ひどい部分だけが出回ってるけどいい話もあるし
石川さゆりとジザメリの下敷きのエピソードなんてすごくいいよね
ポリコレ的に正しい接し方ではなかったけど、
そのあたりの両義性を見せたかったんだろうけど、
今の時代のコードには適合しなかった、普遍性をもたせられなかったんだな
根元敬は特殊漫画家という立ち位置だから許されているだけであって、
お金持ちに生まれて私立の学校に行ってオシャレなミュージシャンとして成功した人間が
でもやっぱり俺はとても小山田を責める気にはなれないな
小山田が存在しなかったらSとMの人生が良くなっていたとは思えないし
健常者のクソガキの群れに放り込まれた知的ボーダーの変わり者と
いじめの現場を笑いながら傍観し、いじめのアイデアを提供したエピソードが
ロッキング・オンとクイックジャパンの語り口は間違ってしまった。
でもよくよく読んでみるとそうした過激ないじめのエピソードというのは、
加減を知らない先輩がやらかしてるのを傍観してて俺は引いてたっていう話なんだよね
そこに反省の視点がなく笑い話にしてしまってるのは事実なんだけど、
高校生になって友達が少なかった小山田がSと隣の席になってSのファンになり、面白がりながら
観察し問いかけを続け、結果的に誰よりもSとコミュニケーションを取るようになっていった
年賀状を笑いながら晒したのも最悪なんだけど、Sからしてみれば小山田は積極的に話しかけてくれる
一番の友だちだったのだろう
Sが卒業後に症状が悪化してしまったのも、小山田との関係がなくなり、小山田のように
おおまかな式はあっても変数や関数に人の手が入ってるんだろうな
式とグラフと恣意的でもデータ抽出条件を出せば他の人も確認できるし改良もできるかもしれないけど、それすらしない辺り雰囲気の比重が大きいんだろう
ぶっちゃけ悪口コミュニケーションは最近俺もよくやるようになった
えらすぎる。
自分は犯人に対する感情移入は作品として意図してないように感じたな。感情移入して読んだ人もいるのかもしれないけれど。
京都アニメーション放火殺人事件だけを想起するとクリエイターを目指して目が出なかった精神疾患の犯人像を重ねてしまうけど、美術系大学の学生が理不尽に殺された京都精華大学生通り魔殺人事件もおそらく下敷きにしているし、タイトルやコマ中の書き込みで引用を示唆しているオアシスの「Don't Look Back In Anger」はマンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件のテロを目の当たりにした人たちに歌われてきたという経緯がある。
これらの事件に共通するのは理不尽な死だ。犯人の思想や動機に共通点はない。つまり犯人像はわりとどうでもよく、ただ訳もわからず被害に遭ったということが重要だったのではないかと読んだ。
理不尽に大切な人やこれから多くの作品を生み出すはずだった才能を失ったときに、残された人は怒り狂うでもなく、嘆いたままでもなく、つらい思いを抱えたまま日常を進む物語だと感じた。
こんな感じの歩行者轢いた交通事故って毎日のように起きてるんじゃないの?
被害者が痛ましいのは分かるんだけど、それは他の事故でもそうだし。
加害者が非を認めてなくて何か主張してるってのも別によくあることじゃないの?
流石にテロ的にわざとやったわけじゃないだろうし。
わたしも「デザインあ」の音が好きだった。オリンピックに関わらなかったらそこまで嫌悪感はなかったかもしれない。そこにいれば適格かどうかは求められなかったのにな。
今回のニュースって結局いじめっ子の中でも「ヘマをやらかしたいじめっ子」がより上位のいじめっ子にいじめられてるだけだから
結局「誰にも仕返しされず他人を害し続けて自分だけは幸せに生き続けている奴」は現実に存在するんだなとも俺は考えてる
「聲の形」って漫画で元いじめっ子の主人公があまりに酷い事やりすぎたせいで浮いていじめられるようになるんだけど
オリンピック関連の記事で「呪われてる」とかって出てるけど、そういうことじゃなくて、負のルールの中にある仕事ってハードルが高くて難しいからそれを乗り越えられる人材がいないってことだと思う。
みんなあんまりやりたくない仕事で、モチベーションもなくて、成功したとしても褒められないような未来しかない時に「よっしゃ!ここで見返してやろうぜ!」っつっていい仕事なんか出来ないでしょ。みんなそうやって少しずつやる気を失っていって、まともな仕事してた人も段々疲弊していって、普段なら70点出せた仕事でも40点くらいになっていく。賢い人は逃げていく。
だからオリンピック関係者も、官僚の人たちも大変だろうなと思う。でもここから劇的な改善ってないよね。そうやってどんどん弱体化していって、まともな点数も出せなくなくなって、その先にある未来ってどんなんなんだろうな。