指先が器用な猫なので、扉、引き出し、タッパーなんでも開けちゃう我が家の猫。
最近のブームがトースターのパンくずトレイ。無人の時にしか開けないので録画してみたら
片手で開けてチッッ!何もねぇ!!って感じが伝わってきた。
本当に猫なのだろうか…
自分に法律上有利な事情があって請求してもそもそもカネがない上に弁護士と裁判所がキチガイだから有利な結果は出ないだろ。差し押さえだか抵当権だかなんだか知らんが正当法律上過去の判例上自分に分があったところでそもそも裁判所や弁護士やカネというものが存在すれば苦労はせんわな。そんなのがないから問題なんだろ。というかあるというような体のものじゃないしな。
例えば今居る弁護士に正論を口で述べたところでそのとおりにするのか?そもそもカネを奪われているしな。何訳の分からないこといってんだよ。というかなんで新司法試験委員会は人間の屑みたいな奴を検事や弁護士にしたんだ?
あんなものは弁護士でも検事でもないよ。ただの屑だよ。殺した方がいいような存在だ。俺はいつでも殺しに行く用意はあるがな。殺害に供する武器も既に準備しているし,後はタイミングの問題。
例えばブクマが40userだったとしてその後ろにカッコ書きで(35+5)みたいなのを見かける。
前者はブクマした人の数だというのはわかるのだけど、+より後ろの数字はなに?
tweet数ともいいねの数とも一致しないんだけど。
まず見て入れない。
そっちはお尻の穴だよってことはあっても、そこはおしっこの穴だよなんてことはありえないからわからなくてオーケー。
実践あるのみ。
さすがにおしっこの穴は膣より入口が小さいので分かると思うよ。
あるけど、国がお前さんのどの財産を何を差し押さえるかはわからない。
その土地で滞納があったとしても、その土地を差し押さえるかどうかは別問題だからね。
売れるかどうかわからない土地に差し押さえをするより、他の売れそうな財産を差し押さえたほうが国は嬉しいでしょ?
国としては不動産に抵当権があろうとなかろうと選び放題なんだ。
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お前さんが一番楽なのは裁判所に請求するか、売買もしくは持分放棄で持分全部移転の登記するか(買い手がいる場合)。
裁判所に請求するならかなり費用はかかるでしょうね。相続人とか相当いるみたいだから、書類がやばい。
持分全部移転だと、登録免許税とか報酬も含めて10万いかんくらいじゃね。
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(追記)ああ、ごめん。国に寄付できるようだ。
何のアニメかは言わないけど、ここがクリ、ここがおしっこの穴、ここが膣なのよって妙齢の女性が優しく性教育する場面がある。
俺はこれを見て凄く感動した。
AVでは童貞に教えますとか言っといてバイブを見事に使い、指で女優をあっさりイカせ、挿入も誤りなく難なく膣に達する。
例えAVやエロゲーで予習しましたと言う人がいたとしても、初めての男の子が何故におしっこの穴と膣を見分けられるのだろうとふと思った。
だからといって童貞だと銘打った素人さんがいきなり前儀もそこそこに女優さんをあっさりヤるのも視覚的な意味でもちょっとどうかと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150416/280063/
エコキャップ運動のみならずベルマークから千羽鶴まで言及されているが、「協力しないと善意がない反社会的な悪人とみなされ集団から排除される」とまで飛躍し得るのが日本の村社会たる所以だと思う。
なにもベルマークやらペットボトルのふたを集める事が人格の高さにつながるわけじゃないのに、そんなことまで序列化されていく世界と視野の狭さは驚くべきものがある。どんな事にも比較と優劣を付けないと気が済まない国民性が良くあらわれている。
こうした見当違いの善意には、しばしば論理と合理性が欠けている。そして本人は「善意ゆえに」正しいと思い込んでいる。
いらないと言っているのに色々押し付けてきて、相手が感謝しないと怒りだす人がいるが、こういう運動をしたがるのもそういう手合いが多そうである。
結婚式の日取りを占いで決めつけ、従わないと怒りだす母親などは代表的であるが、これこそまさしく「呪い」だ。
(「あなたのために」と言いながら、良いことが起きれば自分のおかげ、悪いことが起きれば「お前の行いが悪い」。そういったものに振り回され、一生懸命他人を呪っている姿を見ると滑稽を通り越して哀れですらある。)
仮に、ペットボトルより現金の寄付を募ったらどうでしょうか、などと言おうものなら、発案者は己のメンツを潰されただのという理由で怒りだしそうである。
日本が母性社会と言われることが、この記事を読んでありありと感じられ、そのねばねばした気持ち悪さは、きっとよく言われる「田舎」な地域ほど強いのだろうと感じた。
集団や組織に属すると「個」が消え、「属性」にしかならない気持ち悪さは、しばしばそうした「善意による協力活動」に感じられる。
それが本当に本来の目的に合理的な方法を提案できる個人の集まりならいいが、たいてい理事長だの会長だの、あるいは声の大きい者によるトップダウン型な「お達し」によるものが大きいような気がする。会社組織などは言うまでもない。
二年くらい三食ちゃんと食ってるし、必要以上の運動もしなくなったし、
それでも菓子パンは怖かったんだけど今日本当何も考えずに買って食べたら
なんてことなかった。
何が怖かったんだろうって思った。
もうこれは治ったのかな?治ったなら嬉しいな。
「私は今みたいに普通に川の流れに乗れてりゃそれで満足です」という意味で「私は今のままでいい」と言ってる人も結構いると思う。
出現率が低すぎるんだよ。
増田の都合で電話かけてるのだから、「ちょっとAさんに代わっていただけませんか?」ぐらい言えよ。
別の事に頭を使ってると、そっちに頭が回らないことだってあるだろ。
あ、嫌な事思い出した。
昔、ネットで知らない人から一方的に「あなたの存在自体が私を傷つける!」という訳の分からない批判をされたのだけど、
勿論私自身は生きていることに何も悪意はないし、こいつを満足させようと思ったら私は死ななきゃいけないのか?アホか!と思った事。
あの時「『何も悪い事してないのに』批判された!」と思ったけど、それは逆切れだったんだろうか。
どうすりゃよかったんだろうな……。