人を悪しざまに言うというのはたとえば「死ねばいいのに」とかですか。
久しぶりに地元で昼飯を食べたのだけれど、どの店も席が空いていた。
東京だとどの店行こうが満席のことが多い。予算が600円くらいなら日高屋かそばうどんしかない。
店も密集してるんで、第一希望が混んでたら第二第三とみていけば自動で選択肢が決まってくれる。
地元だと日高屋だろうがマックだろうがファミレスだろうが好きなところに入れる。
ちょっと高めのランチでも空いてて入れるし、選択肢が全然決まってくれない。
怖い。
美少女の主観的思考として誰かを想ってドキドキしているのが読みたいし、美少女の視点から赤面しているツンデレ男子を眺めたいし、美少女の視点で女の子同士キャッキャウフフしているのが見たいし、男性主人公に視点を置くことにメリットがない
いやまったくその通り
しかし残念なことに、ハラスメント叩きで救われるのは基本かわいそうな順と決まっている
パワハラなんてそこら中で起きてるはずなのに、女が一人過労死自殺した途端にこの大騒ぎ
結局、差別解消を訴えて始まったはずのこの動きも、今ではまた別の身分制度なわけだ
故にこれを徹底したリベラル社会では、私かわいそうでしょパフォーマンスのうまさこそ、
すべてに優先されるのである
上司に通院してることを報告したら、今のプロジェクトから引き上げさせられそうになった。終わらせてから抜けないと次の転職で職務経歴書に書きにくくなる気がして、お断りした。
他のメンタルやられた人の待遇の話をお昼ご飯のときにぺらぺらはなしたりしてるの聞いてて気が引けてたけど、医者のすすめもあって勇気出して話したら斜め上の反応だった。
慌てて診断書の提出も異動願いも出してないからとくにアクション求めてないんだって伝えた。
拙者二つ前の増田だけど
わざわざしょぼいコード書いちゃうところみると彼学生っぽいね・・・・・・
まあ、
”一秒に一個ずつ入れて終わるまでロックをかけっぱなしってことはないんじゃない”
自分の食材に対する感覚を信じていないので、賞味期限は厳守している。
一日でも過ぎてたらすぐ捨てる。
殆どの食材は使い切る分しか買わないので、そもそも賞味期限をすぎることはほぼないが、たまに卵や納豆を奇数であまらせてしまったりする。
野菜なんかはカット野菜でなければ期限書いてないのが怖いので、買った翌日までに使い切るようにしているが、たまに余ってしまう。
賞味期限は厳守、買ってから2日たった野菜は捨てる、と言うかたちを取ってるのだけど、これにものすごい文句を言う人がいる。
そんな言うなら、期限の切れたものをアンタが食べてよと言いたくなる。
日程管理不十分なのは私が悪いが、働いてたりすると急な飲み会や仕事や疲れで食材使わないことだってそりゃーある。
その食材を買ったのも私だし、食べるとしても私なんだけど。
ほんと、賞味期限過ぎてても平気よ自慢のやつはうっざい。
そういう人がたまにお菓子とか作ってくるのだけど、怖くて食べられない。無理。
だよねー
今だったら相手がどれだけ不服そうな顔しても「嫌ならや!せ!ろ!」の一言で綺麗に片付くのにさ
ああ生きづらい生きづらい
相手が抱える欠点についてあれこれ指摘する行為は、現代ではハラスメント扱いされる可能性がある。
その相手のことを慮って言ったかどうかは関係ない。(ハラスメントか否かを決めるのは受け手、という原則がある)
まあ要するに「お前の将来を思っていってやってるんだ。良薬口に苦しだ。」みたいな態度のことね。
つまり「ハラスメントを回避しつつその人の良いように導くようにしよう」ってのが最適解だと思うんですけど。
ただね、ここで自分が危惧するのは、それが「腫れ物扱い」に繋がらないんか、と言うことだ。
繰り返すが「ハラスメントか否かを決めるのは受け手」と言う原則があるので、
『この人に何か言ったらハラスメント扱いされそうだな…何も言わんとこ…』…という態度のことですね。
だってハラスメントを回避しつつ、相手の欠点を指摘するって相当難しいんじゃないんでしょうか?違うんでしょうか?
いや、それが気心の知れた仲なら可能かもしんないけど、大体は「この人のことをそこまで慮ってやるギリはねーな」で諦められて終わり、なんじゃないでしょうか?
いや別に、僕だってハラスメントは悪しき行為だとは思ってますよ。
ハラスメントとか気にせずに相手の欠点を指摘しまくろうぜ!なんて言う気は無いですよ。
ただ、何が言いたいのかというと、「ハラスメント禁止」社会で相手の欠点を直すように導くのはかなり難しいんでねぇかな、という話。
相手が自発的に築くのを待つか導くしかないのか。それも難しいか。
いや或いは欠点を個性とするとかそういう方向性にしちゃう?みたいな?感じぃ?
まあしかし、以下は余談なんですけど、結局リベラル社会でのし上がる人って
「俺には何言ってもハラスメント扱いなんてしないよっ!何でも言いなよ」な態度の、要するに精神的強靭マッチョな人なんじゃないかなぁ、と思ってしまう…
意見しても、脅され、けなされ、蔑まれ、自分がどんどんちっぽけに思えて、
自信なんて消し飛んでった。
意見する気も起きない。
妻に対して本心が言えない。
怖いんだ。
NTVでやってるスーパーマンの嫁のセリフと同じセリフを日々吐かれてる。
あのドラマ見るたびに気分悪くなる。
あれが笑えない、この家庭は相当クレイジーだ。
西欧では知らんけど、日本だとキリスト教信じてるってだけで白眼視されるじゃん。
んで無知無理解に基づく(クリスチャンからすると)心無い言葉を無自覚に投げかけられたりするじゃん。んでいくらクリスチャンと言ってもムッとするわけじゃん。ちゃんと説明しようとすると長いしウザがられるし、イライラしたままその場をやり過ごす、みたいなことになりがちじゃん。
こういうのを見てると、日本でキリスト教を信仰するのって結果的に愛の理念から離れて行ってしまうように思うんだけどどうなん?増田がそもそもクリスチャンなのか分からんのだけど。
フランス人と食事をする機会があったので、常々聞きたかった質問をした。
「アメリカ人感覚だと、フランス人は全員アルコホリックなのか」という話し。本がナショジオで聞いて、ものすごく気になっていた。フランス人は朝からワインかっくらってランチワインかっくらってディナーワインかっくらってるのか、と。
しかし別にアルコホリックでも何でもない、嗜んでる程度なんじゃねえの、という結論。
昼にランチワインを飲むが朝から飲まない。夜も食前酒、食中酒、シメの食後酒(胃をすっきりさせる強いスピリッツ)を毎日やるという感じで、アルコホリックというよりは酒飲みの飲み方。
もちろん量が尋常じゃないのかもしれないが、連続飲酒でもなんでもないので別段いいんじゃねえの、という感じ。朝から飲むやつは、やっぱフランスでも「病院行け」という認識らしい。
俺が連続飲酒してた頃はなあ! みたいな感想になってしまった。いや、連続飲酒は良くないです。
しかし考えてみれば国民全員が連続飲酒のアルコホリックだったら国体が成り立たねえよな…あたりまえの話を聞いてしまった。
が、件のフランス人は俺の3倍くらい肉を食い散らかしたあと、アイスを3杯おかわりしてたので「やっぱ小さい頃から水代わりにビール飲んでるようなアングロ・サクソンは体の出来が違う…」と思いました。
「主語が大きい」
「じゃあ、バカ」
「主語を失くせとは言っていない」
「……じゃあ、ひとまずは注目エントリを目指したらどうだ」
「注目エントリ?」
「匿名ダイアリー限定の、小規模なホッテントリみたいなものだ」
「どうすれば注目エントリになる?」
「どれくらい?」
「そうだなあ、短時間に5~6つく、時間帯によっては2~3でもつけばいいかな」
「じゃあ俺とお前でブクマつければ、注目エントリは狙えそうだな」
「そこまでして注目されたいような内容書くなら、よそでやったらどうだ」
「そもそも匿名ダイアリーを頻繁に閲覧している人間なんてそこまで多くないし、露骨なことをやるとバレて顰蹙を買うぞ」
「セルフブックマーク、略してセルクマか。だが、さすがに1ブクマだけじゃ注目エントリは難しいぞ」
「大丈夫。俺はブクマ界隈でお気に入り数が結構多いユーザーだから、普段は増田を利用しない人も俺のブクマした記事なら注目度が高い」
「やってることほぼ同じじゃねえか。もう自前のブログでやれよ」
「増田なら、ならないとでも?」
使ってみた
おーすごい
ツリーを展開するブックマークレットはChromeだと動かないみたいだった
Chromeはgreasemonkeyを閉め出したりして、こういうちょっとしたJavaScriptが好きな向きには世知辛い昨今でございます
映画「沈黙‐サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。
私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教の最大公約数を目指して当たり障りのない範囲で解説をしていきたい。
ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックがベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。
私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。
キリスト教の神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈で問題ないと思う。
神様は世界を作った後で、エデンの園って場所(地球上のどこか)に最初の人間を作った。アダムとイブ(宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様は人間を絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分の意志で神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。
で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪の知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間と約束した。
元々、神様は人間を「不老不死」で「罪」も犯さない存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。
「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類は100%罪人ってこと。
そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。
※余談だけど「神様は全知全能なんだから、アダムとイブが約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすいツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。
人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様は人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト。
このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇な存在。しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする。
とにかくイエス・キリストは、人間として生まれて大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解しやすいだろうか。
そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様はあくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから、人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様に宣言する必要がある。
何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼(バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。
人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから、神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。
じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。
まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せに暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通。
とまあ、後半は特に曖昧な表現が多くなったけど、キリスト教の最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。
本当は、これを踏まえて「一般的な日本人とクリスチャンの意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。