((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
先週出会い系で会った女に惚れた。
某サイトにこれから会える人居ませんか?って書いたら、向こうから返事がきた。
そのあとはセックスして、また会いたいって言ったらライン交換してくれた。
日曜にまた会ってセックスしてきた。
あの作品が連載されてたのはバブル真っ盛りの1986~89年まで。
まあバブルを知らない若者がコースケを「ずうずうしい人」として叩くのはまあ仕方ないけど
ご都合主義的な人情漫画なんていくらでもあるじゃない?まー若者はそういうの読まないか。
今はなんだかんだで昔みたいに給料も伸びないし、イライラするのはわかるけど
そういう気持ちで人を叩いたり、貶めたりする人は卑しいと思うし、それは例え娯楽作品でも同じだと思う。
貧乏な上に心まで貧しいともう救いようがなくなりまっせ。その点コースケはなんだかんだで幸せそうでいい。
彼女もいるしな。
懐かしいなー。
誰がはじめたのは知らないけれど、
インターネット初期か、その前のパソコン通信はこういうのしかなかった勢い。
似たようなのに f(^_^;) とか ^^; とかがあったりする他、
^^ とか (^-^) (^^)/ m(__)m とかも懐かしい感じ。
当時はそういうのしかなかった文化と言えばそれまでなんだけど、
半角英数しか顔文字で使えず、その中で流行った結果ってのもあったかも。
(使えないってのは、フォントの形が等幅が多くていい感じにしにくかったとか、
残り文字数が一気に減るとかそういう都合があったのね)
全角半角だけじゃなくて、そもそも使える記号自体も昔は少なかったわけで、
そういう時代にパソコン通信とかやってた人が 2ch とか若者文化に染まらず
使い勝手の一番よい (^_^;) を今でも使い続けてる感じなんでしょうね。
よく覚えてないけど色々と歴史があるみたいだよ?
エモーティコンとかネチケットとかそういう流れで日本でも顔文字が流行りだして、iモードの絵文字に受け継がれていった印象。
BBSとかに今で言う姫みたいのがいたりして、それを懐かしんでる部分もあるんじゃないかな。
おじさん達によく聞いとかないと、もう誰も思い出せなくなっていくかもね…。
つうか「シン・ゴジラ」は、日本人がウケるようにつくった映画だろう。
・それに対する根回しをがんばろう
なんというか、スケール小さくて引いた。
けっきょく「根回しうまくいったねー、バンザイ」が落ち。
いやいやいや…
米国の代理人が、日本に対してそのセリフを言うこと自体は、変じゃないだろ…
実際にアメリカがそう思ってるかは別としてさ
>カヨコ・パタースン「ここがマンハッタンでも同じ決断下すけど何か?」
あくまでアメリカ合衆国もやむを得ない決断ですよ?という姿勢を作品的に見せなければ反米になってしまうという大人の事情から入れられた台詞
わたしは軽く無視される程度だったけど、長い人は年単位で集団から無視をされているようだった。
そして店舗内でスタッフの悪口を聞こえる声のボリュームで話すいじめ主犯格のベテランパートおばさん達。
無視いじめは私が入る何年も前から続けられ、何人もの人が辞めていったらしい。
勤務年数が長い というだけで、新人や気に入らない他パートスタッフを最下層の人間と言わんばかりに
そんな中でも、親身になってくれる人柄のいい先輩もいたんだけど
悪い空気はその先輩たちをもっても変えられることはできず・・・
もうあの店にはお客としても買い物にいきたくない。
しかし、それは不可能だ。ニューヨーク版では、「核爆弾を落とす」という選択肢がなくなるからだ。そうなったら、もはやシン・ゴジラではない。
ニューヨーク版作ればいいのでは
何を以って海外版『シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラを海外(ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェンダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?
ハリウッド演出ではないリアルなアメリカ版シン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも
海外版は、シン・ゴジラの翻案やリメイクではなくて、現状のまんまです。翻案やリメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで、俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功が保証される。
なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本だからこそありえた選択肢だからだ。
庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラがニューヨークに出現したら、ゴジラがニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用を決断するはずだ。それが最も合理的だからだ。(自分たちが死ぬかわりに、他人が死ぬのだから、その方が合理的だ。)
というわけで、ゴジラが米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だから、ゴジラが出現する場所は、「核の使用が可能な地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり「黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラが米国に出現したら、ゴジラ映画そのものが成立しなくなる。「ゴジラがニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)
※ ついでに言うと、東京に核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬か福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京に核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。
本はなんだかんだ言っても情報の質は高い(傾向にある)。
インターネット上に氾濫している何処の誰が書いたかも分からないような駄文だとか炎上狙いの激しい煽りにはうんざりだ。
やはりきちんと整理され推敲が行われた文章を読むのは気持ちが良いものだ。
大体からして無料のコンテンツというのはどうしても品質が下がっていくものなんだ。
テレビもそうだが、インターネットは低知能な貧乏人の娯楽に成り下がってしまったんだ。
お前もこんなクソ増田なんか読んでないで本読めよ本。
話題を提供しつつ愛想良く振る舞う→勘違いさせるようなことするのが悪い!
勘違いさせないように無駄話は一切しない→女はイケメンにだけ愛想良くするクソだ!
困ったもんだぜ。