はてなキーワード: スペイン内戦とは
9時半に始まる映画を観るため、休みだというのに7時半に起きる。真っ先にカーテンを開けて、日光を浴びる。そして洗面台にさえ行けば、あれだけ重たかった瞼は案外あっさりと開く。わかってはいるが、休みの日はどうしても朝と昼が同じになるまで寝てしまい、軽く後悔するのがほとんどだ。
無事、時間内に映画館に到着し、ミツバチのささやきを観る。帰ってから聞いた町山智和の映画むだ話から、政治色がかなり強い映画らしいけれど、スペイン内戦=ゲルニカぐらいしか知らない私にはほとんどわからなかった。大人達は戦争に疲労して、街全体が退廃した空気に覆われていたが、子供はそんな空気感をうっすら察しつつも、これから起こっていく様々な出来事に先入観のない純粋な瞳で見つめて、たくましく成長していくんだろうな。ラストからなんとなくそんなことを思った。また、父親が毒キノコを悪魔だと言って踏み潰すシーンをアップにしたのは(主人公アナの眼差しを表している)子供の見方をうまく捉えていた。両親といった大人の何気ない行為が子供にとってはひどく残酷で恐ろしく見えるもんね。それにアナの姉が、怪我した自分の指から出てくる血を口紅代わりにして、唇につけるシーンは、そういえば私も昔、同じことをしてたなぁ、なんて思い出した。この映画を観ていると、今ではもう変わってしまった、幼少期の自分が見ていたであろう世界が、ふっとよみがえってくるが多かった。先に出した例からもそうだが、映画全体をみるに、髑髏、血、火、黒猫、銃声といった暗ーい要素が多く、当たり前だが、単純な子供の映画ではない事は伝わった。だからこそ、心に残るのだろうな。だって、この映画の感想を書き終わっても、時間が経つとまた付け足したくなり、魅力もその都度増してくる。
とは言っても、いかんせん、会話が少なくてスローな映画だからか覚えていたシーンも、どんどん無くなりつつある。スペインの歴史を知った後、もう一度観賞したい。
観終わった後、以前彼氏に「ぼくは、彼女が同じ服を何回も着ていても、文句を言わないから偉いでしょ。」と言われたことを思い出し、ユニクロで服を買う。最後に辛めのラーメンを食べて、家に着く。明日は、朝からバイトなのでお腹を壊さないことを願う。
■トトロってどんな話なの?
https://anond.hatelabo.jp/20180820185203
トトロの下敷きになった話はビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』というスペイン映画で、ストーリーはほとんどこれをなぞっているだけ(妖精が見える少女が迷子になってしまい、みんなが探し回る話)。
「何が目的で話が進められてんのか分からん。」というのはある意味真っ当で、その原因はトトロにおいてはこの映画の思想的な側面がすっぽ抜けているからだ。
これがどういうことかってことを書く。
『ミツバチのささやき』は、スペイン内戦前後のスペイン国民の欺瞞に満ちた状況を、一つの家族の中に落とし込むことによって戦後のスペインのあり方を批判的に論じた作品だ。
たとえば、お父さんは弾圧を怖れて何も表現できないインテリになっているし、お母さんは過去を懐かしむだけの人間となり、お姉ちゃん(スペインのサツキ)は暴力的なフランコ独裁政権に順応的な少女となっている。
この作品は当時の政治体制に批判的な内容でありながら、当時行われていた検閲を潜り抜けるために、非常に難解なつくりになっている。
難解ではあるが、田舎の牧歌的な風景の中で2人の美少女(サツキとメイのモデル)が走り回っている姿は観ていて居心地が良く、宮崎駿のイマジネーションを大いに刺激したらしい。
宮崎駿の作った『となりのトトロ』のテーマは「子どものように偏見のない無垢な視点で物事を見ることが大事」という点にあり、これは『ミツバチのささやき』と共通する。
だが、国民の欺瞞に満ちた状況を一家族に落とし込むというアイデアはここでは慎重に取り除かれている。
その結果、『となりのトトロ』は印象的なシーンは多いものの、テーマ性が弱まり、「何が目的で話が進められてんのか分からん。」ということになった。
このことはタイトルから明らかで、『紅の豚』の「紅」は、アカ、つまり共産主義者のことだ。「豚」は、宮崎駿がよく自画像を豚として描くことから分かる通り宮崎駿自身を指す。これをつなげると『紅の豚』とは「共産主義者の宮崎駿自身」ということになる。(このことは宮崎駿の著書にも書かれている)
内容としても、飛行機好きの主人公がかっこ良く活躍するが、自分を慕う女性を蔑ろにしてしまう(が、女性の方はそれを許容する)、というもので、宮崎駿の生活をそのまま(?)なぞっている。