はてなキーワード: ギャルゲとは
ブリジットの参戦で色々昔にブリジットに落とされた諸兄どもが沸き立って「ブリジットは男の娘の元祖ですごい存在」ともてはやされていることに何かを言いようのない違和感を覚えていたのだがなんとなく彼らはブリジットの初登場から今回までの歴史が隔絶してるんじゃないかという漠然とした不安を感じた。
ブリジットが男の娘の元祖だと騒ぐが、今のオタクの中では男の娘のジャンルはかなり小さいもので、ニッチな存在と言っていい状況であり、男の娘という言葉自体にさほどの力がない。
そのため「男の娘の元祖」と誇らしげに言うこと自体がかなり情けないというか、粗チンを誇るみたいな話なところがあり、違和感があるのだ。
ブリジットからの「男の娘」の言葉のまでの間は確かに一時期流行って、影響力を持ったジャンルだったこともあった。
しかし、あのあとも追い続けて人間であれば、その後に急激な衰退をしたことも知っているはずだ。
男の娘を題材にしたエロゲは大量に出たが、その殆どがシリーズ化せずに単発で終わった。(その分脳内彼女・の~すとらいくさんには頭が上がらないけど。)ショタアンソロジーである好色少年のススメや少年嗜好も一時期女装少年を載せていたが、次第にそれもなくなり、アンソロ自体も終わったり長らく間が開いたりとするようになっていった。(ぼくのピコの続き誰か作ってくれないかな)
極めつけは男の娘専門雑誌の「わぁい」と「おと☆娘」が休刊したことだった。
あれで世の中の男の娘フリークは、男の娘が一過性の流行であり決定的に衰退してしまったのだと思い知らされたはずだった。
その後も男の娘としてサブキャラ的に出てくることは続いていった。
今でも男の娘キャラは一つのフレーバーとして変化球としてソシャゲに現れていたりする。ただ、結局はその程度であり、色ものキャラと同程度の存在でしかない。一大ジャンルだった昔と比べてしまうと、ショタオンリーやふたなりオンリーに吸収されてしまったことを考えると、もはやだいぶ衰退してしまったという悲しさがある。
そして正直、女装ショタ・LGBT・同性愛といった言葉が浸透していく中で、ことさら「男の娘」という表現をすることはなくなっていった。
ギャルゲなどでも女装するキャラがいたとしても「男の娘」などと書かずに「女装しているが性別は男」、「性別は不明」といった表現が主になっている。「いわゆる男の娘」が通じにくいのか、野暮ったいと思われているのか、言葉は消え始め、性癖として薄く馴染んでしまって終わり始めている。
だから、だいぶ「男の娘」という言葉自体は「死語」になっているという感覚だった。
だから、今回「ブリジットは男の娘の元祖」と騒ぎ立てることに違和感があったのは、もう男の娘ってそんな騒げるほどのものじゃなくない?という感覚なのだ。
なんというか、騒いでる人たちはブリジットの初出から今回までずっと男の娘ってジャンルが興隆していたかのような勢いだ。衰退してたことも知らないかのような紹介の仕方だ。
でもこちらからするともうだいぶ衰退した概念だよ、というのが何となく気持ちがかけ離れてる感じがして気持ちが悪い。
おじさん年表
1995年 エイリアンソルジャー 発売
2000年 1月 おじさん17歳の時にトラックにはねられて昏睡状態
IT関連
1999年 Windows2000 発売
ツンデレ関連 (たかふみ役の福山潤さんが、先行上映会で一般に広まったのは釘宮さんではないかと言っていたので釘宮年表も)
1996年 同級生if 発売(おじさんはギャルゲじゃなくてもパッケージがエッチなゲームですらエロだと思われたくて買ってないのでやってないと思われる)
1998年 釘宮理恵 ゲーム『etude prologue ~揺れ動く心のかたち~/SS版』(佐伯悠見役)で声優デビュー
https://pug.5ch.net/test/read.cgi/anime/1657216271/731
異世界おじさん
オタクは表現の自由の侵害全般が嫌いな人が多いよ(フェミの発言にしても、発言自体を禁止しろって言ってるやつはかなり少ない)。お前らがちゃんとコミュニケーション能力ある人間なら、表現規制の話でオタクの支持を得るのはそれほど難しくない。
ところがお前らは萌え絵とか以外の話のときに、オタクたちも一緒に戦おうじゃなくて、オタクくんは萌え絵ばかりでこういう問題には興味ないだろうけど、みたいな余計なことを言う…
30年前のポンコツツンデレヒロインかよ。大の大人がギャルゲのテンプレヒロインみたいなことするなバカ。新橋くんとか女の子だったら萌えキャラになれたかもしれないな。
あともう一つ。これも新橋九段きゅんなどが頑なに信じてることとしてオタクと表現の自由戦士と表現の不自由展を攻撃してるやつは全部同じという雑な認識がある。
んなわけねえだろアホか。
自分が嫌いなものを全部オタクとかネモウヨとか表現の自由戦士ってレッテル貼ってるせいで全部がごっちゃになってるやん。
オタク側も何でもかんでもツイフェミでひとまとめにしてるアホがいるから同じレベルのカンゴルーって言われたら否定できないが
夢はメインじゃない腐で、跡部のよさは知らないけどリヴァイや尾形にときめくのはわかるポジから言うと、
キャラにあれやこれやの魅力があるから愛されたいっていう主の言ってた感覚、それがそもそも私にはピンとこなかった。ギャルゲとかがそういう感じ? なのか??
キャラの魅力がどうこうよりも、まず一人よがりな願望から始まってる夢女も多いかなと。暴かれたいとか守られたい(お姫様扱い)とか自分だけを甘やかしてほしいとか、で、その相手ならイケメンだったり魅力があってくれたほうがいいと。そのキャラに愛されたいというより自分がこうしてほしい、が強い。
あとオタクみが強い夢女なら、そのキャラの成立する経緯(生い立ちや現状)、ないしそこからくる雰囲気に、自分の理想だったりカルマとの一致だったりを見てたりとか。このキャラに救われてるとか救いたいとか深く繋がり合いたいとか、関係性を望んじゃってる感じ。愛されたいじゃなくて愛し合っていきたい。
ポケモンの夢は全然わからんが、人間でないデフォルメした動物が相手ってとこで言えばコミュニケーション志向は弱いだろうし、耽溺の色が濃そうというか、より我を忘れたい人が多そう。
いきなり長々と申し訳ない。
ぼくがこの人脚本のアニメが苦手な理由って、山のようにあるけど、その最たるものは「(実質的に)この人が色んな人を半ば奴隷のようにこき使って、アニメ作ってやることがこれ?」ってモノ。いや、この人に限らずなんだけど、アニメのお話が面白くないことにすごい罪深さを感じるのはそこなんですよ。
だから、今回ゲームの世界に戻ってくれてよかったよ。「最大の被害者」がアニメ関係者から、多少は待遇が良いゲーム関係者にシフトしたことで【ゲームなら儲かる可能性も、サ終で損切りもできるし、アニメほど労働者の待遇も悪くないから良いんじゃない】って少し許せる。少しだけね
テレビやようつべみたいな不特定多数が見る媒体で情報商材のCM流すようなことを、アニメでやること自体どうかと思うから「同人誌でやったら?」というのもある。それ以上に、作る前から大多数の人に理解不能なものを作る可能性が高い人が大規模な企画を、食うに困ってる人巻き込んでやるのは悲劇…
平成っていうか、多分ダメな意味でエヴァンゲリオンの影響引きずってるアニメやマンガにありがちなことが「結論が大したことないのに、そこに至るまでの匂わせと、雰囲気で尺を稼ぐ部分が異様に長い」ってことなんやろな…。今その話を見てても同じこと感じるし、別の作品でもそういう地雷を引いた
自分が本書いた時や、これから「ひょっとしたら本を書くかも」って題材はブログでは収まらないから本を書いたんですよ。1万文字超えてまだ語りきれてない題材って、頑張って5万文字以上書いて電子書籍にしてもええと思うねん。でも、長いものを書くのを仕事にした人は大変よ。水増しが仕事になる
そして…結論聞いての感想が「難病好きだなぁ~」ってこと。なんの作品の何を思い出してるかはご想像におまかせするけどさ…マトリョーシカ人形見てる気分。伝統芸能が難病って…拍子抜けっていうか…元々整合性があるのかどうかも疑わしい人に何を期待してるかがわからない。1話見ただけで、(良くも悪くも)ちゃんと考える人は関わっちゃいけないってわかるタイプの作品だから…なにを一生懸命見てたんだろう…。チャンネル合わせからズレてそう…作品見てて「それはツッコんじゃダメ」ってポイントが、すぐに思い浮かぶアニメは論外。…君の名はだろうと、今だけ話題のゲームだろうとそれは変わらんよ。「ツッコんじゃダメ」を私以外の人もやっぱ言うし、気づくんやね。ぼくが意地悪なんじゃないって、わかって安心した
ぼくも00年代のアニメ好きなんだよ?好きだし、同年代でそういうヤツいっぱい見てきたんだけど…ギャルゲ文化にゴリゴリに染まった年代の人達とは胸キュンポイント違うんやろなぁ…僕ら世代。うまく説明できんけど…
昔間違えて乙女ゲームに手を出したこともあったけど夢向けだって気づいたのと腐が苦手で撤退した
恋愛や性愛的には男が好きだけど人間愛とかだと女のほうが好きだから少年漫画のヒロインより少女漫画のヒロインのほうが好き
恋愛なくていいから少女漫画そのままゲームにして女が活躍するのないかな
ギャルゲ乙女ゲソシャゲの主人公=プレイヤーはキャラに好き好きいわれるだけで主人公側からの反応ないから薄っぺらく
現実と一緒でどんなに好きでも同じ感情返してもらえないように見えてかわいそう
主人公はプレイヤーだからBLやそれを空気になって見守るのや何の脈絡も無くすき好きいわれるのがいいのかもしれないけど