モバゲーをけなす30代男性を見て思うこと::村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/09/30-d031.html
ファミコン(に代表されるコンピューターゲーム)は基本的に、技術の進歩が生み出したものだった。ご指摘の通り、当時は理解しない大人もいたが、子供と一緒にこの新しい遊びに夢中になった父親も多かった。客観的に見ても、上の世代のトランプやメンコ遊びなんかよりも高度で面白い遊びが実現されたと思う。
ところがモバゲーの携帯ゲームは退化している。携帯電話のハード的な制限により、ゲームとして大幅にスペックダウンしている。理由はそれだけではなく、プレイする側の「考えるのが面倒臭い」というニーズに応えるため、内容が大幅に簡略化されている。ハードウェアと、ユーザーの思考活動の両方が、退化してしまっているのだ。
我々は新しいものが受け入れられないから叩いているのではなく、この「前に進んでいるとは思えない状況」を憂いているのだ。新しく進化したものが我々を置き去りにしていくのはむしろ歓迎したいところだ。だがどう見てもそうは思えない現状、日本の将来に危機感を感じてしまうのだ。
携帯電話ゲーはファミコンより遥かに高度なものが多いと思うけど。 そもそも携帯電話のスペックはファミコンよりよっぽど高いし。
前に進んでいるんだよ。何をしようが時代は前に進み続けている。 それを納得出来ないのは、昔のほうが良かったという価値観にとらわれているだけ。もちろん、どの世代にもどの人間...
30代だけど、そもそもファミコンゲームの大多数は「意気込んでプレイするもの」じゃなかったんだけどね。 今の携帯電話ゲーみたいな単純なゲームが多かったじゃない。 それ以上に複...