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2010-04-24

甘い味のする名前

鈴木さん」を呼ぶ

異動になった部署で三つ年下の男性「鈴木さん」を私は呼んだ

鈴木さん」は世の中にたくさんいる

多くある名字

だが私はこの春に「鈴木さん」ということばを4年ぶりに発音した

この4年間は一度も「鈴木さん」に出会わなかった

今の会社転職する前、私は「鈴木さん」に恋をしていた

鈴木さん」は私よりも二つ年上の男性だった

私が入社して1年間は通りすがりにあいさつをするだけの関係で

給湯室で天気や季節の会話をかわし

2年目は給湯室のおしゃべりにプラスしてたまに駅まで一緒に帰った

駅の近くの公園コーヒーを飲んだ時 キスをした

それは片思い成就した瞬間で 私の胸はぎゅぅっとしめつけられた

鈴木さん」は私にとって 眩しくて痛いほど 男性 だった

私は自分が女であることを意識せずにはいられなかった

どきどきし過ぎて震えるほどだった

キスをしてから3カ月ほど経って私は夢から覚めることになった

信じられないことに「鈴木さん」には 婚約者いたのだ

鈴木さん」と二人きりの朝を何度か迎えていた私は 打ちのめされた

結局 二人の関係はフェードアウトしていった

色々なタイミングがあって私は転職をした

会わなくなってもずっと好きだった

姿も見えないのにずっと片思いを続けていた

同時に「鈴木さん」の幸せ一生懸命祈った

ただただ涙ばかり流していた

仕事に打ち込むことでなんとか毎日をやり過ごした

そうして仕事にもやりがいを感じていた

鈴木さん」と会わなくなってまる3年が過ぎていた

上司に認められてこの春に異動になった

そこで新しい部署に「鈴木さん」がいた

なんてことはない よくある名字である

なのに私は「鈴木」と記入された書類やメールを見るたびにこころが震えていた

見た目も雰囲気も全然違う人なのに

鈴木さん」の書く文字に、歩き方に、声に、

どこか共通点を探している自分がいる

鈴木さん」を呼んだ

次のミーティングの打ち合わせのため

ただそれだけ

私の口の中が少し甘い

2010-04-23

問 空欄Aに当てはまる発言を一つ選べ

記者:袋小路になった徳之島に次の一手は?

総理:ここで申し上げる話ではありません( A )

ア:時期が来るまでお待ち頂きたい

イ:徳之島の皆さまをお騒がせして申し訳ない

ウ:官房長官に話をきかなければと思っております

エ:今日は大変いい天気です

2010-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20100422162441

入るのに服装が問われる美容室というのもよくわからない。

どうしても洗練された美容室の雰囲気に合わせたいというのであれば、

1、古かったりよれている服は着ない

2、場合によっては新しい服に買い換える

3、サイズがちょうどぴったりの服を着る

でいいと思う。

ユニクロで30分もあれば揃うだろ。1万円もかからない。

今日天気なら明るい色を主体にしたほうがいいだろう。

迷ったら店員に相談する。

美容室に行ったことがないのであれば、別に人気店に拘る必要はないのでは。

入門用にとりあえず近くの美容室を予約したらどうなのか。

いきなり冒険するのが怖ければ段階を踏むべき。

2010-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20100421010423

俺が思う景気について

1 景気って何さ? そもそも 気って?

 世間様はなんとなく、気分でいい時も有れば悪い時もあるさと思ってる気がしている。国民にとって景気とは天気みたいなものではないのか?

 俺的には、純粋経済的な指標で会社の成長戦略のような物だと思っている。

 

2 景気回復に付いて

 世間様はなんとなく、雨の日の次が晴の日になるような感覚で、景気が回復すると思っている気がする。

 俺的には、産業空洞化少子化をはじめ 純粋経済的な要因がマイナスになっているので、景気が回復すると行ってもリーマンショック前程度であり、今後もマイナスになっていくと思っている。収入がないのに消費はない。

 

3 景気回復対策について

 世間様はなんとなく、大手 土建業 大手製造業に 資本を突っ込めばなんとかなると思っていると思ってる。

 俺的には、だって、大手業者って、自分とこの製品仕様とか、大雑把なものまで下請けに聞いたりするような丸投げ構造でしょ?それでどうにかなるかと言うと、焼け石に・・・ 

 

景気ってなんでしょう・・・。

2009-09-26

社会復帰に失敗した、晴れた日の日記

昔の話。


春、それはとても良い天気の午後で、

僕は久しぶりに遠出をしており、一人で千葉県の橋の上を歩いていた。

その頃は作家になるとかよくわからないことを言ってひきこもって、たまにギャンブルへ出かける毎日だった。

ひとり暮らしだがバイトもせず、仕送りで生活し、だらだらと堕落した生活を送っていた。

それが、この天気のいい日、中退した大学に復学しようと突然橋の上で決心をした。

・・・うん、まだ遅くはない。まだ22だ。これから大学へ復学をしたら卒業は25才になるけど、

どこか就職はできるだろう。まだやり直せるはずなんだ。

そう思い、久しぶりに自分から田舎の母へ電話を掛けた。


「あのさ、前メールで送ってもらった復学の話だけど、」

母親は僕のこの発言で、ほっとしてくれると思った。

いつもしつこくかかってくる母の電話を僕は煩わしがり、

ほぼ受話器は取らない。最近中退した大学でも復学できる情報を、

母が何度かメールをよこしてきていた。

母の声は、予想外に重かった。

「何?どうしたの?」

大学の復学だけど、俺やっぱりもう一度大学出て、ちゃんと就職したいんやけど 」

と、はっきりと言えた。温かい母の返答を期待したが、それは逆だった。

「なんで早く言わないの?!もう、時期過ぎてるから!」

時期が過ぎてる?!

「3月●日までに言わないと、復学できないのよ!なんであんなにメールしたのに、

電話もしたのに出ないの!?」

「知らねえよ!大事な日付ならもっとメールで何回もおくれよ!」

僕は半分パニックになり、母親にあたった。

「なんでよ、電話もなんで出ないのよ・・・」

母は泣き始めた。

そして、僕も涙が出てきた。

「どーすんだよ!もう一回大学へ確認してくれよ!」

僕はそう言い、涙がぽろぽろ流れた。

ここ最近、家の中で人にも会わず、感情を出す必要のない日々だった。

涙なんてどれくらいぶりか。

母も受話器ごしに泣いているのがわかる。そうして電話は切れた。

もしかしたら、大学に問い合わせてくれてるのかもしれない。

それはとても天気の良い3月の終わりで、ここがどこの橋かわからないけど、

川に反射する光がきらきら、やたらきらきらしてるから、僕の身に起きている出来事も、

なんだか悲惨なのかよくわからなくなってきた。

「もういいや、もういいや」

そう言って僕はうぉんうぉんと橋の上で大泣きをした。

母親に対するひどい言葉遣いだとか、

こんなにクズ自分なのに見捨てない母親の甘さとか、

謝りたくて謝れない最低な自分だとか、

いろんな感情が爆発してひたすら泣いた。


カンチガイ夢追いひきこもり生活から抜け出そうとした晴れ。

僕の脱出は、見事に失敗してしまった。

2009-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20090925223406

だが、いいこともあるぞ、外の天気は上々なんだ。

根本的に間違ってるし

お前は俺か?

http://anond.hatelabo.jp/20090925111544

問題点は2つある。

中高の友達と彼女はいるけど四六時中連絡取れるわけじゃないので暇。もてあましても周囲の人々に迷惑なので友達を作ろうと彼女マイミクコンタクトを取る。

ヒマ持て余してるんなら『自分の』友達や『自分の』彼女に連絡を取れ。

なぜゆえに『彼女の』友達にちょっかい出すんだ。その人らは「マイミクさんのカレだから無下には出来ないんだけど、なんで私になれなれしく話しかけてくるんだろう? 友達じゃないのに」と十中八九思ってる。だから迷惑なんだ。

元増田は、ほぼ『無関係な人』に、ものすごく親しい人みたいな内容の話をしているんだよ。

新しい友達を作りたいのなら、自分の交際範囲から選べ。「いいお天気ですね」みたいなあたりさわりのない内容から、徐々に時間をかけてディープな話に持っていけ。相手のキャラが濃いからといって、いきなり濃い付き合いが出来るわけじゃない。徐々にだ。

思えば、目的事情がない限り人を誘ったり呼び止めたりできない人間だった。気になる人がいた時はいったんその場から離れ、用件を捏造してから戻ってきて呼び止めたりもしていた。

友達ってのは、用が無くても会って話したりするもんなんだよ。なぜなら、「友達」は「自分を肯定してくれる人間」であり、「自分が肯定できる人間」だからだ。単純に「相手がそのままでいいこと」を認め合うために会ってるようなもんだ。友達との会話は「あなたにそこに居て欲しい」とお互いの気持ちを伝え合うことが主なんだ。だから、友達作りが目的サークル活動ではディープな話にならない。研究は授業でする。サークル活動では「一緒にいて気持ちの良い相手と気持ちの良い時間を過ごす」ことが、たいがいの人の目的だ。

そうではなくて、何か大きな目的を掲げて、それを達成することを目指すのなら、生協の理事とかになったらどうかな。あれは仕事がいっぱいある。有能さも求められる。有能であれば認められる。

元増田。本当に友達が欲しいのなら、時と場所と場合を選べ。

元増田が「楽しいことをしたい時」に「楽しいことが出来る場所」で「たくさんの人から認めてもらえることをした場合」に、回りの人に「友達になろう」と呼び掛ければ、何人か友達が出来るだろう。

あ、とっておきのことを一つ教えよう。もし、元増田のことを「大嫌い」と言う人間が多くなったら、元増田のことを「大好き」な人間も増えている。「大好き」は「大嫌い」より言う機会が無いから、元増田がわからないだけで、元増田のことが好きな人間もきっとたくさん居る。世の中は元増田のことが「大嫌いな」何人かと、「どうでもいい」大勢の人と、「大好きな」何人かで成り立っている。元増田のことが好きな人と付き合えばいい。無理は禁物だよ。

2009-09-17

夏が終わってホッとしてる

天気のいい日曜日。出かけようと服を着替え、鏡を見る。

あっ眉毛の処理をしなければ。余分な眉毛を抜き、ハサミで自然にそろえる。

おっと鼻の下の産毛が産毛じゃなくなってきてる。処理しなければ。

太い毛は毛抜きで抜いて産毛はクリームを塗布してからカミソリで剃る。

逆剃りは肌を痛めるからいけないと雑誌に書いてあるが逆剃りしないととてもムリ。

ふと腕を見るとチクチクしたムダ毛が生えてきてる。一昨日剃ったのに…

クリームを塗布してカミソリで剃る。嗚呼また肌が荒れる。

すね毛も剃らなきゃ。足の指の毛も剃らなきゃ。ドンドン剃る。

化粧をしてバッグを持って車のキーを手に取った時、ふと気付く。

…指の毛も剃らなきゃ……

出かけようと思ったところからすでに一時間以上経過してる。

もう出かけたくなくなる。

本当にめんどくさい。

これだけ処理しても、処理しきれなかった一本のムダ毛発見されれば

「女としてあるまじき愚行」と言われるんだ…

2009-09-16

mixiエコーとTwitterの違い

9/16午後、mixiエコーが落ちてとても困ったので

併用してるTwitterとの差を考えてみた。

mixiエコーとは>

・一言つぶやいたりそれに返信したりするサービス

mixi入ってないと見れない

ついったーより後発(いわばパクリ

ついったー(Twitter)とは>

・一言つぶやいたりそれに返信したりするサービス

Twitterログインしてなくても見れる

エコーついったーはどう違うか?>

■開始直後

フォロワーゼロからのスタート(初めは何も表示されていない)のがついったー

マイミクのつぶやき(書き込み)がデフォルトで表示されるのがエコー

■流れ(タイムライン

自分から知らない人をフォローして、面白い書き込みを探さなきゃいけないのがついったー

マイミクの書き込みを眺めてるだけでよし。

 面白い話題があれば返信してキャッチボールを楽しむのがエコー

■書き込み頻度

自分がどんなにポストしても怒られないのがついったー

・書きこみ過ぎると「エコー荒らしうぜぇ」と言われるのがエコー

■返信

有名人がいる。有名人ポストレスしてもレスが返ってくる確率は低い。

 っていうかフォローし合ってないと、

 自分ポストが相手に見られてすらいないのがついったー

自分ポストを延々と書きこんでたまにレスが返ってくるのがついったー

マイミクに返信すれば、返信が返ってくる確率が高いのがエコー

情報

・色んな人種がいるので情報の幅が広く、かつ情報量豊富なのがついったー

 (例:政治・経済・IT・天気自分の生活etc

ご近所さんの暮らしぶりがわかるのがエコー

 (例:「今起きた」「今日の食事は○○」「こんな夢見た」「TENGA使ってみた」)

ポスト

・「こいつの書き込み見たくねーよ」と思ったらサッとフォローを外せるのがついったー

・「こいつの書き込み見たくねーよ」と思ってもエコー機能切るか、マイミク外すか、

 スルースキルを会得しないといけないのがエコー

総評

・知らない面白い人や時事ニュースに興味がある人はTwitter

・身近な人が今何やってるのか、ローカルな話題で盛り上がりたい人はエコー

(わかりやすい例として。

ついったーで身近な友人がローカルな話題出すこともあるし、

mixi有名人エコー書くこともあります)

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ややエコー寄りの総評になってしまい申し訳ない。

Twitter使用者のフォローやエコー使用者のフォローがあると嬉しい。

2009-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20090913210812

そっか!何か、“ビジネス用の英語テスト”みたいな感じの認識でした。

私が根本的に間違ってたわけですね。

ご指摘ありがとうございます。

でも、“コミュニケーション能力”だったら、なおさらスピーキングもライティングも必要な気が…するのは私だけでしょうか?

何か、大学に入ってからはやたらTOEIC TOEICと言われます。

日本人は読み書きばかりで、話せないからダメ”っていうの、分かる気もするんです。

でも、せっかくそれまでの勉強で読みとか書きを鍛えてきたなら、そこの力をもっと伸ばそうとするのは効率的でいいと思うんです。

実際、TOEICスコアが取れるようになったからといって、話せるようになるとは思えません。

私が本質的英語に興味を持てたのは、論文を書くときに、いかに(簡単には言えませんが)論理的なな言語かを痛感したからです。日本語とは違う思考の型?みたいな…“論文”に関しては、英語の方が読みやすいことも多いと思うんです。

読み書きは、コミュニケーション能力につながりませんか?

そもそも、コミュニケーションには思考力も不可欠な気が…するのは私だけでしょうか?

TOEICが、本当に“コミュニケーション能力”をはかれるのか、やっぱり私には疑問です。TOEICは、“何を話すか”は関係なくて、例えば「いい天気ですね」みたいな、そんな類のことを、いろんなバリエーションで言えるようになったよね、みたいな…

すみません。うまく表現できません。

はたと気づきましたが、TOEICそれ自体というより、TOEICハイスコアをとったことを評価するような風潮が疑問なのかも知れません。それとも、本当に“英語力”を求めているような企業はそもそもTOEICとは違うところで“英語力”を審査しているのでしょうか?

そして、ある意味TOEICは、“どれだけきちんと勉強できるか”を見る基準に過ぎないのでしょうか?

よく分かりません。

もちろん自分でも調べてみますが、詳しい人から何かコメントがもらえると嬉しいです。

2009-08-17

怖い夢見た

天気いいんだけど、空には低空を飛んでるジェット機が10機以上いて、みんな同じ向きで飛んでて、それが一機ずつ町の中に墜ちてくの。

向かいのビルの窓から顔を出してた人がこっちみて目を丸くしてたから、こっちの背後からも何か向かってきてたのかもしれないけど、ビルの反対側だから見えなくて轟音しか聞こえなくて怖い。

横を向いたら、急降下してきた飛行機が水平になったかと思ったらまた機首をがくんと落として町の中に突っ込んでた。

もっと遠くでは、細長いビル最上階を突き破ってる飛行機がいた。

機首とか後部とかなくなったまま飛んでるのもいたんだけど、あれはもう何かと衝突したあとだったんだろうか。

全部JALだった。

2009-08-05

僕の大学受験浪人経験手記

なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分大学受験浪人時代の記憶増田に投下。

ノリで東工大だけ受けたら返り討ちにされたのが現役受験

塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。

代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。

東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。

授業の構成

基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。

水曜の午後だけは1コマだったと思う。

そして土曜午前に2コマ。

日曜日は1ヶ月に1個くらいのペースで模試

本科生は代ゼミ主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。

ちなみに3学期制だった。

どういう講義を受けてたかだけど、講義名まで覚えていないが、

があったと思う。物理生物は選択でどちらかを選ぶ。

後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲーム不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。

自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。

それでも、東工大コースで行われる人気講師講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!

教室の雰囲気

4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)

実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師英語を受講しにいくらしい。

なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。

それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイム講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。

そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。

それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。

「もう、死にたい

女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。

それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。

その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分レベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。

当時の1日の流れ

平日 
7時頃起床
8時過ぎ代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど
9時~12時午前の講義
12時~13時お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた
13時~16時午後の講義
17時頃帰宅
17時半~19時スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール
19時半夕食
21時~23時予習・復習
24時就寝
土曜 
7時頃起床
8時過ぎ代ゼミに到着。予習か復習
9時~12時午前の講義
午後デート

日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。

模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。

こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。

おいおい、デートかよ?

教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏彼女持ちだった。お昼休み携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。

夏期講習は別世界だった

1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師オリジナル講義を受けるらしい。

志望校の変更

夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学英語を増やした。物理化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。

で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。

思い出の講師

代ゼミの話をして、講師の話をしないわけにはいかないだろう。

他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修セミナー経験した今でもいえる。

印象に残っている人について

 

センター地理先生

小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。

 

津守光太先生(国公立理系ライティング)

ビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。

 

馬場純平先生センター英語

「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。

 

東工大英語先生

東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義時間癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。

 

雨宮章雄先生(国公立理系数学IIB)

エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学人生法」は傑作だった。

 

荻野暢也先生(国公立理系数学IIIC)

クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。

 

亀田和久先生(国公立理系化学

土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。

 

泣きながら英作文

津守先生英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。

そして冬期講習

東大」を冠する講習と、馬場先生英語オリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。

3学期

3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学数学教科書を見せてくれた。

自分東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大センター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田教育理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。

センター試験

話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。

総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。

次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。

あるときの東工大模試化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分ホームランゾーン試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。

国立2次

東大入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。

2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。

でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。

合格発表

アメフト部ウォリアーズ胴上げすることで有名な東大合格発表普通に見に行って、普通合格を確認して、普通生協合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。

兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。

「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。

そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。

ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。

 

という感じ。

 

現役の人は、これから頑張れ。

浪人の人は、どんなときも継続が大事です。泣きながら勉強してください。

2009-08-02

今日は伯父の納骨だった。

からっと晴れたいい天気だったのに、お墓の真ん前でこれから納骨だという瞬間に雨が降り出した。

どしゃぶりに近かったのに、納骨が終わるとちょうど晴れた。

ドラマのようなできごとだった。

2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090726091530

天気が悪くなるかと思ったけどそんなこと無かったぜ。

認める/認めないと言う話も、「意識世界に対して開いているか?」と言いたかったんだよう。

認める/認めないという話って一文からの件が個人的に難解なのだけれど、私の捉え方でいけば、「意識世界に対して開く」。あるいは「常に開いている」

それは個人個人の「小さな世界」に対してもそうだし、共有している「大きな世界」に関してもそうだ。

私という世界が行動を起こすことは、立脚する足場はもちろんのこと、隣接する周りの人々にも影響を及ぼすことだから。

超絶的に言葉足らずでした。

「認める/認めないという話」は、これまでのやり取りで出てきた、「自分認識して欲しい」ということを話題にしたかったわけで、

意識が開いている時というのは、自分以外の世界(他者とか)を認める/認められることが出来る状態で、

意識が閉じてしまうと「小さな世界」で完結した状態になるので、「小さい世界」を「大きい世界」と混同しちゃって孤立するから

意識を開いておく必要がありますよ。

ということをあの字面から読むのは無理ですね。すみません。

 

記述する前にどんどん言葉が簡素化されて、実際に表に出ると意味不明というのは立派なコミュ障害か

 

といったところで、

あなたの言葉では意識≒小さい世界であるから、

意識の状態にかかわらず、「小さい世界」同士あるいは「大きい世界」との間は

干渉しあう関係であるという見方なのかな。

それぞれの人がそれぞれの波形を持っていて、たぶん分かり合えるってことは、一部だけでも同じ波形が生まれることなんだろう。

すごく、わかりやすいイメージだ。

位相で打ち消しあうとかもありそうw

 

アニミズム精神になるのかもしれないけれどさ、やっぱり土地や物体が存在することからも人は影響を受けるし、物体同士でも互いに影響しあっているんじゃないのかな。

そこに世界を見るかは、また違うお話になるのだけれども。

ここでの世界っていうのは「意識」や「命」ってことかな?

2009-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20090722125620

ちなみに当日の天候が怪しいのは、7/16に日刊スポーツが報じている。

他紙も報じていると思う。

以下ネットニュースだけど全文

 気象情報会社ウェザーニューズ東京)は15日、日本で46年ぶりに皆既日食が見られる22日の天気について、皆既継続時間が6分25秒となる悪石島を含む鹿児島トカラ列島十島村)が「曇り時々雨」、島北部で3分以上の皆既となる奄美大島など奄美地域が「晴れ時々雨」とする予測発表した。皆既日食トカラ列島奄美大島のほか屋久島などで22日午前11時前に起きる。トカラ列島には1000人以上の観測客が集まる予定で、うまく観測できるか気をもむことになりそうだ。同社によると、22日ごろは北海道から九州まで雲が多くなり、部分日食も見えにくくなる可能性があるという。

部分日食見た?

天気が悪いからテレビ中継でみていたけど、晴れ間が少しのぞいた時に見られたみたいだった。

直接見られたかも知れなかったのに残念。

http://anond.hatelabo.jp/20090722125620

ぶっちゃけみんなが浮かれてて、

天気が悪かった時にどうするか想定してた人があまりいなかった事がこれを読むとわかる。

機材が壊れた件以外は同情する。運が悪い。

http://anond.hatelabo.jp/20090722125620

天気悪くてメシウマ!とか言ってるひがみ根性の塊のごときネット弁慶は嫌いだが、

こういうのを見ると「ざまあ」としか言えないわな。

こいつらに言いたい

トカラ列島の例のテントツアー参加者の知り合いの書き込み

67 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:27:42 ID:1QlSut7E0 (1/4) [PC]

ツアーを企画した会社十島村に損害賠償を請求することが出来ますか?

142 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:03 ID:1QlSut7E0 (2/4) [PC]

まじめに質問なんですケド、ツアーを企画した会社十島村に損害賠償を請求することが出来ますか?

173 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:46 ID:YaEUeD5q0 (1/2) [PC]

>>142

ttp://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907180303.html

>大手旅行会社に委託したツアー客1500人に限って受け入れることにし、

>1126人が申し込んだ。島民の3倍以上の220人を受け入れる悪石島(あくせきじま)は

>水資源が乏しく、水源の50トンの貯水タンクを80トンに増量した。

>島内に1軒しかない商店は生鮮品を扱っておらず、食料を運んでこなければならない。

>ほかにも、テントに泊まるツアー客のための仮設シャワーや簡易トイレの設置、臨時電源の配備……。

>ツアー料金は鹿児島港発着の船中2泊、テント2泊のコースでも34万円台と高額だが、こうした出費が含まれているからだ。

こりゃ無理だわ

175 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:49 ID:335DRahQ0 (2/4) [PC]

>>142

無理。諦めろ

253 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:33:13 ID:1QlSut7E0 (3/4) [PC]

>>173

>>175

友人の撮影機材が濡れて壊れてしまったみたいです。

ツアー代金は無理だとしても機材の代金を賠償してもらいたいんです。

477 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:40:48 ID:1QlSut7E0 (4/4) [PC]

村やツアー会社ツアー参加客の財産を守る義務があるでしょ?

天気が悪くなることが予想できたなら、それくらいの配慮があるべきなのに

しなかったのは酷すぎると思います。

お前もその友人共々今後どこにも行くな

2009-07-20

今日は夜も暑かった・・・夏だなぁ。

日食の日は天気が悪いらしいね。残念。

まぁ都内だしそれ用のメガネ(?)もないからどのみち見られないと思うけど・・・暗くなったりするのかな。

日食

7月22日日食があるわけだが。

今から28年前(だと思った)の夏にも部分食があった。

その当時俺は札幌に住んでいて、そこでこの部分食を体験している。北海道地方では、1/3くらいが欠ける食だったと記憶している。

その年の夏は、とても暑くて、まぁ当時の俺は暑い夏が好きだったので、いい夏だと思っていた。

で、日食の日。

太陽が欠け始めると、辺りが不思議な感じに薄暗くなり始め、それに伴い、今まで静かだったのに俄にざわざわと風が吹き始める。

完全に食に入った(という言い方でいいのかな)ときには、結構薄暗く、これが、空は青空なのに薄暗いという、夕方でもなく昼間でもない神秘的な感じ。

で、本題はここから。

その日は、朝からとてもいい天気で、空は青空、そして暑い

ところが、日食が終わってみると、空はどんよりと曇ってしまっている(と記憶している。雨が降ったかどうかまでは覚えていないが、もしかしたら降ったかも知れない)。つまり日食前後で天候が急変した。

それだけではない。

その夏は、その日を境に天候は荒れ、結局冷夏かそれに近い状態になってしまった。暑い夏があっけなく終わってしまってとてもがっかりしているのを覚えているので、日食の日を境にして天候が急変したことは、間違いないと思う。

俺は専門家ではないので詳しいことは分からないが、あれかな、日食により太陽から届く熱量が一時的に下がり、気温が急変したために大気の流れが変わり、その後の天候の変化を招いた、とかね。

これが当たっていれば、今回の日食では東京地方でも太陽の2/3以上が欠けるらしいので、相当な天候の変化が発生する可能性があるということになるが。

まぁ、28年前の事例はただの偶然かも知れないし、ちょっと調べたところでは、日食で気温が変化する(これは当然)のはよく見かけるが、その後の天候まで変わってしまうという記述は、いまのところ見つかっていない。

いずれにせよ、答えは22日を過ぎれば分かるわけで。

その日の東京地方は曇りだそうだけど、日食後に雨でも降るかな?

2009-07-15

ひとでなし

今頃「おはよう 気持ちのいい天気だね」

なんて、メールのやり取りをしているんだろうか。

私とは無かったような、密なやり取り。

私がずっとずっと欲しかった言葉

きっと、大安売りなのでしょう。

離れてみて、冷静になって、

君がどれくらいの気持ちで私と一緒にいたか、わかってきた。

これっぽっち。これっぽっちか、と思う。

これっぽっちってわかってたら、

2人の関係はこんなに長くは続かなかったのに。

恋は盲目って本当に本当だ。

無意識で、見ないようにしていたなんて。

今思えば2人の相性が合っていたのはセックスだけでした。

これっぽっちで、だけどセックスだけは人一倍している2人でしたね。

大学生みたいに、会えばセックスしていましたね。

今の「大切な彼女」にできないようなことを、沢山してくれましたね。

思えば、君が褒めてくれたのは、カラダの美しさだけでした。

君が心からの興味を持って私に接してくれたのは、裸のときだけでしたよね。

本当に、どうもありがとう!!!

これから君のことを「ヒトデナシ」って呼びます。

電話でもメールでも実際に会っても

一発目は「ヒトデナシ」って呼びます。

周りに誰がいても、笑顔で「よう!ヒトデナシ!」って挨拶するから。

脳内でも「ヒトデナシ」って呼ぶから。

決定事項です。変更不可です。

奇しくも名前と響きが近いしね。ちょうどいいじゃん。

覚えとけ。ばか! 死ねばいいのに笑顔で)!

2009-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20090706232141

高嶺格さんでした

言われて思い出した気になってググってきました

 

あの授業では「木村さん」の他に高嶺さんの結婚式ビデオも見た

それはすごい良かった

4,5年前に一度見ただけなのに、今でも色んなシーンを覚えてる

映ってた人がみんなすげー楽しそうなのも印象に残ってる

あと、当時付き合ってた相手が在日韓国人やったこともあって、

野球日韓戦を企画したけど天気が悪くて中止になったとか言ってたのもおもしろかった

 

新宿ゴールデン街で隣り合わせになったら朝まで話したいと思う

 

あの授業の先生名前は覚えてないけど、あの映像は覚えてるし考えることもあった

でもあのビデオを授業に持ってくるなよって気持ちは消えない

♂×♂の手コキは二度と見たくない

2009-06-30

滅亡の記憶は創世の記憶

MJって記憶ジョニーか?ってそれJMだろと、一人寂しくボケツッコミをしちまったじゃねーか。

個人的にはアーサー・C・クラークのが印象深い。「2001年宇宙の旅」の著者といえばわかるだろう。wikipediaからひっぱってくると「ロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所」の最後の一人だ。時代を感じたね。

なんてのは正直どうでも良い。10年前の、あの訃報に比べれば。

あれは今日と違って本当に天気のよい日だった。あの本当に天気が良かったという記憶は一生忘れないだろう。

夏の葬列には負けるだろうが。

なんて話もまあどうでも良いだろう。

冬休み帰省の足で向かった通夜と、春休み帰省の足で向かったお悔やみの、あの年の夏休みに比べれば。

ま、早く帰らなければまた間に合わないのではという思いと、帰らないほうが良いのではという思いが交錯した、ってだけで、実際は何も起こらなかったわけだが。

人生、生きていれば色々な死と出会う。

これから先はこれまでの死よりももっと多くの死と出会うだろう。

親の死、友人の死、自分の死。

ま、本当はそんなこと、どうでも良いことだろう。自信はないが。

あ、タイトル意味はない。

http://anond.hatelabo.jp/20090630005752

2009-06-29

今朝の東京天気

すごく爽やか!!

快晴。

湿度が低い。

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