大学は中堅といった感じのところ。早慶には入れなかったので就職活動は
それなりに苦労した。内定は4社ぐらいとれたけど、その中のひとつに就職。
社員は50人くらいの規模で新卒は3人とるという、これから伸びようという会社
だった。応募は700人くらいあったらしく不況を実感
会社には大きな夢や希望があって自分の成長が肌で感じられるような環境に身を
おきたかった。
OJTが1週間あってからその後、先輩社員と一緒に営業に向かった。3週間目には
一人で営業にでかけるようになった。周りの大学同期が1ヶ月から3ヶ月くらいの
社内研修に出ている中、早くもクライアントを任せられる仕事に心躍った。
成長を実感できる職場だと思っていた。
それから会社の業績が良くない説明を受ける。会社の業務時間は9:00から18:00
だが、当然残業はある。それは年俸に含まれているらしいので残業をしてもしなく
ても給料は変わらない
半年かけて進めた大型の案件を受注できた。会社全体で喜んでくれて嬉しかった。
その後案件が受注できなくなった。直属の先輩社員が辞めていたので今の自分には
別の先輩が付いた。社内のトップ3売り上げだったので何か学べることがあるかと
思っていたが、なかなか真似ができない。
検索に失敗したら言葉を曖昧にしてそこから絞り込んでいくもの。検索用のデータ作り直し。結果多すぎ→結果なしの中間にある適度な状態を模索するもの。手順は一方向で、曖昧→絞り込みだけ。検索用のデータを曖昧化することができれば検索手順を双方向化できる。
ヒットしすぎたなら絞り込み検索ができる。が、ヒットしなかった場合はやり直し。やり直せないなら諦めるしか無い。意味は惜しくても字面でヒットしなければ意味がない。人は情報を検索している気になっているが、システムが検索できるのは検索用に作られたデータ((要するにタグやSEOキーワード))だけ。欲しいのは検索用データに結び付けられた検索不可能な情報のほうなのに。
でも、もし惜しい検索語を補えたら、新しい検索手順の発明になる。惜しいなら惜しいなりに何かが得られているはず。絞り込みの逆、検索語の曖昧化ができればいい。ヒット数0件の場合は別に考えたほうがいい。0件は全件と同等。検索ではなく一覧から情報を探す方法が適用できるはず。
いやだから基準が低すぎるって話。
私は(たぶん)「育ちが良い」に分類されるが、一人暮らしした経験があればそんなことでいちいち「育ち悪い」認定できない。
藁人形叩いてるだけじゃねえの?
育ちが悪い女といってイメージするのは母子家庭、生活保護、中学生で処女捨てる、箸まともに使えない、水商売/援交/不倫/風俗経験あり、みたいな属性だな。
http://anond.hatelabo.jp/20130309160549
欠点がないのが欠点ってのはなんか、バブル世代かその少し下がよく言ってたような気がする。
敗戦の負い目もなく最強の日本で世界中に羨ましがられた世代がどうたらこうたら
そこら辺がそういう無自覚な全能感を持った人間が多かった世代で今はやっぱり減ってきてるんじゃないかな
てきとーな予想だけど。
まぁ、そういう人たちも結局、引いてるのは相手に対してだけじゃなくて自分が恵まれてるということに対してもなのかもよ。
コイツには親の話したら甘ったれだと思われるとか、スネかじってずるいと思われるとか、怯んでいるのかも。
一緒にいてものびのび出来ない、自分が好きなことを言うだけで相手が不快になる、そうなったらどうすりゃいいのよって思うのかも。
そういう小さな我慢を日常の至る所でしてまで続けたい程の魅力があるなら別だけど、そうじゃないなら事前に引いて関係を作らないほうがいいのかも。
なるほど、書けた。
クリプトンは本当にうまくやったと思うが、それってミクさんへの愛だと思うぞ。
もう娘みたいな感じなんだと思う。
これだけ有名になると、いろんな儲け話とか怪しい話とか、それこそわんさか毎日のように来てると思う。
なのに変な方向にいかないのは愛だよ愛。
3月11日だけ喪に服せばいいなんてモンでもない。
何時だって遊んでいいに決まってるし、3/11以外に喪に服したっていい。
そういう日だから気分が乗らないのは解るけど。
こういうテキストは得てして不幸自慢や感傷に浸りがちになってしまうものが多いから
そうならないようにできるだけ書いていこうとおもう。もちろんこれを書く目的はそんなことのためではないし、
最後までかけるのであればこれはむしろポジティブな、読んだ人に何か得るようなものがあるものになってほしい。
両親はとある新興宗教の出だった。二人はその教会の教祖の祝福という名のいわゆる合同結婚の元、結ばれた。
自分はその5番目に生まれた三男末っ子だった。(長女は里子に出されたらしく、実質4人兄弟)
物心がつく前から教会にも行かされていたが、一般的な保育園や幼稚園にも行き
特に当時はうちが変わっているということも意識することはなかった。
それから母と子の4人の子供との生活が始まった。かろうじて離婚は母が嫌がったのでしていなかった。
一応、住んでいる地域も父に合わせ、父の住んでいる地域に家族も引っ越していた。
そのため月末にお小遣いをもらったり誕生日プレゼントなどでその頃まではまだ父と関わることができた。
ただ、住まいも違えば、両親が家族の前で顔を合わせている瞬間を見ることもそれからはなかった。
物心ついてから理由は分かったが、父が宗教を去った、いわゆる還俗によるものだった。
養育費などもないため、母は働くことになり、やがて子供たちが教会に連れて行かれることもなくなった。
教会では私達のような存在を二世と呼び、年頃になれば両親と同じように祝福とよばれる合同結婚をする。
その後、三世、四世、、、などと続いていくのだろうと思う。
小学校に入ると自分の境遇が特殊であることになんとなく気づき始め、
学校の友達とは一種違うこと、宗教という概念はどこかタブーなんだということも静かに悟った。
それから小学3年生になる頃、人生の岐路ともいえる出来事が起きた。
その頃になると家族内で信仰しているのはもはや母だけであった。私も教会のことは口にはしなかったものの小学校はとても充実していた。
その母が敬虔すぎたあまり、小3の夏に布教活動に出ると言い出した。
行き先は 家 族 で アメリカであった。
当時はなんのことかも分からず、旅行気分で帰ってくるものだろうと、旅行など両親の不和から一度も行っていなかったので
私は脳天気なまでに楽しみにしていた。
そのまま父を日本に残し(もはや家族間の交流はなくなり見送りすらなかった)、私達一家は渡米した。
現地での生活はその教会の保有する宗教施設で、自分らと似たような一家が何家庭か集まり、共に暮らす特殊なものだった。
うちの家族は母以外は教会から離れていたので正直まわりの人々としばらく温度差があった。それでも幼かったので多くの他の大人や子供たちとの生活は新鮮で楽しかった。
学校は州の公立の学校に通った。いまでこそ帰国子女という肩書きではあるものの、
一般的な帰国子女というのは現地の学校と併せて、日本人学校に土日通ったりする。
しかし、それはもちろん私立であり、シングルマザーで、かつ他にも兄姉がいるうちのような家庭には
公立学校で経済的にいっぱいいっぱいであった。(姉だけは女の子という理由で無理して通った)
母には話していないが、もちろん人種差別もあった。その分、優しい人々の思いやりにも触れることができた。
日本では禁句であった宗教の話は、無宗教であると伝えると逆に大きく驚かれたのが印象的だった。(これすべて小学校の段階での話である)
住んでいた地域は移民が多く、学校でもESOLの他にスペイン語なども必修科目に含まれていた。
アメリカ人は白人というイメージをしてしまいがちだが、今でこそ言えるが、そんなことは決してなかった。
その地に4~5年暮らし、中学校3年になる頃、宗教ビザが切れ帰国した。
今度の日本での引越し先は父のいた地域とは別で、母の教会でのコネによって貯金がなくとも引っ越すことだけはできた。
正直、日本人学校にも通っていなかった自分はゆとり教育云々依然に日本の勉強に着いて行くのがやっとであった。(漢字や理科など)
英語だけは生い立ちに恵まれたものの、自分だけ答えて授業を進行させてしまうと他の生徒が学べないことを悟り、あまり積極的に参加することも避けた。
一般的には苦手とされるものが、できてしまうとやはりいじめられた。さらに帰国子女という肩書きも裕福な家庭を連想させていたらしい。
しかしそれは人種差別を体感していた自分にとっては人間の本能なのだと甘んじることができた。
間髪いれず続いてきたのが『受験』という壁であった。欧米では高校は義務教育とされており内申のみで入れるものだったのでこればかりはどうしていいのかすら分からなかった。
周りの友達がどうやら塾や予備校というものにいっていることを知った。あれは一種日本の文化といってもいい。
もちろんうちにはそんな金は無かった。もはや家の光熱費すらままならないといっても過言じゃなかった。(学校の友だちにはもちろんそんなことは言えない)
それからしばらくして、当時、担任であった先生からある話を持ちかけられた。それは『帰国子女制度』というものを使う方法であった。
現地での滞在年数や帰国してからの期間などいろいろと条件はあったものの見事にパスした。
その制度を利用すると、体裁としては一般受験をするものの、その制度枠を設けている高校に空きがあれば、ほぼ確実に学力関係なしに入れるという最強チートであった。(大学にもあり)
それのおかげで高校に入学することができた。
幼いころから他人の心の読める人物がいたとして、その子は「嘘をつく」という概念を理解するだろうか。
あるいは理解したとして、初めのころにどのように体感されるだろうか。実際にそう言ったとしてそれはどんなニュアンスなのだろうか。
その子は他人の感情や心的イメージや心中の言葉が、どうやらごく普通に聞こえるし感知できるらしい。
嘘といってもいろいろな意味があると思うが、ここでは好きな人が本当はいるのに口ではいないというような場面での「嘘をつく」だ。
我々と同じように嘘をつくという概念を理解するには、おそらく、我々が音声と心中とを区別するのと対応して他人からの情報に2種類あると区別しているかどうかが関わってくるだろう。例えば相手が口を動かしている時の言葉とそうでないときの「言葉」とが分割されるといったように。少なくともその形式でとらえていれば疑似的・相似的にでも理解できるか。どうか。
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...後で考えよう。
違う話にすり替えないでほしいな。
すごく腹が立ったよ。君のその書き方。
今は3月11日の話をしているんだ。
アフリカがどうとか今はどうでもいいんだよ。わかる?
両親の仲が「普通に」良くて、母親が専業主婦だったりして「当然のように」「普通に」毎日手作り料理(ダシまで毎回とっている)を食べてきた男とは深く関わりたくない。
自分が「普通」だと確信してて、頭が固くて、そこから外れる人間を「普通未満」「育ち悪い子」だとすぐ敬遠するから。すぐ引くから。
「普通に」育ってきた男は、人の評価が減点方式だと思う。初対面で好感を持っても、相手の色々な面を知るに従って「普通」じゃない面が見えてくるとすぐ引く。
うちの両親は金は持ってたから経済水準で引かれることは無いけど、共働きで家事の水準は低くて夫婦仲も悪かったから、実家の話は基本的にしたくない。
でも「普通」の男は実家の話をしたくない人の気持ちが分からないから、ぐいぐい聞いてくる。で、「母親が弁当に冷凍食品使ってた」くらいの話ですぐ引く。
私が自炊面倒くさい日にレトルトカレーで済ました話でも引く。残業後に一人分を用意するのがめちゃくちゃしんどいことがわからんか?わからんよね、あなたは実家暮らしだもんね。
専業主婦の母親レベルの家事を、一人暮らしの会社員の女が「当たり前に」出来ると思ってるとこがムカつく。母親にやってもらってるお前は全然出来ないくせに。死ねばいいのに。
私が夜に洗濯する話でも引く。専業主婦やパートなら朝洗濯できるだろうけど、会社員が朝洗濯するには毎日5時起きしなきゃいけないんだけど?お前に出来んの?
自分は実家暮らしで専業の母親にレベルの高い家事をやってもらって「働くだけ」で生きていけてるくせに、「働いた上に家事」の人の家事レベルをなぜ見下せるんだろう。
どうしてたまたま自分が恵まれた家庭環境に生まれただけで、両親の仲が悪くて両親共に多忙で冷凍食品多めの弁当食べてきた私を見下せるんだろう。
育ちのいい女の子にはそういうものを感じないけど、育ちのいい男には本当に「隙あらば見下す」的な嫌なところがあると思う。
だから「育ちがいいくせに自分を普通レベルだと思ってる」男とは本当に相性が悪い。
あいつらは「家に不満が無いこと」を「普通」だと思ってる。いやそれ普通じゃないから。恵まれてるから。
「不得意な科目が一つも無い人」は優秀でしょう?「残念なパーツが一つも無い人」は美形でしょう?難が無いってことは恵まれてるってことで、普通ではない。
育ちの良い男は無自覚に人を見下すし、無自覚に不快な質問をする。しかもそれが短所であることをわかってないから本当に鬱陶しい。職場に多いけど本当に関わりたくない。
3/10 追記
誤解されてる!パートナーだなんて一言も書いてません。ただの職場の男です。
彼氏(婚約中、両親挨拶済)は別に居て、レトルト等にも寛容な人で上手くいってます。
彼氏のお母さんもフルタイムで働いている方でしたし、彼氏は一人暮らしなので一通りの家事が出来ます。
ただ職場で、彼氏と「どこで出会った」とか「いつ結婚するか」とか「どんな仕事をしている人か」とか詮索されたくなくて、
彼氏の存在は言っていません。そんなことを職場で報告する必要も無いと思うし。
そうしたら「嫁候補」みたいに、私のスペックを探ってくる男が居るんです。それも複数。
勝手に好感もって期待して近寄ってきて根掘り葉掘り聞いては、勝手に引いていくんです。
それがもう嫌で!!!気持ち悪くて!!!!なんで一方的に品定めされなきゃいけないの!!!???
「普通」を押し付けてくる人も嫌ですが、職場でプライベート持ち込ませようとする人、詮索してくる人も同時に嫌なんです。
そして「普通」を押し付けてくる人は、見た目で「この子は普通以上っぽい」「この子は普通未満の下品な子だろう」というのを決め付けて接するし、
増田という知り合いがいた。口を開くと出てくるのは妬みと僻みと自慢のみ、独善的な思考の持ち主で知り合いには距離を取られていた。
そんな面倒な人間だと知らず、彼と喋る仲になった。このとき優しい友人に彼とは関わらないほうがいいと忠告を受けたのに喋る仲になったことを後悔している。喋れば喋るほど精神衛生を悪くする存在だった。彼に喋りかけられるのが嫌で学校に行きたく無くなった。毎朝腹が痛くなった。休み時間が苦痛だった。あるとき彼に喋りかけられなければ良いんだと気付いた。それからは接触を避け続ける日々だった。消極的にであれ相手を否定する行為に心は痛むがそれでも喋りかけられるのに比べたら随分マシだった。
それから何年か経ち、話の面白い桝田さんや、きさくで笑顔の素晴らしい増田くんと知り合った。増田コワイ病は軽減された。
最近、はてな匿名ダイアリーをのぞくようになった。よく出てくる単語に「元増田」というのがあった。きっと増田さんが結婚して名字が変わったのだろうと考えた。しかし記事によっては増田とも呼称してあった。一体ドッチナンダ……と震えた。調べてみたら「増田」とはアノニ「マスダ」イアリーユーザーのことだった。元増田さんは引用元の記事、執筆者を指していた。
ああ、なんと。僕は増田になってしまったのか。しかしながら匿名ダイアリーを流し見ていくと納得する、そうかやっぱり増田なんだ。
ニートのお前よりは重いけどなw