はてなキーワード: 戦争反対とは
「戦争反対!お前らは俺たちの言うことを聞け!」ってことだぞ。
そうじゃないよね?
「戦争反対」っていう人の中には「いざ攻められたら戦うけど、戦争反対」の人も多いと思う。
だって、戦争って勝っても負けても庶民は大損じゃん。戦中はみんなが大嫌いな共産主義みたいな方法で暮らすことになるし、今の超勝ち組みたいな抜け目ない連中しか得しないよ。今の弱者はもっと弱者になる。
…若い頃は自分も「戦争みたいな緊急事態になったら、おれ、本領発揮できちゃうかな」とか思ってたけど、多分まあ無理だわ。リアルに考えたら、ゴミみたいに扱われるだけだと思う。
もう、今の暮らしが嫌で破れかぶれで「戦争来てほしいな」とか思ってるなら、
大岡昇平『野火』とか、井伏鱒二『黒い雨』とか読んだ方がいいよ。
って書くとあれは負け戦だろって言う人がいるから勝った側のも書いてみると、『悪童日記』、『戦争は女の顔をしていない』とかでもいい。
だいたい第一次大戦時の日本の庶民は、今の庶民みたいに戦争の煽りを受けて生活苦しくなってたんだよね。富裕層は儲かってたけど。
んで、戦争で負けたら、富裕層もみんな損する。国の立て直しのために財産取られるからね。うちの一族、大損したクチ。ほんと、戦争は嫌だよ。
そりゃもちろん戦争なんかない方がいい。
戦争といっても色々ある。ちょっと大雑把に分ければ、一つは相手が自分より弱そうと判断したら「テメエちょっと金貸せ(返す気はない)」「俺の子分になれ」といって植民地支配する侵略戦争である。
かつての大日本帝国はこれを行い、南京では大虐殺を行い、朝鮮半島では男性を徴用工として強制労働させ、女性は慰安婦という名の性奴隷として凌辱した。東南アジアなど南方でも日本軍による非人道的な支配や虐殺は行われた。このような侵略戦争に反対なのは当然だ。
一方、理不尽な侵略に抵抗するための戦いもある。現在ロシアの侵略に対して対抗しているウクライナの例だ。
ウクライナの抗戦も「戦争」といえば「戦争」である。では「戦争」だから悪なのか?
橋下徹などは一時期「ウクライナはさっさと降伏した方が良い」とか言っていた。
抗戦せず降伏していれば、確かに戦死者の数は減るかもしれない。そのかわりウクライナ語は完全に禁止され、街でウクライナ語を話そうものなら警官に警棒でブチのめされたり、ロシア兵の気分を害するとブチャのような虐殺が起こるかもしれない。
そんな状況になるよりは抗戦しよう、と考えるのは十分に理解できる。
「戦争反対」と言っている人達は、ウクライナの抗戦にも反対なのだろうか?
「戦争反対」と言っている人達によくある理論として、「戦争は政府が勝手に起こすものだから、市民はそれに従わなければ良い」とかいうものがある。では、ロシアではいまだに「特別軍事作戦」を支持する意見が7割近くあるということをどう説明するのだろうか?
戦前の日本でも大本営発表の戦勝報告に日本人の大半が大喜びしていた。国民が戦争を支持したのに、戦争を起こすのは政府が悪いのであって国民は被害者、みたいなご都合主義には違和感がある。
話を戻すと、一口に「戦争」と言っても侵略戦争もあれば防衛のための戦争もある。現実にはその中間にどちらとも言えないような戦争がグラデーションのように存在するのも事実だ。
しかし理解できないのは侵略戦争も防衛戦争の全部一括りにして「戦争」だから「反対」で「戦争反対!」といっているような人達である。
暴漢がやってきて「テメエ金よこせ」とか「テメエの顔が気に入らないから殴らせろ」という場合に、その暴漢に「暴力反対」というのはわかる。だが、たまたま付近ににいた柔道家がその暴漢を投げて寝技で制圧したのに、その柔道家に「暴力反対」というのは迷妄である。
今日本で「戦争反対!」と唱えている人達は、「戦争反対!」という呪文を唱えれば戦争は起きないという妄信にはまっているのではないだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20230801140703
これに対して、皆が口々に「書いてくれてありがとう」はあまりにも無責任だよ。
現世は生きている人のためにある世界なのだから、死人のために犠牲になる必要はない。
実際に被爆した人たちがどれだけのトラウマを抱えてようと、増田自身がトラウマを抱える必要は全くないのだから。
むしろトラウマを抱えていた人たちは後世にトラウマを残さない責任があるのだから、増田はもっと怒ってもいい。
勘違いするバカがいるから先に言っておくけど、だからといって戦争や核兵器の使用を肯定するわけではない。
だからといって、その抑止が、当事者と同じレベルのトラウマを跡継ぎに負わせることでいいわけないだろう。
それが本当に核兵器利用の抑止になるかどうかは疑問だし、もっと効果性の高い方法はいくらでもあるはずだ。
もちろんここでそれを議論したいわけではない。誰か頭のいい人がちゃんと考えてくれ。
ただ、被害を忘れないようにと自らの被害を追体験させることは、もはや加害行為であるということをもっと考えるべきだ。
ここで俺が言いたいのは、当事者たちがどれだけの未練を背負ったかは知らないが、そんなものは自分たちが墓まで持っていけということだよ。
こんな思いをしてまで個人が語り継ぐ必要なんてない。物言わぬ資料館に任せればいい。
それよりも許せないのは、こういう人の意見を利用して他国に石を投げることを肯定する人間たちだ。
それはもう暴力の肯定であって、戦争をなくしたいのではなくて相手を殴る自分を肯定したいだけになっている。
そのどちらをも持って、再び繰り返すべきではないというならわかる。
聞こえのいい言葉で呪いを個人に押し付けておいて、自らの暴力を肯定する人間が戦争反対を語ってくれるなよ。
自分は在日朝鮮人3世だけど、一連の話はまじで腹が立っている。
自分たちの悲劇は被害者ムーブで語るくせに、自分たちの加害については一切口にしないその態度に。
自分たちの祖先がどれほどひどい目に遭ったかも知っているし、それを理由にどれだけの横暴を繰り返したのかも知っている。
自分にしてみればそんな枷を背負いたいとも思わないし、自らの被害を自らの暴力の肯定のためだけに語ろうとする同胞たちにうんざりしてきた。
そういう輩を見た日本人は何をしてきたよ。
反省して悲劇を繰り返さないって思った?なんだこいつら関わらんでおこうとしか思わなかったろ?
いま自分たちがしている行動をもう一度見直すべきだね。
戦争をなくしたいなら、核兵器使用をなくしたいなら、過去の被害をほじくり返して騒ぎ立てることは無意味だし、むしろ逆効果だ。
過去はきっぱりと切り捨てて、未来の話だけをしたほうが遥かに建設的だよ。
少なからず自分はそう生きているし、子どもたちに過去の枷を背負わせるつもりは一切ない。
ただのお気持ち表明でしかないけど、俺はこの増田が素直に可愛そうだった。
それは君が背負うべき役割ではないし、そんなことを押し付けてくる周囲にもっと怒るべきだ。
ただ言わせてほしいのは、そうやって周りが褒め称えることは、自分たちが苦しみを背負いたくないからといって相手に押し付けるような呪いでしかないということだよ。
「増田がこれ以上呪いを背負う必要はない。自分たちが何とかするから自分の人生を生きろ。」
誰一人その一言を言ってやれないことのほうが不気味だよ。
ハックルさんみたいな事言うけど、俺が思う『本質』はそこにあるんだよね。
悪徳に纏わる文化から派生したコンテンツを好むことは、果たしてその悪徳を肯定することに繋がるのかっていう。
たとえばコミックLOを自分から進んで読むという行為は「未成熟な肉体に対して欲情を持ってしまう性癖が存在する」というのを間違いなく肯定している。
そういった肯定は世界の水面下においてゆったりと広がり、まだ正常だった人間にさえ「もしかして子供の身体にエッチな気持ちを持っても良いのでは?」という意識を起こさせる。
これが果たして性犯罪の増加に寄与しているのか、むしろ捌け口となっているのか、暴走を防ぐワクチンとして機能しているのか、それについて安易な結論は出せない。
ただ間違いなく言えるのは、「人はロリエロに興奮してしまうことがある」という概念を世の中に広めているということだ。
そういったコンテンツは「法的に禁止された性行為に対して興奮してしまう人の存在」そのものは間違いなく肯定、認知している。
そこから実際に犯罪行為を行うか、漫画の中で済ませるかは別として、そういった行為、少なくともそういった行為が描かれたものに対して価値を感じる人がいなければ成り立たないものを安定的に供給しているわけだ。
アルコール・タバコ・ドラッグがもしも初めからこの世界に一切存在しなければ、誰もそれを求めることはしないだろう。
それらが存在することに気づいた時、それを求め、もっと強いものや、安価に手に入る代替品を探そうとしだすわけだ。
「ロリエロという性癖に気づかせてしまう」ということが、そういった探索の旅へと眠っていた犯罪者予備軍を駆り立てている可能性があるわけだ。
つまり、「戦争というものの中に人が憧れを抱くような要素がある」という事に気づかせるようなコンテンツが存在することが、そういった欲望を後押ししているのではないかという話だ。
賛美からは少しずれるのかも知れない。
テレビが流す戦争は悲惨であるというある種のハト派プロパガンダの中で戦争の中に秘められた格好良さや美しさが描かれることはない。
実験映像のような殺風景なカメラワークで撮られたキノコ雲や、そこから逃げ惑うタレント的な格好良さなんて持っておらずむしろ極限状態に顔をゆがめる醜い人間たちの姿が映し出されるばかりだ。
そうした映像の中でヒーローとして語られるのは兵士ではなく「悪辣な兵士同士のコロシアイから人々を守る普通の人達」である。
兵士は暴力を振るうことで金を得ようとする下劣で合法な現代の山賊でしかないかのようにメディアは語る。
それを見て軍人に憧れる人がいるだろうか?
美男美女、顔はともかく心は魅力的な数々のキャラクター達が、戦争という極限状態を通すことで自分の人生をより濃く美しくある意味で現代社会での歯車ぐらしよりもずっとずっと人間らしく自分らしく生きるさまが描かれてしまう。
その中ではロマンをくすぐるように脚色された兵器達が、少しでも魅力的に映るようにと工夫をこらして描き出されるではないか。
これを見た子供は「兵隊さんって格好いい!パイロットになりたい!」と思うのも無理もないことだ。
実際、ロボットアニメを見た子どもたちは自分もロボットに乗りたいと口にするし、ウルトラマンになって怪獣を倒すのではなく、最新兵器のプロトタイプに乗って敵陣営へのパイロットを撃ち落としたいと語りだすのである。
果たしてこれが「戦争を賛美していない?」と言い切れるのだろうか?
戦争の悲惨を描いている所はあるとはいえ、「戦争は賛美していないが、戦争の中にある輝かしい部分を箇条に脚色して見せつけようとしている」ぐらいのことは認めるべきなのではないか?
戦闘機がマッハで雲を割る姿に子供を憧れさせたことを「戦争を通して生まれたモノを過剰に持ち上げた。戦争は絶対的悪であり全面的に悪しきものであるはずなのだから、これはもう戦争賛美だ!」と叫ぶのは流石にやりすぎに思う。
だが「戦争によって失われる命を描いている。トレーズが戦いを賛美しているとは私には全く思えない」というのは作品をちゃんと見ろと言いたくなってしまうだろう。
ガンダムは戦争賛美ではないと言ってる奴こそ「見てないんじゃないかな」と言うべきだろう。
「戦争を描いちゃうとどうしても格好良くなっちゃう。ロボットも本当は格好良くなんてしたくないけど格好良くなっちゃう。キャラクターに戦争反対をいくら口にさせても見た目が格好いいから結局戦争賛美みたいになっちゃう」って
格好いいメカ同士の戦闘を描こうとしたらその時点で絶対に戦争を賛美することになる。
それを「ない」と言い張るやつの言葉はもう一切合切信用しなくて良い。
持論が先に存在してそこに都合の良い確証バイアスをかき集めることに必死なだけで、結局何も考えず何も語ろうともしてないのだから。