2023-08-09

戦争反対」という言葉に対する違和感

戦争反対」という言葉をよく聞く。

そりゃもちろん戦争なんかない方がいい。

だが「戦争反対」と言っていれば戦争にはならないのか?

戦争といっても色々ある。ちょっと大雑把に分ければ、一つは相手自分より弱そうと判断したら「テメエちょっと金貸せ(返す気はない)」「俺の子分になれ」といって植民地支配する侵略戦争である

かつての大日本帝国はこれを行い、南京では大虐殺を行い、朝鮮半島では男性徴用工として強制労働させ、女性慰安婦という名の性奴隷として凌辱した。東南アジアなど南方でも日本軍による非人道的支配虐殺は行われた。このような侵略戦争に反対なのは当然だ。

一方、理不尽侵略抵抗するための戦いもある。現在ロシア侵略に対して対抗しているウクライナの例だ。

ウクライナの抗戦も「戦争」といえば「戦争である。では「戦争」だから悪なのか?

橋下徹などは一時期「ウクライナはさっさと降伏した方が良い」とか言っていた。

抗戦せず降伏していれば、確かに戦死者の数は減るかもしれない。そのかわりウクライナ語は完全に禁止され、街でウクライナ語を話そうものなら警官警棒でブチのめされたり、ロシア兵の気分を害するとブチャのような虐殺が起こるかもしれない。

そんな状況になるよりは抗戦しよう、と考えるのは十分に理解できる。

戦争反対」と言っている人達は、ウクライナの抗戦にも反対なのだろうか?

戦争反対」と言っている人達によくある理論として、「戦争政府勝手に起こすものから市民はそれに従わなければ良い」とかいものがある。では、ロシアはいまだに「特別軍事作戦」を支持する意見が7割近くあるということをどう説明するのだろうか?

戦前日本でも大本営発表の戦勝報告に日本人の大半が大喜びしていた。国民戦争を支持したのに、戦争を起こすのは政府が悪いのであって国民被害者、みたいなご都合主義には違和感がある。

話を戻すと、一口に「戦争」と言っても侵略戦争もあれば防衛のための戦争もある。現実にはその中間にどちらとも言えないような戦争グラデーションのように存在するのも事実だ。

しか理解できないのは侵略戦争防衛戦争の全部一括りにして「戦争」だから「反対」で「戦争反対!」といっているような人達である

暴漢がやってきて「テメエ金よこせ」とか「テメエの顔が気に入らないから殴らせろ」という場合に、その暴漢に「暴力反対」というのはわかる。だが、たまたま付近ににいた柔道家がその暴漢を投げて寝技制圧したのに、その柔道家に「暴力反対」というのは迷妄である

今日本で「戦争反対!」と唱えている人達は、「戦争反対!」という呪文を唱えれば戦争は起きないという妄信はまっているのではないだろうか?

  • 戦争反対という組織に入って、給料もらいたいのじゃない?

  • 戦争反対じゃない人って戦争やりたいの? そうじゃないよね? 「戦争反対」っていう人の中には「いざ攻められたら戦うけど、戦争反対」の人も多いと思う。 だって、戦争って勝って...

  • 「戦争反対!お前らは俺たちの言うことを聞け!」ってことだぞ。

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