はてなキーワード: キリスト教文化とは
○参考人(鷹司信輔君) 私は神社本庁の鷹司として参りましたので、神社、神道のものの考えといたしましてこの点を申上げたいと思います。
この問題につきましては、是非日本の伝統を保有して行きたいと考えております。併し私共は決してキリスト紀元を排斥するものではございません。キリスト紀元の便利なところもございますので、現在のように元号式の年代表示法と、キリスト紀元法とを適宜に併用して行くのがよいと考えております。日本の元号は千三百何年の長い伝伝統を持つておりますのでありまして、それは国民の象徴と仰ぐ陛下の御名によりまして常に公布せられました。これは決して天皇主権などというような権力関係のものとは思われません。朝廷から兵馬の権も政治の権力も全く消え失せた時代にありましても、日本人は元号だけは朝廷の公布せられましたところに従つております。官公文書はもとより私人の往復文書、日記等何にでも元号を用いておりました。神社人も仏教徒も又キリスト教徒もこれを用いて怪しまなかつたのでございます。国民のあらゆる党派、教派の人々が如何なる対立関係に立つた場合でも、多くは元号だけは同一のものを用いておりました。このあたりに国民統合の象徴というような意義も感ぜられるのでございます。英国におきましては、公文書にエドワード七世第何年とかジヨージ六世三年とかいうように、君主の在位年限を以て年代を表示する方法が用いられておるようでございます。法学書や歴史文献におきましても、そのような年代表示法がキリスト紀元と併用されて用いられておる例が決して少くありません。その一般的な普及程度においては、大小の差こそあれ、これは日本の現行の一世一元の制と本質的には同様のものであろうと思われるのであります。英国では外交的文書や條約文書等は勿論キリスト紀元一本で君主の年号を用いないのでありますが、日本におきましても同様でよいと思います。外交文書には現在でも公式にキリスト紀元が用いられております。キリスト紀元を採用せねばならんからといつて必ずしも日本式の元号を廃止せねばならんとは考えられないのでございます。
我々神道人といたしましては、キリスト紀元による年代表示の方法が外交文書で用いられようと、学校の教科書や年表で用いられようと決してこれに反対するものではありません。我々の間におきましても年表的な場所では大いに利用しておるのでございますが、あらゆる場合にキリスト紀元一本に統一されて強制されるということは到底承服しがたいのでございます。キリスト紀元一本になるという法案は、必ずしも政教分離の憲法に反するものではないという理論は、理論としては成立ち得ると思います。政教分離の米国におきましてもキリスト紀元を用いております。又キリスト教に対してはむしろ反抗的でさえあつたナチス、ドイツでもキリスト紀元を用いておりましたし、又反宗教無神論者の指導下にあるソ連邦においてさえもキリスト紀元を用いられておるのであります。元号とか紀元というものは、少くとも近代国家においては政治的主権というような問題には直接的な関係を持つものではないと申せます。併しながら我が日本の国民感情を考えますと、決してドイツやソ連と同様には行かないと思うのであります。ドイツやソ連では、過去におきまして長いキリスト教文化の伝統がありましたので、国民はキリスト紀元を用いても、それがキリスト教という一宗教に特殊な関係を持つておるということを全く感じない程までになつておるのでございます。非キリスト教的な宗教教派が別段に存在しないからでありましよう。ところが我が日本におきましては、国民の圧倒的多数が神道と仏教に属しております。キリスト教徒は全日本人口のうちの僅々百分の一に過ぎんのでございます。ここで今後は一切キリスト紀元を用いる。少くとも公式文書ではキリスト紀元以外のものを用いてはならんということになると、神道人や仏教徒は何んだか、国家が特にキリスト教を支持しておるように感ずるでありましよう。これは法理論的に申すのではございません。感情の問題と申すべきでございましようが、政教分離の憲法の円滑なる連用という点から考えますと、このような感情問題も極めて愼重を要することと存じます。
今日では国家の公式文書に用いられるのと同様の元号が、神道人、仏教徒、キリスト教徒のいずれによりましても用いられておりますが、国家がキリスト紀元一本で行くことになりますと、神道や仏教では自然国家と別の年代表示法を持つことになりましよう。神社の祝祠などにキリスト紀元を用いたり、仏教寺院の墓碑銘にキリスト紀元を用いることは、我々宗教人として想像し得ないことでございます。現にこの問題が新聞紙上に報道せられますと、全国の神社人や氏子、崇敬者から随分と熱心な反対意見を申し送つて参つております。過去の東京新聞社の世論調査でも、現在のままの元号を存置するがいいという意見が、キリスト紀元一本の意見よりも二倍以上も多いということを報道しております。これはキリスト教文化の伝統が浅く、神道や仏教徒の多い日本の世論としては当然のことであろうと存じます。元号とキリスト紀元の便利、不便利の問題や法理上の問題や議論は多いここと存じますが、私は全国の神社、神道人を代表する宗教人の立場といたしまして、神道人も仏教徒もキリスト教徒も、如何なる敵宗派に属する人も極めて自然に受入れることのできる元号を存続させて頂きたいと切に希望するものでございます。日本人のあらゆる政派、教宗派の人々がひとしく国民統合の象徴として仰いで来た皇室と縁りの深い元号が将来も尚用いられて行くことを我々は希望するものであります。右のような考えを持つております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/00703020804008c.html
野安ゆきおとかいう人は初めて知ったけど、ゲームジャーナリストってバカでも名乗れる職業なのかね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140402/262188/
日本で「恋愛を中心に据えた、女性をターゲットにゲーム」の市場が確立すれば、それは日本のゲーム業界が持つ大きなアドバンテージになるかもしれません。
なったらいいけど、ならないだろうね。
この野安とかいう人以外はみんな分かってると思うけど、あまりにひどい記事だったんで一つ一つ突っ込ませてもらう。
そもそもアンジェリーク自体がときメモだか同級生のヒットによって作られたんじゃなかったっけ?
書店には恋愛をテーマにした少女漫画がたくさんありますし、DVDショップに女性向けの恋愛映画のコーナーがありますが、家庭用ゲームの売り場には、女性向けゲームのコーナーはほとんど存在しませんでした
全ての女性は恋愛テーマの作品しか楽しまないと決めつけている。
こういう、勝手に「女性向け」の嗜好を区別して押しつけてくる人間は本当に不快。「男性向け」を押しつけるのと同じく差別的。
ゲーム好きだろうとそうじゃなかろうと恋愛テーマが好きな女もいれば嫌いな女もいる。現実の恋愛への態度と架空のそれへの態度も違う。
「アンジェリーク」は、女性向け恋愛シミュレーションゲームは大々的には売れない、という印象を残してしまったのです。
アンジェ等の乙女ゲー愛好者=全女性ゲーマーではない。乙女ゲー嗜好は女性オタク全体で見ても少数派。男×女が好きなオタクでも乙女ゲ一好きとは限らないし、そもそも(女性は特に)ゲームやらないオタクも多い。時代がどうとか関係なく、「ハーレクイン設定で恋愛ゲームしたい女」は元から多くない。
ただしゲーム業界全体で見ればアンジェの売り上げは大きくなかったものの、女性オタクの一部に強烈なファンを獲得したのは事実。ゲームジャーナリストというならアンジェが開拓した市場について書くべきだろうに。
その結果、当時のゲーム業界は女性にターゲットを絞るのではなく、 これまでのゲームに「女性も楽しめるような要素を足す」という形で、 女性ユーザーの取り込みを狙います 。
なんでこの人の中では「女性にターゲットを絞る」=「乙女ゲー」になってんの?
上で書いたとおり女性ゲーマーだけに絞っても「恋愛シュミレーション」を好きな層は多くないんだよ。
なぜなら全ての女性が恋愛テーマの作品を好むわけじゃないから。「女性向け」と銘打って恋愛あげぽよ仕様にすれば女が食い付くとかそんなわけねーわ。
1994年のプレイステーションの登場以降、RPGなどの人気ジャンルには格好いい男性キャラクターが登場するようになるのです
ストⅡのケンとかリュウとか女性に大人気でしたが。93年以前の男性ゲームキャラは格好よくないと言ってるも同然。
ゲームを楽しむ女性が大集団であることが可視化されてきたのです。そんな時代の流れを受けて、ゆっくりとではありますが、女性向け恋愛シミュレーションゲームが作られ、宣伝される時代になりつつあるのですね。
なんでこの人の中では「女性にターゲットを絞る」=「恋愛ゲー」に(ry
女性ゲーマーが可視化されたら恋愛シュミレーションが作られるんですか、そうですか。
ネット普及するずっと前からあった言葉だバカ。詳しくないなら調べるくらいしろ。
だからなんで比較先が「恋愛コミック」限定なんだよ。あとBLコミックは「普通」の恋愛コミックじゃないって書き方は記者としてちょっと無防備すぎじゃないのかね。
いきなり何言ってんの感ハンパない。
じゃあ海外の腐女子は全員、自身が同性愛嗜好を持ってるんですか?
なんかこの人、ゲイのほとんどは外国人とかいう偏見持ってない?
自身が同性愛者ではないのに、同性愛的嗜好を持つコンテンツを楽しむ、というのはキリスト教文化圏では発達しにくい趣味嗜好あり
海外=キリスト教文化圏と短絡しているのもあれだが、たとえばスラッシュ(海外の腐向け二次創作)は70年代末に生まれたというのが定説で、24年組や第一回コミケより少し遅いくらい。
それが今じゃスパナチュのディーン/サム萌え腐女子がドラマ本編でネタにされるくらいメジャー。
「発達しにくい」とか海外のスラッシュファンダム見てから言え。
今までもずっと成長してきたし、つーか『好きしょ!』がアニメ化される時代に何ドヤ顔で「女ってこういうの好きらしいですよ、こうすりゃ売れますよ」とかやってんだ。
誰も聞かねえよそんなの、って言いたいけど結構な割合で鵜呑みにする人もいるんだよなあ。
たしかに海外のゲームジャンルでは日本のアニメっぽい美形男性キャラが少ないと言われてるようだが、女向けにイケメンキャラ出しときゃいいだろみたいな主張には心底腹が立つ。
ゲームに限らず女性にも人気が出た作品は、世界観やストーリーがしっかりしていて男女問わず楽しめる質の高い作品だったからこそ売れただけ。
女性をターゲットにしていても手を抜いたら売れないし、むしろ悲しいことに手を抜かなくても女性は男性ほどゲームに金使わないってのはBLゲーで大敗した企業はとっくに分かってるはずだ。
乙女ゲー嗜好はニッチだし、BLゲーはニッチな上に好みが多様すぎて採算取るのが難しい。
だからほとんどのゲーム制作者は「女性向け」ゲームには進出したがらないわけで、その分そこをあえて挑戦してきた制作者には敬意を払いたい。