はてなキーワード: 世界の車窓からとは
◆快
さもありなん。。。
◆うつぼざる
やりたかった事が出来なかった結果、目先の利益に走ろうとしても人として手を汚すことを厭い、結果として人様の為に生きようとしている現状。。。
そのまま「靱猿」という狂言だ。
◆TVに見え隠れする社会のつらさ
この3つはつらさがなく、元気になります。
◆本
[一時間の読書をもってしても和らげることのできない悩みの種に、私はお目にかかったことがない]byモンテスキュー
大きい本屋には全てが詰まっており、どうしようも無い時に行くと、良さがある。
◆余談
アミダくじで10連勝しただけみたいな人が書いてる自己啓発書を立ち読みしてみると、逆に面白かったりする。
◆苦手
客先でコーヒーを出され、「苦手なんです」の一言がどうしても言えずに飲んでしまい、体調が破滅した。
考えてモノを言う。。。という事は、ここまで簡単に文章を投稿できる媒体を介すると、難しいものなのかもしれない。
◆やる気スイッチ
喜怒哀楽とやる気は、こう…カチッとやるスイッチではなくて、ゆっくり回すタイプのやつの原理で動いているので、思ったタイミングに全力を合わせようと思うと、変なコツが必要になってくる。
「過去なんか振り返るな」の気持ちで、刊行物を焚き火で燃やすなどのパワー系断捨離をゴリゴリ進める性質を持つ割には、過去の弔合戦をやるためにこれから結果を残そうとしているので、始末に負えない。
「青春と名のつくものを全力でやり切った燃えカス」から、それらを供養する何かへ、一段階進化しようとしている。
ぐだぐだ考えたところで、あと半世紀も過ぎれば、大体誰もいなくなる。
◆おわりに
など。
職場で現在プチ流行中の言葉にITC(意識高いカフェ)というものがある。個人経営のカフェであり入口にはメニューの黒板。おちついたボサノバっぽいBGM。ラテは豆乳もあるよ(ソイラてっていうんだよ)。670円で高い。ランチは白いプレートに乗ったもので野菜とか魚が少しずつ乗ってるよ。スマホでソシャゲやってるお客さんはいなくて、たいていは主婦2人組(お金持ってるっぽくて観劇や展覧会の帰途多し)か、外回りのクリエイティブ系サラリーマン(プレゼン帰りで議論していることが多し)か、Macbook開いてる自由人っぽい人間(大きなヘッドフォンでセルフレーム眼鏡)だよ。黙って座ってるとこちらを笑い殺しにするようなステキカイワが聞こえてくるので、職場では伝説の息抜きスポットになってるよ。「俺はカラーパンフみてRGB値を当てられるんだ」みたいな自慢を三十分してるとか。
このITCは特定のカフェを指す隠語なんだけど、そのほかにSITC(少し意識高いカフェ)ってのもあって、これはチェーンなんだけどイシキタカイっぽいカフェのこと。おまえのことだCAFFÈ SOLARE。得意技はメニューにアボカドとかフランクに投入すること。アボカドって言っておけば許されるあの雰囲気はまさにSITC。こっちは子どもずれのママ友(三人もしくは四人組)多し。オープンテラス席で「幸せな母親」を社会に見せつけるプレイに余念がない。
なお別種の存在としてDMCC(泥水コーヒーカフェ)ってのもあってうっすい香りのしないコーヒー一杯を、部下のリストラ数の勘定をしてる企業戦士や銀行に頭を下げるマシーンと化した古参兵や競馬新聞を聖書のように携えた壮年の信徒が、ひとっこともしゃべらずに世界の悲嘆を共有する無言の空間で摂取してる。こっちはこっちでカウンター席でラップトップ(傷だらけの古いLenovo)を広げ、青年時代の罪の告白のようにコードを書いてる中年もいるよ。クリエイティブってなんなんだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
平成9年から営業していた川崎ルフロン9Fの紀伊國屋書店が1月31日をもって閉店していた。
オレが生涯でもっとも多くの本に親しんだ場所。オレの貴重な「思考する場」の一つだった。
*はてな「思考する場」とは 時に壮大な妄想にふけったり、記憶のあれこれを整理したりするところ。
主にお風呂場やトイレなどで、作家にとってなくてはならない場所。
だがオレは一昨日(2月18日)まで紀伊國屋が閉店していたことに気づかなかった。
今でも信じられない。
*はてな「一昨日のオレ」 4日ぶりに外に出た
なんでイエローサブマリン(9Fにあるディープな玩具屋)に行ったときに気づかなかった?
そこに紀伊國屋の閉店を告知するかんばんが立っていたはずだ
だがオレは読まなかった
まさかあそこにあんな重要なことが書いてあったなんて・・・。
オレの大好きなライトノベル、「キノの旅」や「しにがみのバラッド」、「とらドラ!」「狼と香辛料」と出会ったのもここだった。
最後に買った本は「狼と香辛料 VI」と「GLITTER」かな?
立ち読みだけじゃなくて買っとけばよかった
約10年か、もっと昔からあった気がするよ
最近、忙しくて、そして嫌なことばかり続いて、部屋にひきこもってばかりだったのがいけなかった・・・。
ひきこもってなかったら、もっと早く閉店に気づいていたのに
もっとながく紀伊國屋にいれたのに・・・
紀伊國屋がなくなったなんて信じられない
そうやって買ってもらった本の数々が本棚からこちらを見ている
川崎駅前もずいぶん変わった。ラゾーナ川崎が駅前を大きく変えた
現在「あなたのウェアハウス」がたっている場所にあった、いつ潰れてもおかしくなかったコジマがあっただけだ
*はてな「川崎のあなたのウェアハウス」とは コジマの跡地に建てられた廃墟ふうの大型ゲームセンター。
子どもは入れない。かんばんの女の子が何気に可愛い。店内は中国!
*はてな 「オレの記憶力」 川崎駅前の錆びてボロボロになったナショナルの乾電池の自販機はいまどこにあるの?
わすれがちだが、ラオックスだってあったんだぜ
現在のウェアハウスの前にある大通りの坂道をまっすぐ行くとそこには桃源郷がある。
そして親子は道をまっすぐ進み川崎温泉(そんなような名前の銭湯)を目指す
オレの記憶の中には陸橋をくだってまっすぐいった先には銭湯がある。
細かい道は忘れたが、とにかくあの坂の先をまっすぐいった先には銭湯がある!
一昨日、親父とケンカした。
ケンカといってもオレが一方的に殴っただけだが…。
オレはおもむろに近くにあった椅子を持ち上げた、そのとき親父は自分に椅子が投げつけられるんだと思ったみたいで
その時の恐怖に歪む親父の表情が頭から離れない・・・。
そんなオレも今月20歳になった
飲んだくれになった親父とはもう全てが合わない
<< 川崎温泉にもいつの間にかたどり着けなくなっていた >>
昔はあんなすごいのじゃなくて
モザイク式のかんばんだった。
モザイクでピンとくるかなぁ?
サイコロみたいのが壁に埋まっていて
まるでルービックキューブの面をそろえるように四角いドットがカクカク動いてかんばんが変化する
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
「・・・」
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
一定のリズムで、お決まりの音とともに、今日の天気とか競馬情報とかを表示するんだ。
ドットがいくつか欠けててね。そこだけ動かないんだ
エスカレータを下っていくうちにかんばんが角度的に見えにくくなって、緑色とかオレンジ色が目立つんだ
「カッカッカッカッ」というかんばんが変わるときに発する音
いまでも鮮明に思い出せる
<<< 昔の川崎駅前といえば西武百貨店とさいか屋のツートップ >>>
ドリキャスもってなかったけど、買いそうになった。あれ、限定版のパッケージめっちゃでかいんだよなぁ
たぶん今でも売れ残ってると思うわ
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
1Fから4Fのヨドバシにはこれからも行くだろうが、それより上の階はFrancfrancに行くぐらいか・・・
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
オレにとっての今のさいか屋のようにあのビルにも行かなくなっていくだろう
エスカレーターのところにあるキティちゃんのポップコーン製造機で何回つくったことか
オレは塩だが、弟はバターなんだよな
最後にさいか屋におとずれたときにはまだあったキティちゃんのポップコーン製造機ははたしてまだあるのか...
もっとローカルネタになるとヌマヤの屋上のゲームセンターでオレは常連だった
じいちゃんと週に2回以上、遊びにいったよ
アフターバーナーをやりまくった(一回50円)
あれは、なぜか最後までクリアするとコンテニュー用に投入しておいた50円がどっかいっちゃうん・・・だ。
*はてな 「ヌマヤ」とは 今では普通の服屋。当時は玩具屋もあった。じいちゃんと出かけたときの昼飯はいつもヌマヤのラーメンである。
現在のCDショップは、少し前までは大人向けホビーショップで、その昔は普通の玩具屋だった。
子どもだったオレには、そのディープ感がある品揃えには満足できず
もう一つの玩具屋によく行っていたよ
一時期、その玩具屋の前にプラモ屋までできた。すぐになくなって服屋にかわった。
スカイパークという屋外の遊び場もいつの間にかなくなってたなぁ
滑り台付きジャングルジムを何個もひっぱってきてつなげて
よく要塞とかつくったなぁ(はた迷惑なこどもだ!)
はてな 「スカイパーク」とは 正しくはスカイコートであり、現在もしっかりと川崎Be、5Fに存在する遊具施設である。
駅ビルに買い物に来たママさんたちはここに子どもたちをあずけ、買い物や社交にはげむ
今では駅ビルの5Fは文房具屋によるだけ
6Fの有隣堂に寄るためのただの通過点になってしまった。
P.S. 楽器屋はいつまでもそこにあってください。友だちがこの前ハーモニカを買いました。
それほど、川崎駅前周辺はオレの生活の一部、テリトリーだったってわけよ
神さまもしっかりと見ているようだ。東口が廃れる番がやってきたのだ。
オレは記憶を文章にすると、忘れる癖がある。昔の駅前の雰囲気や思い出も、そう遠くない未来に忘れてしまうことだろう
<<<で、昨日、スーパー「しりげや」というのが気になって>>>
「かんなぎ」というマンガが読みたくなったんですね。そいで川崎中の本屋をまわったんですよ(ラゾーナを除く)
*はてな 「しりげや」とは スーパー「しりげや」のテーマも歌えます!
どこにも売ってないっす
そもそもコミックREXのコーナーが見つからない
4巻は売ってるのに!!
これが紀伊國屋だったら話は違った
オレは紀伊國屋書店でのREXの位置は把握している
明日、おとなしく川崎のアニメイトで「かんなぎ」を一巻から買いに行こう。
友だちがバイトしてて行きにくいんだ。
え?ラゾーナには行かないのか?って
オレの親父はラゾーナで働いてるん だ。