はてなキーワード: 鞭打ちとは
バイトを始めた日を復帰日として、今日で1年半が経とうとしている
間も無く正社員として働くことが決まっているので、いろいろと慌ただしい毎日だが、
最近かなり疲れてきた
心が休まる日がない
少しでもポジティヴに、前向きにとやってきたつもりだが、
いい加減心が根をあげはじめたようだ
何をしても楽しくない
特に目立ったスキルもなく、大した学歴でもない俺は給料の安い中小企業にしか入れなかった
これからもプライベートを削ってスキルアップを計っていかなくてはならないだろう
まだまだしんどい道のりは続きそうだ
彼女も友達もおらず挙動不審でコミュ障マックスだった状態から、
何人かとは連絡先交換まではできた
が、プライベートで遊ぶ人はまったくいない
誰かに泣き言とか言えたら、多少楽になるのかなと思うが、
趣味でやってたことも何にも充実感がなく虚しい。時間を無駄にしたなって感覚だけがあるが、
有意義に思えるような勉強とかやったらそれはそれで心が休まらない
平日も休日もすでに疲労感でいっぱいだが、
支えてくれる人は誰もいない状況で、ここから更に負担が増したら、俺は耐えられるだろうか
いつまで続くんだろ、こんな状態
イスラームの教義における性
婚外セックス・レイプ
一般的なシャリーアの解釈では、同意の上での婚外セックスを犯した男女は、既婚者の場合投石による死刑、未婚者の場合100回の鞭打ちである。またレイプに対しては、加害者は投石刑に処される。
実際のイスラーム世界における性文化
婚外セックス
(略)
上に挙げたとおり、同意の上での婚外セックスへの刑罰は、シャリーアの規定上は男女平等であるが、実際はこのような場合、男性の側は『女が誘惑した』と言い逃れをするのが常道であり、司法部もかなりの事例においてこれを認めるので、男女ともに死刑になるべき事例であっても、実際は男性の側は酌量により鞭打ち100回、女性のみ死刑となることが少なくない。
(略)
それに加え、上記にあげたレイプ被害者に対して求められるイスラーム教徒男性4人の証人の確保も現実の男性中心的な社会では難しく、意を決して性的被害を訴えても、同意の上での婚外セックスであるにもかかわらず、男性を落としいれようとしたとして、逆に姦通罪や偽証罪に問われ投石刑で処刑される事例が少なくない。
(略)
また国法での罰則とは別に、未婚者の女性の婚外セックスは、同意・レイプ問わず、家族の名誉を穢した汚らわしい行為として見られ、私刑として殺されてしまう事例が少なくない。
最近は日本でも送電線やマンホールの蓋を盗むような事件が目立ってきた。
戦後すぐとかそういう時期にも多かったのかもしれないけど(想像)、バブル以降はそんなになかったはず(これも想像)、ゴマキさんの弟も銅線盗んで捕まったんだっけ。
何年も前に聞いた話だけど、どこか東南アジアに大金をかけて海底ケーブルを引いたんだそうな。ケーブル敷設作業は近隣の住民も雇って実施されたので彼らは埋設されている場所を知っていた。村人たちにはインターネットがもたらす恩恵など理解できなかったから工事が完了して企業の人間たちが撤収するとすぐに目先のゼニ稼ぎのためにケーブルを掘り起し売り払おうとしたのだが、それは銅線ではなく光ファイバーだったため一銭にもならなかったという。
まあそんな小話が出てくるぐらい、貧しい国において路傍の金属を盗んで売る作業ってのは日常的なんだと思うんです。そういう国でもあらゆる電線やマンホールの蓋や鉄の門扉を監視するわけにはいかないはずだ。だからと言ってインフラがまったく機能しなくなるほどの窃盗被害があると聞いたこともない。どうしてなんだろう?
もしかしてそういう窃盗の罪や罰がやたら重い設定になっている?片腕切り落とすとか鞭打ち90回とか、警官の機嫌が悪いとその場で射殺とか。
日本で多少の銅線を盗んでも刑罰はそこまで重くないでしょ。僻地で誰にも見られずに実行可能で、解体したり溶かしたりしちゃえば足もつきにくそうな感じなので今後はどんどん増えるんじゃないかなあ。
同じような条件で実行できる犯罪として放火があるけれど、こちらはかなり重い扱いになってるはず。日本でも金属泥棒の。片腕を切り落とした方がいいんじゃないだろうか。
不幸が続いている。ただ吐き出したいだけ。
4月某日、母親から電話。遠い親戚が亡くなったから代わりに葬式に出て欲しいと。
グラスを片手にタバコをもった親戚のお父さんの写真。末期がんで死んだそうだが
元々葬式は嫌いだ。人はいつか死ぬといことを強く認識させるから。別れはいつだって誰だって悲しい。
私はシンクロしやすい体質だから泣いてる人の悲しみを多く受け取ってしまう。
話したこともない人の葬式で私は泣いた。
犬は走り来るトラックを避け、車も犬を避け、バイパスの真ん中で右往左往としていた。
犬にとっても危険、車にとっても危険。私はわりと暇。犬を捕まえて安心したかった。
道路の真ん中の分離帯のところで犬はゴミ袋をあさってた犬に近づいた。
犬は首輪をしていて、でもお腹はペッタンコ。どれぐらい彷徨ってたんだろう。
私は昔飼ってた柴犬を思い出していた。
仲良くなることが大事だ。自分の匂いを犬に教えてあげる必要がある。
私は地面に座り、犬と同じ目線になった。犬は近づき私の匂いを嗅ぐ。
知った匂いじゃなかったのか犬はそっぽ向いた。
その瞬間犬は駆け出し、反対車線で大きいバンに轢かれて死んだ。
鳴き声、骨が折れる音、臭い、全てが強烈だった。
手を差し伸べようとしてその瞬間に全てが壊れた。私が殺した。
反省の様子もないおっさんと話す気もなかった。何かを話したかもしれないけど
よく覚えていない。何よりおっさんが悪くないことを私は知っていた。
その後、市役所に連絡し専門の掃除部隊の方が来てくれることになった。
私は数日ふさぎ込んだ。今でも犬を見るのもきつい。
5月某日、Facebookが嫌いでFacebookの文句をTwitterで吐いてるところだった。
FacebookでToに沢山人が含まれているメール、「悲しいお知らせ」。
友人がガンで死んだ。SNSでこんな連絡をもらうなんて。
普通に接して欲しかったからと、ずっとひた隠しにしてたらしい。
初めて出会った時、飲み会の席で調子に乗った私がアダ名をつけたんだ。
ちょうど森ガールがメディアで持てはやされてる頃、ニットのふわっとした帽子とグリーン系のトップス。
ちょっと天パで、笑顔がかわいくて「森の妖精さん」と呼んで、みんなで一緒に笑った。
そのアダ名はもうずっと何年もみんなが呼んでて、ちょっと責任を感じてた。
イヤじゃなかったかな。そんな話を今年の年賀状に書いて送ったんだけど
その返事を聞きたかった。その子のFacebookを見てみると
「5月3日 xxさんはxxさんと友達になりました。」こないだまで生きてた証。
お通夜には沢山の友達が来てた。最後に手を握った時の冷たさは忘れられない。
だんだん悲しい事件が自分に近づいてくる。次はもっと身内が死ぬんじゃないか。
お祓いをしたほうがいいんじゃないかとか、救われたい気持ちでいっぱいだった。
どうかこれ以上、自分の回りで悲しいことが起きないで欲しい。
んで5月某日、天気良かった先週末なんだけど多摩川そばの
公園で遊んでた。友達のチャリを借りて薬局までビールを買いにいってたところ
激しく転んだ。右膝、右腿、右肩、右腕から流血。転んだせいで
首も鞭打ちになりました。でも生きててよかった。
怪我するだけなら、それが自分なら構わない。
これで終わりにして欲しいよ、神様。たのむ。