学内で機動隊に向かって「お前達も我々と同じ労働者じゃないか!」と叫んだら「うるせえ!お前らボンボンの道楽に付き合わされる身にもなりやがれ!」と返された、という笑い話がある
俺も全く従わずに生きてきてる(というかどうやっても弾き出された)けど、
俺みたいな人間が「正しく生きる」のは不可能なんだろうと感じる。
先日父が急逝。
相続で、店舗に貸している土地・借家・アパート・駐車場などを取得し、
就職して、終電・徹夜・サービス残業が当たり前だと思って働いてきたが、
急に、仕事に身が入らなくなった。
いろいろとコメント等いただき、多謝。
本来ならば一つ一つお礼を言うべきところ、
追記でまとめさせていただきます。
ご容赦いただきたく。
一点だけ。
毎月その支払いがあるので、
「最近の若者はモラルが低下している」といって昔を回顧し、嘆いている輩がいるが、その輩が「若者」だった時分は学生運動真っ盛りだったわけだが、当時の若者は「モラルが高かった」と言えるのだろうか?
政治においてまず重要なのは法律で定められた決定権で、発言力というのは決定権を持った人物にどの程度影響力を行使できるかということだ。
政治家だって完全に機械的な訳じゃなく人間だから、どうしても人間関係による力関係は発生する。
人間の心も、自分の食い扶持を無視して正論を言えるほど完璧じゃない。
発言力による影響は消えることはないだろうな。
最後ので一気に釣って。。。
論文でなければいけないのか?
アカデミックドメイン(ac.jp)で公開されている情報もダメか?
社会的地位(大学教授や会社に所属する研究者)のある個人のコンテンツでもダメか?
Wikipediaはやっぱりだめか?
ごめん。政府が頑張ってくれてクレイターを応援する政策を作ってくれたとして
それがちゃんと議論されて、よく出来た政策になったとして。
全力を尽くしたとして。
ごめんなさい。
だけどぼちぼち、平和に生きていく分には平和に生きていけるだろうから、得にクリエイター向けではなくみんなが、平凡に生きていければそれでいいんじゃないかな。
そして、その中で例えば音楽を極めたいなら、ヨーロッパとか(違うかもしれないけど)。ITを極めたいならシリコンバレーとか、映画ならハリウッド、野球ならメジャーリーグ、そういう人だけが、それぞれ有名な国に行けばいいともう。
うん、そうじゃない?
益田と話すことが無くて話がままならないから、どうしたって話をしなきゃいけない場面で
取り敢えずありきたりな話として話してるに過ぎないと思うのだが?
自分にとって必要な情報かの判別は、自力で調べて得た情報かどうか。
ホッテントリだったり、SNSでのシェア数がすごかったり、こんなものはただの流行りだ。
満足感が得られる場合もあるので、それはそれでいいのだけれど、
ここで確認すべきは「満足感≒探している情報」ということ。
たとえどんな、発言力を持った人でもパブリックコメントもなしに政策決めたら善悪の前に横暴だという定義なんだから
発言力関係なくね?
そもそも論として、何がおかしいかといえば、実際の結果に大して期待できる合理性と確度という観点なしに
発言力がある人が言ったから政策が決まるという現在の制度がおかしいんじゃね?
どんなに権力がある人が言おうと、便所の落書きだろうと、正しいことは正しく。正しい意見に従えば経済は発展するし
何が正しいか間違ってるかは、普通はわからないから論理的に議論して数学的に演繹するんであって、
発言は、意見を述べただけで
同じ趣旨でも、ネット掲示板に書き散らすのと、ある程度の知名度や財力など影響力を持つ人が言うのでは意味も違ってくる。
あくまで業界内で意見を出し合うのか、実際に政策立案に関わっている人を交えて話すかでも。
せやね。
そういう時は「俺も結婚したいんですけどね・・・」ってうつむき加減で言えば、
優しい人なら察してそれ以上踏み込まないし、
面倒見の良い人なら誰か紹介してくれるかもしれないYO!
発言は、意見を述べただけで
行動したわけじゃなくね?意見述べただけで、善悪を判断されたら議論なんか出来ない。
逆に、政策を立てるときにパブリックコメントも求めずに政策立てたら、善悪関係なくダメじゃね?
死ぬ時に「いい人生だった」って笑って死ねるなら、その人生は正解なんじゃないかと思うよ。
memento moriって言葉もあるくらいだし、いつか必ず来るその時への意識さえあれば、そうそう間違うことはない気がする。
年収1000万ぐらいとってるのに、こんなんじゃ全然たりないひんこんだ、ひんこんだ叫びながら
退職金と、厚生年金たっぷりもらって、悠々自適に畳の上で死ぬのが
まぁ、わりと汎用的な正解の1つなんじゃね?
おれらにはできないけど