今は政府が金を使わないとダメだから、マスクが無益でも出費すること自体は問題がないという認識
新型コロナによる自粛により経済が壊滅的打撃を受けているため、
出費が必要派にも大きく分けて二派があり
つまり集めた税金の再分配として出費を捉えてるのがマスクを無駄使いと攻撃している派閥だ
しかし財源は国債発行などを通じて国民の誰の懐も痛ませることなく増やすことができる
そう理解できれば、マスクの無駄使いなど、実質誰のダメージにもならないのだから(人的リソースは消費するかもしれない)
気にする必要はない
給料下がってまで選びに行った仕事が、なんか思いの外面白くない。というか、辛い。
お金や時間を使って何かをするのに、いちいち誰かの許可を得る。その為にはその誰かが気に入る資料を作ってプレゼンをする必要がある。そして時には理屈よりも心理を優先する。要は駆け引き。それが果てしなく嫌いだ。
俺は俺が良いなと思ったもの・ことに心血を注ぎたいのであって、良いなと思ったものを誰かに認めてもらうことの努力をしたいわけじゃない。
ここのところそういう資料ばかり作っている。見る人が見れば楽しそうな仕事と映るかもしれない。でも俺は嫌いだ。
元々の八方美人も手伝っていよいよ引っ込みつかなくなっている。早く辞めたい。
工夫して、国民に10万円くばったらええがな。
結局キリンクラシックラガーが一番美味い
絵が綺麗だなと思って何となく見ると、比喩もなく何にもかかってない平凡な心情の垂れ流しをみんなが褒めていた。
この感じどこかで、と思ったら十年以上前にもなる携帯小説ブームのノリに近いのかもしれないという感覚に到達した。
読者も読者で、かつてドストの批評に「感動しました!」とか頓珍漢な感想を書いていた層に比肩する連中だ。
多分彼らは本音で批評なんてする気もなく、適当に褒めとけばいい程度で感想を書いているんだろう。
これはたしかにコミックスが売れない。実際金を払ってまでは皆ほしいと思わないらしい。
建前の裏側がコミックの先細りに直結している。漫画という果実は熟して今まさに腐り落ちようとしている。
別段玄人受けすればよいのではなく、最先端なら最先端なりに尖ったものや、極まったものが必要だと思う。
それがまるでない。
好きでもない友人を戦略的に増やしつつ、有名無実になることを専一に考えるのだから完成度は二の次になるのも無理はない。
本題。
思えばツイッターを代表する文化なんてあっただろうか。ウィヒッヒー?
思い出せるものがほぼなにもない。
ツイッターには流動的な群体があるのみで、2chニコニコの固形物の保守的な世界とはかけ離れている。
あんなに血が濃い集団はいまやニコニコとはてなくらいになってしまった。無論それがいいとも思わない。
けれども群体として「名無し」であるツイッターはかつて殷盛を誇った名無しの集団よりも名無しになってしまった。
それこそ集団的流行病のようだ。ニコニコでバズれば歌い手がデビューするのか、という思いが巡る。
はてなでバズれば面白いアプリケーション開発者が出てきたのかと想像を巡らせる。あるいは村の闘争か。
ツイッターにおいては芸人か何かが一時的に有名になったのか程度しか思い浮かばない。
このあいまいさの問題はツイッターという母体が様々な形容を内包しているからだろう。
EU的な集合体がツイッターなのではないか。けしてアメリカ的とは言えない。
多くのアメリカ人はアメリカを誇りにし、ときに嫌悪し批判するが、ツイッター民に自国意識はおそらくない。
明日使えるメディアが登場すればあっさり裏切ってそちらに向かうだろう。
そこにはマスとクラスタがあるだけでつながりといえば共通の話題(ユーロ)だけだ。
時々カタルーニャやイギリスが独立を宣言するが、それをやる人物はせいぜいは5chで叫ぶ程度だ。
最大利益を享受できるツイッターを彼らは捨てることはできない。
一致団結できない群れが国家を形成すれば、それこそEUや中国のようなまとまりのない中身になる。
システムがそうなのだからやがてツイッターはほころぶのではないか。
国家になぞらえるのは無理があるか。