はてなキーワード: 西宮とは
聲の形を見て「あんなキラキラした被害者は存在しない」とかなんとか言ってる(-放送禁止用語-)は論外としても、↓に対して「穿ち過ぎ」とか言っちゃうのも同レベルだわ。(まあ「障害者に限らない」というのはそう。)
愛想笑いという頼りない武器しか知らず、それでも全力で生に縋り付いた西宮の泥臭い人生を安易に「綺麗」とか言うな○すぞ。(過激派)
しかし「ドブネズミみたいに美しい」という意味で「綺麗」と評したい気持ちはわかるし、ある意味それがテーマでもある。西宮は「美しくなりたかった」のであって、決して「美しかった」わけではない。
聲の形、西宮さんが愛想がいい理由を
吉本浩二先生の 寂しいのはアンタだけじゃない で知った。 pic.twitter.com/TMn9SGwUo9— かじめ焼き (@kajime_yaki) July 31, 2020
「聲の形」を見て、学生のころによく見た変わろうカルトを思い出してしまった。
「変わろうカルト」というのは学生のころにしたり顔で寄ってくる連中に勝手に名付けたもので、彼らはの合言葉は「変わろうよ!」で、現状から変わることを気持ち悪いぐらい最上のものとしていた。
そういう連中は体育会系の学生寮や部活動によくはびこっていて、何かにつけて新入生に変わるように促していた。ちなみに、変わるように促すが、どう変わるのか、何を変えるのかを聞いたことはない。そして、私はそういう連中をカルトだと冷ややかな目で見ていた。当時は今ほどの論客ではなかったので、何を変えるのか、なぜそれを変えるのがいいと思うのかを問いただすこともなく、ただ変わる教団を不快に感じながら生きていた。
「聲の形」には「私が変われなかったから」とかなんとか、同じく変わる至上主義が出てきて、その辺がちょっと気持ち悪い。
石田と西宮が出会うことで過去の清算が始まり、彼らはむしろもう変わっていたわけで、そんなに変わる至上主義にとらわれなくてもいいのにと思った。
これで障がい者の気持ちが理解できた気になる浅はかな健常者が、手話文化を盗み、手話人口をいたずらに増やしていく。
本当に愛されない障がい者の気持ちは、障がい者の中でも青葉や小島ぐらいにしかきっと分からない。
妻と会話するために手話を盗む健常者がいたとしても、夫と会話するために小説を盗まれた気持ちに共感してあげたり、言葉をそのまま受け取る変わり者の夫を優しく見守る健常者などいるだろうか。
愛される障がい者を探してこいと言われて、見つかるのは西宮みたいな身体に不自由があるだけの美男美女や元健常者の既婚者ばかりであって、青葉や小島みたいなガチ勢が愛され枠に見つかるだろうか。
なお悲しいことに、ガチ勢には共感能力を持たない者も多いので、ガチ勢同士でもお互いを愛することはない。
耳が聞こえないだけの美少女が突然自死を選ぶなんて不自然に思えるが、それを言うなら何もかも恵まれたように見える健常者の美青年だって死を選ぶこともある。
本人にすら分からないのかもしれない。
12/13 には激減している予感。
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=fragtime&d=20191213
来場者プレゼントが第4週まで企画されているのに、3週で上映打ち切りに入る映画館がある。。
第4週(12/13~)を見に行くには、個別に映画館のスケジュールを見ないと分から無さそうだ。
追記:
https://b.hatena.ne.jp/entry/4678488424054088322/comment/cider_kondo
いや、関東以外の全16館をチェックしたが12/12(木)終映はTOHOシネマズ難波と西宮の2館のみで「激減」とやらにはほど遠いぞ。単に映画館の上映スケジュール更新の狭間で情報/反映が遅いだけでは?
だそうです!!さーせんでした!!
「純真無垢で無邪気で清潔でおおよそ人間的な穢れとは無縁の怪物、というレッテルを貼られた西宮硝子という人間」の物語を読んで「西宮硝子みたいな人間はいない」と言い放つの、再現度が高すぎてあまりにも皮肉が効きすぎているし、「やっぱり聲の形ってリアルだったんだな」という感想しかない。