2014-05-19

いい風が吹きますように

不幸が続いている。ただ吐き出したいだけ。

4月某日、母親から電話。遠い親戚が亡くなったから代わりに葬式に出て欲しいと。

母の分、叔父、叔母の分の香典を用意してお通夜に参加。

グラスを片手にタバコをもった親戚のお父さんの写真。末期がんで死んだそうだが

なかなかい笑顔写真だった。

元々葬式は嫌いだ。人はいつか死ぬといことを強く認識させるから。別れはいだってだって悲しい。

私はシンクロやすい体質だから泣いてる人の悲しみを多く受け取ってしまう。

話したこともない人の葬式で私は泣いた。

4月某日、朝から運動をしに河原まで向かってた。

途中、6車線の大きいバイパス道路の真ん中に柴犬がいた。

犬は走り来るトラックを避け、車も犬を避け、バイパスの真ん中で右往左往としていた。

犬にとっても危険、車にとっても危険。私はわりと暇。犬を捕まえて安心たかった。

道路の真ん中の分離帯のところで犬はゴミ袋をあさってた犬に近づいた。

犬は首輪をしていて、でもお腹はペッタンコ。どれぐらい彷徨ってたんだろう。

私は昔飼ってた柴犬を思い出していた。

犬に近づくと犬は恐怖の姿勢、近づく人間を避ける構え。

仲良くなることが大事だ。自分匂いを犬に教えてあげる必要がある。

私は地面に座り、犬と同じ目線になった。犬は近づき私の匂いを嗅ぐ。

知った匂いじゃなかったのか犬はそっぽ向いた。

その瞬間犬は駆け出し、反対車線で大きいバンに轢かれて死んだ。

鳴き声、骨が折れる音、臭い、全てが強烈だった。

手を差し伸べようとしてその瞬間に全てが壊れた。私が殺した。

轢いた車のドライバーはドカチンのおっさんだった。

タバコを咥えヘラヘラしながら様子を見に来た。

反省の様子もないおっさんと話す気もなかった。何かを話したかもしれないけど

よく覚えていない。何よりおっさんが悪くないことを私は知っていた。

その後、市役所に連絡し専門の掃除部隊の方が来てくれることになった。

私は数日ふさぎ込んだ。今でも犬を見るのもきつい。

5月某日、Facebookが嫌いでFacebookの文句をTwitterで吐いてるところだった。

FacebookでToに沢山人が含まれているメール、「悲しいお知らせ」。

友人がガンで死んだ。SNSでこんな連絡をもらうなんて。

何年も友達なのにガンだなんて1ミリも知らなかった。

普通に接して欲しかたからと、ずっとひた隠しにしてたらしい。

初めて出会った時、飲み会の席で調子に乗った私がアダ名をつけたんだ。

ちょうど森ガールメディアで持てはやされてる頃、ニットのふわっとした帽子グリーン系のトップス

ちょっと天パで、笑顔がかわいくて「森の妖精さん」と呼んで、みんなで一緒に笑った。

そのアダ名はもうずっと何年もみんなが呼んでて、ちょっと責任を感じてた。

イヤじゃなかったかな。そんな話を今年の年賀状に書いて送ったんだけど

その返事を聞きたかった。その子Facebookを見てみると

「5月3日 xxさんはxxさんと友達になりました。」こないだまで生きてた証。

通夜には沢山の友達が来てた。最後に手を握った時の冷たさは忘れられない。

人生の中でこんなに連続で命が失われたことは初めてだ。

だんだん悲しい事件自分に近づいてくる。次はもっと身内が死ぬんじゃないか。

自分は呪われてるんじゃないか。厄年なんて全く信じない自分

祓いをしたほうがいいんじゃないかとか、救われたい気持ちでいっぱいだった。

どうかこれ以上、自分の回りで悲しいことが起きないで欲しい。

どうか家族、知人が幸せであって欲しいと願ってた。

んで5月某日、天気良かった先週末なんだけど多摩川そばの

公園で遊んでた。友達チャリを借りて薬局までビールを買いにいってたところ

激しく転んだ。右膝、右腿、右肩、右腕から流血。転んだせいで

首も鞭打ちになりました。でも生きててよかった。

怪我するだけなら、それが自分なら構わない。

これで終わりにして欲しいよ、神様。たのむ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん