俺はパチスロをやるし、こうして増田に何か書いては100ブクマ超えたーとかで一喜一憂している人間である。
で、このパチスロをやって当たった時の快感と、自分の記事にブクマが集まる快感と、比べてみるととっても似ている。
なんていうか、自分がすごい人間になったような気がどことなくするのだ。
昔のスロ仲間が、こう言っていた。
「俺は家でスロアプリやっていてもつまらない。ゲーセンで遊ぶならギリ我慢できるけど、やっぱりホールで出したい」
この言葉を聞いた当時はやっぱり演出よりも金だよな、と思って聞いていたが、でもそれならゲーセンで我慢できるわけがない。そこが謎だった。
で、最近の俺の記事にそこそこブクマが集まったりして得た快感とパチスロが当たった時の快感が似ているな、と思った時、この言葉は別の意味を持ち始めた。つまり、『人前で』大当たりしていることが重要なのではないかと。
パチスロの世界には『どやタバコ』なる用語がある。大当たりが始まった時に吸い始めるタバコのことだ。俺はタバコはやらないから、このどやタバコにどんな意味があるかイマイチわからないが、俺は当たっているアピールだとすると納得がいくのである。
ネット上の承認欲求もそうだ。ネット上に俺が書いた記事がじわじわ広がっていくのが数字でわかるあのブクマ数。あれが増えていくのを眺めるときの渇望は、パチスロで大当たりを求める渇望の麻薬っぷりとよく似ているのだ。
まぁこんなことを書いているが、実はもうパチスロはやめようと思って、今日専門の精神科医の先生に相談しに行った。先生は最後にこう言っていた。
「ギャンブル中毒の皆さんはいろいろなことを言うけれど、総じてみると当たった時の『自分はすごい』という感覚が忘れられなくて止められないように見える」
けれども、『自分はすごい』という感覚のためにパチスロを打っているのだとしたら、『自分はすごい』という感覚が得られるはてブの世界に俺の依存先は転移するだけに思えてならない。
はてブの世界はパチスロほど金は使わないからまだ健全かもしれないが、それでもあの渇望が、あの麻薬が、自分にとって良くないものだという感覚は変わらない。
ああ、本当に業が深くてやってらんねぇ。