当然、ゆで卵も塩なんだろうな?
小町崩れとか、営業とか、貧乏人で辛いみたいなエンジニアじゃないやつらばっかりで、マニアックな話題してもだれも食いついてくれない
俺は何もかけずにそのままご飯に載せて黄身をぐしゃぐしゃにして食べるのが一番好きなんだけど
こう答えると「そういう話は今してない」って言われる。
じゃあ何の話してるんだよ。
俺はあげた。1,500円だったけど。
5年ぐらい前だったかな。
免許証あずけるとか必ず返すからとかいってたけど、どうせ返ってこないだろうわずかなお金のためにこちらの個人情報を渡すのも嫌だったし、1,500円ぐらいのことで免許証を他人に預けるぐらい困窮してるならこれはもう施しだとおもってお金あげた。
免許証も確認しなかったし名前も住んでいるところも聞かなかった。
その青年はとくに感謝するわけでもなく金を受け取ったらまた夜の街をどこかへふらふらと歩いていった。
もしかしたら時々俺のような頭のぬるいカモがいるので手当たり次第に声をかけていただけかもしれない。
あるいは本当に返すつもりで声をかけたのに、乞食のように一方的に金を恵まれて侮辱されたと内心怒っていたのかもしれない。
しかし交通費うんぬんがまるっきり嘘だとしても、あげた金をあとから惜しむような気持ちにはならなかった。
善行をしたという気分ではまったくなかったけど、その年の近い男はもしかしたら違う道を歩んできた自分自身の姿のようにおもえたから。
1,500円は当時フリーターをしていた自分にとっては2日分の食費、本当はたかがといえるほど少額でもなかった。
ともあれ、形だけでも返してもらう約束をしてお金を渡してたら、きっと後々まで金を貸したことを思い出しては裏切られたように感じてムカついていたとおもう。
腹痛くなるし
頭痛くるし
三叉神経痛もでるし
肋間神経痛もでるし
起立性貧血もあるし
閃輝暗点もおこるし
いつも憂鬱だし
熱いし
寒いし
腰痛いし
酷いめまいするし
乗り物酔いするし
集中できないし
ガチでやる気でないし
エゲツナイほどの眠気がいきなり来るし
あとなんだっけ
「その他」みたいな感じ
あーあー
直属の男性上司は、テキパキと仕事をこなし、残業を強いることもなく、愛想がいいとまでは言わないが普通に部署内の雑談にも参加する人間だ。
私の育成が自分の仕事の一つだと思っているようで、根気よく教えてくれる。
他の上司というものを知らないから、「可もなく不可もなく」だと思っているが、「不可がない」時点で実際にはかなり恵まれているのだと思う。
彼の、今年大学を卒業するという息子の名前が、2010年代生まれといってもおかしくないようなキラキラネームだったのだ。
雑談の折に、不意にカミングアウトしてきて驚いたのだが(他の社員さんたちも知らなかったらしい)、さらに追い討ちをかけるように、上司は自分がつけたというその名前に誇りを持っているようだった。
その瞬間、それまで抱いてた「まともな人だなぁ、堅実な人だなぁ」という思いは砕け散った。
恋心や憧れの類は一切感じていなかったが、自分を教え導いてくれる上司のことを、まっとうな人間だと思いたい気持ちがあった。
男がやった件数がこの世に一件もないなんていってねぇだろダボがwwww
実際の件数として圧倒的に女が多いのは事実なんだが〜?wwwww
さすがまーん笑
https://www.google.co.jp/search?q=コンドーム+穴&oq=コンドーム 穴&aqs=chrome..69i57j69i61l3.5221j0j4&client=ms-android-om-lge&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8
いや、実際のところ、神木くんみたいな役者さんって貴重なんじゃないかな
その点、君の名は。の神木くんの声はものすごく「普通の男子高校生」っぽさがあったと思う
ただ、逆に言えば神木くんみたいな声の持ち主がいたとしても深夜アニメなんかには居場所が無さそうなんだよね
書き方が悪くて伝わりにくかったかもしれない
神木くん自身が実写映画でも出ずっぱりなのはその通りなのだけど
アニメ映画には実写の俳優ではなくてアニメの声優を使うべき、みたいな論調があるでしょ
で、「君の名は。」にアニメ声優を使うなら誰だろうって、向こうの増田のコメントにもあったけど、
「君の名は。」の主人公を演じることができるようなアニメ声優がいたとして
他のアニメでも仕事を取ることができるかというと難しんじゃないかなあ
と思ってしまったという話
俺はパチスロをやるし、こうして増田に何か書いては100ブクマ超えたーとかで一喜一憂している人間である。
で、このパチスロをやって当たった時の快感と、自分の記事にブクマが集まる快感と、比べてみるととっても似ている。
なんていうか、自分がすごい人間になったような気がどことなくするのだ。
昔のスロ仲間が、こう言っていた。
「俺は家でスロアプリやっていてもつまらない。ゲーセンで遊ぶならギリ我慢できるけど、やっぱりホールで出したい」
この言葉を聞いた当時はやっぱり演出よりも金だよな、と思って聞いていたが、でもそれならゲーセンで我慢できるわけがない。そこが謎だった。
で、最近の俺の記事にそこそこブクマが集まったりして得た快感とパチスロが当たった時の快感が似ているな、と思った時、この言葉は別の意味を持ち始めた。つまり、『人前で』大当たりしていることが重要なのではないかと。
パチスロの世界には『どやタバコ』なる用語がある。大当たりが始まった時に吸い始めるタバコのことだ。俺はタバコはやらないから、このどやタバコにどんな意味があるかイマイチわからないが、俺は当たっているアピールだとすると納得がいくのである。
ネット上の承認欲求もそうだ。ネット上に俺が書いた記事がじわじわ広がっていくのが数字でわかるあのブクマ数。あれが増えていくのを眺めるときの渇望は、パチスロで大当たりを求める渇望の麻薬っぷりとよく似ているのだ。
まぁこんなことを書いているが、実はもうパチスロはやめようと思って、今日専門の精神科医の先生に相談しに行った。先生は最後にこう言っていた。
「ギャンブル中毒の皆さんはいろいろなことを言うけれど、総じてみると当たった時の『自分はすごい』という感覚が忘れられなくて止められないように見える」
けれども、『自分はすごい』という感覚のためにパチスロを打っているのだとしたら、『自分はすごい』という感覚が得られるはてブの世界に俺の依存先は転移するだけに思えてならない。
はてブの世界はパチスロほど金は使わないからまだ健全かもしれないが、それでもあの渇望が、あの麻薬が、自分にとって良くないものだという感覚は変わらない。
ああ、本当に業が深くてやってらんねぇ。
歳のせいか残尿感が取れない。パンツに戻してからダーッしているらしい。おしっこの匂いが気になってしまう今日が初めてかもしれない。