銀行が俺のかわりに色々webサービスに登録したりしてくれねーかなー。
でもVプリカ買うために個人情報とか、AWSにサーバ建てるために個人情報とか、もういい加減にしろ。
何か事件起こせば追跡できるだろ?それでいいじゃん。
平日は張り付けるんだ
そうそう。それが基準だよな。ラブホテルまで行って「そんなつもりじゃなかった」って泣き出して、セックスせずに別れてもいいが、世間的にはそれはもうセックスしたと同義。自分の旦那が若い女とラブホテルに行って、「行ったがやってない」は通用しない。
【半導体メーカーや家電メーカーの不振は化学メーカー、食品メーカー、素材メーカー、製薬メーカーの、機電系技術者採用のチャンス】
化学メーカーや素材メーカーで機電系の学生が志望してこないという話をよく聞く。
実際、生産技術に興味のある学生は少ないし、なにより化学メーカーや製薬メーカーが機電系採用をしているとしらないひとも多い。
個人的な意見であるが、家電メーカーや半導体メーカーが大規模リストラをしている今こそ、機電系採用のチャンスだと思う。
もちろん、化学プラントと家電メーカーでは大きな違いがあるが、
家電メーカーの生産のPLC制御と化学プラントには共通事項も多い。
また、半導体メーカーでも回路設計職であれば電気の基礎的なことは分かっているのである。
化学メーカーや素材メーカーで差別化のために生産装置を自前化するという取り組みは増えており
リストラをしており、入社すぐの第二新卒の層から、20年選手ベテランまで職探しをしている。
そろそろ フォースの 暗黒面について学ぶべき時が来たようだな
ハゲにすればいじらなくて済むようになるよ。
どうして寝ると髪の毛って数本ずつくっついて、さらにクセ毛になっちゃうの?風呂に入れば治るんだけど、寝るとまた数本ずつくっついてクセ毛になる。夜の本気寝でも昼寝でも同じ。
なんでよ? どういうメカニズム?
自分の存在がコンテンツのように消費されているように思うことが増えてきた。
なんだろうこの感覚は。
必要のあるときだけ、用が済んだらさようなら、そんな風な人間関係が増えてきた気がする。
これは望んでいることではないけども、現実そうなってきているように感じることが、とても悲しい。
成果を求めるときには呼ばれても、それ以外では呼ばれない。
これを利用されているというのだろう。ただ利用されるだけの関係は懲り懲りだ。
わたしはそんなに都合よくない。
最近イソターネッツ経由で知ったのですが、日本人の前世は大概アトランティスの戦士とか。皆さん、前世の戦友を探しているそうです。
近所の山田さん(仮)に確認してもそうだったから、正しいんでしょう。
しかし、よく考えてみればおかしな話です。なにがって、アトランティスって、そんなに戦士の需要が多かったのでしょうか?
私も詳しいことは知らないのですが、アトランティスは超古代文明とかいって、とても発達していたそうです。
たぶん、目的地を音声入力しただけで自家用車が自動運転してくれたり、オートバイが空を飛んだり、海底にドーム状の大都市があったり、そこまで透明チューブ上のトンネルを走るリニアモーターカーで移動したりするぐらい高度な文明だったのでしょう。
山田さん(仮)の家のお爺さんもそう言ってました。最近ボケてきたらしいですが、ボケても昔のことは鮮明に覚えていると言いますので、やはり昔のことであるアトランティスについてのお爺さんの話は信憑性があります。
戦士の需要が多かったということは、普通に考えればアトランティスでは戦乱が多かったということになります。そんな場所に高度な文明が成立したとは思えません。
私、一生懸命考えました。考えて考えて、夜も眠れず朝起きれないぐらい考えました。
で、ようやく気づきました。
「アトランティスの戦士」って、要はハイテク業界の企業戦士だったのですよ。
アトランティスの高度な文明は、高い技術力で支えられていたはずです。その「高い技術力」は、現在のIT業界のように技術者の激務の上に成立していたのではないでしょうか?
同じ釜の飯(買出し担当がまとめ買いしてきたホカ弁)を食べ、同じ屋根の下(タコ部屋の隅の寝袋)で寝て、理不尽な作戦(営業のムチャ振り)に泣き、多くの屍(逃亡者)を越え、作戦終了(カットオーバー)に安堵する。
よく言われる日本人の勤勉さも、この前世の影響と考えると納得できなくもありません。
アトランティスの戦士の中では「光の戦士」が有名らしいですが、きっと光通信か何かのエンジニアだったのでしょう。
ようやく腑に落ちました。
奢らにゃカッコつかない上司や先輩だとすると、下の立場はサシ飲みいやだなと思っても断りづらいんだ。
だから奢りが倍になったとしてもそれは下心もしくはパワハラ飲みの代償だから諦めろ。もしくは面目気にせず割り勘にしたらええだけの話。
同期や後輩だったら普通に割り勘にしたらええだけの話。
それらはおそらく私の人生を貧しくする。
私は十年来ガラケーを使っている。web検索やSNSを見るには不便で、満足のいく解像度の写真は撮れず、もちろんLINEもSkypeも使えない。
それがいい。
私は迷いの多い人間だ。気弱で一人では何もできなくて、正解があるならそれにしがみつきたいと願っている。人と話すのも好きだ。
スマホがあれば、私はどんな状況にあっても最安値を、最善の策を探そうとするだろう。
デジカメみたいな解像度の写真がとれるとあれば、結婚式ではより良い構図を探して最良の瞬間を狙い続けるだろう。
いつでも人とコミュニケーションできるツールがあれば、人恋しさが減るかもしれない。
便利なのは分かっている。だがそれが嫌だ。
世界に繋がるツールがあることで、私の今・ここがそれだけのものでなくなってしまう。
私の今・ここは常に世界のいつか・どこかと比べられてしまう。開きっぱなしの窓からどんどん声が入ってくる、晒される。いくつもある正しさで足元がぐらぐらする。
私は弱い人間だ。
そんな便利なものがあれば、いつだってここではないどこかのことばかり見て、今・ここに向かい合うことができないだろう。逃げ道ばかり探してしまうだろう。
いつか・どこかの素敵なものばかり見て、今・ここにあるものを味わいきることをおろそかにするだろう。
誰かに何かを報告することばかり考えて、自分の中で揺れ動く感情を体験することを二の次にするだろう。
私はそんな、みかんをひと房食べながら、口の中のみかんのことではなく次のひと房のことを考えて生きるような生活は嫌だ。
結婚式では最適な構図と方法で写真を撮ることよりも、ハッピーな雰囲気を堪能し、その場のふたり祝福することに全力を注ぎたい。
最安値や最適な商品を探し求めていつまでも決めないというのではなく、買ったものへの愛着を育てたい。
上記の事柄は決して相反する事柄ではないし、上等な頭の持ち主なら容易に両立可能なのだろうけど、私では無理だ。
「最適を探せる環境がある」という状態のせいで、私の思考は「最適であるべき」に食われ、相対化に終始するだろう。
私はそうなった私に気づかないままそうなるだろうし、そんなことは許せない。
ひとつ便利なものをもたらすごとに、名前もなかった雑多なものが殺されてゆく。
あなたが光る画面を見ている間に、窓に移りこんだ白色の陽光は黄から茜に移ろい、あなたの息子は最初の言葉を口にする。
そうやって、今・ここにある私の時間を、手の中で氷を解かすみたいにしてなくしてしまうのは嫌だ。
私の最適は私が決めなくてはいけない。