シンパとかは置いておいて、「書き」の訓練が貧弱すぎる気はするな。「読み」に比べて先生たちも採点に苦労するから嫌なんだろうけど。
ニュース見てると最近、園児虐待などのニュースを色々見るが、地元の田舎では全部当たり前過ぎてこの程度でいちいち騒がれることに驚いている。
そして、田舎ってやっぱクソだわって改めて思う。
弱者男性のリプロダクティブ・ライツも確保してください
後藤ひとりという美人で自己肯定感の低い女を甘やかして撫で回したいと考えている他の女の感情は分かる。
でも男同士がこういうことをすることはまず無いと思う。
強いて言うなら新しい坊主頭に出会った時や髭の濃いやつに出会った時に感触を確かめたくてジョリジョリするぐらいだろう。
だがそこに相手の精神に何らかの作用を及ぼしたくてすることはない。
肉体に対しての根源的なイメージが全く違う。
なんというか、主夫として振る舞う父親がどうやっても主婦として振る舞う母親と同じ存在にはなりえないような壁がある。
それは犬が猫になれないようなものであって、それを「差別的」と罵るようなのは手段と目的がすり替わっているようにしか思えないのだ。
したらええやん!
現実は、この文章の論理を理解できない人間と、○ ✕ ○の意味で問題文の文章を書く人間などが混在していて、偉い方や金を出す方の意向に合わせて動く必要があるのでどうにもならないんやで。正しく読めばそれで済むわけではない。
あすなろ福祉会とは何も関係のないきょうだい児だが、論点がわからなくなってきたので整理したい。
・両親のうち一名知的障害者
・下の兄弟は支援学校高等部卒業後、入居型施設に入居。週末などは帰省。
・親も下の兄弟も小学校入学前〜低学年くらいのIQ。親のほうが重い。
自分の近況を整理する。
下の兄弟が施設に入居してからしばらくして、特定の入居者と仲がいいという話を聞いた。そのときよぎった不安が、「もし下の兄弟に子供ができたら誰が面倒みるのか?」だった。親は年齢的に先に死ぬ。大体親の片方は障害者だし、もう片方も役所の説明が分からなくて帰宅するような人だ。わたしが養子縁組でもして育てることになるだろう。そうなったとき自分の結婚・妊娠・出産・子育ては?と思い至った。幼い頃から障害者を複数抱えるわたしと結婚してくれるような配偶者はいないだろうなとうすうす思っていたが、それがより現実的になった気がした。
・旧優生保護法と同じことをしているのでは?
障害者の遺伝子を残したくないという発想ではなく、現実的に子供が育てられるか?という判断から行われた不妊手術なので、まず論点は「障害者は子供を育てられるか?」。
親も下の兄弟も、掃除や風呂といった身の回りの衛生管理は出来ない。小銭程度なら買い物ができるが、札を扱うことはできない。いずれも、子供のように教えれば成長するという類のものではない。彼らのIQの限界である。そうした状況では周囲の支援が不可欠だが、その周囲の支援は誰が何を行うのだろうか? お金だって障害者年金では足りない。結局家族が手間と時間を割き、お金を出さなくてはならない。
そうした理想的な施設があればモデルケースとなるので今すぐ全国に紹介したほうがいい。
・障害者に子供が育てられないというなら、年収が低い人だって育てられない
自分の身の回りを最低限整えられる人と障害者は一緒にできない。ネグレクトとかになる場合は健常者であっても行政が介入するのだし、子供が不幸に育つことと子供が育てられないことは別ではないかな?
わたしはたまたま事故などなく成人できただけだと思ってる。祖父母が近所に住んでいて最低限のことを整えてもらったから社会生活と切り離されずにすんだけど、幼稚園の頃はまともな食事が出てこなくていつもガリガリ、頭が臭いと言われていた。わたしの場合はたまたま周囲に支援者がいたが、そうでない場合は行政に頼るのか?そんなうまいことやってくれる施設ある?