はてなキーワード: 縁故とは
http://anond.hatelabo.jp/20120118104228
「失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ」
「で、あんたはいつ辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。
「まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、一部上場企業の正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。」
気持ちはわかる。でもさ、そうやって若者、とくに非正規を扇動するのはどうかと思うんだ。
だってさ、じゃあ非正規がどうしろっていうんかな?
んなわけない。
失業率が上がろうと、正社員のポストは渡すような試みをすると思うか?
新卒の内定率をちょっと上げるようにちょっとくらい対策をとるだろうけどさ。
世の中を多少でも変えた非正規なんて、加藤智大くらいのもんだ。
それだって、石を投げ込んだ程度だ。
あのね、非正規が正社員になりたかったら、正社員に、労働組合に媚びないとダメだろ?現実問題としてさ。
なにが正社員には言われたくないだ、マスコミには言われたくないだ。
小田嶋隆のツイートを読んで「そうだそうだ」と声に出しちゃうやつは、一生非正規、40になっても50になっても60になっても年収300万。
今年の誕生日で父が定年を迎えた。(ちなみに60歳定年制の会社)
定年後も再雇用でそのまま職場も変わらずだけど、慰労会を開いてもらったとかでお礼状を書くことになったり、
年金事務所に手続きに行ったり書類を書くことがあったりで家族が駆り出された。
父は世代にしても珍しい字の汚い人のためもあるけど、
子どもに甘えたいのか「お礼状のあて先を書いて欲しい(文面はPC作成で印刷のため)。数は130」と頼まれた。
自分はデジタルネイティブな世代でもなく、こつこつ文通したり、部活でOBOGに手紙を書く機会があったので
数はそれほど苦ではなかった。
年金関連の書類も本人がサインしなくてはいけない所は除いて、現住所とかちまちま書いた。
そうすると本人が今まで言わなかった仕事をする父が浮かび上がってきた。
箇条書きにすると、
いわゆる団塊の世代で学歴が重視された世代としては上手くいった方の経歴に入る。
しかし、実際には高卒であることから入社した大手石油メーカーでは夜勤のあるシフトで
朝起きて夜寝る(そして三食後毎に●する)リズムの体であった父には相当なストレスであり憂さ晴らしに賭けごとを覚えた。
そしてまだ縁故の力が強かった時代ゆえ、とある私鉄に親戚のつてで入社する。
駅員さんではなかったが駅ビルなど設備関連の仕事なので、夜勤がたまにあったが本当にたまにだった。
そしてこの頃、母とお見合いし結婚する。(当時母と共稼ぎであったが母が私を妊娠すると母は仕事を辞めざるを得なかった。時代の問題)
やはり「高卒」だと限界があり、どんなに仕事ができない人でも「大卒」というだけで昇進していく。
徐々に父は荒れることが多くなり、子どもにしつけだといいながら柔道の絞め技をかけて戻させたりしてきた。
そしてパチンコにはまり、周囲から借金をし結局総額1000万程になった。
母は家計を何とかやりくりし、借金を返済したが嘘をついてお金をパチンコに使う父に愛想を尽かし、
もし祖父(父の父)が認知症で徘徊したりしなければ実家に帰っていたと思う。
今も父と母はあまり直接話さない。
でも1時期は子どもを通信役にしてしか会話しないので本当に兄弟で迷惑した。
いまだに嘘ついてパチンコに行くし、家族が付き添わないと持病の糖尿病の治療にも行かないけど、
歳を考えればそれなりに元気だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212233
すでに慣れてしまったので別に親元離れなくても我慢できるし、そもそも話さなければいいのでそのへんは大丈夫。
進路間違えたとかは最初は縁故で昔からよく行っていて高校はいってバイトしていたところだったんだけどそこの支配人と喧嘩になって(自分は社長命令で動いていたのに)いけれなくなって
学校ルートで就職探したらいいところなくて、うだうだしてたあっという間に今になってしまったって感じで。
こんなことになるなんて思ってもいなかったから、家金ないんで今更って感じなんですよね。だからどうしようかと
一年浪人して大学行くのに結構抵抗があったんだけどあなたの文章で吹っ切れました。頑張ってみます。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212606
改善しようとしてもまずはグループの輪に入っていかないとだめなんですよ。入ろうとしても帰れって言われるときあるから。
まぁ頑張ってみます。まだそれなりに仲の良い人いるし
電磁的記録は公然陳列の対象になりえるか?
電磁記録を人間が鑑賞するには、それを人間の知覚できる形式に、人間が主体的に行動して変換しなければならない。電磁記録とは、電子的方式、磁気的方式その他、"人の知覚によっては認識することができない方式"で作られる記録だからである。
このようなデータに対して、公然陳列が成立するという主張が、今回、警視庁少年育成課と練馬署によって主張されている。
閲覧者が閲覧の意思を示し、機器を操作しなければ閲覧できないものは、公然と陳列しているとは言えないのではなかろうか。もし、閲覧者の意思表示や行動が無くても公然陳列が成立するとなれば、道を歩いている女性も男性も、股間に猥褻なモノを持っている以上、公然陳列を行っていると解釈されなければならなくなる。閲覧者の意思や行動は無関係で、そこにあることが公然陳列罪を構成するという主張は、こういうことである。
再頒布という行為においても、データにつけられたタイトルとデータの内容とが一致しているとは限らない事が多く、タイトルと内容の一致を証明する何らかの保証が、別の手法、たとえばウェブページにおいて、タイトルとその内容を示すサンプル写真やサンプル動画とファイルの取得方法が記述されていて、そのウェブページの作成者が、実際にデータの提供を行っていて、購入者や取得者が証人として存在しているといった状況が無ければ、単純所持でない事を証明する事はできない。そもそも、そのデータの製作者に比べればその罪は低く、また、ソフトウェアの仕組み上、所有者の意図していないデータがキャッシュされるのは、サーチエンジンやウェブブラウザのキャッシュと同様に避けられず、単純所持ではない事を証明するには、本人の自白のほかに、販売行為を証明する帳簿や購入者からの反証が無ければ、公判を維持することは難しい。
そして、何よりも恐ろしい事は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反という罪状と住所・本名が、公然と報道されてしまう事である。最長3週間の拘留期間の間に、自白させてしまうという捜査の横暴に屈すると、一生、この烙印がついて回る事になる。この容疑者は、前科者として、生活保護を申請して暮らすしかなくなるであろう。
また、調書に対して一切署名をせず、公判で争うとなった時に、おそらく、この状況では公判を維持できないから、起訴猶予処分になるであろうが、容疑と住所・氏名が公開されたことについては、一切、更正の手続きが取られない。嫌疑無し不起訴の処分がでないかぎり、無罪認定はされない。さらに、無罪認定された場合、警察のメンツを潰したとして、執拗に狙われる事になる。警視庁・練馬署の管轄では生きてはいけない。何の縁故も無い地方に都落ちするしかなく、その先で就職など、余計に難しいとなる。この場合でも、やはり、生活保護で暮らすしかなくなるのである。
取り締まるべきは、子供に売春させて金を取っている母親であり、児童ポルノを撮影した買春者である。ネット上に放流されたデータの所有者を取りしまる前に、やるべき事がある筈なのに、貴重な税金を使って、何をやっているのであろうか。やるべき事をやらず、仕事をしている振りに汲々とするのは、政治家だけで十分である。
それにしても、最近の警察は、法の解釈・適用能力においても、民主党並にまで劣化してきているのではなかろうか。インターネット関係についての調査能力が無い事はわかっていたが、その能力以前に、法を司る者としての能力まで劣化してきているのは、どういうことであろうか。無駄飯食いに高給を出す余裕は、日本の財政状況には無い。能力に見合ったレベルにまで、権限と給与待遇を落とすべきであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100709161932
http://anond.hatelabo.jp/20100709161115
情報ありがとう。
私の意見は変わらないかなー。
横増田の基準だと、
「情報を網羅する」か「空気読んだタイミングで話題に加わる」のが「頭いい」んだね。そうか、なんかすみません。これ書いたらツリー全部読んできます。
海外の大学にいたので、学歴はあってないようなもの。秋に卒業して帰ってきて、就職までのつなぎで大手の学習塾でバイトしたりもしたけど、社員さんとの縁故でお願いして雇ってもらってた(だから、「やる気」はすげーあったけどねw社員さんの顔に泥塗れないじゃんwww)ので、元の増田とは状況が違うだろうが、教えられる側の年代と教える側の学歴・知識の関係はこんな感じだった。
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高校生:高卒程度の知識があればOK。国数英理社いずれかに得意科目があればよい。
ただし、知識について理解を深めていることが必要。
中学生:高卒程度の知識があればOK。マニュアル化されていれば、理解が多少足りなくても大丈夫。
小学生高学年:中卒程度の知識があればOK。基本、マニュアル化されていなくても、大丈夫。
小学生低学年以下:カオス。子育て経験っていうか保育士っていうか、なんかそういう知識あった方が業務遂行上いいかも。
言葉がなかなか通じないので、ある意味一番専門知識が必要そう。(児童心理学とか)
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接客というか、ニンゲンカンケイな仕事だから、対人スキルは必要だし、重要。もちろん、塾っていう集団で働くのだから、社会性も必要。「もともとの能力≒学歴」なワケがない。
しかも、子供は成長段階によって対応を変えないといけないから、並より上の対人スキルが必要かも知んないw彼らは「客」じゃない。「教える」だけだと、も、全然だめ。まったくわかってくれないんだよ。
ま、どこまで元増田の塾と被るかはわかんない。
ただ、「学習塾における業務遂行能力」の話題だったらなおさら、「高卒」<<<「院卒」みたいな話が出るのはおかしい、と改めて思った次第です。
そりゃあ、中卒の人が高校生を教えるのは無理だし、東大に●●人入れました!みたいな進学塾とかお受験の予備校とかで、大学出てない人間が講師にいたら生徒のモチベーションが下がるってんなら話は別だけど、そもそもそういうとこだと高卒かつ社会経験ない人は採用しないと思うんだよね。履歴書出してテスト受けて採用された時点で、「学歴・学力という能力」の最低条件はクリアしていて、あとは、+対人ほかの能力が「もともとの能力」なんじゃないのーって思った。
院卒さんが精神疾患なのか発達障害なのかは、会ったことないし生育歴も知らないからわかんないな。
バイトとはいえ、教育関係の末席にいた人間としては、そういうこと軽はずみで口に出しちゃいけないって思っている。
そして、元増田が学習塾勤務なのだったら、是非はともかく学歴コンシャスなのは、とてもよくわかる。仕方ないとも思う。
遅いかもしれないけど、頑張ってください。
でも、あまり子供を不幸にしないでね。
前職の会社がいろいろあって辞めることもままならなかった。
最終的に辞めたいなら子会社をつくればいいと会社の経営陣に説得されて、その会社の役員として入ることになったんだ。
もっとも成功しやすいのは前職を引き継いで仕事を回すのだと思ったしね。
出資もしてその子会社の立ちあげの経営陣に入ったのだけど、資本金は集めておいたのねん!的に、気が付いたらあちこちから資本を集めてきて、意味のわからない資本体制に。
出資者はメーカーのお偉い陣だったりしたして、逃げ場もないような状態。
子会社社長には親会社のいいなりになるようなイエスマンが据えられてあれよあれよというまに法人に。
役員なら自分の考えた事業ぐらいはできるんだと思ってたんだ。
子会社の社長も、落ち着いたらそういうのもできるよと言っていたしね。
だけど、会社として周りだすにつれ聞いてもない話しが増えてきた。
親会社が雇えないような縁故の社員が子会社の社員になっていたりしてね。
知らされてもいないってどういうことなの。
事業の方針もないままに資本金だけはどんどん減っていく。
責任は自分にもあるのにお金の使い方みちとか人の採用とか知らないところで決まっていく恐怖感。
そもそも元居た会社は方向性がまるで違うから独立したかったのに、さらに輪をかけて意味のわからない事態に。
新規事業が軌道にのるようだったらMBOすればいいと気軽に思ってたんだよね。
だけど、人のふんどしで独立したつもりが、会社の連帯保証人、注意義務を法的に負う立場になっていた。
現状に気がついたときは、悔しくて泣いたですよ。
相手の方が2枚も3枚も上手だった。
恫喝とかそういうのも含めて交渉は相手の方が上手だったし、ネットワークも広い。
自分の人生を考えたときにこれは失敗と認めざるを得ない状況であったので、法的な準備をして離脱をしました。
辞める直前は弁護士や中小企業診断士などに相談してどうしたらいいかというような話しばかりをしてました。
教訓、虎穴に入って虎が出てきたら全力で逃げろ。
失敗は若い時のほうがいいよ。
失敗は20代の時の話しだったから20代の時にリスタートできた。
他の会社の経営陣とか喋るけど、潰したことがあるなんて話しはよく聞くよ。
確率的に考えれば失敗しないわけが無いんだ。
2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。
先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。
父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。
アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。
弟は難産だった。母親は医者に出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親は子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。
どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。
母親が占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。
なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。
人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。
そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。
僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社が倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。
何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学を卒業した後、デジタルハリウッドにいってCGを勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。
ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームのシステム開発会社として日本一の会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツの世界は自分でコンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。
そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。
結局、弟は夢をあきらめて上京した。
何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。
しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。
すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。
ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。
僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。
弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。
そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社の取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近、仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社に転職すればいい。
おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。
弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。
その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。
ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。
翌日、会社の会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯に電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。
弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体は母親が浴室で発見した。
弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。
弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。
母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。
台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。
調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。
弟が死んだ夜は東京に台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社の株価が、その月に三度目となるストップ高を記録していた。
弟は服を着たままiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。
葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社の副社長が通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。
弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月とゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。
父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。
あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島、高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。
足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。
母親が入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンションの最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。
父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。
ある日、母親から携帯に電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。
家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。
父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。
きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。
父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホールで会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋も一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。
葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。
なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。
会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国の親会社が倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本の会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパーの子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。
父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。
僕の人生の中で後悔している最悪の決断は会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブルを家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。
結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。
会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。
自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金やリスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。
上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業が合併してできた企業で派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。
後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。
父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命、自分でデータを集めてつくった会社の資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社の問題点を指摘しようとした。
僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。
1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダーを母親との旅行の予定で埋めた。
会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分は会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。
お金の心配はせんでようなったけど、あんまり幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。
弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。
僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。
何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。
僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。
でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。
僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。
でも、現実の世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。
弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。
本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。
人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事のアドバイスとお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間がダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。
母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。
弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。
父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。
弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。
でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。
死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。
父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。
結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。
僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
テレビで環七通りで一番古いラーメン屋はどこか調べるっていうのをやってるのをみた。
結局創業45年のホープ軒がその番組が調べたところの環七で一番古いラーメン屋だそうだ。
テレビじゃ創業45年に感動してたけど、意外に歴史が浅いような気がした。
だって、二十歳から一つの商売一筋で年金を受け取るまで働くとすると、45年だ。
ふと、終身雇用の崩壊というけれど、実際に終身雇用された人間なんて実は少ないんじゃないかと思った。
まず条件として、少なくとも創業45年以上でないといけない。
勤めてる会社が創業60周年になる。
先日、初めて新卒入社で定年まで働いたという人が出た。
離職率が高い職場っていうこともあるけど、どんな会社も創業当初は創業者一族と彼らに縁故のある人間の会社なんだろうと思う。
業務拡大して人を雇う余裕が出ても、しばらくはゼロから教育するような余力はなく、能力主義で来るもの拒まず去るもの追わずというスタイルなんじゃないかと思う。
たぶん、創業50年や60年くらいで初めて定年退社第一号が出るんじゃないだろうか。
何十年も業務内容が同じということもないだろうし。
ようするに、人生はわからないっていうことが書きたかった。
大企業に入れば安心なんていうわけじゃなくて。
100年前の大企業が全て今も存続してるかといえばそんなわけない。
むしろ消えてしまった企業のほうが多いわけで。
横だけど戦前のことは「岩波講座 世界歴史19 移動と移民 水野直樹・他 1999年 岩波書店」に
「1930 年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだたため摘発された者もいる。」
戦後のことは
朝日新聞 1955年8月18日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという。
朝日新聞 1959年6月16日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。
韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。
「逃げ場は日本しかなかった。命がけの選択の結果が日本への密航だった。彼ら密航者たちは『潜水艦組』と称され、近年の中国からの不法入国船と同様の小舟や漁船で、着の身着のまま日本に辿りついている。『潜水艦組の1人』という50代のある男性は、日本人の『常識』とは逆のことを私に告げた。
『済州島(出身者)だけじゃなく、在日の半分以上は、密航で来たんだと思うんですよ』」
「在日韓国朝鮮人 -若者からみた意見と思いと考え-」 金容権・李宗良編 1985年 三一書房
「日帝時代の生活苦という鬼神が解放後なお跋扈し済州島の人間をして「金儲け(トンボリ)」するべく日本にかりたてている。たいがいは大阪市(とりわけ生野区)を中心に偏在する縁故を頼っての密入国だ。」
↑この辺に書いてあるみたいよ。図書館へゴー。
やはり嫌がらせ藁 プ。
ですかねえ。やけにこったネコ型のクッションつーかぬいぐるみ?だったんですけど。
忘れられないですね。アレは・・・・。
どうにも中身の質感がねえ。。。うっかり触らせられちゃいましたからね。
もらった本人は????
とぐりぐり引っ張り出して。これストッキング×■%&??? みたいな。
(おい。壊すなよ。。。藁←心の声)
女子TO女子ですからね。でもあっちも女子校(仏教系)ですから、まあどういう意図かはよくわからんです。
もしかしたら”なんかのLOVEおまじない”かもしれないですからね。
女子TO男子でもそれはOKなんですかね?
就活を考えなければいけない年になってしまった。
自分の就活には現時点で色々と問題があるのだが、そんななかでモヤモヤと引っかかることが一つある。
それは父親の存在である。
自分はずーっと好きなことをやって来た。
おかげで捨ててきたもの多い。だから決してオールマイティに何でも出来る、という人間とは程遠い。
だから就職においても、ある程度自分の強みを活かしたい、活かさないと無理かも、と考えている。
ただ、それはあまり現代社会的とは言えない分野だったりする。
どんな所に就活すればいいのか、そう考えると結局公務員だったり、ちょっとマイナー企業だったりする。
それでも良い気がするのだが、でも引っかかるのは父親である。
別に父親が反対しているとかではない。多分親は、俺みたいなタイプは無事就職してくれればそれで良いと思ってる。
ナニが引っかかるのか。
父親は大企業っつーか元財閥の、それも上の方の役職に就いてるんだ。
もともと結構土地を持ってる家だったりするし、正直怖すぎて年収とか聞けません。
だから何だといわれればそうなんだけど、やっぱり心のどこかで親を超えたいってのがある。
どんな軟弱系であっても、男にはそういうところが結構あると思うんだよね、俺しかり。
それに姉達も大企業に就職していった。それが=人生を楽しんでいるかどうかは別問題だと思うが。
そういうのも末っ子とはいえ一応長男だったりするんで、やっぱ父親を超えるのは俺しかいないじゃん、とか思ったりする。
短い人生ながら"良い子"でいることが全てではないと思うし、自分にとって面白い人生を歩んだほうが、やっぱり幸せな人生だろうと思うようになった。
でもそんな面白い人生はリスクもハードルも高い。常に自分を高める自信なんか既にない。
そうすると世間的評価、収入の額面というのは安定した成功評価になる。そういう保険というのはすごく魅力的だ。
もし俺が父親の存在を丸無視した場合、おそらくある程度好きなことが出来て、標準的な生活は出来る程度のとこに就職するんだろう。
でもそんなんで良いのかなぁ、と。
父親みたく大企業に自力で就職して、バリバリ稼ぐなんて所業自分には想像も出来ない。
そうではなく自分の道を切り開き、自分の成功を勝ち取る。まだこっちの方が俺には近い。でも出来る自信が今はない。色々あってさ・・・。
なんでだよ。
なんで父さん、社長と一緒に行動してるのさ?その人、凄い人なんじゃないの?
なんでだよ。
なんで父さん、望めば縁故とか協力もするっていうのさ?
なんでだよ。
なんで超えたい壁がこんなに高いんだよ!
ある晩、携帯電話に見知らぬ番号の電話がかかってきた。ちょうど飲み会の最中だった僕は、ややまわらない頭で出ると、声は高校時代の友人Oだった。5年くらい前に、古い携帯に電話がかかってきて以来だけど、当時の携帯はもう手元にないので、番号では誰だかわからなかった。
このOという友人、よく言えばノリがよいのだが、それが空回りするタイプで、かつ押し付けがましく強引なので、最初はそれなりに友人が多くできるものの、わりと縁遠くなりやすいタイプ。僕も縁が遠くなれば、まあ、それでかまわないといったところ。
とはいえ、せっかく電話してきてくれたんだから無下にすることもできず、とりあえず話に少しつきあった。
Oは今、実家のある福岡で飲食店を経営しているという。久々に東京に戻ってきたんで、わざわざ僕の実家に電話をかけて、携帯の番号を教えてもらってかけてきたとのこと。
飲食店の経営は大変らしいが、なんとか軌道にのってきたとのこと。福岡に来たら遊びに来いと。で、久々に東京でゆっくりしているので、暇があれば会えないかと言う。そのときは飲み会中だったので、頭も回らず、ああ、そうだな、じゃあ、ちょっと今、飲み会中だから、またかけなおしてくれとか言って切った。それが、一週間くらい前の話。
昨日の晩、僕が会社から駅まで歩いているとき、電話がかかってきた。Oだった。
今週か来週かでどっか飲みにいけないかと。
僕はここんところ、それほど忙しいわけでもなく、飲み会の時間くらいはつくれる状況だったものの、なんとなく気が進まず、適当に話をつけて来週あたりで、時間が見繕えたら電話すると言って電話を切った。
そして、今日、お昼にOからまた電話があった(携帯の番号はいい加減、登録した)
なんか、あわてている。
僕もちょっと手が離せない状況にあったので、10分後にかけなおしたら、なんとも衝撃の告白。
今、羽田空港にいるらしく、なんでも急な用で福岡に戻らなければならないと。そしたら、バッグが置き引きにあって、パソコンから財布から一切合財を盗まれたとのこと。たまたま手元に持っていた通帳と携帯電話はあるものの、非常に困っているらしい。
今、空港警察で事情説明をして、一段落ついたので電話したと。なんか、マスコミも来るくらいのけっこうな大騒ぎになってるとか。
でもって、飛行機のチケットはあるもののそこから先の交通費はない。それに加えて、なんか、お店のためにお金を使わないといけないのだが、その金もない。ちょっとでいいから貸してくれないかと。利子を付けてすぐに返すし、なんなら、実家の方に連絡をとってくれてもかまわないとのこと。警察なんかはけちだから金を貸してくれないという。
なんか、あわてているけど、話のロジックに穴がある気がしてならない。とはいえ、こっちもリアルタイムで電話中なので、どこにどういう穴があるかが頭がちゃんとまわらない。
で、いくらどうすればいいのと訊くと、マッツ(彼の僕への呼び名)も、結婚して金が無いのはわかる。すぐ返すから、いくらでもいいから貸してほしいと。
そうとう怪しい。
とりあえず、予防線を貼るために、僕も給料はほとんど預けてしまっていて、自由に使えるのは多くて、数万円だと答える。
そしたら、彼の声は一気にトーンダウンするが、いやそれでもかまわないから、貸してほしいと言う。じゃあ、どうすればいい? 金を持って羽田まで行くかと訊くと、いや、かろうじて個人用の口座が1個生きている、ただ、この口座はカードが手元にないのと、情けないけど残高があまりないので、今は下ろせない。こっちに振り込んでくれ。福岡についたら、すぐ戻すと。
で、口座を教えてもらい、僕も返金のための口座を教える。
じゃあ、できればすぐにでも振り込んでほしいと言って、いったん電話を切る。
なんか、怪しい。振込みってだけですでに怪しい。
ってことで、とりあえず、自分のデスクに戻って羽田空港の総合案内の番号をしらべて電話して、空港警察の電話番号を聞きかけてみる。
あのー、僕の友人から電話があって、そちらの空港で置き引きだかひったくりだかにあって、困っているので金を貸してほしいと連絡があったんですよ、で、ちょっと連絡を取ろうと思ったら、携帯の電源がきれちゃって(ここは嘘)番号がわからなくなっちゃったので、そちらにまだいないかなと思って電話したんですけど、連絡取れますか?
警察。あー、ちょっと調べてみますねといって、保留音。
これで本当に事件があったら、まあしゃあないから貸したげるかなと思って待ってると、警察さん曰く、今日はそういう届けないですねとのこと。
! やっぱり。。。
ただ、もしかしたらまだこっちに挙がってきてないかもしれないので、交番の方に転送しましょうかとのこと。どっちのターミナルかわかります? というので、彼はいつもANAを使ってるので、おそらくはANAの方でしょうと言ってまわしてもらう。
交番でも事情を話してみると、いや、今日は引継ぎのあった10時以降ではないとのこと。それ以前もないと。ひょっとして、他のターミナルなのかなあと言って、そっちも調べてもらう。でも、やっぱりないと。
えーと、振込み詐欺確定?
ありがとうございましたと言って切る。
ってことで、振り込まないことにしてみた。
一瞬、まだ届けてないのかとも思ったが、警察に話していることは言ってたので、これはもう嘘はほぼ確定。
しばし、ほっといたら30分後くらいに電話がかかってきたが、どう話したらいいかがわからないので出なかった。
本日中の振込み期限が過ぎた3時過ぎに再度、空港警察に電話をしてみた。やっぱりそういう事件はないと。
ひったくりとか置き引きってよくありますか、と聞いてみると、たしかにたまにあるらしい。でも、少なくても昨日今日はそういう事件はない。
で、単刀直入に、これって詐欺になるんですかねと聞いてみると、いや、本人は返すと言ってるので、貸して返さなかったら詐欺なんだけど、今はまだ事件とは呼べないと言われる。
どうしましょうかと聞いてみると、まあ、相手を傷つけない程度に断りを入れた方がいいでしょうと。
でもなあ、さすがに電話はできないよなあ。
これでこの事件は今のところおしまい。
彼からの電話はその後、まだかかってきていない。
後は僕の雑感です。
Oは何をしたかったのだろうか。
福岡に戻ってから必要なら、今、縁故のある福岡の人間に頼めばいいだけ。飲食店をやってるのなら、それくらいの伝はあるだろう。空港から地元に戻るくらいの電車賃くらいなら、警察は大概、貸してくれる。で、借りれるだけ借りたいなんていえば、心のハードルが一気にあがるのは想像できなかったのか。
仮にお店大変で本当に金策に困ってる、とかいう切り口であれば、それなりの話はできたかもしれない。ただし、それも必ず法的な念書なりを取る必要はあるけど。
もう少し考えると、ひょっとしたらOは金策のために東京に来たのかもしれない。すでに福岡では金をかき集めるだけ集めて、それでも限界で東京に来たのかもしれない。そうであれば、こういう行動の意味はわかる。その場合、借りた金はちゃんと返そうと考えていたのかもしれない。 でも、それでもこんなやり方では僕には彼に金を貸せない。だって、これじゃ結果は違っても、プロセスは振込み詐欺でしかないもの。
それとも一番、考えたくないけど単純に僕から金を巻き上げようとしていたのか。
あいにくだが僕にはそんな金はない。会社員としてこつこつしている程度の金しかない。口座に数万円ってことはさすがに無くても(まあ、それに近い金額ではあるが)、彼が想像しているかもしれない大きく自由に使える金なんてどこにもない。
僕は彼にとって、おそらく高校時代の最後の友人だ。都会っ子のよくも悪くもクールな人間関係では、彼と友人を続けるのはちょっとだけしんどい。彼にとって、僕が東京都のつながりの最後の砦だったのかもしれない。
そういう人間をどうして、こういう引っ掛けにかけようと思ったのか。
早速、マスゴミは感傷的な音楽をBGMにして被害者の生い立ちや縁故者のインタビューを垂れ流している。
それ自体はいつものことだし、まあ叩かれて当然の連中であるとは思う。
だが、ちょっと待って欲しい(笑)
この事件が起こったのは何ヶ月前だ?
この事件の概要はもうとっくに明らかになっていただろうが。
逮捕は批判の解禁日なのか?
今までマスゴミは何をやっていたんだろう。
要するにマスゴミというのは警察に容疑者を逮捕してもらわないと自信を持って批判することすらできない連中なのだ。
その反面、いったん逮捕されれば安心して、冤罪の可能性があろうと何だろうと大騒ぎして容疑者叩きのお祭りを開始する。
こんなのは報道機関でも何でもない。
時間が経ったのでどうでもいいと思ったのだけど、「つまり」で始まってるって事は、要約したつもりなんだろうね。ちょっと困ったのでトラバ。
大学は専門教育をするところなんで、研究者になりたくて世界大学ランキングで選ぶとかしてる時点でミーハーでしょ。
自分がなんになりたいのかはっきりしてれば、原子炉工学やりたいやつは原子炉のある大学選ぶだろうし、こういう建築家になりたいって奴は「この教授につきたい」で大学選ぶだろうし、経済学とか法学とかでもいっしょじゃないか?選択肢なんぞそれほどない。
研究に進みたいのなら、学部卒までに邦文と欧文で連名でも良いから一報づつ書けそうな所を選ぶべきだろうし、そうすると自分の行きたい分野の限られた数の教授の居る研究室の「学生の」研究実績とかで選ぶしかないだろ。建築家(意匠系)になりたいのなら、学部卒までにコンペに入賞してる事くらい目標にしなきゃいけないから国内コンペの受賞実績とか見る事になるのかもね。「世界大学ランキング200位」とか見てる場合じゃない。
で、学部終えて企業に入りたい奴の見るべき場所はどこかっつーと、結構難しい。でも、研究実績と違って、この企業に何人とかはわかりやすいから、ランキングとかは参考になるだろう。法科大学院の司法試験合格実績みたいなもんだから。
多分世界大学ランキング上位の国内大学の先生は学生の就職なんて興味ないから、就職をにらんだ教育なんてろくすっぽしてくれない。そもそも教育なんてまったく興味がないかもしれない。ものすごい競争社会だから、だめなら切り捨てればいいだけだ。研究で切り捨てられてもそこそこ使える実績があるから就職もできるだろうけど。
就職力ランキングが高くて世界大学ランキングが低い大学ってのは、そこそこ学生の教育に力を入れてるはず。少なくとも使える奴を企業に出してなきゃ縁故もできない。
ミーハーでない奴はやっぱりそこから先を見て行動するんだろうけど、世界大学ランキングよりはフィルターに使える奴も多いんじゃないかな。