結婚をして子どもを持つ希望はあったけれど、仕事を中心に生きたかった。
責任の少ない初期研修のうちに子どもを産み、なるべく夫中心で子育てをしていく事にした。
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10件ほど保育園を見学し、受け入れられると明言したのは1箇所だけだった。
ただでさえ激戦区、流石に厳しかった。
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自治体に問い合わせた。
「障害児を産んだら両親のどちらかが仕事を辞めて面倒を見なさい。月5万円の特別児童扶養手当が出る。」と言われた。
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初期研修終了後に働く予定だった病院の院内保育室に問い合わせた。
入職が決まっていない段階での相談は受け入れられないと言われた。
病状として保育が可能かどうかすら答えをもらえなかった。
病院側に相談したが、仮の入職予定としてでも保育室に話を通してもらう事は出来なかった。
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目処のついた障害児保育園に入るためには、その自治体に住所が必要だった。
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ただし、障害児保育園は短時間保育のみだった。延長の制度もなかった。
夫と私の力関係の問題で、私が限られた時間の中で働くしかなくなった。
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限られた時間しか働けないが、病院での研修をどうしてもしたかった。無給でも構わないから、研修をしながら保育要件を満たせる立場が欲しかった。
保育要件を満たすために、他の仕事もする必要があった。他の仕事を探すために、研修の曜日を確定したかった。
「曜日を決めて欲しい」と言ったら、突然「保育園に預けるために仕事をするならば辞めろ」と人事に言われた。
調整が面倒になったのか、そもそもまともに働けない人間は要らなかったのか。
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国公立大学の地域枠で多額の税金をかけてもらいながら医師免許を取ったのに、誰にも働く事を望まれていないように感じた。
子どもの事は愛していた。
だけど、医師として働く夢を捨てたくなかった。
毎日泣いていた。
思い描いた幸せは、どこにもなかった。
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勘違いしている方がいるようなので一応書いておきますが、収入で言えば夫より私の方が良いので、いわゆる「下方婚」と思います。
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障害児を産む可能性は充分理解していたつもりでしたが、障害児の受け入れ先がこれ程までに少ないとは知りませんでした。
院内保育は障害児を受け入れているとの情報は持っていたので、断られるとは思っていませんでした。また、実際その立場になるまで真剣には調べませんでしたが、さほど不自然な振る舞いではないと思っています。
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ちょっと性的消費しちゃってる感出したい腐女子がさあ、「ああ〜この推しくんシコい」とか言ったりするけどさあ、それ文化の盗用だからね
男たちがシコいという言葉を使えるようになるまでに払ってきた犠牲を腐女子は払ってないわけじゃん。人前で自分の性の話とかしたくないってときでも、小さい頃からずっとそれが男社会の文化だという同調圧力によって強制的にコミュニケーションツールにさせられてきたんだよ男は。好きなAV女優とか、童貞なのかどうか、風俗の経験、FANZAの登録の有無、聞きたくなくても耳に入ってくるし、ある程度自分も開陳しなきゃいけない。そういう通過儀礼を乗りこえた上にやっとシコいというコミュニケーションツールが生まれたわけ
それが何だ、自分のマンコの話など一切開陳しない腐女子が「ああ〜推しくんシコい」だあ?ふざけるなと思うね。シコいと言ってしまう文化に乗りたいなら対価を払え。男たちが少しずつチンコ開示に傷つきながら作り上げた文化だ。お前も自分のマンコ情報を開示してから使えと言いたい
恋に恋しすぎ
ゆうてそれを手にしたのたまたま売れそうな能力持って生まれた以上でも以下でもないからな
ただ、ワイも人間なので、コロナ禍でフィジカルワークでもねーのに在宅勤務できない奴は自分の職業人生見直して損はしないのでは?とは思ってしまう
ミュージシャンの鮎川誠氏が亡くなった。ファンだったという訳ではないが、酷くショックを受けてしまった。それは氏が自分と同じ九州大学農学部出身だったからだろう。九大は移転しかつての六本松、箱崎キャンパスはなくなり、どんどん思い出が消えていってしまっている。鮎川氏のインタビュー等を読むと九大の話題が頻繁に出て来る。「九大に進学すれば一目置かれるから」という意味の言葉も出て来る。「大都会」の福岡に出るためには九大に進学するしかないというのは田舎出身の自分にもよくわかる。けっして裕福ではなく奨学金を貰いながら大学に進学した鮎川氏は近い存在だったというのが身に沁みた。いつかはと思っていたが、結局一度も生で見ることが出来なかった。あらためて思えばこれほど九大を愛していたOBはいなかったのではないかと感じる。たびたび九大に来られていたが、ライブを見ることは出来なかった。ご冥福をお祈りする。