はてなキーワード: ハンガー・ゲームとは
脳みそがチンパンジーなので、始終展開があり画面に飽きない映画が大好きだ。
これまで見た映画で特に楽しめた映画を頑張って挙げる、ぜひ同じような傾向のまだ見ぬ映画を教えてほしい。
グランド・イリュージョン - 始終退屈せずを体現した映画、華がありスタイリッシュな登場人物たちに魅了される
ドラゴン・タトゥーの女 - ダニエル・クレイグと影のある女と陰謀、カッケー、以上
女神の見えざる手 - "アメリカが彼女に振り回される" みたいなキャッチコピー、僕もぐるんぐるん振り回された
マージン・コール - 文化祭の前日に夜遅くまで準備しているときの雰囲気が好きだ、そんな記憶を呼び覚ましてくれた映画
エグザム - 閉鎖空間で初対面の人間が集まって何かするっていうよくある設定だけど最後まで飽きない
プレデターズ - 地球のいろんな軍隊の人が突然さらわれて宇宙人と戦う、この映画好きな人と会ったことないけど好きなんや…
オーシャンズ 11,12,13 - プロフェッショナルが集まって何か作戦するって映画は基本大好き、ブラピがかっこよすぎる
スティング - オーシャンズみたいな映画、ちょっと古いけどこれもすべての要素をきれいに配置した良い映画
CUBE - シリーズ全部みたけど初代だけ、余分な要素がない初代が一番好き、なぜ初代以外はだめだめなんだろう
インターステラー - これは本当に純粋な画面映えがよかった、内容も好き
ガタカ - 何かが足りないけれどもそれを乗り越えようと人事を尽くす姿には心をうたれる、派手な画面ではないが目が離せない
フォーカス - プロの詐欺師カッケー、あとこの映画の演技指導をした人の TED の動画も面白いから見てほしい(https://www.youtube.com/watch?v=EDkxFQExFec)
ウォンテッド - 中二病のために作られた映画、中二病なので超楽しかった
ソードフィッシュ - してやってやったという映画、してやられた
プレステージ - 長いけど途中で伏線が頭の中でつながったときは興奮した
真実の行方 - 最初マジで寝そうになったけど話が動き出してからは楽しめた
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い - 子供の繊細な心の動きに揺さぶられた
anond:20180531140806 を読んだんだけれど、字幕版も吹替版も好きだからどっちかが貶されているととても悲しいし
どちらかというとアンチが多めに見える吹替の良さも知ってもらいたいから両方のメリデメを書いてみる。
意訳しすぎ問題、ジョークの翻訳が難しい問題、キャラ改変などのリスクなどはどちらにもある(翻訳されている以上すべて改変されているし)ので触れません。
言わずもがな。俳優の息遣いや細かいトーンの変化なども感じ取れる。
字幕や吹替には反映されない訛りや特徴的な言い回しがあったりして、キャラクターの背景がわかることも。
例:
「オーシャンズ12」
ジュリア・ロバーツのモノマネをするために南部訛りで話すんだ!というシーンがある。
(ジュリア・ロバーツ演じるキャラクターがジュリア・ロバーツの真似をするのが最高)
「スターウォーズ」
ジャー・ジャー・ビンクスは黒人っぽい話し方が特徴的で、字幕や吹替の口調も個性的になってる。
基本的に原文の情報を漏らさず字幕に含めることは不可能で、取捨選択をしなければいけない。
それによってストーリーがわからなくなってしまったら本末転倒なので、物語の理解に必要な情報は必ず字幕に含まれている。
ミステリーなど情報量の多い作品だと、うっかり聞き漏らすことも在り得るが
字幕によって最初から情報が限られていれば取りこぼすリスクは減る。
ちらっとだけ映る手紙や看板に字幕が表示されて、それが重要な情報だった……という流れに覚えがある人も多いと思う。
字幕がない状態だと目にとまったかな?と思うぐらい雑多な画面だったり、筆記体の字が結構ぐちゃぐちゃだったりするので
字幕があることで意識すべき情報だよ!って明示してくれるのはありがたい。
セリフに含まれる情報量は、どう考えても「原文>吹替>字幕」になる。
ただこれは前述した通りメリットもあるので作品に合うかどうかと観る側の好みです。
特にテンポの良い映画、複数人が同時にしゃべるようなシーンだと露骨に差がでてくる。
例:
字幕だと化学物質の名前がバシバシ削られているので、吹替で見たほうが詳しくなれる。
「フレンズ」
ゲラー兄妹がケンカするときに、字幕だと「モニカがブランコを壊した」ことしかわからないけど
吹替だと「モニカがブランコを壊したのを、親には台風のせいだと嘘をついた」ことまでわかる場面がある。
特に3D/4D上映だと視線移動は結構なコスト、というか普通に目が疲れたりする。
アクション映画とかスピード感ある映像だと文字なんて読んでる暇ねえ!ってなるわけで、
意訳・誤訳で有名な戸田奈津子はそういった映画をテンポよく短いセリフでまとめるところが評価されていた(よね?)
特にメインの会話の裏側で流れているテレビやラジオの音声、細かな掛け合いまですべて翻訳されてるのは強い。
また、キャラクター性や感情の表現は文化背景に強く紐付いているから
例えば同じ「感じ悪い喋り方」だとしてもやっぱり日本人が演技する方が日本人に伝わりやすい。
その点では情報量の話含めて「吹替のほうがオリジナルの演出意図に近い」と言い方もできると思う。
字幕を読む必要がないぶん、画面の他の部分を見ることができる。
例:
ミステリー作品。俳優の目線、仕草など細かい部分にまでヒントが含まれているので、それらを見逃さないよう
配給会社が吹替版を推奨するようなキャンペーンを実施していた。
ゴールデンタイムのテレビ放送で吹替が採用される理由はこれ。ながら見が可能。
映画オタクだからって毎回全身全霊で視聴してるわけじゃないからね。
どれだけ良い部分があっても一発ですべてをぶち壊すことができる最凶の厄災。
例:
22歳の若さでアカデミー主演女優賞を受賞したあのジェニファー・ローレンスに剛力彩芽て。
ちなみに他の作品ではジェニファー・ローレンスの声は牛田裕子や水樹奈々があてることが多い。
「プロメテウス」
剛力彩芽て。
字幕なら「あ、今音声では○○って言ったのに字幕に入ってないな」というのが検知できるんだけど
吹替ではオリジナルの情報が皆無なので違いがあったとしても認識できない。
翻訳する人、演技する人の実力次第でクオリティは変化するので、糞字幕も糞吹替も存在する。
だから作品によって合う方を観ればいいし、好きな映画なら両方観た方が2倍お得だよ。
声優の演技によってよりキャラクターがより魅力的になってると思うものもあるし
逆にステレオタイプ化されちゃって勿体無いなあと感じるものもある。本当ケースバイケース。
感想なら、クソを素晴らしい香りと言おうが白地図に対して白い!と文句をつけようが自由だ。
だが、「進撃の巨人」と「Mad Max: Fury Road」を並べて批評するのは、適切だろうか?
クソリプ、という言葉がある。便利かつ端的だ。
例えば、最近の映画だと『ドラゴンボールZ 復活の「F」』がある。
「フリーザの進化形でゴールデンフリーザってダセえ!子供か!」と言うのはクソリプだろう。
作品の質を「進撃の巨人」と比較するなら、「スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!」とかのハズだ。
「フィニアスとファーブ ザ・ムービー」と「映画けいおん!」を比較してはいけないのだ。
どちらが偉いとか、どちらの方が優れていると言う意味では無く、分類が違うのだ。
同じ図鑑に載っていない。動物園なら違うコーナーに展示されているのだ。
似ていても「パシフィック・リム」と「巨神兵東京に現わる」を比較するのは違うというのは判るだろう。
同じように「Mad Max: Fury Road」と「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の比較もナンセンスだ。
羽生善治と町内一将棋に強い八百屋の親父の打ち筋を比べるような、傲慢でかつ無意味な比較だ。
なぜ、「ローレライ」や「日本沈没」での実績がある樋口真嗣監督を、
音痴だがタップダンスの上手いペンギンがタップでペンギンの世界を救うという
愛らしくもマッドさとは無縁な「ハッピー フィート」でアカデミーまで取ったジョージ・ミラーと比べるのだ。
(ペンギンで稼いで世紀末映画撮れるって小躍りするジョージもジョージだが)
「パシフィック・リム」は、全世界でこそ400億だが、日本に限ればわずかに15億の興行収入だった。
つまり、広報宣伝にテレビが大きく絡むキャスティングや出資者の納得するシナリオ必須など、
魑魅魍魎の跋扈する邦画界において稼げる稀有な監督が、樋口真嗣なのだ。
その意味で、「みんなの感想は面白いけど批評としてはなんか違う」というのを言語化するきっかけになった
壁から出ることを拒んだ制作者たち 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 小覇王の徒然はてな別館が「ハンガー・ゲーム」や「メイズ・ランナー」をあげているのは、実に慧眼だと思う。
内気な女子高生とイケメン・バンパイヤが恋をする少女漫画のような「トワイライト」とか
高校生になると性格診断で中二病な名前のグループに振り分けられて争う「ダイバージェント」とか
様々な欲望をストレートに発散できなかった鬱屈を青臭さでコーティングしたようなヤングアダルト映画と比較すべきなのだ。
これを外すと、クソリプになってしまう。
大金庫の奥に女性たちを大事に保護し、同時にモノとして扱っていると端的に示すシーンや、
急な方向転換にもボスの意向を確認してから迅速に隊列を組み直すウォーボーイズや
轢くまいと同乗者を無視して咄嗟にハンドルを切るイモータン・ジョーの姿など、
アレだけ判りやすく演出しながら終始ハイテンションなマッドマックスとは違うジャンルの映画なのだ。
主要なキャスティングで、手堅くまとめている。
所属事務所の調整がエクストリームなのに、比較的演技派で固められている。
演技や配役に関しては、さほど文句は出ない(観た人が納得する)キャスティングと言える。
かつ、きちんとバラエティー出演やワイドショーで取り上げられやすい人を入れていて、広報的にも万全。
日本の映画は(洋画も邦画も)「テレビで宣伝→一斉に人が来て儲かる」という流れなので、
たまに演技の素人さんが入るのもご愛嬌なんだけど、そんなことはない手堅い布陣。
はてブは、ワリと「要旨全無視で1行だけにツッコム」という日本人(主語)の減点指向を振り返る場所だが、
「面白かったね!じゃ、ご飯食べてラブホ行こっか」みたいなカップルとか、
「カッコ良かったな!キモかったし!カラオケ行こうぜ!」みたいな高校生とか
「あのシーン泣ける~とツイートしたしファミレスにお茶行こ」みたいなグループとか、
ターゲットとなる観客たちにとって、本作は微妙なラインではある。
要らないエロがある。エロならエロ、重いシーンなら重いシーンと、きちんと分けないと観客が戸惑う。
また、主役級のキャラクターの動機がフラフラすると理解できずに置いてけぼりになる観客が多くなるので、
その意味で単純に「必要のないシーンが有る」「描きたいシーンを繋ぐシナリオが甘い」という残念な出来ではある。
矛盾するようだが、シーン優先、つまり場面やある瞬間の一連のお芝居だけを覚えて帰る観客は意外に多い。
機関銃ぶっ放して快感言っとけば客が喜ぶ時代から、人間さほど進歩してないとも言える。
特撮は流石に良い出来で、その点を見に行くのであれば問題はない。
ただし、ドラマパートは監督と脚本の思想によるものか、全体を通して複数人のレビューを受けてないお芝居に見える。
動機付け、感情の流れ、イベントと対応、演出、全てがパッチワークというよりは、ツギハギになっている。
クソリプ良くない。
例えばオーストラリアのゴア映画と、ハリウッドのマイケル・ベイ映画を比較しても意味は無い。
同じように「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」と「Mad Max: Fury Road」との比較もナンセンスだ。
キチンと適切な比較対象を持ってきた上で、クソな部分をクソだと言うのが、批評だ。
儲かる、だがしかし面白くはない。ハリウッド映画とは方向性が違う。
そういう実に邦画らしい邦画で、ちゃんと儲けて実績も残ると思う。
平成ゴジラとハリウッド2回めGODZILLAの中間みたいな。
個人的には、町山智浩が文句つけながら諫山創とヘッドギアに脚本書いてもらえば良かったと思う。もう遅いけど。
総評としては、「良いキャスティング」「演技は良い」「特撮は良い」「シナリオは悪い」「演出は悪い」。
演技が良い分、邦画の特撮映画としてはマシな方だと言える。まあ夏休みの中高生~若者向けだろう。
映画には様々な見方が存在するので、ハリウッド映画やフランス映画が優れているというわけではない。
映画館内で飲み食いして踊る社交場になっているインド事情的には、フルコーラスで踊りが入っている映画が良い映画だ。
(インドも南の方は保守的なのでそこまで騒ぐわけではないみたいだけど)
話題性をテレビで宣伝して人に来てもらって稼ぐ邦画が悪いとは言わないし、そういう方向性もあると思う。
ドニー・イェン仕込みのアクションを和風に落としこんで撮り切った谷垣健治だって、ワーナーからカネ引っ張る理由に「るろうに剣心」を使ったわけで。
好きな映画は見に行く、嫌いな映画は積極的に見に行かないを徹底しないと、いつまでたっても方向性変わらないぞ。
世の中カネ稼いだものが偉い。勝てば官軍負ければ賊軍。