京アニだけはああなってはいけなかった。本当に自分にとってはクリティカルだった。
ずっと、聲の形が嫌いだった。一番最初の読み切りがwebにアップロードされたその日から、ずっと憎しみをためていた。
もう何度も言われたことだろうけど、あの作品の、“ヒロインが完全に慈悲深く邪念の無い天使であるが故に成立するシナリオ”、それが本当に大嫌いだった。
耳の聞こえないヒロインが天使であるが故に成立する感動。初めて読んだ時に、頭が理解するよりも先に拒否反応が出ていたし、声を出してかぶりを振った。
障害者を聖人に仕立て上げることによって“健常者”に対して感動を産むシナリオ、それが本当に嫌いだった。
障害者は健常者の感動の道具じゃない。障害者も、健常者と同じ、人間なんだ。同じステージに立っている、同じ生き物なんだ。なのに、健常者がマジョリティであり、そちらをターゲットにした方が“売れる”というただそれだけの理由で主人公を健常者として設定し、障害者を健常者にとって都合のいい操り人形にした編集、作家、その作品、そしてそれに陳腐な感動の涙を流した読者全員が、本当に嫌いだったし、だけどその嫌悪感が圧倒的にマイノリティであるという事実が本当に悔しかった。
聲の形が大嫌いだった。
聲の形が京アニでアニメ化された時、自分はほとんど嫌悪感からその事実に目を背けていた。
youtubeとか、まとめサイトでサムネイルだけはちらりと見えてはいたが、クリックすることはなかった。クソみたいな漫画のクソみたいな焼き直しだと思っていたから。京アニのきれいな作画にのみ裏打ちされた身の丈に合わない虚構の評価を精々貪るがいい、なんてずっと思っていた。
やがてブームが去った。聲の形の話題を出すマジョリティは数を減らし、やがてほとんど語られなくなった。それに比例するように自分の心のざわざわも減っていった。
これで平安になると思った。やっとそう思うことができた。実際、しばらく自分の心は穏やかだった。聲の形のことはすっきり忘れて、自分自身の本来の生活に戻っていった。
なのに、燃えた。
燃えて、その瞬間的な衝撃が時間とともに和らいでいったあと、思ったのは聲の形のことだった。
聲の形の、悲劇性のともなった障害者が物語のメインとして登場するにも関わらず、結局はすべて健常者の視点で世界が説明され、健常者のカタルシスを得るかたちで幕を閉じるあのシナリオが、本当に大嫌いだった。
でも、わかっていた。その主張は、どこかの著名かつ善良な障害者が、「でも、自分は好きですけどね、聲の形」なんて発言すればすぐにガラガラと崩れ去るものだということが。なぜなら、当事者の意見だから。外野がいくらわめき散らしても所詮外野で、話のど真ん中にいる人間の言葉には勝てないし、そもそもその言葉そのものが真理じみてしまうから、勝つ勝てない以前の問題になってしまう。それくらい、当事者の言葉は強い。
京アニがああなって、京アニに一種の人格じみたような物が形成されたように思う。
京アニを構成する人々の声、とかじゃなくて、京都アニメーションという会社そのものが、あれを期にひとつの生き物のようなオーラを発散しはじめたような気がする。皆、事件の“被害者そのもの”のことを気にかけるよりも、その人たちが失われることによって京アニにどれだけの“損害”が出ているかのほうばかり気にしている気がするからだ。エリートアニメーターがどうだ、監督がどうだ、アニメの資料がどうだ、京アニの歴史がどうだ、そんなことばかり話題にあがり、“被害者そのもの”を気にかけているのはその人たちの親類ばかりだ。人々の存在そのものが希薄になっている。だから相対的に、そういう意味において、京都アニメーションは被害者の誰よりも人間らしい。
聲の形は障害者を身内に抱え込むことに成功し、箔がついた。今後、京アニがどうなったとしても、その箔は一生はがれないだろう。とんでもない悪に身を染めていました、なんて事実が出てこない限り。
だから今後京アニ作品は、少なくとも評価が下がることは無い。悲劇性のともなった障害者を目の前にすると人間は冷静な判断をすることができないからだ。そしてそれは聲の形のヒロインを見て涙を流した圧倒的多数の読者たちと同じだ。
京アニという会社と、聲の形というアニメと、聲の形という漫画のキャラクターと、その作者 全部同一視するとか基地外かな?
世の中の作品は全部 マスターベーションでご都合主義だ そうであるならば なにも聲の形だけを特別に嫌悪することもない 人類って愚かだな 創作って愚かだな という諦めの境地に早く...
犯人も障碍者やったんちゃうん
じっさいにご自分が大けがや障害を背負う状態になって声の形みたいなことをほざいているのかね 絶対に違うと思うなあ 青葉への憎しみに満ちておるはずだ あのヒロインの姿は虚構 ア...
西宮硝子という一人の人間に「慈悲深く邪念の無い天使」とかいうクソみたいなレッテルを貼る人間が嫌いだ。大嫌いだ。憎しみと言ってもいい。死ねばいいと思ってる。 殴られても蹴...
「 ノルウェーのウトヤ島で数年前、翌歳の男による無差別大量殺人事件が起きました。 多くの遺族が「死刑にならなくても許せる。こんな事件が一度と起きないような人間の社会をつく...
じっさいに自分が障害を背負ってこんなキレイごとになるかね 嘘ばかりついているんじゃない anond:20190722043621