性質的に敵対せざるを得ない生物同士の間に情愛が生まれることを信じてないのが今のオタクだもんな。
自分たちの都合にいい相手のみを求め、都合の悪い相手は皆殺し、まるでナチズムじゃないか。
俺ちょっと信じられねえよ。
そうすれば別に父親らしいことをしなくても仕方がないと思うことができる。
戦いばかりでなく、自分自身の生き方(恋するとかなりたい仕事のために勉強するとか)があるんじゃないかと悩んで、そこを敵につけ込まれた時の挽回策が全員揃って「セーラー戦士として戦うことが使命であり、この使命を果たすことこそが"夢"!」で終わる。
令和にこのまんま放映できちゃうんだなー
Twitter、それは好きなことを好きな時に好きなだけ呟ける自由なツールだった。
しかしここ最近、Twitterをしていても気づけば言いたいことを飲み込んでいる自分に気がついた。
政治批判をすれば政治批判をしている人物が集まってくるし、オタ活をしていれば同ジャンルのオタクがホイホイされてくる。
そしてこれは人格にも同じことが言えて、口調が荒い人のもとには口調が荒い人がやってくるし、ネガティブな思考者のもとには、やはりネガティブな発言の多い人がやってくる。
私はどちらかと言えば、悪口を平気な顔で言う人や、ネガティブな発言を繰り返す人は苦手だ。
それよりは穏やかな口調で、建設的な話ができる人と話したい。そういう人らと繋がっていたい。
それは自分でも間違っているとわかっている、逆恨みに近いような激しい怒りの感情。
翌日になって頭を冷やせば、あのときの私はなぜあのようなことを……と後悔が押し寄せるような汚い言葉の数々。
それはなぜか。簡単な話、私は普段は穏やかな投稿を心がけているからだ。
アカウントも既に3年近く使っているもので、それなりに仲の良いフォロワーもいる。
そういう人たちからどう思われるかを考えると、どれだけ心が荒んでいても、グッと言葉を飲み込んでしまう。
結果として、私の激しい感情の高ぶりは、変にくすぶったまま心のうちに留まることとなる。
なら別のアカウントを作って、鍵をかけて愚痴垢にでもすれば良いではないか、と思う人もいることだろう。
でもそれは違う。ぜんぜん違うのだ。
そして欲を言うのならば、私の言葉で誰かを傷つけたい。
人を傷つけて許される場所などないし、さらにゴミみたいな発言を重ねると、私は傷つきたくない。
私はこれまで悪意の有無に関わらず、多くの人の言葉で傷ついて生きてきた。
これは別に私だけでなく、多くの人がどこかのタイミングで誰かの言葉に傷ついて生きてきたと思う。
だから次は私が、人を傷つけたい。散々傷ついてきた分、次はお前が傷をつけられる番だと。
お国のために火の玉特攻!欲しがりません勝つまでは!って勉強してね。
というか、
『女性差別が増えた・減った』に関しては社会学者の間で合意された測定方法があり、それは牟田先生や小宮先生だけでなく、社会学者が正しいやり方で行えば誰でも追試が可能な方法です。
こんな方法が仮にあるのなら、まず長期的な統計があって、「萌え絵の増加とともに女性差別が増えており、因果関係はともかく少なくとも相関関係はある」という結果があるはずなのでは?
まあ一理はあるよね
本人の中で区別するんじゃなくて
役割分担するのがあたりまえ
そうすれば研究者の言説は客観的な知識として市民社会に参照され
研究者倫理を批判されたら今は活動家です、でも研究者でもあります、が許されたら
言ってることがおかしいことに気づけや
・ほんとうに失礼だなと感じたなら、レシート置いて帰っちゃうとか。(対等で・年齢も同じくらいの2人なら)
だってこの文面通りなら、増田さんに非はないし、傷つくじゃない。そんなことする2人は感じ悪いよ。
・もし2人とも増田さんにとって得難い大事な人達なら。自分が先に会計済ませておいて、
「仕事で呼び出しがあったのでおさきに―」とか何とか言って、お先に退散しても良かった。
ぶっちゃけた話さぁ、フェミニストが鬼の首レベルな高予算男性向けと低予算女性向けをやり玉に挙げたわけよ。
前者はCCさくら。NHKとか多少はアクションがある言い訳してもね、後者が封神演義 藤崎竜なのよ。
それは流石にまずい。「本来の男性向けは封神演義だろ」とつっこみを入れたところで女性冷遇という事実は変わらんわけよ。
何しろ、アクションというのは金食い虫という一般常識を巧みに突いた吊し上げだから。
そう、「女性向けに対する偏見」が表沙汰になった反面、いつまでも<アクションフォビアファシズム>は通用しないという現実が左翼に突き付けられている。
韓国のやることなす事、軍隊 徴兵制 核兵器 表現規制 何でもかんでも「韓国は素晴らしい、日本も見習え」とイキリまくっている連中がとうとう「韓流アクション最高」を剥き出しにしちゃっているわけよ。