まあまあ遠距離で結婚考えてる彼氏が、同じ土地での就職決まらなかった。
彼氏は地元で内定一つ貰ってて、そこに一番行きたがっていたので、もうこれで就活終わり。
結婚するならどちらかの地元に就職場所を合わせなきゃいけないから、私がもう一回就活やり直すことになる。
一応彼氏の土地に近いところ一社受けてたんだけど、落ちてたんだよな。
私の就活の第一希望は「自分の地元で働ける」ってことだったからやっぱり身が入らなくて。
自己PRも学チカも地元で働きたい!ってのが第一に構成していたから、全部書きなおし。
彼氏が好きな仕事についてくれればそらーそれに越したことはないけども、私も地元で働きたかったなあ。
Aの個人情報をBがベラベラとバラし、それを聞いたCがAに聞きに行き、Aがそのことが原因で会社を辞めたことに対して「Aが直接Cに話したわけじゃないのに、なんでそれをAに確かめに行っちゃうの?バカ?頭悪いの?話してもらえなかったのそこまでの仲じゃなかったからじゃん空気読めよ~」と喚いていたB、普通に意味がわからない。え、じゃあAに口止めされてなかったの?お前がベラベラバラすからそうなったのでは??と思った。
よくわかんねーな。BのBはベラベラお喋り野郎のB。
自分がされて嫌なことはしたくないので、なるべく私は誰とも喋りたくない。まあ社会に出たらそうはいかないのだけど。
私は私が話し掛けてきたらとてもじゃないけど耐えられないと思う。他人だけじゃなくて自分のことも嫌いだなこいつ。
今回のBのことに限らずだけど、他人の情報をベラベラバラす人間って何を考えているんだろう。
「俺はお前にあいつの話をしてやるが、お前から誰かにあいつの話はするなよ」みたいなことなんだろうか。じゃあお前がまず黙れよ。
私は他人に一切の興味がないので、仕入れた話も右から左へ受け流してしまうけど、大体の上手く人間社会で生きている人たちはそういう情報を手札に足していってこう、なんか、上手い具合にあれしているんだろうな。人間社会に溶け込めていない私はわからないけど。
別に誰がどこで何をしていようが勝手だけど、私がBに話したことが私の知らない人間の耳に入って手札に足されていたらすげぇ気持ち悪いなと、また人間不信に磨きがかかってしまった金曜日だった。
おわる。
私はもともと自ら進んで本を読むタイプではなく、現代文の授業も退屈に全く聞いていなかったので、何だか難しそうである日本近代文学というものも全く知らずに生きてきました。文学部とは反対に、実益に価値を置く商学部においてこのような人は多いと思います。それにも関わらず本講義を受講したのは、就活という制約のために労力をそれほどかけることができないという条件に合致し、次に近代文学に触れる可能性のない人生というのは少々勿体無いのものではないかと考え、何か読み始めるためのきっかけになるかもと興味が得られたためです。
この授業はそういう文学初心者には丁度いいものだったように感じます。扱う題材も文豪たちの探偵小説からということで、ある程度プロットがしっかりしていて初心者にもとっつきやすいものでした。また先生もそういう人たちに配慮して少しでも興味を持てるように工夫して授業を行なっていたように思います。大量のパワポの準備や、足を使って村を訪れるなど、手を抜かないところも好印象でした。作品や作者に対する解説や解釈も一歩踏み込んだものが多く、ここまで深い読みがあるのかと感心することも多かったです。
そのおかげか、小中高とあれだけ現代文の授業を毛嫌いしていた私にとっても、この講義は面白く興味深いものとなりました。と同時に、ある小説の一篇を長時間かけて解説させられる普遍的な現代文の授業スタイルがますます害悪のように思えてきました。
またレポートを提出させ、優秀なものをプリントにして共有するというのも良かったです。私の字数を埋めただけのようなレポートに比べて、同じ学生でもなんて中身のあるレポートを書くのかと刺激を受けることもありました。特に氾の妻についてのプロ顔負けの自作小説には驚きました。私も一度くらいプリントに載るようなレポートを書いてみたい気持ちもあったように思いますが、そもそもこれまで二回しかレポートを提出できていないので気のせいだったかもしれません。
そういえば最近、私は講義を受けていなかったらまず読んでいなかった春琴抄を非常に面白く読み進めています。どうやら講義を受けるにあたって近代文学を知るきっかけにしたいという思いは気のせいではなかったようです。あとは単位さえ得られれば当初の目標をほぼ完璧に達成することができそうです。よろしくお願いいたします。
提出日時:2012/01/30 00:27
携帯が普及して土日でも社員を呼び出すことが出来るようになったからだ。
今は本来休みのはずの土日が「上司から電話がかかってくるかもしれない」という恐怖から土日が休養日にならない。
誰が悪いんだろうね。これ。
この考えに至る人は「鬱」らしい。
自己評価が低いということは自分の存在に対して価値を見出していないから、「鬱」ということらしい。
お金目的のサイトに書かれている文章を真似てみたのだがどうだろうか。
すごく汚い。
めちゃくちゃ手間かかってんだぞあれ。
ロリコンの大家宮崎駿の代表的ロリコン作品とされるカリオストロの城だけど、
確かに若い少女に執心するルパンと伯爵はロリコン的にみえるが、
クラリス自身のキャラ造形は少なくとも現代では普通の若い女性の造形にみえる。
同じ様にワレラ・ロリー・コンダーがミンメイ好きなのもピンとこない。
PCのデスクトップに「胸骨圧迫.txt」っていうテキストファイル置いておいて、
たまに内容をアップデートしつつ、忘れないようにしている
人工呼吸は省略してもよいってなってからだいぶ敷居が下がったように思う
オタクのすべてが幼女好きじゃないし、まして美少女文化的なものを蔑視するオタクもいる。
どうもネットの偽フェミや、あるいはオタク自身もこれを理解していないのではないだろうか。
オタクがいわれなき差別を受けているというのは、オタクの中のい一部のロリコンのためにそういう差別を受けているわけで
抜けるだろ?