はてなキーワード: 金八先生とは
なんでそういうモンスターをマイノリティにぶちこんでくるのか。
妄想上の「女って言い張って女湯に入りたい男」は、結局欲望の持ち主(主体)は男であって、別にマイノリティじゃないんだよね。
で、絶望するのは、そういう変態とLGBTの違いをわかってない人間が多すぎること。
やっぱりマイノリティ(数が少ない)だからだろうか、「マジで知らないんだな」と思うことが多すぎる。
ちょっとでも接したことがあればあの人達がどういう気持ちで謙虚に肩身狭く怯えながら生きてるかわかるよね、兄弟くらいの距離感の人ならご存知だろうが。
生まれてから自覚してる性別と、客観的に扱われる性別のギャップに苦しんでるからこそ
周りをざわつかせないようにパス度をあげるのに彼らは人生費やしてるなと思うし
指摘されたまだ自分には早かったんだと恥じるか退散する。
開き直るなんてしない。
「周りにどう思われても女湯に入りたい」な時点で、それは「周りに女性と思われたい」より「女湯入りたい」が先にくる、欲望優先の人間。
性同一性”障害”というのは「周りにどう思われてるか」に苦しむところからはじまるから。周りの目なんてどうでもいい^^女湯はいりたい^^といえるならそれは”障害”ではない。
あと単に男に厳しいよね、逆はいいんかいってよく思うよ。ていうか気付いてないんだよな。
自分は、心は男だけど「巨乳」「丸顔」「低身長」「ボーイッシュ一切似合わない」という身体の悪条件で、見た目を男扱いされるのは諦めたGID。
毎日メイクをし、ロングの髪を巻き、体型にあった服を着ている。理由は「ぎょっとされないため」。
GIDとは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性(女性)に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性(男性)に属していると確信している状態」、これ。上戸彩が金八先生で演じたやつ。
もちろん普通に女湯入ってるよ。で、それはいいんだからおもしろいよね。
まあこっちも彼女以外の女体なんて美術デッサンと同じで、壁画に裸婦描いてあるなとしか思わないけど。
「公共の場でトラブルを起こしたくない」は性別の自認よりはるかに先に来ますよ。そいつがまともなら。
特殊な馬鹿を指さして「見つけた」と勘違いして、「それみたことか」で盛り上がるのはやめてほしい。
私の努力のお陰で、私が男だと感じないですんで、平和に過ごしてるだけだよ、あんたら
自分の平和を支えてる人間が、アイデンティティすりつぶして見えなくなるための見えない努力はノーカンで、たまに馬鹿や下手くそが出てたまたま気づくと大騒ぎっていうこの…
99人が隠れる努力を徹底して成功してるなかで、1人のアホを見つけたからって、99人を「認めるべきじゃない」っていうの
めちゃくちゃ理不尽だよ
この十数年で若い落ちこぼれが出てくるドラマの方向性が大分変わってて、
それが今の若者に悪影響を及ぼしてる面があると思うので書いてく。
その影響からか「ルーキーズ」や「フリーター家を買う」みたいな若い落ちこぼれが
大人との対話を通して人として真っ当な人間になっていくドラマが放送されていた。
しかし「金八先生」が終わって数年が経ち2020年付近になるとそういったドラマはなりをひそめ、
「今日から俺は」や「東京リベンジャーズ」のような不良界隈でビッグになるような話が展開されるようになっていった。(「ばらかもん」や「アトムの童」等に関しては才能も実績もある若者が一時的なスランプに陥った話なので落ちこぼれとは呼べない)
多分最近の若者が闇バイトや寿司ペロ、東横キッズ、パパ活に走るようになったのってこれが原因だと思うわ。
落ちこぼれた若者が真っ当になっていくステレオタイプをかつての若者はドラマに見いだしていたが、今の若者は落ちこぼれた若者がワルの中でビッグになるようなステレオタイプにしか、触れてない。
それに多分大人たちもかつては「金八先生」的なドラマで今の問題を抱えた若者たちをどう導いていけばいいか学んでた面もあると思うんだが、今の大人たちはそういったドラマもなくなって今の若者をどう導いていけば分からなくなってる。
人はなんだかんだいって多感な時期に触れたフィクションに影響に受けるし、そうなると落ちこぼれた若者は
やっぱなんだかんだいって「金八先生」的な落ちこぼれな若者が大人との対話を通して真っ当になっていくドラマはいつの時代も必要だと思う。多分視聴率の都合で作られなくなってきてるんだと思うがこういうドラマこそNHKみたいな利益を必要としない局に作ってほしい。
俺も給料的にすげー割に合わない仕事してたことがあったけど、その時が一番充実してたと思う。
洗脳とかじゃなくて、本当に子供の頃からやりたかったことをやれてたから。
でも体力的にキツかったのと、貯金の出来なさ、そして両親が少しずつ体調を崩していくことへの不安で辞めた。
いわゆる「普通の仕事」って感じのについて、「普通の給料」を貰って、生活水準あんま変えないでいたらみるみる貯金は溜まった。
親がいよいよ片方アカンくなって、もう片方だけだとしんどそうだから今は「普通よりちょっとヌルい仕事」してるけど、それでやってけてるのはその貯金があったからだ。
あの頃に「自分のなりたかった仕事」を辞めて「普通の仕事」に就いたのは人生全体で見れば正しい判断だった。
だけど、毎日のように「もしも実家が太かったら、俺はずっとあの仕事が出来たのかな。体力的に耐えられる範囲ぐらいにペースは落ちてたかも知れないけど、続けることは出来たのかな」って頭の中でうわ言をブツブツしてる自分がいるのを感じるんだよ。
こういう話すると「社畜が洗脳された結果だー」って言うんだろうけど、俺そこやめてももう結構経ってるのに今でもそう思ってるんだから、これは多分俺の内側から出てきてるものなんだよ本当に。
教員って大変だと思うけどさ、やりがいは本当あるんじゃねえかな。
皆ゲームでキャラクター育てるのとか、他人の人生眺めるのとか結構好きじゃん。
教員ってのはひたすらずっとそれだけやる仕事なんじゃねえかと思うわけよ。
小遣いバンザイって漫画で「俺にはまるで生の映画を見てるみたいだよ」ってセリフがあったけど、まさにそれが毎日見れるんじゃねえかって。
社会人になるとそういうのって皆隠したがるっていうかさ、仕事場に持ち込む私情は待遇の相談で解決できる範囲にしろみたいなのがあるじゃん。
学生ってそういうのがかなり薄いっていうか、家の事情さえもガンガン学校に持ち込んでくるわけじゃん。
別に金八先生みたいにバッタバッタと問題家庭をどうにかしていけってわけじゃないけど、そういうのに対して何か出来る瞬間が人生でめっちゃ訪れるわけじゃん。
一部の人には滅茶苦茶刺さるんじゃねえかって思うわけよ。
つうか人にモノ教えるだけでも楽しいじゃん。
俺もそれぞれの職場で後輩に色々教えてきたけど、自分の説明で納得してくれてそれによって相手の出力が変わる瞬間ってちょっと脳汁出るんだよな。
まさに相手が自分のアクションに対してリアクションを返してきてるわけで、なんかこう社会的動物としての本能から快楽物質が貰えるんだよ。
教員って年中ずっとそれなわけじゃん。
脳汁出すぎて耐性ついちゃう人も多いんだろうけど、人によっちゃずっと毎年毎日のように脳汁出し続けられる体質というか精神構造の人もいるんじゃねえかな。
そういう人にとっては、単に待遇の良し悪しだけで辞められるような環境じゃねえと思うのよ。
俺がやってた仕事に比べたらずっとずっと待遇は良いと思うわ実際。
そう考えるとさ、教員っていう職業が何だかんだなる人間が大勢いるのも別におかしいことじゃねえんじゃねえかな。
こういう仕事に対して「こんな待遇でやるのは変な夢見て騙された馬鹿ぐらいだよ」みたいに思う人って、可愛そうだわ。
だって、待遇気にする以外で仕事を選ぶ軸が持てないような人生送ってきたってことじゃん。
まあそういう人も単に「自分の好きなものが今の社会で職業として成立している様子が全く想像もできないような趣味の持ち主」とかなのかなもな。
そう考えるとまあ……やっぱ可愛そうだと思うわ。
金曜8時で金八先生みたいな感じ?