涼宮ハルヒの憂鬱と同じ時期、女子高生GIRL'S-HIGHのEDは見なかったのか?梅津泰臣の作画はおそらくロトスコープに基づいているが、アニメーションの快楽に溢れた素晴らしいものだったよ
要約
マイナーカプで活動していた筆者が、メジャーカプにハマった理由を語った。サークル参加は自分だけで、サークル参加も自分だけだったという。サークル参加も自分だけ、左右のサークルは別カプサークルだったとのこと。
年収100万の男性が自分より高い年収の女性と結婚しようとしないのか、
年収100万以上の男性が年収100の男性と結婚しようとしないのか、
両方の可能性が考えられて
自分より下の年収の男性と結婚したくない、という女性が多いということが判明している
車の後部座席に座るばかりで一人前のつもりなやつ、滑稽だよなあ
ロトスコープについて、筆者が疑問を呈している。ロトスコープが駄目な技法であると主張したいわけではないと指摘。ロトスコープが手抜きだと言いたいわけでもないと述べている。
欲求だけならそのうち飽きてほっぽるだろうに、それをしないのが親だよ。
欲求だけならそのうち飽きてほっぽるだろうに、それをしないのが親だよ。
中々長い同人人生の中で、貴重な体験をさせていただいたので、記念に「増田」というものを一緒に体験しようと思い、この話を書くことにしました。
お暇つぶしに読んでいただければ幸いです。
私は所謂「マイナーカプ」で活動をしていました。もちろんあえてマイナーを選んだのではなく、ハマったカプがいつもマイナーでした。
そのカプでのサークル参加はもちろん私だけ。ウエブで活動してる方はいましたが、出ている同人誌の9割は自分でした。
ありがたいことに、自分の作品をそこそこ読んでくださる方がいらっしゃったので、マイナーなりにも承認欲求はまぁまぁ満たされている状態でした。
ただ、メジャーカプの、アンソロジーやプチオンリーには、やはり憧れるものがありました。
同カプでお祭りできるのとても楽しそう。同志でアフターもとても楽しそう。
いつもボッチ参加でボッチで帰るタイプだったので、キラキラした世界でした。
いつか自カプがメジャージャンルにならないかなー、なんて何年も思っていました。
もちろんメジャージャンルの基準は当社比ですが、イメージとしては今までの100倍以上の規模でした。
既にでたくさんの人がpixivに作品を上げていましたし、ツイッターでも作品が溢れていました。同人誌もたくさん発行されていました。
初めは戸惑いましたが、自分の作った作品が、今までのマイナーカプの比べ物にならないほど反応がありました。絶対数が多いので当たり前の話なのですが、とても嬉しかったのを覚えています。
ありがたいことに、そのメジャーカプのアンソロジーやプチオンリーにも参加させていただき、とても楽しくて奇跡的な体験ができたと思いました。
しかし、私はそのメジャーカプにハマって、とても心が疲れてしまいました。
原因としては大きく2つ。
1つ目は、「同カプ界隈全員が自分の作品を見てくれるわけではない」ということ。
マイナーカプの時は、マイナーであることである意味自分が神でした。サークル参加も自分だけ、左右のサークルは別カプサークル。サークル前を素通りされても気にならないし、絶対数が少ないので反応の少なさも仕方ないと思っていました。
しかし、メジャーカプにハマったことで、そのことが目についてしまったのです。
あの人の新作には感想が来るのに、自分の新作には感想が来ない。
マイナーカプの時は、自分のために本を書いていると思っていたのに、どれだけそれを言い聞かせても、嫌でも比べてしまいました。
界隈の人間が多ければ多いほど、当たり前なのですが、いろんな人間がいます。
ハマったメジャーカプの界隈では派閥のようなグループができていました。
仲良かったと思っていたのに、AさんとBさんがいつの間にかブロックし合ってたということもありました。
Cさんの事が気に入らないから、Cさんとつるんでいる私のことも気に入らない、とDさんにブロ解もされたこともありました。
他にも色々あるのですけれど、ピンポイントなので避けます。人間ってめんどくせぇなぁ!!!!!!
なんかすごい疲れました。
これを書き起こしてる段階で、人が多ければ当たり前のことだなぁ…と思っていますけれど、井の中の蛙が大海を体験して覚えた感想です。
もちろんたくさんの自カプの作品に触れられたのはとても楽しかったですし、勉強になりました。いろんな性癖があるな!!!うん!!!!
そして今、蛙こと私は井の中に戻る、ということを選択しました。
もちろん無理やりというわけではなく、たまたま次に書きたい熱がメラメラ燃えているのが、井の中だっただけなのですが。
今のところまだそのカプのサークル参加は私だけです。
広い大海のときより、のびのびできる〜!!と負け惜しみみたいな感じになっているのも事実です。
ただ、「これがメジャーカプの苦しみ…」という貴重な体験ができたのは、とても良かったと思います。
さーて、井の中温かいな〜〜泳ぐぞ〜〜!!
締切間に合わない
いささか言葉足らずでしたので
ロトスコープについての補足
と主張したいわけではないですし
ロトスコープが手抜きだと言いたいわけでもない。
そして(大事なことですが)ロトスコープが嫌いなわけでもありません。
さらに付け加えるとロトスコープでないと描けない表現というものがあるのは
すでにハルヒという作品そのもので証明されているのは言うまでもないことです。
ただ当時の自分の考え方として
落とし込んでいくかが、
アニメーターとしての腕の見せ所だし
という認識がありました。
その表現を手放しで褒め称える人たちへ疑問を持たさせたのも事実でした。
アニメーションって、そういうことだったっけ?
それは率直な疑問でした。
今風に言うと意識のアップデートを出来ない自分というものを知ったのです。
原因なのかどうかはわかりませんが
徐々にアニメを見る本数はすくなくなっていきました。
私のロトスコープに対する違和感というのはこういう説明でわかっていただけるでしょうか?
今更、こういったことを書いたのは何故か?についてですが
すでに多数指摘されるように随分と古い話ですね、これは。
本来ならもっと前にどこかで吐き出しておくべきようなことです。
ただ何というか論争をしたいわけではなかったのです。
こんなのアニメーションじゃねえよ、とか言いたいわけではなかったのです。
ただ上記のようなことを言葉を選んで訴えかけたところであの当時には
論争をしたいわけではなくて自分の気持ちを理解して欲しいだけの
私としてはこういった思いを胸にしまっておくしかありませんでした。
そうして長い年月が流れました。
そろそろいい加減、胸に残っているこの思いを吐き出しても
誰からも苦情は来ない時期だろうと思って書きました。
ひょっとしたら、俺もそう思ってたよ、というひとりでもいないものかと思って。
入れ替わるようにハルヒで長門にドハマリしてオタクになったという
と語ったことはあったのですが
その詳しい理由は言わなかったな、とふと思い出して
その古くて若い友人がいつかどこかでこの文章を読まないものかな
という期待があって、この場を借りて書いたものです。
最後に、私の文章を読んで不愉快になった方がいるかも知れません。
しかし、それは私の本意ではなく文章力の拙さであると理解していただければ幸いです。
言うまでもなく「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメ作品はマイルストーンというべき画期なアニメです。
間違ってもこういう車でマウントとるクソ親父にはならないこと
海外の高容量サプリを飲んでたから、このサプリすげ〜ってなった
医薬品の貧血薬でも治らなかったのにどんだけ高容量なんだ、と思った
鉄の量じゃなかった
今回サプリを変えたことに加え、タンパク質を多く取るようになった
鉄分は体内でタンパク質と結合して保存されるから、タンパク質がないと吸収もイマイチらしい