。やりたくなかった。
楽しかったあの頃を思い出して涙が止まらなかった。どうして、今こんな暮らしをしているのだろうと、あのころ思った大人に成れていないことに、なれないだろうことに、涙が溢れて止まらなかった。
つまらない仕事を「楽しい」と暗示をかけて過ごす毎日。仕事以外のことでは声を出さない毎日。週末は疲れて何もできない。そして月曜になってもう挫けている自分を見ないふりをして仕事をする。
コンピューターゲームが好きだった。ドラクエだって大好きだった。そしてコンピュータを仕事にした。でも、それは、子供の頃にみた、あのコンピュータじゃなかった。SIは人を殺してコンピュータを動かす仕事だ。人の出入りは激しく、突然辞める人なんて珍しくもない。偽装派遣は横行し、出来もしない日程を「できます」と言って下請けに回す。そうやってWebが動いている。はてなだったそうだろう。動かしている大勢がいるんだろうし、今この時間だって働いているんだろう。おつかれさまです。
ドラクエをやりたくなかった。あのころを思い出して辛いだけだから。またコンピュータを好きになってしまいそうだから。生きててよかったとまで思ってしまいそうだから。
表現規制の歴史をふりかえってみようか | DDN JAPAN - DIGITAL DJ Network
http://japan.digitaldj-network.com/archives/51565236.html
http://megalodon.jp/2010-1012-0424-32/homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.html
サブカルチャーという定義がいまいちぼやけているので分かりまねますが大衆文化という定義で捕らえるとサブカルチャーだから何かしらの特別な影響を生み出す物ではないとは思っています。60年前の新聞には歌謡曲が俗悪流行歌として取り上げられています。
文化というものは時間を掛けて成熟され評価される物だというのはいつの時代も同じだということです。
コンピューターゲームが日本において広く認知されたのは今から30年前のスペースインベーダーブームがだと思われます、そしてファミコン誕生から26年です。
統計を見てもファミコンやコンピューターゲームがなかった時代あった時代も少年犯罪の発生率は増えてもいない減ってもいないというのが正しいのではないでしょうか?
犯罪の質も殺人や強姦、強盗といった重大犯罪よりも自転車泥棒といった横領が増えています。これは経済的にやむにやまれずと犯行を行ったり性の発散を行う術がなかった事による悲劇だと思いますがむしろ今は一人っ子によるストレスや孤独による物であったり周りに常識を教えてくれる人が居なかったが故に、周りの大人達が行っている行為を行ってしまい放置自転車を持って帰ってしまったり放置傘を持って行ってしまったといった類の物だと思います。
その子供が自ら意識して興味を持ち見るといった行為を私は遮るべきではないと考えています。
自らの意志で性的な物に興味を持ち見てみたいという行動も自分の中で性を消化していく過程では必要なのです。
問題なのは性的な創作物に触れる意志がない状態で見てしまう、受け入れる準備が出来ていない状態で見てしまう事が問題なのではないかと思います。
たとえばティーン向けの雑誌で性の相談を載せるレベルならいいでしょうが全員が受け入れる準備をしていないのに前戯仕方が載っているなどといった事です。
成年雑誌についてはテープで封がされていて開けないようになっていたり、成年ゲームに関しては元々が相当高額であったりクレジットカードによる認証が必要だったりとハードルが高くなっています。
出来る限り心の準備が出来るまでフィルタリングソフトで見せないようにしてそれを自力で解除してまでみたいという気持ちが生まれてきたのなら黙認しつつ正しい性教育も行っていく、家庭内でもタブーにて触れないのではなく体の成長に伴う不安に思う心を和らげてあげるサポートをしていくのが良いのではないでしょうか。
by bobcoffee 2010/03/25 17:18:05 from hatena haiku 返信 初稿 2009年05月14日
つ http://www.jetro.go.jp/world/n_america/us/contents/trends/0906005.html
全米世帯の68%がコンピューターゲームもしくはビデオゲームでの利用者である。
68%中の42%だから過半数はコンソール持っているわけで、PCゲームが主流というほどではないと思うぞ。
たんに、目立ってるだけじゃね?
モバゲーをけなす30代男性を見て思うこと::村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/09/30-d031.html
ファミコン(に代表されるコンピューターゲーム)は基本的に、技術の進歩が生み出したものだった。ご指摘の通り、当時は理解しない大人もいたが、子供と一緒にこの新しい遊びに夢中になった父親も多かった。客観的に見ても、上の世代のトランプやメンコ遊びなんかよりも高度で面白い遊びが実現されたと思う。
ところがモバゲーの携帯ゲームは退化している。携帯電話のハード的な制限により、ゲームとして大幅にスペックダウンしている。理由はそれだけではなく、プレイする側の「考えるのが面倒臭い」というニーズに応えるため、内容が大幅に簡略化されている。ハードウェアと、ユーザーの思考活動の両方が、退化してしまっているのだ。
我々は新しいものが受け入れられないから叩いているのではなく、この「前に進んでいるとは思えない状況」を憂いているのだ。新しく進化したものが我々を置き去りにしていくのはむしろ歓迎したいところだ。だがどう見てもそうは思えない現状、日本の将来に危機感を感じてしまうのだ。
「遊びやすい形にするため、「コンピューターゲーム」として再現するためにそぎ落とされたのであって、
まさにそうで、だからこそその部分をパロってるんだと思うんだ。
でも、そもそもドラクエの物語は明らかにD&DなどのTRPGから派生した系譜に位置づけできるわけで、
指輪物語のようなハイ・ファンタジー(魔法の仕組みや神話、歴史など全ての世界観)が作られる
↓
その世界を使って、複数の人間が短時間で遊べる、宝探しや魔物討伐を主眼に置いたTRPGが発達(D&D等)
↓
それをコンピュータで遊べるように数値化、簡略化したCRPG(ウルティマ、ドラクエ)
(コンピュータで処理できるようにそぎ落としや翻訳が行われた)
↓
CRPGが発達し、様々なJRPGなどが作られるようになった。
……というような明らかな系譜があるわけだよ。結局のところ2回にわたる翻訳が行われて、
世界観や歴史、神話の説明はそぎ落とされた。結局のところ、そぎ落とされたものは
「遊びやすい形にするため、「コンピューターゲーム」として再現するためにそぎ落とされたのであって、
経済学や歴史的知識に対して無知だったから、という理由ではないんだよね。
だからズルいといわれても、「指輪物語」を読めば?としか言えないんだ。
性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する。エロゲは女性じゃないですよ?。ドット絵ですよ?。まずここが勘違いの元です。
http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY200904260151.html
ゲームソフト会社のコナミデジタルエンタテインメント(コナミ)が、04年11月にイラクのファルージャで一般市民など2千人以上の犠牲者を出した米軍の戦闘を疑似体験できるコンピューターゲームの商品化を検討していたことがわかった。今月初め、同社の米現地法人が来年以降の製品として発表したが、米国などで批判が続出。同社は「扱わないことを決めた」という。
昔、「お前らアメリカ人にとっての『戦争』って、遠い外国でイスラム教徒を一方的に殺すことだもんなあ」と何気なくチャットで発言したら賛否両論の大激論になってこっそり退散した甘酸っぱい思い出がよみがえった。
元増田です。
過去のゲームはハード性能による制限なんかがあって一本道にせざるを得ないところもあったと思うし
あのころは多分コンピューターゲームやってるってだけで楽しかったってのもあると思う。
今やっても楽しめないってのは多分あってると思うよ。楽しめるものもあるとは思うけどさ。
でも、ハード性能が進化して、ゲームメディアの容量も飛躍的に向上した。
なのにゲームは相変わらず一本道、さらにその上俺からプレイ時間を奪おうとしてくるって進化としておかしくね?
ゲームの進化って見た目だけなの?一本道を豪勢に飾ることだけなの?違うんじゃね?と俺は思うのよ。
千差万別のプレイヤーがそれぞれに違う体験をする方向にゲームは進化しないの?
そういう方向追うところないの?とか思ったりするんだよね。
BethesdaのTES3,4あたりとかFallOut3とか、あと国内だと侍道とかもそういう感じに近いけど、
それでもメインシナリオは一本だし、メインシナリオ以外にでかくて長いクエストってないじゃん。
ここまで文句言ってばっかりだと、じゃあ自分で作れよ、って話になっちゃいそうだけどな。
ゲーム作りも金かかるようになって保守的になってきてるし、商売としてはそんな夢みたいなゲーム作るの
無理なのかな?
初めは小学生の頃か。
実物のスペースインベーダーの記憶はない。
しかし、それを皮切りにアーケードゲームのみならず、ゲームウォッチ、ケームセンター嵐などを経て、ファミコンが登場する「ゲーム」の時代だった。
「ゲーム」がコンピューターゲームの意味になった時代だった。小学生も「コンピューター」にワクワクした。
21世紀はコンピューターにより人工知能ができる。そんな時代だった。
でも、アルファベットを知らない小学生にBASICは難しかった。ぴゅう太がせいぜいだった。
「PRINT」で文字を表示する。「GOTO」で行き先を変える。それは分かった。でも何をすればよいか分からなかった。
だから「ベーマガ」で16進数を打った。でも動かなかった。何度も調べ、直し、試した。デバッグした。
でも動いた。自分の入れた文字で数字でコンピュータが動いた。自分で動かした。動かせた。
高専に進んだ。Turbo Pascalでコラムスもどきを作った。
小学生のころから6年が過ぎていた。
Turbo Cも使った。IDEで使うそれは、インタプリタのノリだった。
FM-Rでレイトレースもした。一晩かけて、エラーが起きていた。
でも、構造化プログラミングを学んだ。ポインタも学んだ。マシン語の知識が役立った。
Solarisも使った。EmacsやXも使った。オブジェクト指向も知らずC++にも触れた。
awkやsedで正規表現を学んだ。そしてperlに出会った。
コラムスもどきを作ってから6年が過ぎていた。
perlで掲示版の書き込みをチェックし、madokaで遊んだ。CGIを書いたりした。
perlと出会ってから6年が過ぎていた。
はてなに出会った。JavaScriptに出会った。
Bookmarklet、greasemonkey、Ajax。オブジェクトだらけだった。
初めはゲームだった。でも最初だけだった。
気が付いたら24年が経っている。
今、pythonで書いている。
ようやく、言語の違いには慣れてきた。でも、まだLISPを使った事はない。
道はまだまだある。未知の世界につながっている。
作りたい物が本当は何かは分からない。作れる物が本当は何かは分からない。
どんなふうに動くのかは分かってない気がするけれど、分かっている事もある。
それが今の私のstatusだ。
外国航路の船乗りである親父とは、一年のうち一ヶ月くらいしか会うことができなかった。
昔はサザエさんのような、「毎日帰ってくる親父」ってのが、どうしても理解できなかった。
そんな特殊な事情を差っぴいても、
俺の親父は遊びの天才だった。
ウチは4人兄弟だから家族あわせて6人。
親父が帰ってきたら先ずみんなで遊ぶのは、トランプのブラックジャックとポーカーだった。
家族同士、マッチ棒を一本一円に見立てて、遊ぶのだけれど、親父の海外仕込のテクとイカサマ、お袋の楽しそうな顔といったら、なかった。
親父は何でも、楽しそうに遊びこなしていた。
前述したトランプから花札、オセロや囲碁将棋、ただのキャッチボールからサッカーの相手、
全てgameをplayする上でいかに楽しいかを追求していた。
どこの砂浜ではアサリがどういう時刻によく採れるだとか、どの海岸では素もぐりでサザエがどうだとか、
このタンボにはメダガやザリガニがどうだとか、この山奥では野生のシイタケがどうだとか。
いっぱい遊びを教えてもらった。
キャンプだって親父にしてみれば道具をそろえることが気に入らないらしく、
軽自動車に常に積んでいるテントと釣竿以外は常に現地調達、計画すら立てずに突発的に発足して、
先ずは皆でかまどを作ることからはじめさせられたもんだ。
もちろん、コンピューターゲームだって半端じゃない。
親戚の家でエキサイトバイクをやって以来、
メトロイドとゼルダ、パルテナの鏡を俺ら子供よりも早くクリアし、
ついぞ最近もFF11のどこかの鯖でトップクラスの竜騎士を自負するほど
gameをplayすることに関しては隙の無い親父だ。
勉強することの楽しさもいっぱい教えてもらったはずなのに、
俺は自分の責任において頭が弱かったから底辺高校を卒業するのがギリギリ精一杯で、
その後は10何年と、年齢×100の年収をギリギリやってる程度の、
まあ見る人が見れば「つまんない人生」なのかもしれないけれども。
今になって「勉強する楽しさ」とか、あと親父の教えてくれたいろんなことが身に染みてわかるようになったし、
実際に仕事してて「本当に子供の頃からエリートで、俺らがいろんな経験してる頃から目標を持って勉強してきた」
人たちには感心どころか尊敬することしきりなんだけれども。
それでも俺は俺の人生を誇りたい。
俺の人生はまだ折り返しを過ぎたのかどうかすら、はっきりとはわかってないけれども、
輝かしいものであると自負したい。
自画自賛だけれど、遊びの天才であった親父から鍛えられた俺は、同世代の奴よりかは
「こいつと一緒だとちょろっとだけ面白い」
みたいな感じで一目置かれていたし、
それが自分の人生においてどれだけ価値があったか、計り知れない。
若い頃から万引きだとか恐喝だとか、つまらない誘惑よりも「面白い」遊びを提供できる人間として、決して間違った方向に向かないで済んでいるし、周りを引っ張れることもできた。
俺はバカだが、親父のおかげで、自分の人生と言うものに自負を持つことが出来た。
親父よ。
あなたは偉大だった。
あなたが亡くなってから一周忌。
一年越しでやっと言えたのだが、
何故存命中にこのひと言がいえなかったのか、
亡くなってしばらくしてから気持ちの整理の付く、人間の弱さ
うちの母ちゃん(昭和20年代生まれ、ZOO KEEPER以外のコンピューターゲーム経験無し)でも全ステージクリアできたし、