はてなキーワード: 東京03とは
あなたがどうしてもビッグマックを食べたいと思い、マクドナルドに入ったとする。「ビッグマックとコーラ」と頼むあなたに、当然のように店員はこう言うだろう。
何言ってんだ、ビッグマックとコーラだけでカロリー的に大冒険なのに、この上ポテトなんか食うわけねえだろ……そこまではいい。そこでどう答えるか、が問題なのだ。私ならこう答える。
「二品だけで結構です」
面倒なときは、何も言わずに右手を出して左右に振るかもしれない。けれど、世間では今こう答える人が多いのではないか。
「大丈夫です」
最初にこれを聞いたときに、妙な答え方をする人もいるものだと思った。「ポテトがなくても大丈夫」ということなのだろうが、「大丈夫」だけではその意向は伝わらないんじゃなかろうか。まあでも、その補完で問答としては成立するから、それ以上他人の言葉遣いにどうこう言う必要もないのかな……私は絶対に使わないけどね。それ位に思っていた。
そのうち、私はあるきっかけで転職することになった。次の仕事が始まるまでに二か月程の空きがある。何もしないでいるのも時間と金の無駄だしどうしよう、と思っていたら、丁度選挙が行われることになった。出口調査のバイトが出たので飛びついたわけだ。
出口調査はなかなかに過酷なバイトだった。丁度夏だったのだが、炎天下にボードを持って、
「すみません、○○○ですが、投票された内容に関しての調査にご協力いただけますか……」
と、市役所から出てくる人に声をかけ続ける。知らぬ人に声をかけることが苦にならない性質だからよかったが、最近の学生さんには辛い仕事かもしれない。むしろ私は、脱水症状になりかけたのと首筋の日焼けの方が辛かった。
そして、思いもかけないことに出喰わしたのだ。この手の調査なので、当然拒否されることが多々あるわけなのだけど、かなりの割合の人がこう言うのだ。
「大丈夫です」
え?どういう意味?何が「大丈夫」なの?……最初は意味が分からなかった。最初にそう言った三十代男性は、きょとんとして目前に立ち竦む私に目をやって、軽く舌打ちして大きく私を避けて歩き去った。何秒かの困惑の後にようやく、ああ、これは調査を拒否しているんだ、と理解した。どうも私の知らないうちに、このフレーズは他者を拒否する文脈の表現として定着していたらしい。大体四十代位までの人が多かったが、まあ皆さんこう仰るのだ。
その場は黙って淡々と対処していたわけだが、胸の中ではとにかく不可解だという思いが充満していた。この「大丈夫」は、何をどう補完しても何が言いたいのかが分からない。おそらく彼らは皆、自分が何か拒否するときに、無難な、角の立たない表現としてこの言葉を便利に使っていて、やがてその言葉の意味を考えないようになり、今回目前に立ちはだかる私にそれをぶつけたのだろう。最初の人は、きょとんとしている私が退かないのを見て、
「なんだこいつ、ちょっと丁寧に言ってやってるのに」
と苛立ち、舌打ちしたのだろう。惰性で意味の通らない言葉を平気で使っているなどとは考えもせずに。
飲食店でもコンビニでも、その後もこのフレーズを耳にすることがあるのだが、その度に、あの舌打ちされた日のことを思い出す。ああ、そうやってカプセル化したフレーズを投げつけてるのね。それがあなたたちの本質なのね、と思いながら。いつか、こう言ってやりたい、と思いながら。
まあどうせ通じもしないんだろうが。
【後記】
東京03のネタって話は知らなかった。ということは……と思いつつ、改めて辞書をひくと、
1 あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。「地震にも大丈夫なようにできている」「食べても大丈夫ですか」「病人はもう大丈夫だ」
2 まちがいがなくて確かなさま。「時間は大丈夫ですか」「大丈夫だ、今度はうまくいくよ」
[補説]近年、形容動詞の「大丈夫」を、必要または不要、可または不可、諾または否の意で相手に問いかける、あるいは答える用法が増えている。「重そうですね、持ちましょうか」「いえ、大丈夫です(不要の意)」、「試着したいのですが大丈夫ですか」「はい、大丈夫です(可能、または承諾の意)」など。
これですか。この辞書の文例ならば、
「(持っていただかなくとも私は)大丈夫」
でも、出口調査の依頼に対して「大丈夫」というのは、何をどうしても通らないと思うのですよ。